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火を継ぐ者の帰る道  作者: いわんちょちょ
第1章 ラズリオン編
15/15

橋上の死闘

 異形の獣が地面を蹴った。


 薫は咄嗟に右へ踏み出した。ほとんど同時に颯真も反対側へ身を引き、背後にいた騎士たちが左右へ散る。


「正面に立つな! まともに受けるなよ!」


 隊長の怒声が飛んだ直後、肥大した腕が街道へ叩きつけられた。

 凄まじい音とともに石畳が砕け、足元へ衝撃が伝わってくる。薫は跳ねた石から顔を庇いながら、数歩先で足を止めた。腕が通り過ぎた跡には、石畳が大きく陥没し、砕けた石が散乱している。


 先ほど、あれを盾で受け止めようとした騎士たちは吹き飛ばされた。

 もう同じことをしてはいけない。


「槍兵は左右に分かれろ! 腕を振り上げたら踏み込むな! 足を狙え!」


 隊長の指示を受け、騎士たちが動いた。

 正面から押し返すことは諦め、相手の攻撃を避けて側面から傷を与える。盾も構えてはいるが、あの巨大な腕を受け止めるためではない。もう片方の腕や、噛みつきを警戒するためだった。


 最初に仕掛けたのは、異形の獣の右脚側へ回り込んでいた槍兵だった。

 獣が叩きつけた腕を持ち上げようとした瞬間、騎士はその太腿へ長い槍を突き出した。穂先が肉へ食い込み、黒ずんだ体表に新たな傷を作る。


「入った!」


 騎士はすぐに槍を引き抜こうとした。

 だが、異形の獣が身体を捻ったことで、穂先が傷口へ引っ掛かった。


「……っ!」

「離せ!」


 隣の騎士が叫ぶ。

 槍兵は咄嗟に柄から手を離し、後方へ飛び退いた。直後、肥大した腕が横薙ぎに振るわれる。

 残された槍がへし折られ、破片が石畳を跳ねた。少しでも退くのが遅れていれば、騎士自身も巻き込まれていただろう。


「くそっ……!」

「武器はいい! 命を優先しろ!」


 隊長が叫び、別の騎士が予備の槍を手渡した。


 その間に、颯真が前へ出る。


「はあっ!」


 両手で握った剣へ風を纏わせ、巨体の右側から斬り込んだ。

 狙いは、先ほど騎士が傷つけた脚だ。

 異形の獣が振り向くより早く、颯真の剣が太腿の外側を捉える。風を伴った刃が体表を裂き、巨体がわずかに傾いた。

 確かな手応えがあった。

 しかし、深く踏み込みすぎた。


「颯真、下がって!」


 薫の声が響く。


 獣は傷ついた脚を引くと同時に、肥大した腕を地面へついた。巨体を支えながら、もう片方の腕を颯真へ振り回す。


「……っ!」


 颯真は剣を引き戻し、咄嗟に上体を捻った。

 爪が胸元を掠め、鎧の表面に浅い傷が走る。勢いに押されるように身体が仰け反り、足元が乱れた。


 その瞬間、薫が獣の横から踏み込んだ。


「こっち向け!」


 短く声を掛け、剣を低く振る。

 刃が獣の右膝裏を掠めた。傷は浅い。それでも獣は薫の方へ顔を向け、大きく裂けた口から耳障りな声を漏らした。

 薫は剣を引き戻し、すぐに距離を取る。


 異形の獣が、地面についていた巨大な腕を振り上げた。

 狙いは薫だった。


 横へ逃げようとした瞬間、その腕が予想以上に長く伸びてくる。


「うわっ!」


 薫は慌てて身を低くした。

 頭上を太い腕が通り抜け、背後にあった橋のたもとの石柱へ激突する。硬いものが砕ける音が響き、石片が周囲へ飛び散った。


 薫は地面へ片手をつき、転がるようにして距離を取る。立ち上がる途中で視界に入ったのは、根元から大きく欠けた石柱だった。


