第九話:秘密ですか? 数えきれないほどありますよ
翌朝。一同は『得物』をしっかり装備してチサト宅の前に集合した。
「あ、チ、チサトさん……ど、どうも」
「ん? ああおはよー」
昨日のアレが尾を引きずっているのか……チサトがゲルグに向ける視線は冷めたままだ。ハプニングだったとはいえ、仕方のないことだが。
「ゲルグ、チサトに何かしたんですか? チサトが怒るだなんて、よっぽどですよ」
不運にも、そのことをシェルフにも怪しまれる始末である。まさかシャロンと接吻をしました……だなんて言えば、彼女の得物に滅多差しにされてしまうのがオチだ。
「は、はは……なんでだろうねぇ」
強引に笑って誤魔化す他あるまい。ゲルグは力なく笑った。
シャロンの方は……というと、もうすっかり元の調子に戻ったようだ。昨晩の生娘のような放心状態が嘘のように無表情。ゲルグが視線を向けていると、「どうも」と一例。こちらは心配は要らなそうだ。ゲルグはほっと胸を撫で下ろし、昨晩の事故のことを小声で謝罪しておいた。
『ごめんなさい。あれで寂しがり屋で……多分、嫉妬してるんだと思います。かなり面倒な奴だけど、これからも仲良くしてやってもらえると嬉しいです』
「うん、任せて」
さて──一同が朝から外に出ているのは、チサトに送られた例の手紙が関係している。
「シン本部からの招集?」
手紙の内容──それを説明したチサトの言葉を、シェルフが復唱した。
「そ。何だか穏やかじゃないことになってるみたいでさ」
言って、チサトは昨日祝福の学舎で一読した手紙を開き、その内容をゲルグたちに開示した。
「シンへの復帰……ですか」
そこに書かれていたのは、チサトへのシン復帰要請だった。
昨日言っていた通り、送り主はチサトの父親リント。先日チサトをシンに連れ戻すよう要求されたようで……その場では丁重に断りはしたが、最終的な判断はチサトに任せるとのこと。
「これは……どうリアクションすれば良いのやら。凡庸な感想を言うのであれば、卒業後の進路が保証されてラッキー、と言ったところなのでしょうが」
「い、いや……さすがにそれはないんじゃないかな……?」
まだチサトの秘密を知らないシェルフからすれば、シンは少し治安維持に神経質なだけの憲兵という印象だ。彼女目線では祝福するべきことなんだろう。
ただ……勘が良いのか──チサトとシンの間にただならぬ関係性があるのを察してはいるので、緊張した面持ちでチサトを見やっていた。
「ねぇシャロンさん。シェルフさんにあの話って」
「あー……」
シャロンはカンペを取り出し、紙面にペンを走らせる。
「黙っておくよ。チサトさんから話すのを待とう」
シャロンの指がぴたりと止まり、目を丸くしてこちらを見つめる。
「えっ、と……」
シェルフやチサトに気づかれないよう、小声でシャロンに耳打ちする。
「シェルフさんは、その、真っ直ぐすぎるっていうか……。真実を知ったら、チサトさんにずかずか言っちゃいそうで……そういうことだよね?」
「ま、まあ……」
シャロンが困惑気味に頷く。それもそうだ……カンペに記した文章を介さずしてしっかりとコミュニケーションが取れているのだから。彼女以上に、ゲルグ自身が驚いている節もある。
「おやぁ? 二人ともどうしたのー? いつの間に仲良くなっちゃってぇ」
「うわっ」
と、そこで……シェルフの追及を逃れるためか、話題逸らしついでにチサトがこちらをいじってきた。
「い、いや……別にそんなことは」
「ホントかにゃあ?」
「いっ……」
有無を言わさぬ威圧感。首筋に冷水が滴るような悪寒がゲルグを襲った。
ふと隣を見やると、ゲルグが口にした「別に仲良くなんかなってねぇ」というリアクションにシャロンが若干拗ねている様子だった。
(めんどくせぇ……)
何とか心の中に足止まらせたが、文句の言葉をぼやいてしまった。
