画面の、向こう側 - 白城 湊 -
高校二年の、眠れない夜だった。
時計の針は、もうすぐ二時を指そうとしていた。家の中はしんと静まり返って、家族の寝息さえ壁の向こうで溶けてしまっている。僕はベッドに入る気力もないまま、点けっぱなしのテレビの前に膝を抱えて座り込んでいた。音量はいちばん小さく。画面の青白い光だけが、暗い部屋でちらちらと揺れている。
――さすがに、もうそろそろ寝なきゃ。
明日もいつもどおり学校がある。健全な高校生が起きている時間としては、ちょっとまずいくらい夜が深まってしまった。
未だ眠気がくる気配はなかったけれど、リモコンに指をかけてテレビを消そうとした、その時だった。
たまたま映っていたのは、深夜にやっているずいぶん地味なドラマだった。派手な事件も、わかりやすい恋もない。ただひとりの男が、静かに痛みを抱えて生きている――それだけの話。いつもの僕なら、きっとチャンネルを変えていたと思う。
でも、指が動かない。画面に引き付けられて、目が離せない。
その場面に、台詞はなかった。男はただ、窓の外を見ているだけ。何も言わない。何も、説明しない。なのに、その横顔から抱えきれないくらいの感情が、こぼれ落ちていた。
声にしていないのに、聞こえる。言葉にしていないのに、わかってしまう。その人がどれだけのものを諦めて、それでもまだ何かを捨てきれずにいるのか。窓の外なんて本当は見ていないことも。
喉の奥がきゅっと締まった。画面がじんわりと滲んでいく。
――あ。
膝の上に、ぽつと何かが落ちて、僕はやっと気づいた。
泣いている。僕が。
頬に触れると指先があたたかく濡れた。どうして涙が出るのか、自分でもわからない。その人の痛みは僕の痛みじゃない。会ったこともない画面の中の、こんなに遠い人なのに。なのに、確かに届いてしまった。画面の、向こう側から。
拭えなかった。拭ってしまったら、今この胸にあるものが、嘘になる気がして。
静かな部屋で眠っている家族の誰も、僕がひとりで泣いていることを知らない。それでよかった。これはきっと僕とあの人だけの、秘密の夜だ。
――こんなことが、できるんだ。
人は誰かの心に画面のこんな遠くからでも、触れることができるんだ。
僕はずっと見る側の人間だった。電車でも、教室でも、スケッチブックを開いて、人の仕草やふっと緩んだ表情を、線にして写し取るのが好きだった。誰かを少し離れたところから、眺めているのが。
でもその夜、初めて思った。
あちら側に、行きたい。見ているだけじゃなくて――画面の向こうの誰かに、こんなふうに届ける側に。
エンドロールが流れる。僕は身を乗り出して、その人の名前を目で追いかけた。何度も何度も口の中で転がして。忘れないようにと思いながら。
画面の中のあの人は、もちろん僕のことなんて知らない。眠れない高校生がひとり、知らない誰かの芝居に泣いていたことなんて、知るはずもない。
……それでよかった。あの頃の僕は、ただ遠くからその光を見ていられれば、それで充分だったから。
何年か後に自分がその人と、同じ台本を挟んで向かい合うことになるなんて。
そのときは、まだ、知らないまま。
(白城湊/エリュシオン・ミラージュ)
白城湊は、Xで"今"を生きています。
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彼らが初共演する物語『アクションの後で』も、近日連載開始(※R18・ムーンライト)。
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