十四話
鈴谷は難しい顔をしていた。
肘をついて組んだ両手に口元をあて、視線は落ち気味だが明確にどこを見ているわけでもない。
分類するならば真面目の部類に入る鈴谷がその様子であれば、きっとまたなにか難しいことを考えているのだろうと周囲は邪魔をしないようにしているため誰も鈴谷が抱えている疑問に触れない。それが幸いであるのか、不幸であるのか、きっと鈴谷にも分からないだろう。
鈴谷が現在胸に抱えているもやもやとももにょもにょとも言えない曖昧で掴みどころのない悩みというのも正確ではない疑問は、おいそれとひとに相談していいものであるのか判断がつかないのだ。いや、人の口に戸は立てられないという限りなく真理に近い言葉を信じるならば口に出すべきではないだろう。
鈴谷は学園における立場上、生徒たちの様子に目を向けることを求められるが、鈴谷が積極的に見回し、探さずとも飛び込んでくる光景というものがある。
最近、鈴谷はやたらと気になるものを見かけるのだ。
好奇心擽るものであるならば鈴谷はここまで思い煩ったりなどしなかっただろう。
覚えるのは違和感である。
くま牧場でツキノワグマかっけー、ヒグマこえーと思っていたらマレーグマに遭遇したくらいの違和感である。そして、そのマレーグマは「自分、熊ですから」とぽかんとする鈴谷をロンパリで一瞥して去っていく。
くま牧場にマレーグマがいたところで悪いことではないのだ。咎めることではないのだ。熊に違いないのだからいちゃいけないわけではないのだ。
しかし、言いたくなる。
なんでいるの。
鈴谷は唸る。
考えたところで益体もないのが分かっているため、今すぐ考えるのをやめたいのだが気になって気になって仕方がない。
そこへ丁度良く生徒が乱闘を起こしているという知らせが入り、鈴谷はこれ幸いとばかりに駆け出した。
ここで案の定、と言ってしまうのはよろしくないが、乱闘はFクラスの生徒間で行われている。
問題児が多いFクラスは毎日なにかしら騒ぎを起こすため、鈴谷は彼らの顔と名前を殆ど覚えているくらいだ。
喧嘩なんぞ日常茶飯事の彼らだが、しかしそれを良しとするわけにはいかず、鈴谷は「セイセイセーイ!」と掴み合う一人ひとりを引き剥がしていく。興奮していたFクラスの生徒はようやく鈴谷に気付いたようで、顔を引き攣らせて逃亡を図るものまでいる始末。鈴谷は許さない。脱いだ上履きを足元目掛けてぶん投げ、転んだところを追いかけ襟首掴んで回収する。
「で、あんたたち今度はなにやったんだい!」
「うるせーババア!」
「黙ってろババア!」
「誰がババアだ!!」
話を聞くために移動しても減らず口を叩く生徒はいる。鈴谷は彼らの口の中にすっぱムーチョをまとめてぶち込んだ。酸味に痛くなっただろう耳のすぐそばの顎を解す彼らから、今度は比較的素直そうな生徒に目を向ける。
「で、なにがあったんだ」
「別に……」
「どこの女優だこの野郎」
鈴谷は生徒の口に丸めた銀紙をぶち込んだ。思い切り鳥肌を立てた生徒から、今度はある意味先ほどまでの思考がぶり返すほど「なんでいるの」感あふれる相手に視線を移す。眼鏡の彼は確か委員長だったはずだ。Fクラスの生徒の中では過ぎるほどに真っ当で、だからこそFクラスの中ではくま牧場のマレーグマ状態の彼は、目の前で行われた鈴谷の残虐な行いに震えている。
「なにがあったんだ?」
「え、と」
物凄く言い辛そうな様子に鈴谷は努めてやさしく笑いかけて「怒らないから言ってごらん」と保護者や教師が言ったらフラグでしかない台詞を吐く。委員長は青褪めた。
「や、やめろっ」
「委員長は悪くない、悪くないんだ!」
「委員長逃げろ、俺たちが食い止める!」
哀れ誘う委員長を庇い出す生徒、先程まで鈴谷に悪態ついていたとはとても見えない。
麗しい友情だがしかし、鈴谷には同情で世論を味方につけ、正論述べる相手を退ける常套手段にしか思えなかった。
「いいから白状しんしゃい!!」
「ひぃ」
身を寄せ合って震える彼らはようやくぼそぼそと供述を開始する。
曰く、膝小僧派と足首派の論争から乱闘に発展したのだと言う。
委員長が「膝小僧と足首はどっちのほうが需要あるんだろう」と何気なく呟いたことから始まったらしく、意図せず引き金となった委員長はさめざめと泣いている。
鈴谷は深くため息を吐き「みんな違くてみんな良い。自分が好きなら他人の意見なんて気にするな」と言い聞かせ、反省文の提出を求める。
これできちんと反省するようならばいいが、そんなことはまったくないことを鈴谷は分かっていた。現に今も生徒たちは「喧嘩が駄目なら投票で……」「開票する奴の派閥が……」などとヒソヒソ話し合っている。委員長は膝足戦争の戦犯として長く語られることだろう。
「よし、今度こそ冠城を仲間に入れてみせるぜ」
「あいつ、毎回どっちの派閥にも属さない傭兵だからな」
まとまり始めた彼らの話、説教終わったからもう帰れと思っていた鈴谷がぴくっと反応する。
鈴谷は冠城、冠城賢治をよく知っていた。
そして、ここのところは彼のことばかりを考えている。
「そういや、最近あいつ自分の部屋にいないこと多いんだが」
「外泊もしてねえみたいだし、どこ泊まってんだろうな」
「購買戦争にも参戦してないぜ?」
「……俺たちの冠城を誑かした雌猫がいる!」
「たんま!」
声を上げた鈴谷に視線が集中する。戦線拡大の気配にぶるっぶるしていた委員長も見てきた。
「た、誑かしたとか、雌猫とか……いやいや、ないだろう」
「なんでそんなことが分かるんだよ」
「いや、分かるとかじゃなくて……」
鈴谷の脳裏にマレーグマが過る。
特別室というくま牧場に最近出没するようになったマレーグマ、特定の熊との交流している気配のあるマレーグマ。
「……そういえば、冠城くんと会長の仲って結局なんだったんだろうね」
思い出したように言う委員長に鈴谷の背中がぶわりと汗をかく。
「風紀委員長は会長と仲良かったですよね? なにか聞いてませんか?」
「別にっ仲良くなんかっねえしっ!!」
仲の良い相手が冠城のそばで花を飛ばしているとか指摘しようとしたら鬼の形相で睨まれたとかそんなの知らねえし。
捲し立てたいのを渾身の力で抑えこみ、鈴谷は血染めの拳を持つ風紀委員長らしい気迫で反省文提出期限の厳守を言い渡し、生徒たちをFクラスへ帰す。
その日の夜、鈴谷はまたしても特別室に出没するマレーグマを目撃した。