「ところでチサトちゃん」
と、そこで見かねて、コールが助け舟を出してくれた。
「ん? どったの先生」
「私の記憶が正しければ、チサトちゃんはシンから追われの身の立場だったはずですけど、正面から本部へ行って大丈夫なんです?」
「あ、確かに……」
言われてみれば──コールは祝福の学舎の教員という立場だし、シャロンから聞かされたゲルグほど詳しくないにしろ、チサトたちの過去を聞かされているはずだ。
エルリア区に来た際はシンの目を避けていたのに、今になって正面突破というのは……いささか奇妙に感じているのだろう。
それに対しチサトは、あっけらかんと答えた。
「大丈夫じゃないですよ」
「ですよね?」
「シンは多分、私を見つけ次第拉致する気でいる。また昔みたいにじゃじゃ馬ン如く働かせたいんだろーね。これでもチサトさん、ケッコー優秀な聖騎士だから」
チサトは昔のように余命幾ばもない身ではない──しかし、それは裏を返せば、今のチサトは昔のようなどうせ最後には死ぬ病人ではなく……言わば、傷一つつけてはならぬ精密機械のように繊細な人形。シンの聖騎士として日夜凶悪犯と戦う余裕などあるはずがない。
そもそも……それ以上に、チサトは心底シンを嫌っているように思う。シンの話題を出す度、シンという言葉を誰かが口にする度……苦い物でも食べたかのように、チサトの顔が微かに歪むのだ。ほんの些細な変化で、注視していないと見落としてしまうような差異だが。
シャロンから聞いた話を思うと……心優しい彼女が、冷徹な思想のシンに良い感情を覚えるはずがない。
「でも……あいつらがわざわざ裏切り者の私を連れ戻そうとする理由が気になる。行くしかないよ。そのためにシャロンを連れて来たの──護衛にね。しかも今日は、本来来る予定じゃなかったゲルちゃんもいるし!」
ゲルグ──と言うよりナツか。あのギーゼルと同じ神伝合金聖騎士が護衛にいるとなれば、シンもそう易々と手を出さないだろう。
「ふむ……暗に私は戦力外と言われてるようで癪ですが」
「ごめんて」
「あのーシェルフちゃん? 名前が出なかった奴は戦力外って判断は、自分以外にもここにいる一人のクールビューティーを傷つけてまーす」
「プ、白金等級聖騎士なんですし、そんなことはないと思いますけど……」
シェルフは顎に手を当て──チサトを観察するような、ギラリと光る眼差しを向けていた。
「そんなに嫌な思い出がある所なんですか?」
「……ごめん。今はまだ、勇気が出なくて……」
「話せないと」
「…………うん。だから、シャロンにも黙ってもらってる」
ふと、シャロンが視線を落とし、俯いた。約束……なのだろう──チサトの秘密を他人には明かさないという。だとすれば彼女は、約束を破っているということになる。
シャロンは、チサトが抱えている苦しみを和らげることができないかと思ってゲルグに秘密を打ち明けたのだ。であれば……ゲルグに求められる行動は、シェルフを嗜めつつ、少しずつチサトとの距離を縮めてゆくことである。
「シェルフさん……」
ゲルグはシェルフの肩を掴み、じっとその双眸を見つめる。
「……わかりましたよ。これじゃあ、私が悪者みたいじゃないですか」
シェルフは小さく息を吐くと、それっきり黙った。納得しているわけではないが……チサトの気持ちを尊重してくれたらしい。
「ありがとう。シェルフ」
「それより、さっさと出発しますよ」
一同はシンの本部へとやって来た。
「チサト・オクサリス──団長の招集で来たよ。こっちはシャロン・グレイブ」
「承認いたしました。そちらの方々は……?」
チサトとシャロンが生体認証を済ませると、受付の女性が他の三人を怪訝そうに見やった。
「私の同級生、と先生。別に三人くらい同行人が増えたって構わないでしょ」
「申し訳ございませんが、構成員以外の入場はご遠慮いただいております」
「ふぅん……」