 ……あれ、当たってたら……いや、考えない方がいい。


 まだ獣はこちらを見ている。


「カオル! 離れろ!」


 騎士が槍を突き出し、獣の胴を牽制した。


 薫はその隙に後退し、颯真の隣へ戻る。


「助かった!」

「お互い様!」


 颯真も剣を構え直した。


 異形の獣は、槍の穂先へ顔を向けていた。騎士たちは左右から間合いを測り、巨体が動くたびに位置を変えている。


 まともに腕を受け止めようとする者は、もういなかった。

 だが、攻撃を当てるには、あの巨大な腕の間合いへ踏み込まなければならない。少しでも離脱が遅れれば、次は避けきれないかもしれなかった。


 異形の獣が、再び巨体を揺らした。


「右へ逃がせ! 橋の正面に立たせるな!」


 隊長が指示を飛ばす。


 橋へ続く道は、左右を低い石壁に挟まれていた。あの巨体が真っすぐ突進してくれば、後ろにいる慧や、まだ橋を渡りきっていない騎士たちまで巻き込まれる。


 何としても、進路を変えなければならなかった。


「カオル! そちらから注意を引けるか!」

「やってみます!」


 薫は左腕を持ち上げ、橋のたもとに残っている別の石柱へ鉤縄を射出した。

 金属製の鉤が石柱の張り出しに引っ掛かる。薫は一度鋼線を引いて固定を確かめると、異形の獣の右側へ走った。


「こっちだ!」


 異形の獣が顔を向けた。


 先ほどつけた膝裏の傷を狙うように、薫は剣を構えて踏み込む。しかし、獣が肥大した腕を持ち上げたのを見て、すぐに攻撃を中断した。


 薫は足元の石畳を蹴ると同時に、巻き取り機構を作動させる。

 左肩に強い負荷が掛かり、身体が鉤縄を固定した石柱の方へ引かれた。薫は足を地面へ擦らせて姿勢を保ち、斜め後方へ逃れる。


 ほんの一瞬前まで立っていた場所へ、異形の獣の腕が叩きつけられた。

 地面が砕ける。


「今だ!」


 反対側から、二人の騎士が踏み込んだ。

 一人が槍を低く構えて脚を突き、もう一人が剣で胴の側面を斬りつける。

 どちらも浅い傷だった。

 だが、獣の身体がわずかに傾く。


「ソウマ!」


 隊長の声が飛んだ。


「はい!」


 颯真は両手剣を握り直し、傷ついた右脚へ踏み込んだ。魔力を剣へ流し込み、風を纏わせる。


「はああっ!」


 刃が太腿の外側へ食い込んだ。

 先ほどよりも深い。

 獣が甲高い悲鳴を上げ、膝をわずかに曲げる。


「……よし!」


 颯真は剣を引き抜き、そのまま後退しようとした。


 しかし、異形の獣は倒れなかった。

 肥大した腕を地面へつき、身体を支えたのだ。そして、傷ついた右脚の負担を逃がすように上体を捻ると、地面から引き抜く勢いで巨大な腕を横へ振り回した。


「ソウマ、退け!」


 隊長の声に、颯真は咄嗟に身を引いた。


「……っ!」


 直接の一撃は避けられた。

 けれど、振り回された腕が地面を擦り、石の破片を巻き上げた。颯真は左腕で顔を庇いながら、数歩後退する。


 そのすぐ横で、鈍い音が響いた。


「ぐあっ!」


 騎士の一人が膝をついた。


 飛び散った石片が脚に当たり、体勢を崩したらしい。立ち上がろうとしても、片脚に力が入らない。


「おい! 大丈夫か!」


 近くの騎士が駆け寄る。


「あ、ああ……すまん、足が……!」

「無理に立つな!」


 肩を貸そうとした、その瞬間だった。


 異形の獣が二人へ顔を向けた。

 肥大した腕が、ゆっくりと持ち上がる。


 ……まずい!


