第八話:シャロン・グレイブ
ゲルグの言葉に首肯をもって返したシャロンは、大量のダンボールを片付けて随分と広くなった部屋の隅のクローゼットに歩み寄り、それを開く。
「……?」
軽い身のこなしでクローゼットの中に身を滑らせたシャロンは、リントの物と思しきハンガーにかけられている衣服を掻き分け……内部にある、よく見ないとわからないくらい僅かに膨らんだ部分を押す。
瞬間、外側から見て真正面にあるクローゼットの壁一面が光の粒子となって消え、その向こうに部屋のようか空間が現れた。
「ええっ!? な、何これ……へ? ひ、秘密基地、みたいな……?」
クローゼットの中に潜り込んでいるシャロンは、すんと視線だけをこちらに。
「え、ええと……」
「着い──……『着いて来てください』」
視線の意図がわからず困惑しているこちらへ、シャロンはカンペで意思表示。どう見ても普通じゃない仕組みの隠し部屋だが……招いているのはシャロンだ、特に危険があるというわけでもあるまい。
「うっ」
ゲルグは恐る恐るクローゼットへ登る。女性にしても小柄で華奢なシャロンが通る分には問題無いが…男性のゲルグからすれば少し狭っ苦しい通路だった。
祝福の学舎に通い始めて、基礎トレーニングや魔力を身体に慣らす訓練を続けて、少しは筋肉がついてきたのかもしれない。シェルフ曰く、たった一週間で僅かでも体格に変化が現れるほど魔力濃度の成長が速いのは異常らしいが。
そうして改造されたクローゼットによる簡易的な通路を潜り抜けた先は……別に特段変わったところはないただの一室だった。少し散らかっているが、生活用の部屋と言われても疑問点はない。秘密基地のように薄暗くて窓一つない殺風景な一室を想像していたのだが。
ただ……部屋の最奥に、大量の宝珠に囲まれた少女がいる。
「この子は……」
体格は、シャロンと同じくらいだろうか──かなり小柄だ。童顔だし、見てくれから推測できる年齢は中学生かそこらと言ったところだろう。もっとも……ギーゼルやコールのような所謂『美魔女』を考えれば、この少女もゲルグより歳上という可能性を捨てきれないが。
少女は頭部や耳に何らかの魔導具を装着しており、それから伸びた魔力の糸のような物が、木の枝のように数多に分岐し、傍らの大量の宝珠に繋がれていた。
少女は宝珠の中心にあぐらをかいて、両方の双眸を瞼で隠している──頭部に装着した魔導具により耳が塞がれているためか……ゲルグたちの来訪には気がついていないようだ。
だが……なんだ、この違和感は──
「だ、大丈夫ですか?」
眠っている……? いや──彼女は、先ほどから一切寝息を立てていないのだ。耳を澄ましてみても聞こえない。それどころか、呼吸をしていないみたいに微動だにしない。おおよそ……生物的な動きを一切感じさせない、不気味な少女だった。
「シャロンさん、この子は……」
『作業中みたいです。頭の魔導具を外して話しかければ大丈夫ですよ』
シャロンは彼女の周辺に散らばっている宝珠を踏みつけないよう……とはいえ慣れた調子で軽やかな足取りで彼女に近づき、頭の魔導具を外して──彼女の耳元へ自身の口を近づけた。
「ノア、【起きて】」
ノア──少女はそう呼ばれると、ぱちりと両の瞼を開いた。そして……眼球をぐるりと回し、シャロンと、ゲルグの姿を視認する。
「おはよう、こんにちは、あるいはこんばんは──シャロン、に……あなたがゲルグ・ボーンね」
「は、初めまして……ど、どうして僕の名前を……?」
「それはもう。有名人だもの」
と、パカパカと口を開いて、少女は自身の傍らに無数に設置されている宝珠のうち、見もせずに一つ選んで拾い上げた。
宝珠を起動すると、少女の眼前に文字の情報が提示される。少女はその情報をすらすらと読み上げた。
「殺人鬼ゲルグ・ボーン。学校という人間の箱詰めで目撃者一人出さずに、自分よりも大柄な男子生徒五人を殺害した殺しの天才。逮捕後も白金等級を含む聖騎士を複数殺害した将来性の塊だ、ってね」