どうやら、何がなんでもチサトに首輪をかけたいらしい。シャロンの魔術は強力だが、使う度にそれなりの反動を被る。一対一では敵無しだが、長期戦には向かないのだ。
「…………」
チサトもそれは同じ。チサトは、自分に課せられた制約を再確認するように、胸の辺りに触れた。
「ゲルグ・ボーン──」
「はい?」
「あっちの男の子の名前だよ。あんたも聖騎士なら、この名前がわからないわけはないでしょ?」
「…………」
受付の女性……シンの聖騎士が、頬に汗を垂らす。
「ゲルちゃんに暴れてもらったって良いんだよ?」
「……インペリアルメンバー・チサトは、そのようなことはしない──と、団長に伺っております」
「ちっ、あンのチビ、余計なことをっ……」
チサトがどんな脅しを嘯いても、彼女はそんな残虐なことを実行する人間ではない──下っ端にもそういう話が行き届いてしまっているようだ。
面倒になってきた。チサトとシャロンだけでは、二人が無事に帰って来れるという保証はどこにもない。かと言って……本気でゲルグを暴れさせるわけにもいかないし──
「ウチのゲルグ・ボーンは温厚な人物でして──」
不意に、チサトの前に躍り出たのは、コールだった。
「コール先生……?」
「あなた方が決して我々に手を出さなければ、彼の中の怪物も暴れることはないでしょーね。でーもォ……チサトちゃんは何がなんでもゲルグくんを連れ込むつもりなんですよー。言ってる意味わかります?」
「…………」
「彼が暴れるか暴れないか。チサトちゃんや彼の善性がどれだけ強くても、残念ながら私たちにはコントロールのしようがありまっせーん」
道化のように、戯けた口調で……しかし、その時のコールには、有無を言わせない圧力があった。
逆らってはならない……絶対的捕食者の圧。これが……チサトのような特例や、シャロンのような付け焼き刃とも違う──正真正銘、経験と実力からなる白金等級聖騎士。
「忘れていただいてるかもしれないんですけど、私たちって祝福の学舎なんですよ」
祝福の学舎……その名は、業界では悪い意味で有名だ。
騎士団として、メンバーは二十人にも満たないくせに……一人一人が、80年前の魔王聖戦で前線を張れるほどの実力と、それになりうる将来性を持つ。
そして何より……校長・閃光の大賢者ギーゼルは、神伝合金聖騎士のくせに人同士の争いに深く干渉する異端の存在。
通常、神伝合金聖騎士はその実力と影響力をもって自身の興味のある学問を際限なく探究したり、道すがら人助けをしたりすることはあれど……人間同士の争いに介入、仲介することはほとんどない。
しかしギーゼルは──自分の快不快のみを行動の指針にしている。チサトとシャロンを引き取った動機だってそれだ。
話の通じない神伝合金がいる……それだけで、あらゆる騎士団が祝福の学舎を毛嫌いしつつ、それでいて表面上は絶対友好を貫く理由には十分なのだ。
少なくとも──組織の末端が、己が勘定で杜撰に扱って良いわけはない。
やがて受付の女性は首を縦に振ってくれた。
晴れて五人一緒にシン本部に入場した一同は、そのまま真っ直ぐ団長室へ向かった。無論……シンの構成員である聖騎士たちからの視線は痛かったが──ゲルグやシャロンの存在が抑止力となり、手を出してくる者はいなかった。
「それにしたって……あんまり気分が良いものではないですねー、人に見られながら歩くってのは」
「もっと気分が悪くなりますよ。ここン団長と話すと」
しばらく歩いて、他とは雰囲気が違う豪勢な扉の前に来ると、チサトは不意にはぁっと特大のため息を吐き出した。
「ここが団長室ですか?」
「ん。この向こうに私を呼び出したシンの団長がいる」
「チサト……行くんでしょう?」
「ま、待ってよ。なんつーかぁホラ。心の準備っていうかさ」
「何言ってるんですか。断るんでしょ。金輪際関わるなバーカ、で終わりです」
