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佐藤さわりの霊障事件簿 信州の別荘 髪邪霊

昔、『ヘルハウス』という映画を観たとき、邪霊の正体を主人公が口にした瞬間、

霊が悲鳴をあげて消え去る場面があった。

当時は「なんだか締まりのない最期だな」と思ったものだ。

だが、年月が経つと、あの“拍子抜け”のような終わり方が、

むしろ人間の弱さや滑稽さを照らし出しているように感じられるようになった。

恐怖の正体は、案外ちっぽけなものかもしれない。

しかし、その“ちっぽけさ”に人は長く囚われる。

今回の物語では、その感覚をどこかで活かしてみたい――

そんな思いから書き始めた。

第一章:髪の気配

信州飯田の山あいは、三月の終わりでもまだ冷え込みが残っていた。

夜になると、谷を渡る風が細く長く鳴り、まるで誰かが遠くで嘆いているように聞こえる。

その風の音を好んでか、あるいは他に理由があったのか――伊藤司は、なぜか軽井沢ではなく飯田に別荘を建てた。

別荘といっても、豪奢なものではない。

木造二階建て、外壁はくすんだ白。

建てられて十年も経っていないはずなのに、どこか古びて見えるのは、山の湿気のせいか、それとも別の理由か。

持ち主の伊藤司は、1959年生まれ。

独身主義者で、若い頃は金に困っていたが、仮想通貨で大儲けしたという噂があった。

しかし、その金で建てた別荘は、驚くほど質素だった。

「土地が格安で、東京までの距離が魅力的だったんだよ」

そう笑っていたらしいが、その笑顔を覚えている者は少ない。

そして――伊藤司は、ある日突然、姿を消した。

別荘には「司の間」と呼ばれる部屋がある。

中央に掛けられた和風の掛け軸には、伊藤司本人の肖像画。

黒髪が異様に豊かで、白髪一本ない。

その髪の量は、まるで絵師が誇張したかのように盛られていた。

だが、誰もその違和感を口にしなかった。

口にしたくなかったのかもしれない。

最初の被害者は、小島弘之と妻の弘子だった。

都内から移住を考え、格安の別荘に惹かれて一泊しただけの夫婦だ。

翌朝、弘之は洗面所で悲鳴をあげた。

洗面台には、黒い髪の毛が束になって落ちていた。

自分の頭を触ると、指にごっそりと抜けた髪が絡みつく。

「ひ、弘子……これ……」

弘子も同じだった。

枕には、まるで誰かが夜のうちに切り落としたかのような大量の髪が散らばっている。

弘子は震える声で言った。

「あなた……あたしに内緒で、がんの放射線治療を受けているんじゃないでしょうね……?」

「そんなわけあるか……!」

だが、抜け方は異常だった。

医療知識のない二人でも、ただ事ではないとわかった。

その翌日、二人は遺体で発見された。

弘子は胸を刺され、弘之は頸動脈を切って倒れていた。

警察は無理心中として処理した。

理由は不明。

ただ、部屋の床には、なぜか大量の黒髪が散乱していた。

不動産屋・田中遊は頭を抱えた。

持ち主は失踪、最初の買い手は無理心中。

格安物件どころか、誰も近づきたがらない“事故物件”になってしまった。

田中は、別荘の前に立ち、風に揺れる木々を見上げた。

枝が擦れ合う音が、妙にざわついて聞こえる。

「……なんで、こんなことに……」

そのとき、ふと背筋が冷えた。

風の音に混じって、何かが囁いたような気がした。

――ひひひひ。

田中は振り返ったが、誰もいなかった。

ただ、別荘の二階の窓。

「司の間」の障子が、わずかに揺れていた。

風は吹いていなかった。


第二章:拒まれる除霊

不動産屋・田中遊は、事務所の椅子に深く腰を沈めていた。

小島夫婦の無理心中から数日。

飯田の空気はいつも通り澄んでいるのに、胸の奥だけが重く沈んでいる。

「……このままじゃ、本当に売れなくなる」

田中は、最後の望みとして霊媒師を探した。

東京に、辻洪庵という名の霊媒師がいると聞いたのだ。