「そ、そうですか……」
それはどうも──と言う気にはなれなかった。褒められているのか皮肉を言われているのか。そもそも人殺しの才能なんて褒められるべきものじゃない。
「聖騎士にしか公開されてない情報だけれど、めざとい情報屋の間では連日あなたの話題で持ちきりよ。あなたを知らない人間なんて、この王都じゃ一流の情報屋を名乗れないんだから」
「そんなにですか……?」
ええと、つまり彼女は……情報屋、ということで良いのだろうか。
「……」
ゲルグが頭の中でそう納得しようとしていると、シャロンがぽんとゲルグの肩に手を置き、首を横に振る。
「私にはね、情報屋、冒険家、商人に……天才だってね──優秀な奴隷がたくさんいるの。耳寄りの情報、世にも美しい秘宝、感覚一億枚のダイア、そして見たことがない奇物……この王都にいて、私の視線の外にあるものなんて存在しないんだから」
「は、はぁ……」
随分とまあ、ビッグマウスな少女である。一向に自己紹介をしてくれる気配がない。ゲルグはたまらず隣のシャロンに視線を移した。
「シャロンさん、この人って──」
「馬鹿なのね。シャロンは喋れないのよ? あなたの問いに答えられるわけないじゃない。ああ、我が子みたいに愛おしそうに抱き抱えてるそのスケッチブックは使わせないでね──私の時間は石ころより価値が低いけど、金銀財宝より大切なんだから」
再び、シャロンがゲルグの肩に手を。その表情には、悲哀や諦観といった色が浮かんでいた……その死んだ魚のような瞳には、これまで幾度と彼女にレスバトルを挑み惨敗した歴史が見て取れた…………ような気がした。
言い返すことを諦めたゲルグとシャロンが視線を戻すと、「それでよろしい」と微笑んだ彼女がようやく自己紹介を述べた。
「私の名前はノア・エンドルフィン──見ての通り、魔導具なのよ」
そう、あっけらかんと言って、彼女は自分が履いている白のストッキングをぺらりとめくり、自身の膝を──正確にはその関節部分をゲルグに見せた。
「なっ──」
そこで、ゲルグは今まで自分が感じていた違和感の正体に気がついた。
彼女の脚は人間のそれではなく……人間の肌に限りなく近い質感の何かが二つ、金属製の留め具で繋がれているだけだったのだ。
否……脚だけではない。袖を捲ると膝と同じよう肘も。視線を上げて顎を突き出すと、頭部の下辺を軟質の首が覆っているのが確認できた。
そういえば──彼女は先ほどから呼吸もしていないし、瞬きの仕方にも言葉では言い表せない違和感がある。おおよそ、有機的な動きをしていないのだ。
「魔導具、って……」
「ええ。言葉通り──私はあなたたちのような有機生命体じゃない。でも便利なことの方が多いのよ。この宝珠たち──全部、常に起動してあるから耳寄りな情報が毎秒のように舞い込んできて面白いわ。良い退屈凌ぎになるの。私の数ある娯楽の一つ」
「宝珠……何かの魔導具なんですか?」
「はいはい、そんなことよりも──シャロンが部外者を私の部屋まで連れて来たってことは、二人の過去を彼に話せってことでしょ?」
「あ、はい」
「いいよ。チサトだったら自分の踏み込んだところは隠しつつ話すだろうから。私が全部バラしてあげる」
「え、えっと……良いんですか? チサトさんに許可を取らなくても……」
「あの子は抱えすぎるところがあるから。そうやって爆発されたら困るのよ。リントじゃなくて私を選んだのは、シャロンにもそういう意図があるからでしょう?」
シャロンが首肯する。
チサトの過去──そういえば、チサトは最後までゲルグたちがこの里帰りに同行するのに反対していた。他人に興味津々だが、自分のことは知られたくない。そんな理由で、チサトは自分について語ることがない。
チサトが隠したがっている過去とは……一体なんだろう?