腕を組んで、表情は相変わらずムスッとしたままだが……ぶっきらぼうなその言葉には、確かにチサトを慮る感情が込められていた。
「シェルフ……」
そうだ……シェルフはこういう人だった。自分にも他人にも厳しく、刺々しい言葉の奥底には、誰よりも深い優しさと愛情を持つ少女だ。
「ねぇシャロンさん。チサトさんの秘密……やっぱり、シェルフさんにも話してあげても良いんじゃないかな」
「……」
言葉を話せないシャロンからの返事はなかった。だが……マフラーの下の彼女の口元は、ゲルグと同じように微笑んでいるような気がした。
「よし、行こっか。みんな」
チサトが団長室の扉を開け放つ。
「チサト来ました」
「同じく──シャロン・グレイブ」
「──ようこそ、そして久方ぶりだな。チサト」
中は祝福の学舎の校長室のような、広々とした一室だった。奥に長机がぽつんと置いてあり、その上に山のような書類が置いてあること以外は、至って普通の談話室と言ったところ。騎士団の団長だからと、無駄に豪勢なインテリアにはなっていない。ゲルグとシェルフとしては、少々以外だった。
そして、奥の席に腰かけている男。金髪碧眼の、所謂美形に分類される少年である。
彼がシンの団長──なのだろうか。
なぜ疑問系なのかと言うと、その人物の容貌が、とても一騎士団をまとめる長のものには見えなかったからだ。
身長は120センチにも満たないほど小柄。中性的な顔立ちで、背丈も相まって性別を見抜きにくい。まとめてしまうと、ゲルグですら力で勝ててしまいそうなほど、華奢な少年だったのだ。
「そして……彼らが祝福の学舎の客人かな」
「シェルフに、コール先生。それとゲルちゃん──ゲルグ・ボーン。んで三人とも、このちっこいのがシンの団長……ジュウガ・ジュプトさん」
「ほ、本当にこの子が団長なんですかっ?」
「そう。彼……小人なの」
小人──それは獣人のような亜人の一種で、人間と比べ体格が小さい一族の名だ。そして、人間と寿命を同じくしながら、人生の九割を全盛期の肉体で過ごせるという特徴がある。
「ジュウガ・ジュプト──王都が誇る『聖槍』の二つ名の金剛金聖騎士、ですね」
「金剛金聖騎士!?」
コールの補足に、ゲルグは目を見開く。何せそれは、神伝合金のような例外を除けば……人類最強の一角に数えられる栄養の名だからだ。
(この人も、チサトさんと同じ金剛金聖騎士なんだ……)
道理で、最強の憲兵と謳われるチサトが護衛にと、シャロンやゲルグを連れて来たがるわけである……。
「本来なら世間話に華を咲かせたいところなのだが……単刀直入に言う、チサト──リントに手紙で伝えたように、シンに復帰してもらいたい」
「無理。ひゃくぱーない」
「話を聞いてくれ。僕が君をシンに連れ戻したいのは、ある任務を遂行してもらうためだ」
「任務? サクラじゃダメなわけ?」
「危険度は金剛金クラス……シンの聖騎士でこの任務につけるのは、僕か君しかいない」
「…………」
チサトは黙った──続けろ、という意思を伝えるように。
金剛金クラスの案件ともなると、王都全域の平穏を乱しかねない大事件──チサトの私情一つで突っぱねるわけにもいかないというわけだ。
「実は一週間ほど前から、我々シンの聖騎士が謎の邪道士に拉致、あるいは殺害されている」
その先は言わずともわかった。その邪道士の確保が、チサトに頼みたいという任務だろう。
「現場の魔力残穢から、邪道士は金剛金クラスの魔力を持っていることがわかった。シンの構成員を殺害しているということは……当然、僕と対峙することを想定しているだろう。僕への対策に万全を期しているに違いない」
仮に犯人の邪道士が本当に金剛金クラスの実力があるとして、その犯人にとって脅威対象となりうるのは、シンが誇る金剛金聖騎士ジュプトだけだ。