電話をかけると、落ち着いた女性の声が出た。

辻洪庵――首から大きな数珠を下げ、いつも紫の着物を着ているという。

「辻洪庵様、どうか……どうか除霊をお願いします。このままでは販売できず、不良在庫になってしまいます」

受話器の向こうで、辻はしばらく黙った。

その沈黙が、田中の背筋を冷たく撫でた。

やがて、辻が低く呟いた。

「……それは、お断りします」

「な、なぜですか?」

返事はなかった。

ただ、受話器の向こうで、誰かが息を潜めているような気配だけが残った。

田中は、電話では埒が明かないと悟り、東京へ向かった。

辻洪庵は、今は真言宗の寺――洪庵寺に住んでいた。

山門をくぐると、境内は異様なほど静かだった。

風が吹いているのに、木々が揺れない。

田中は本堂の前で深く頭を下げた。

「どうか……どうかお願いします。あの別荘は、何かがおかしいんです」

辻は目を閉じたまま、田中の言葉を聞いていた。

やがて、ゆっくりと瞼を開く。

「……わかりました。行きましょう」

その声は、どこか諦めたようでもあった。

翌日。

田中は飯田の別荘で辻を待っていた。

時計を見るたび、胸がざわつく。

「遅いね……」

辻は飯田駅まで電車で来て、そこからタクシーで向かうはずだった。

そのとき、遠くからサイレンが聞こえた。

救急車が駅の方へ向かって走っていく。

田中の心臓が、ひとつ跳ねた。

「……まさか」

嫌な予感は、的中した。

辻洪庵の乗ったタクシーは、ダンプカーに後ろから突っ込まれ、即死だった。

田中はその場に立ち尽くした。

額から汗が一筋、ゆっくりと流れ落ちる。

「……これは……」

誰に言うでもなく呟いた声は、風に吸い込まれて消えた。

翌日。

田中は再び東京へ電話をかけた。

今度は田野宮光彩という霊媒師だ。

「どうか……どうかお願いします」

田野宮は何度も辞退したが、最終的には折れた。

田中は、辻の死については言わなかった。

言えるはずがなかった。

田野宮光彩は、神主のような白い装束をまとった女性だった。

彼女は無事に飯田へ到着した。

「先生、本当に来てくださったんですね……ありがとうございます」

田野宮は別荘の前で目を閉じた。

その表情が、すぐに強張る。

「……ここで、辻洪庵さんは死んだのですね」

田中は肩を震わせた。

「す、すみません……全てお見通しでしたね……」

田野宮は首を横に振った。

「残念ながら……あたしには無理です。この除霊は、あまりにも強い。あたしでは太刀打ちできません」

そう言うと、踵を返した。

「先生、だったら他の方を紹介してください!」

「……思い当たりません」

田野宮光彩は、それだけ言って去っていった。

まるで、ここに長くいることすら危険だと言わんばかりに。

その夜。

田中は事務所でスマホを眺めていた。

疲れ切った指が、無意識に画面をスクロールする。

ふと、ある文字が目に飛び込んだ。

――霊障探偵・佐藤さわり。

田中は息を呑んだ。

背筋に、あの別荘の冷気が蘇る。

「……この人なら……」

画面に映るその名は、どこか不気味な光を放っているように見えた。


第三章:髪にこだわる邪霊

不動産屋・田中遊の事務所は、夕方の薄暗さに沈んでいた。

蛍光灯の白い光が、机の上の書類を冷たく照らしている。

ドアが静かに開いた。

「失礼します。佐藤さわりです」

小柄な女性が立っていた。

身長は百六十センチほど。

チューリップのように丸く整えられた黒髪、黒縁眼鏡。

その眼鏡の中央には、小さなレンズが埋め込まれている。

四六時中、彼女の視界は録画されているという。

鞄には、五七の桐のキーホルダーが揺れていた。

母方が豊臣家のゆかり――と聞けば、田中は思わず背筋を伸ばした。

佐藤は若い。

だが、若さに似合わぬ落ち着きと、どこか“場を支配する空気”を持っていた。

田中は最初、心の中で呟いた。

(こんな若い姐ちゃんが……何ができるんだ?)