「──チサトとシャロンはシンという騎士団の一員だったの。シンは王都内で起きた人間による事故事件を取り締まる憲兵の組織よ」
「それって、お巡りさんのお仕事じゃ……?」
「お巡りの手に負えない連中をぶちのめす。要は常日頃日向ぼっこしてるんじゃなくて、凶悪犯を逮捕する……立派に税金を受け取るに相応しい連中なのよ」
「ちょっと言い方、酷いと思いますっ。僕の父は生活安全騎士団ですが、毎日身を粉にして僕らのために働いてくれてます!」
「ちなみにコレ、シャロンの台詞のコピーアンドペースト(一部編集)ね」
ゲルグがシャロンへ視線を移すと、彼女はそそーっと明後日の方向を見た。あまりよろしい感情ではないないことは容易に推測ができたので、追及はしない。眠れる獅子を起こすだなんて愚かなことはしないとも。既に遠回しに酷いと罵ってしまったが。
「それで、そこの問題児だったシャロンは矯正施設行きになったの。一年と半年、昔のことよ」
「問題児……? 矯正……?」
同僚と度々口論をする……とかだろうか? いや、それはない。彼女に複雑な言葉を発することはできないのだから──
いや──むしろその逆……彼女は以前、構わず言葉を自由に連ね、周囲の人に呪いを振り撒いていた?
しかし……ゲルグの推測を、すぐにノアが否定する。
「別に、フツーの意味だよ。単独行動、独断先行、エトセトラ……」
「は、はぁ」
今のシャロンからは想像もできない……かなりやんちゃな少女だったらしい。というより、魔術の影響で無口なだけで、元々シャロンはそういう人間なのかもしれない。
「それで、矯正施設っていうのは……」
「ここのことよ。つまり、シンで……いいえ、王都の憲兵で最も優秀な聖騎士のチサトに狂犬の手綱は任せられた」
「うぇっ!? チ、チサトさんってそんなに凄い人なんですか!?」
なぜかゲルグの隣で言霊少女が腕を組み、ふふーんと鼻の下を伸ばしているが、それは置いておいて……チサトが優秀な聖騎士であるとは知っていたが、まさか憲兵一と称されるほどとは。
「まぁね。だけどチサトは、憲兵団長じゃあない。実力主義を謳う王都において、それはなぜだと思う?」
「実はチサトさんより強い人がいた……とかでしょうか? ギーゼル先生みたいに──」
「チサトは間違いなく憲兵最強だよ、今尚ね。なぜチサトが憲兵団長どころか、シンのキャップにもなることはなく……半ば隠居状態にあるのか。それは金剛金聖騎士チサト──通称天災に重大な欠陥があったからだ」
「欠陥……?」
というと、シャロンのように問題児だった、とかだろうか──否。それならば矯正のためにシャロンがチサトに預けられる意味がわからない。チサトはむしろシンにとって極めて忠実で優秀な聖騎士だったはずだ。
「誓約って知ってる?」
脈略もなく関係の無い話を持ち出されたので一瞬戸惑ったが、思考を巡らせる。
「えっと、確か」
この一ヶ月でたった一度だけ授業をしに来たギーゼルが教えてくれた記憶がある。誓約は魔学用語で、何か一つ欠点を抱え、それに見合う権能を会得するという魔法における基本技術だ。
攻撃力を弱める代わりに速射できるとか。そういう足し引きで魔法は成り立っている。何を捨てて何を強めるか……それを選んでゆくのが魔法だ。
高威力高効率の魔法を組もうとしても、中々魔法式が完成しない。その場合、引き算方式で魔法の容量を削ぎ落としてゆく。そうすると魔法が発動できる。
これが魔法の基本的な価値観なのだ。
しかし、誓約には特殊な用法がある。使い方次第では、一般人でも容易く他人の命を奪えるような威力の魔法を放てる、危険な技術──例えば、一生魔法を使わない代わりに一度だけ超強力な一手を打つだとか、臓器を一つ捧げて魔力を底上げするだとか。