だが……ジュプトが言った通り、敵がジュプトとの対決を視野に入れているなれば、敵の情報を全く知らないこちらは不利──自惚れずに考えるのなら、敗北が濃厚だろう。
「しかし──君なら。シンから離れた君なら、弱点を知られていない可能性がある」
「ざっけんな。あんたよりよっぽど対策が簡単なんだよ私は。種が明かされれば、ナツ無しのゲルちゃんにだって敵わないんだから」
「え……?」
聞き間違い、だろうか──ナツ無しのゲルグの方が強い……と言ったのか? 彼女は。
言わずもがな、ゲルグはつい一週間強前まで一般人だった。シェルフ曰く『才能はある方』だそうだが……それにしたって、銅等級以下の聖騎士見習いであることは間違いない。白金等級の上──人類最強の一角に数えられる金剛金のチサトに、どう逆立ちすれば勝てるというのだろう。
「君にはグレイブもついている。少なくとも僕よりかは相手になるだろう? シンの面子のためだ。頼めないかな」
「──どうせ、殺せって言うんでしょ? 昔みたいに」
「当然だろう」
座ったまま、ジュプトは刺すような強い視線をチサトへ向けた。
「人の命を奪った者と罪のない一般人。天秤にかけるまでもない。シンというのは現場の人間の判断で邪道士を殺害しても良い組織だ。僕はその合理性を気に入ってここの団長という立場にいる」
「罪人なら、ぶっ殺したって良いって?」
「殺したいわけではないさ。白旗を上げてさえくれれば僕たちシンも無闇に殺すことしない」
「話になんないね。シンは思考を放棄してるだけだよ。面倒だからって人の命を粗末に扱うあんたらと、協力するつもりはない」
ハッキリと、そう宣言したチサトは「行こ」と皆を一瞥。こんなところ一秒でも長居してられるかと言わんばかりに、そそくさと立ち去ろうとした。
が──
「己が招いた呪いから逃れられると思っているのか? 君の役目は、少しでも多くの人を救うことじゃないのか──例え、少数の悪人を切り捨てることとなっても」
「…………」
ジュプトの言葉が、一瞬、チサトの足を止めた。まるで、その場に縫い付けられたように動かなくなるチサト──ゲルグは怪訝そうに彼女の顔を窺った。
「チサトさん……」
その時のチサトは、最近で一番苦い表情をしていた。
「今更、後戻りはできないと思うがね。君はそういう人間だ」
「……うっせ」
それは、チサトにしてはあまりにも鈍く、力のない悪態であった。
「……とにかく──情報宝珠を部下に贈らせよう。生け捕りでも始末でも、君の好きにすると良い」
「……」
チサトは返事をすることなく、ゲルグたちを連れてシンの本部を出た。
「チサトさん、これからどうするの?」
本部を出る際、受付の人間に渡された情報宝珠──シン構成員が襲われた場所や当時の詳らかな情報を軽く一読したチサトは、迷いなく答えた。
「もちろん犯人を捕まえるよ。人の命がかかってんだもん。シンのために働くってのは癪だけど」
任務を請け負う──それ自体に迷いはない。だが、チサトの胸に渦巻いている感情は、一言で表せるような単純なものではなさそうだ。
「情報宝珠、幾つかもらって来たからさ。二手に分かれよっか」
今のチサトは一人に──いや、自分の秘密を知っている人間とだけ、一緒にいたい気分のように見えた。何かを吐き出したそうだった。
「そうですか。それでは、ゲルグと私。チサトとシャロンで良いですよね」
「ん、お願い」
「うーん、では私はゲルグくんたちに着いて行きますね」
チサトとシャロンと、調査する現場をそれぞれ分担し、ゲルグたちはここから一番近く、自分たちの管轄となった現場へ足を進めた。
「ゲルグ、チサトの秘密知ってるでしょ」
「へっ? な、なんで──」
「ほら、図星」
「…………」
道中、そうやって、あっという間にシェルフに看破されてしまった。しかし、先ほどシェルフにもチサトの秘密を打ち明けても良いのではないか──とシャロンと話していたので、別に苦労して隠すほどの事実でもない。ゲルグは正直に首を縦に振り、シャロンから──正確にはノアから聞かされたチサトの秘密を打ち明けた。