しかし、その印象はすぐに覆される。

佐藤は椅子に腰を下ろすと、淡々と質問を始めた。

「失踪した伊藤司さんについて、詳しく教えてください」

田中は知っている限りの情報を話した。

伊藤は六十八歳。

それにもかかわらず、白髪一本ない黒髪。

しかも、髪の量は人の二倍はあると言われていた。

「ある日、突然いなくなったんです。荷物もそのまま。車も残っていました」

佐藤は頷き、眼鏡の奥で目を細めた。

「……髪の毛、ね」

その言い方が妙に引っかかった。

まるで、すでに何かを知っているかのようだった。

田中は佐藤を連れて、問題の別荘へ向かった。

山の影が長く伸び、風が木々を揺らすたび、どこかで髪が擦れるような音がした。

佐藤は建物を一周し、静かに言った。

「田中さん。あたし、ここに泊まってもいいですか?」

「えっ……? いや、構いませんが……最初の持ち主は失踪、二番目の持ち主は無理心中ですよ?」

佐藤は微笑んだ。

「わかっています。でも、泊まらないとわからないことがあるんです」

その声は、妙に落ち着いていた。

最初に案内したのは「司の間」だった。

中央には、伊藤司の和風掛け軸。

黒髪が異様に盛られた肖像画が、薄暗い部屋で浮かび上がっている。

佐藤は掛け軸の前に立ち、しばらく動かなかった。

眼鏡のレンズが、静かに光を反射している。

「……なるほど」

その一言だけを残し、佐藤は風呂場へ向かった。

浴室の排水口に、黒い髪が絡まっていた。

佐藤はそれを指先でつまみ、眉をひそめる。

「……人工毛ね。どうして?」

田中は答えられなかった。

人工毛が落ちている理由など、思いつくはずもない。

その夜。

佐藤は別荘の一室で横になっていた。

深夜二時。

うなされるような息が漏れた。

夢の中で、何かが首に巻きついていた。

冷たく、ざらついた感触。

髪の毛――無数の髪が、蛇のように首を締め上げてくる。

息ができない。

喉が潰れる。

視界が暗くなる。

佐藤は叫び声とともに飛び起きた。

「あ……夢……?」

額には汗が滲んでいた。

喉には、細い線のような赤い跡が残っている。

寝返りを打とうとしたときだった。

――ひそ……ひそ……

小さな声が聞こえた。

人形のような、しかし確かに人間の声。

佐藤は身を起こし、暗闇を見つめた。

部屋の隅に置かれた掛け軸が、わずかに揺れたように見えた。

風は吹いていなかった。

翌朝。

佐藤はレンタカーを借り、伊藤の中学時代の同級生・岩城文雄を訪ねた。

岩城は田舎暮らしに憧れ、飯田に移住してきた男だった。

伊藤とはクラスが同じだっただけで、特別親しいわけではないという。

「卒業アルバムならありますよ」

岩城がアルバムを開いた瞬間、佐藤は息を呑んだ。

伊藤司――そこに写っていたのは、髪の毛が一本もない少年だった。

「……禿?」

岩城は苦笑した。

「ええ、皆から『あたまてっぺん禿鷹』とか『ハゲルワ』とか言われて、からかわれていましたよ」

佐藤はアルバムを閉じ、静かに目を伏せた。

「……なるほど。そういうこと」

その声は、どこか哀れみを含んでいた。


第四章:対決 ― 髪の闇

深夜の別荘は、息を潜めたように静まり返っていた。

佐藤さわりの寝息は、規則正しく、かすかに揺れるカーテンの音に紛れていた。

その静寂を裂くように、低い唸り声が響いた。

「……う……ぅ……」

佐藤の瞼が震え、ゆっくりと開く。

部屋の空気が、いつの間にか重く、湿っている。

まるで髪の毛が濡れて張りつくような、嫌な気配。

部屋の片隅――暗闇が、ゆっくりと形を成した。

黒い影が立ち上がり、やがて人の姿へと変わる。

三叉槍を握りしめた男。

その髪は、絵の中と同じく異様に盛り上がり、黒々と光っていた。

伊藤司だった。

「……殺す」

その一言は、声というより、怨念そのものが空気を震わせたようだった。

三叉槍が、闇を裂いて突き出される。

佐藤は反射的に転がり、床を滑るように逃げた。

畳の上に槍が突き刺さり、乾いた音が響く。

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ……!」

息が荒い。

背後で、伊藤の足音がゆっくりと迫る。