魔法の長短を組み替えるのではなく、自分の大切なものを捧げて、魔法の威力を上げる──そういう技術だ。
「でも、それがチサトさんの『欠陥』とどういう関係が……?」
「強制誓約──通常自分の意思で結ぶ誓約だけど、チサトの場合は違うの。この世のルールみたく、強制的に押し付けられた制約でさ。チサトは生まれつき強力な力を持っているけど、14歳で死ぬという誓約を、生まれた時に強制されたの」
「じ、寿命がっ……!? で、でもチサトさんは今も──」
十四年──と言われても、チサトはゲルグと同じ高校一年生。生憎彼女の誕生日は存じ上げないが、飛び級でもしていない限り少なくとも十五年は生きているはずである。
「生命維持装置ギルバ──」
不意に、ノアが口にした名前──魔導具の名、だろうか。ゲルグは一瞬自分の世間知らずを疑ったが、一応これでも学業に関しては人並み以上だと自負している。少なくとも世界的に知られている魔導具ではあるまい。
「知らないのも無理はないよ。私がジャンクス商会の会長令嬢から取り寄せた絡繰だもの」
ジャンクス商会、というと、こちらは世界的に有名なブランドで……食や雑貨だけでなく各地有人サービスまで、幅広い分野で国民に知られる超がつく有名グループだ。茈に住む人間ならば、自分の生活圏に全くジャンクスが関わっていないというのは有り得ないと言われるほど。
そんなジャンクス商会だが。多岐に渡るその一流の商品たち全てが、商会が保有する技術の一端にすぎず──会長の娘ノエル・ジャンクスは天才魔導具職人と呼ばれ、世界の文明レベルを数世紀進めたとまで言われており──
「本来は虚弱体質の自分の生体エネルギーを増幅させるための装置だったんだって──までも、チサトに使えば彼女の命を繋ぎ止められると思ったの。エネルギー効率の燃費が悪いっていう問題はあったんだけど、そこは私の魔導具でね。魔石の魔力をギルバのナントカっていうエネルギーに変換できる魔導具──名付けてバリスを作ったの。ノエルと私──二人の天才の技術の結晶で、チサトを生かそうたしたのよ」
だが……一つ問題が生まれた。
「ギルバ発送の直前、ノエルと連絡がつかなくなってね。彼女の消息は不明で、実のところ今も見つかっていないの」
「それで……どうしたんですか?」
「とある男がノエルの研究所からギルバを持ち出していることが判明してね。とにかくチサトたちはすぐに確保に向かった──だけど、それはシンの意思に背く行為に等しかったの」
「──どういうことですか?」
「チサトがその男を生け捕りにしようとしたからよ」
生け捕り……か。至極真っ当な判断だが──それがどうしてシンの逆鱗に触れたのだろう?
「シンってのは実態はかなり真っ黒な組織でね。人の命を糞としか思ってない最低の連中なの。世界の数世紀先を行っているノエル・ジャンクスの技術の結晶を盗み出したその男は、シンにとって抹殺対象以外の何者でもなかった……」
「理屈はわかります……でも──」
命を尊重することは尊い行いだ。例え凶悪犯であろうとも、命を蔑ろにして良いわけがない。
だが……その時はチサトの命がかかっていたのだろう? どうしてその男を庇う必要があるだろうか。
ゲルグだって……今はもう自分も凶悪犯の仲間入りだが、仮に自分が真っ当な人生を送っていたとして、自分と凶悪犯の命を秤に乗せられれば間違いなく前者を取る。
チサトは……自分の命すら忖度せず、平等に物事を考えられる、そんな御伽話の英雄のような人格者だったとでも?