「……妙ですね」
「妙?」
チサトとシャロンの過去を知り、シェルフが最初に口にしたのは、チサトへの憤りとか同情とかじゃなくて、そんな感想だった。
「チサトの様子がおかしいのは、チサトが抱えている秘密に起因しているのかと思っていたのですが……、ゲルグの言う通りだと、少し妙じゃないですか?」
「どこが?」
「命を追われていたから、シンは苦手。なら、復帰命令なんか、無視するか辞表を叩きつけてハイサヨナラで済ませるはずです」
「それは……ジュプトさんが言ってた任務への対応が遅れて、犠牲者が増えるのが嫌だったんじゃないかな?」
「そんなに崇高な精神をお持ちでしたら、二つ返事でオーケーを出したって良いじゃあないですか。さっきのチサトは、任務を受けるのにも抵抗感がありました。余程シンと関わり合いになりたくないんでしょうね」
「それは、確かに?」
そもそも、手紙を受け取った時点のチサトは、ジュプトが自分に復帰を促す意図がわかっていないのだ。急を要する任務があることも。
その状態で、チサトがシンの本部へ大人しく行こうとする意味がわからない。
「チサトには、シンに絶大な恩……あるいは、負い目がある──そう考えるべきです。
コール先生は、何か知りませんか?」
シェルフはコールへ、探るような視線を向けた。
「ギーゼルちゃんから聞いた話ですけど、まあはい。知ってますよー。確かに、チサトちゃんがシンを避けたがるのも無理はないって感じです」
と、コールがはぐらかすように答えた。
「まあ……本人の口から聞くしかないよね……」
プライバシーを考えると、コールからは口が裂けても言えない。
「チサトさんの秘密、って……」
もしかすると……シャロンがチサトに口止めされていた秘密というのは、ゲルグに打ち明けたあの話ではなく……チサトとシンとの間にある、因縁のことなのかもしれない。
そのことはシャロンもゲルグに打ち明けなかったチサトの暗部だ。チサトにとって……誰にも知られたくない秘密なのだろう。
「ねぇ、ゲルグ?」
「な、なに? どうしたの?」
「友達、って。何なんでしょうね」
「どうしたの……?」
「シェルフちゃんらしくない、弱々しい悩みですね」
「確かに」と、シェルフは自嘲した。
が……まだ現場に到着もしていないのに、シェルフの足が止まった。そして、青空をぼうっと仰ぐ。
「……」
らしくもない。だが……彼女にとっては深刻な悩みのようだ。
「私には、これと言った秘密が無いんです。そういう生き方をしてきたつもりです……後ろめたいことは避けて、何事も正々堂々、立ちはだかる壁は真正面からぶち破って来ました…………。もちろん、ぶっ壊せなかった壁もごまんとある──そういう、『恥』は幾らでもあるんですけど……汚点と呼ぶべき過ちは、冒さずに今日まで歩んで来たつもりです」
「汚点、か」
ゲルグはふと、自身の手を見下ろした。他人の血で汚れてしまった、呪われた魂を。
汚点だ。正しく人生の汚点だ──人殺しというのは。
ゲルグは……これから新たな人との出会いで、自分が人殺しであることを告白できるだろうか。否──隠すつもりはないが、知られたくないと思う。
そう考えると……自分の秘密を必死に隠そうとするチサトの気持ちが痛いほど理解できた。
逆に……真っ当な人生を歩んできたシェルフには、いまひとつ理解できない感覚だろう。
「私は、友達っていうのは、心を通わせて……互いに背中を預けられるような、信頼できる仲間のことだと思ってます」
「友達なんて、僕、シェルフさんが初めてだからよくわかんないけど……多分そうだと思うよ」
「──私も、友達は……ゲルグが初めてだったんでしょうか」
「…………」