髪が揺れるたび、ざわざわと不気味な音がした。

佐藤は必死に逃げながら叫んだ。

「白髪一本なしの黒髪は嘘よ! 髪の毛量が人の二倍なんて嘘! あなたのあだ名を聞いたわ!」

伊藤の動きが止まった。

槍の先が、佐藤の喉元でぴたりと静止する。

佐藤は息を呑み、続けた。

「――頭てっぺん禿鷹! ハゲルワ!」

その瞬間、伊藤の顔がぐにゃりと歪んだ。

黒髪が逆立ち、部屋中に散らばるように揺れた。

「うぉぉぉぉぉぉぉぉ――!」

悲鳴とも咆哮ともつかない声が響き、伊藤の身体は黒い煙のように崩れ、消えた。

髪の毛だけが、ふわりと宙に舞い、床に落ちた。

静寂が戻った。

佐藤は震える声で呟いた。

「つ……か……さ……伊藤司さん……頭てっぺん禿鷹……ハゲルワ……」

返事はない。

ただ、部屋の空気が、どこか軽くなったように感じられた。

そのときだった。

壁に掛けられた和風掛け軸――伊藤の肖像画が、ゆらりと揺れた。

風は吹いていない。

次の瞬間、掛け軸がぽとりと落ち、壁の一角が崩れた。

佐藤はスマホのライトを点け、崩れた壁の奥を照らした。

そこは空洞だった。

いや――空洞ではない。

椅子に、一人の人間が座っていた。

朽ち果て、乾ききったミイラ。

その顔は、確かに伊藤司だった。

佐藤はゆっくりと近づき、ミイラの頭に触れた。

指先に触れた髪は、あまりにも軽く、そして――外れた。

カツラだった。

「……どうして……あなたはここに? 誰が……誰があなたをここに安置したの……?」

問いは闇に吸い込まれ、答えは返ってこなかった。

ただ、ミイラの頭皮には、一本の髪も残っていなかった。


エピローグ:髪のない静寂

翌朝の飯田は、昨夜の騒ぎが嘘のように澄んでいた。

佐藤さわりは、不動産屋・田中遊の事務所を訪れ、すべてを淡々と語った。

壁の奥に隠されていた伊藤司の遺体。

三叉槍を振るう髪邪霊。

そして、伊藤が生前抱えていた“髪”への執着。

田中は青ざめながらも、最後まで黙って聞いた。

その日の午後、警察官立会いのもと、二度目の霊媒師・田野宮光彩が別荘に呼ばれた。

昨日とは違い、田野宮はどこか晴れやかな表情をしていた。

「これなら、あたしにもできるわ」

そう言って、彼女は静かに手を合わせた。

読経が始まると、別荘の空気がゆっくりと軽くなっていく。

まるで、長い間絡みついていた髪の束がほどけていくように。

供養は滞りなく終わった。

その帰り道、佐藤は飯田駅近くのドトールに立ち寄った。

窓際の席で、ハニー・カフェ・オレをゆっくりと口に運ぶ。

「これで伊藤さんも成仏するわね……」

カップの縁に映る自分の黒髪を見つめながら、佐藤は小さく笑った。

「髪の毛なんか、大したことじゃないのにね。

女は、髪があろうとなかろうと……好きになるときは、好きになるものよ」

その言葉は、誰に向けたものでもなく、ただ静かに空気へ溶けていった。

数週間後。

佐藤のもとに、田中から短い連絡が入った。

――あの別荘、解体されました。

――新しい持ち主が、まったく別の家を建てるそうです。

佐藤はスマホを閉じ、深く息をついた。

あの山の風は、もう髪のざわめきを運んでこないだろう。

ただ、ひとつだけ気になることがあった。

あの掛け軸の裏に、伊藤司を“安置”したのは誰なのか。

そして、なぜあの場所だったのか。

答えは、もう闇の中だ。

それでも――

佐藤は立ち上がり、駅へ向かう足取りを軽くした。

次の霊障が、またどこかで彼女を待っている。

(完)

佐藤さわりシリーズは、書くたびに「これで最後だろう」と思う。

ところが、日常のどこかでふと何かが引っかかると、

また気づけばキーボードを叩いている。

書いている最中は、まるで霊障に取り憑かれたように面白い。

物語が勝手に動き出し、登場人物が喋り始める。

しかし、書き終わった瞬間、いつも深い虚無感が訪れる。

それでも、また次の物語が生まれる。

それはきっと、佐藤さわりという人物が、

まだ語りたがっているからなのだろう。

読んでくださった皆様に、静かな余韻が残れば幸いです。

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