否──そもそも、シンは一夜にしてそのような非倫理的な組織に堕ちたわけではないだろう。今までだってそうやってきた、そうして王都の平穏を保ってきた憲兵団なのだ。今までにシンの方針を……チサトは認めてないにしろ、見過ごしてきたはずだ。
それがどうして……その男だけは、どうしても生け捕りにと焦るのだろう。
その答えは……ノアが重々しい口調で明かした。
「その男は……チサトの弟だったのよ」
「なっ……!?」
チサトの弟……ゲルグは胃の中に冷たいものが広がるような気色悪い感覚を覚えた。
「で、でもどうして! 弟さんがチサトさんの命を繋ぐ魔導具……じゃなくて、カラクリを盗むんですか!?」
「色々事情があるのよ。少なくとも姉弟仲は最悪だった。数年ぶりの再会だったらしいしね」
袂を分かち、縁を切った相手だとしても──チサトは誓った。例え自分の命を繋ぐチャンスを棒に振るうことになるとしても、弟だけは絶対に守り抜くと。
しかし……いくら肉親と言えど、シンに逆らいその身柄を保護すれば如何な制裁が待っているかわからない。だからチサトは、シャロンたちに迷惑をかけまいと……その時点で残り数日の生命力を振り絞り、単独で肉親の確保に向かった。
彼女の意思を無視してでも同行しようと考えたシャロンだが──悔しいことに、ただの人間だったシャロンには、衰弱した天才相手ですら足手纏いだった。
そして、当然ながら──日常生活数日分の生命力は、たった数時間の戦闘ですぐに底を尽きた。戦いはチサトの敗北……チサトは弟にトドメを刺されるはずだった。
しかし──
「古い文献にその存在が記されていた禁術……言霊魔法。シャロンはね、素人知識で自分を媒介に魔法陣を描いて、呪いを我が物としたの。その圧倒的な力でギルバを奪取して、チサトを救ったんだ」
「──やっぱり……シャロンさんの力は、後付けの魔術だったんですね…………」
先ほどから感じ始めた違和感に合点がいった。彼女の魔術生まれ持って手に入れたものではない……チサトを救うため、並外れた覚悟をもって受け入れた『縛り』だった。やはり彼女は、まだ言霊のせいで自身の言語を縛る生活に慣れていないのだ……。
「ギルバも回収して、チサトの弟にも遠い国に亡命してもらって、ちゃんちゃん。ハッピーエンド……って、なったら良かったんだけど。そのおかげで二人は仲良くシンに背いた叛逆者よ。業界じゃちょっとした有名人になっちゃってね。抹殺対象認定され、何ヶ月かの逃亡生活を余儀なくされたの……。私もこんな身体だし、迂闊には手を出せなくてさ」
チサトとシャロンはその日の衣食住にも困っていた。エルリア区どころか、王都のどこにも安息の地はなく……孤立無縁と化した二人はある日、とうとうシンの聖騎士に捕まり、処刑されようとしていた。
だが──
『二人の身柄は私、閃光の大賢者ギーゼルが祝福の学舎で持ちます』
処刑決行の前日。シン本部に現れたギーゼルが、チサトとシャロンの身柄を要求してきたのだ。だが、ギーゼルにチサトやシャロンと面識はなく、シンにとって恩人やスポンサーといった上の立場でもない。当然、シンはこれを拒否した。
しかし──
『貴殿らが首を縦に振るか否かは自由です。ただしその場合、一匹の良心無き狼が羊の衆の喉笛を噛みちぎることも悪しからず』
こうして、4月中旬。二人はシェルフに次いで、祝福の学舎の生徒となった。
(僕と、同じだ……)
脳裏に蘇るは──聖騎士協会本部の地下牢獄で、自分を救ってくれた白髪の勇者の顔。
同じだ──チサトも、シャロンも…………シェルフが言っていた通り、皆ギーゼルの気まぐれに──祝福に救われてここにいるのだ。
「こうして二人は、長い道のりの末にようやく自由と平穏を掴み取った。問題は山積みだけれどね──ギルバは魔力の介在しない純粋な精密機器だから、世界にもう一つとないそれが何かのはずみに故障してしまう恐れはおおいにある。だからシャロンは……ううん、私もリントも、あの子のことは丁重に──それこそお人形みたいに大切に扱っているのよ」
だからチサトは、新しい友人であるシェルフやゲルグには、自分の秘密を知られたくなかったのだ。軟弱な病人のように扱われるのが嫌だったから。
もちろん、そういう扱いは大切だ。何しろチサトの身体が繊細なことには変わりがないのだから。普通の人間なら入院で済むような怪我が、彼女にとっては致命傷になりかねない。シャロンたちがチサトを丁重に扱うのは当然だし、必要なことだろう。