シェルフは今日まで……チサトとシャロンの過去を何一つ知らなかった。聞かされていなかった。それは……自分の汚点を知って態度を変えることを恐れている──自分は、信頼に足る仲間と捉えられていないのではないか……そんな不安が、シェルフを襲ったのだ。
チサトにとって……自分は、友達ではなかったのだろうか──と。
「訂正。祝福の学舎での、ということで」
「──それって、ワイズマンハウスの?」
「……それもあります」
喜怒哀楽の、特に怒の部分がハッキリしていて、笑っているところをあんまり見たことがないシェルフだったが……その時彼女は、楽しそうに笑った。
愛おしくて堪らない、懐かしい思い出を追憶しているみたいだ……。
「友人と呼ぶべき者が、私の短い人生において二人います。一人は汚馬鹿ローブが連れている私たちの後輩。もう一人は……今もワイズマンハウスにいる、女の子です」
「それじゃあ、離れ離れなの? 連絡とかは……」
シェルフは首を横に振った。
「彼女は高貴な人だけど、いつも独りで、寂しそうだったから……身分不相応も考えずに付き纏っていたんです。ワイズマンハウスを飛び出して、祝福の学舎に入学したのだって……あの子のため。
後輩だって同じです……魔物に負けたってんで、くよくよしてたあの子を引っ叩いて、一緒に義父さまに稽古をつけてもらいました。合格点がもらえるまで、来る日も来る日も特訓し続けてました」
「なんて言うか……昔から変わらないんだね。シェルフさんは」
「成功体験って言いますか。私にとって友達付き合いっていうのは、そういう強引さで済ませてきたものなんです。ゲルグとだってそうだったでしょう?」
「はは……あの激励には感謝してるよ。シェルフさんの言葉が無かったら、今の僕はいないもの」
成功体験、か。正しくその通りだ。シェルフはその強引さで、熱さで、これまで何人もの心を救ってきたし、そうやって人と心を通わせ、友となってきたのだろう。
だから──
「そっとしておいてやってくれ……だなんて言われると、私がしてあげられることは何もないのかなって。私とチサトは、まだ全然友達ですらなかったのかなって」
「……別に、自分を曲げる必要はないんじゃないかな?」
「へ?」
「シェルフさんが今までそうやって……人を救ってきたのなら、チサトさんにもそうするべきだと思う……だってそれが、シェルフさんのやり方、生き方なんでしょ? じゃあチサトさんがそれを受け入れてくれないと、友達になったとは言えないよ」
「……随分とわかったようなことを言うじゃあないですか」
「あ、あくまでシェルフさんの言う友達の基準でね? ぼ、僕は……心を通わせるとかそんなの関係なしに、仲良くしたいって思うならそれは友達だって思うし」
「はは、確かに」
シェルフは珍しく、心の底から笑った。白い歯を見せて「くくっ」と腹を押さえて。
「ありがとうございます、ゲルグ。あなたに友達付き合いを説かれるなんて、私もまだまだだったみたいです」
「え、ええと……褒められてる、のかな……?」
「あなたの言う通り、私は私らしくやってみようと思います。チサトと合流したら、二人でガツンと言ってやろうじゃあありませんか。こちとら人殺しとも上手くやってんだから、チサトにどんな秘密があったって、関係ない──って」
「うん、そうだね」
ゲルグとシェルフが誓いを新たにした……その傍らで。コールは、身体が内部からくすぐられるような、微かな魔力の反応を感じ取っていた。これは自分の魔術の反応だ。
通信魔法──遠くの人間と会話できる魔術だ。コールは自分が魔術を施した魔導具……通称通信宝珠を、王都の著名な聖騎士複数人に配っている。主に騎士団の団長格の人物たちだ。任務の欠員や白金等級以上の聖騎士の要救援など、緊急の際はコールに連絡が入るようになっている。
(ええとこの周波は……エルリア区のぉ──へ、シン?)
相手はジュウガ・ジュプト──シンの団長だった。
コールは側頭部をノックし、ジュプトの通信宝珠と自分の意識をリンクさせる。
「もしもーし。あんまり急かさないでもらえませんかねー。チサトちゃんならしっかりやってますんで」
『だろうね。こちらでも確認している』
「? どういうことです?」
『緊急事態だ、クレフォン聖騎士。チサトと、黒いローブを羽織った数人の不審人物が交戦していると、部下の目撃情報が入った』
「何ですって?」
コールは眉をひそめる。例の事件の犯人……なのだろうか? 魔力残穢からは金剛金クラスと推測されているという話だったが……それが複数人とあっては、何の冗談ではなく神伝合金案件になってしまう。
「そのローブの人間、ランクはわかります?」
『良い報せと悪い報せがある。前者は主犯の金剛金邪道士の姿が見えないこと、後者はその協力者と思しき黒いローブの人物たちが、いずれも目算で金等級クラスの邪道士であるということだ』
「うっ、心底ビミョーですね……」
数人の金等級邪道士。魔術の厄介度合い次第では、白金等級でも膝をつく可能性はおおいにある。
しかも……未だ姿を現さないという、金剛金の主犯。こいつ、恐らくチサトの弱点を把握している。
「状況、まずいのわかってますよね」
『「時間稼ぎ」が狙いだろうな。彼女には一番効く手だ』
時間稼ぎ──これがチサトにはめっぽう効く。
チサトの心臓を動かしている補助装置ギルバは、長時間魔力に当てられると発熱するという特徴がある。
平たく言うと……チサトが最強の憲兵、金剛金聖騎士として戦う時間には、時間制限が存在するのだ。
これが……チサトが懸念していた自身の弱点。種さえわかれば、ゲルグでも勝てると言っていたのはこのためだ。
勝つ必要はない。時間を稼ぎ、チサトを無力化する。そうすれば、脅威のなくなった主犯の金剛金聖騎士が姿を現すだろう。
「ミスター・ジュプト、出撃の準備を!」
『わかっている……だが一騎士団の団長というのは融通が効かないものでね……幾つか工程を踏む必要がある、というのは君も知っているだろう』
「わかってます……結局、あんた抜きでチサトちゃんを守らなくちゃいけないってことくらいは」
ジュプトが参戦する頃には、良い結果にしろ悪い結果にしろ、主犯の邪道士は現れているだろう。当初の見立て通りそいつがジュプトへの対策を万全にしているとなれば、彼が参戦しても大して状況は変わるまい。
ますますギーゼルの助けが欲しいところだ。しかし──ギーゼルは転移魔法を使えるので王都には一瞬で来れるが、こちらは否。ギーゼルに此度の事件を報せるには、まず彼女の現在の居場所を掴むことから始まる。そしてギーゼルと合流……どう考えたって数日は要する。
「まったく……だから通信宝珠を持ってくださいとあれほど……」
『私頼りは良くないだろう。これからの世界を守るのは、君たちなんだからさ』
言ってることが正しいだけに何も言い返せなかったのだが……こうなってしまうのであれば無理矢理にでも持たせるべきだったと自戒する。
だが、これは今すぐどうにかなる問題でもあるまい。他にこの状況をひっくり返せる人間として、自分が受け持っている3年生の顔が思い浮かんだが……彼女も王都に来るまではあと数日はかかる見込みだそうだ。
「結局、私一人の援軍で何とかするしかないわけですか……」
仮に、今エルリア区にいて、主犯の邪道士に対策もされておらず、何の手続きも踏まずに出撃できる、フリーの金剛金聖騎士でもいれば、話は別なのだが……。
「あ、あの、コール先生? どうしたんです?」
「やーんもぉゲルグくんは優しいですねー! あでも気にしないでください、大人のやり取りですから」
内心大人気なく悪態をつきまくっていたコールだったが、可愛い生徒に心配の声をかけられ、一瞬で作り物の笑顔を浮かべ応対する。
が──
「ん?」
今すぐに行動できる、主犯の邪道士に対策されていない、金剛金……否、神伝合金聖騎士が、ここにいるではないか。
「あ、あの……?」
ゲルグが頬に汗を滲ませて後退りする。それは多分、コールの顔が作り物の笑顔ではなく、腹の底から湧き出た下卑たニコニコ笑顔になったからであろう。