だが……チサトはあの性格だ。元気が服を着て歩いているような彼女にとって、クラスメイトたちと対等な人間として扱われないのは、想像を絶する苦痛だろう。
「……ゲルグさん」
シャロンがゲルグの服の裾を引っ張り、スケッチブックの紙面をこちらへ見せる。
『チサトとは、今までのように接してあげてください』
「シャロンさん……」
シャロンが頷く。そして──ゲルグが転入してから……否、祝福の学舎に入学してから、チサトの前以外では、入浴時を除いて片時も外さなかった、空色のマフラーをするすると解いた。
「っ……」
彼女が室内灯の下に明かした口元は、直視することも憚られる痛々しい光景だった。見る者によっては、悍ましいと感じるほど、グロテスクな光景が露わになり、ゲルグは目を見開いた。
シャロンの口元には、大量の傷跡が刻まれていたのだ。火傷跡や凍傷跡など、肌が爛れて欠けている部分が多い。そして、顎から鼻の下近くまで、真っ二つに割れたような跡があり、ホチキスで乱暴に接合するという処置がなされていた。
「言霊魔法はね、便利ではあるけど、最強ってわけじゃないの」
今まで高慢な態度が目立っていて、自己中心が常だったノアのその時の言葉には、仲間への同情、そして強い悲しみが籠っていた。
「格下相手には喉が渇くくらいで済むんだけどね。格上相手には【動かないで】って簡単な命令だけで吐血しちゃう。【捩れて】とか【爆ぜて】とか相手を無力化できるような強い命令なら格下相手でもリスクは重々。【死ね】なんてもっての他なのよ。下手したらこっちが死ぬくらい」
チサトを救うため──シャロンは禁術として伝えられている言霊魔法をその身に受け入れた。それどころか、副作用をもろともせず、チサトのために魔術を使い続け……彼女の命を繋ぎ止めた。
チサトを救うため──シャロンは死に物狂いで、何でも捨てたのだ。それほどの覚悟があった。
だから、チサトの相棒として──シャロンの立場ではチサトの自由を尊重してやることはできない。何よりもチサトの命が大切なのだ、シャロンがそれを忘れてはならない。彼女は人形のように儚く、機械よりも繊細なのだから。
『チサトを……自由に生かしてあげて欲しいんです。でも、私にはそれはできない……』
「──わかった」
ゲルグはシャロンへ手を差し伸ばした。
「僕も、チサトさんには楽しく生きていて欲しい。何より──シャロンさんの覚悟を、無駄にしたくない」
生きるっていうのは、幸せにって言葉が頭につく。
かつて……希望一つないお先真っ暗の人生を捨てようと考えていた自分を追憶する。
死ぬはずだった未来が打ち消され、余命がうんと伸びたとしても……一歩踏み出すだけで他人を緊張の眼差しにし、人形のように丁重に、一種の束縛とすら言える監視を向けられて生きていることの……一体どこが幸せなんだろう。
それが必要なことなら、取り除くことはしない。シャロンにはできないというのなら、ゲルグたちが──
シャロンがチサトを生かすと言うのなら、ゲルグやシェルフが、彼女を幸せに生かしてみせよう。
彼女の覚悟が繋いだ命、今度は自分が幸せにするのだ。
「……ありがとう」
ゲルグの真っ直ぐな覚悟を受け、いつも無表情なシャロンが、その時ばかりは小さくはにかんだ。一瞬、おびただしい傷跡が認識できなくなるほどの、綺麗な笑顔だった。
ゲルグは最初、シャロンの素顔を目撃した時……痛々しい光景だと認識しながらも、悍ましいだとか酷い顔だとか、顔を背けることはしなかった。不思議とその気にならなかった。
多分……最初から思っていたんだと思う。彼女の素顔は、その傷跡もひっくるめて、とても美しいものだと。
「こちらこそ。これからも……よろしくね、シャロンさん」
彼女の痛ましい傷跡は、ゲルグには英雄の勲章のように見えた。
○●
あの後、二人はすぐに就寝することにした。話し込んでしまったせいかすっかり夜も更けてしまったし、明日は例の手紙の内容を話したいと、朝早くに起きるようチサトに言われているのだ。
「みんなもう寝てるかな……」
一応、あまり大きな音を立てず洗面台に向かうとしよう。
そーっと、忍び足。横からシャロンに「そこまで気をつけなくても……」と言いたげな視線を向けられた。
ノアが生活している隠し部屋を抜け、男部屋に出てから廊下へ。シャロンを先に通し、ゲルグも廊下に出てから部屋の戸を閉める。
と、そこで一つ問題が……。
「あーっ!」
丁度、廊下に出ていたチサトと鉢合わせしたのだ。
「あ、チサトさん……」
先ほどシャロンから壮絶な過去を聞いてしまったばかりで……必要のない緊張がゲルグの胃を満たす。が、シャロンの要望は今まで通りチサトと接してあげることである。ゲルグは努めて平常心を心がけ、チサトに手を振った。
「おやすみ、チサ──」
だが、
「なんでゲルちゃんとシャロンが男部屋から一緒に出て来たの!?」
「へ?」
「はい?」
言われて、ゲルグとシャロンは互いに視線を交わし、傍から見た自分たちの状況がとてもよろしくないものであることに気づいた。
男女が二人、夜も更けてきたころ……一つの部屋から一緒に出て来る。邪推がすぎると声を高らかにして叫びたいところだが……淫乱な解釈を否定するにはあまりにも状況証拠が揃ってしまっている。
「ま、【待って】チサト! これは、ほらええと……!」
「シャロンさん! ストップ、ストップ! 喋っちゃってるから!」
幸い、言霊が外れたのか……あるいはゲルグが知らない対策か何かがあるのか、チサトは言霊の影響を受けていないようではあるが。何にせよ、このままパニック状態のシャロンを喋らせ、万が一強い命令を出してしまっては、この場にいる誰かが必ず怪我をする。ゲルグは慌ててシャロンの口を塞ぐという強行手段に出た。
すると……
「シ、シャロンってばゲルちゃんにお熱だったの!? そ、そんなっ……いつの間に同級生同士で出来上がっていたとはっ」
やっぱり言霊をくらってくれていれば良かったかもしれない。一人で勝手に妄想を膨らませてゆくチサトに、ゲルグは思わず冷や汗を垂らした。
「フ、フン! でもねェゲルちゃん、初めてのガールフレンドができて舞い上がってるトコ悪いけど、シャロンの初めてはわ・た・し、だから! そこんとこ勘違いないように。どぅーゆーあんだーすたんどぅ!?」
「ちょっチサト! 何を言っ──」
「待っ……シャロンさん、押さないで──うわぁ!?」
何だか気になることを口走ったチサトを止めようと、ゲルグに口を押さえられたまま、シャロンがドタバタともがくので、二人して体勢を崩し、その場で派手にすっ転んでしまった。
この時点でもう十分なのだが、これから更に問題が。
「んむっ」
「ぃっ!?」
転んだ拍子に、ゲルグの唇とシャロンの唇が重なってしまったのだ。
唇が重なるほど間近にいるからか、シャロンの体温が高くなっているのを直に感じる。よく見れば、シャロンの顔面がかつてないほどに茹で上がり真っ赤になっていた。
「ち、ちょぉい!! 何やってんの二人とも! ほら離れて!」
しかし……もっと顔を赤くしているのは、チサトの方だった。
「い、言われてなくともっ」
慌ててシャロンから距離を取り、ちょっぴり湿った自分の唇を手の甲でゴシゴシと拭う。別に汚かったわけではないのだが……あれ以上感覚の余韻に浸っていると通報案件になりかねない気がしたのだ。
「大丈夫? シャロンっ」
「……ぁ、うん」
シャロンの方はというと……特に唇を拭うことはせず、ただ、ゲルグの方を見てるんだか見てないんだわからない視線を向けてくるだけである。
チサトのように喚くことはなさそうだが……落ち着いているかと言われればそうでもなく、ただでさえトマトのように茹で上がっていた顔は時間を置くごとにより赤くなっているような気がした。
そんなシャロンの顔をまじまじと見つめていたところ、恐ろしい顔をしたチサトがこちらの顔を覗き込んできた。
「ゲルちゃーん? シャロンはピュアなんだから、あんまし淫行に及ばないよう気をつけてねぇ」
「は、はいぃっ!」
さながら餌を目と鼻の先に置かれた狼である。あと幾ばか理性が抜き取られれば、こちらの喉笛を食いちぎらんという形相であった。
「わかったらとっとと行きな。ほら帰った帰った」
「か、帰るって……わ、わかりました」
半端な魔物なんぞよりよっぽど恐ろしい威圧感。本当にあのチサトかと疑いたくなるほど冷めた表情で睨まれ、ゲルグは反論する気も起きずその場を後にするしかなかった。
チサトの意外な一面を知ったかもしれない。どうやらチサトにとって命の恩人であるシャロンは、単なる相棒以上の大切な存在のようだ。