 薫が走り出そうとした。


 だが、その前に、地面から尖った岩が突き出した。

 岩は獣の足元で砕け、破片を散らす。獣がわずかに身を引いた。


「今のうちに退け!」


 後方から慧の声が響いた。

 指輪型の触媒をつけた手を突き出し、荒く息を吐いている。


「助かった!」


 騎士は負傷した仲間の腕を肩へ回し、引きずるように後退した。


 それを見届けた薫は、すぐに獣の側面へ回り込んだ。


「颯真、右!」

「分かった!」


 二人が左右へ分かれる。

 獣の注意が颯真へ向いた瞬間、薫はその右脚の後ろ側へ剣を振った。刃は浅く肉を裂いたが、獣はすぐに身体を揺らし、薫の方へ振り向こうとする。

 その正面へ、今度は颯真が踏み込んだ。


「はあっ!」


 風を纏った剣が胸元を斬り裂いた。


 獣が仰け反る。

 しかし、颯真は追撃しなかった。すぐに距離を取り、剣を構え直す。


 ……追いすぎるな。


 目の前の相手は、傷ついても簡単には止まらない。

 倒そうと焦って深く踏み込めば、その瞬間に捕まる。颯真もそれを警戒しているのか、今度は不用意に距離を詰めようとしなかった。

 攻撃を重ねても、異形の獣は倒れなかった。


 颯真が何度も斬りつけた右脚は、わずかに動きが鈍っている。それでも、肥大した腕を振るう力は衰えない。石畳が砕かれるたびに破片が飛び散り、攻撃を避けた騎士たちにも負傷者が出始めていた。


「くそっ……!」


 騎士の一人が、左腕を押さえながら後退した。


 異形の獣が砕いた石畳の破片を盾で防いだものの、その中の大きな石片を受けた衝撃で腕を痛めたらしい。盾自体に目立った損傷はなかったが、左腕はまともに上がらなくなっていた。


「もういい! 下がれ!」

「ですが、まだ……!」

「その腕でどう戦うつもりだ!」


 隊長に叱責され、騎士は悔しそうに顔を歪めた。

 別の騎士が彼の肩を支え、橋へ向かって歩き始める。


 それを見た薫は、周囲へ目を向けた。

 最初に戦い始めたときよりも、騎士の数が減っていた。

 命を落とした者がいる。動けなくなった者もいる。残っている騎士たちも、すでに無傷ではなかった。


 ……状況はかなり悪いな。


 薫自身の呼吸も荒くなっていた。

 鉤縄を使うたびに左肩へ負担が掛かり、走り続けている脚にも疲労が溜まっている。剣を握る右手には汗が滲み、柄を握り直す回数も増えていた。

 それでも、まだ動ける。


 けれど、同じことを全員に求めるわけにはいかなかった。


「カオル!」


 隊長が叫んだ。


「その場を離れろ!」

「……っ!」


 薫は反射的に後ろへ跳んだ。

 次の瞬間、異形の獣の腕が目の前を通り過ぎる。風圧でマフラーが大きくはためき、薫は足元を滑らせながら着地した。

 慌てて剣を構え直す。


 ……っぶな。


 隊長の声がなければ、避けるのが遅れていたかもしれない。


「ありがとうございます!」

「礼は後だ!」


 隊長も剣を構え、薫の横へ回った。


「いつになったら止まるんだ、こいつは……!」

「隊長、あいつ、右脚は少し庇ってるように見えます!」

「……そうか!」


 隊長は獣の脚へ視線を向けた。


 颯真が何度も斬りつけた場所から、血が流れている。獣はまだ動けているが、左右の脚の運び方が微妙に違っていた。


「そこを狙うぞ! ただし深入りはするな!」

「はい!」


 薫が頷く。


 その直後、後方から慧の声が響いた。


「薫! 颯真! 少し離れろ!」


 二人は同時に後退した。


 慧が指輪型の触媒を前へ向ける。魔力を流し込むと、足元の石が集まり始めた。

 先ほどのような、足場を妨げるための岩ではない。

 細長く、先端の尖った岩石。

 一本の槍に近い形だった。


「……そらよっと!」


 慧が指輪をつけた手を突き出すと、岩槍が勢いよく射出された。

 風を切って飛んだ先端が、異形の獣の胴体へ深く突き刺さる。


「ギィアアッ!」


 獣が絶叫した。

 胴体に突き立った岩槍の周囲から血が溢れ、黒ずんだ体表を伝って流れ落ちる。

 慧は思わず目を見開いた。


「……入った!」


 あれほどの傷なら、普通の魔物はまともに動けなくなるかもしれない。

 薫も一瞬、そう思った。


 だが、異形の獣は岩槍を身体に刺したまま、慧の方へ顔を向けた。


「……っ、嘘だろ」


 肥大した腕が持ち上がる。


 狙われた。


「慧、下がれ!」


 薫が叫んだ。


 慧は慌てて後ろへ退いた。

 異形の獣が踏み込む。

 しかし、その進路へ颯真が回り込んだ。


「こっちだ!」


 剣を大きく振り、風の斬撃を放つ。

 獣の胸元へ新たな傷が走り、巨体がわずかに揺れた。続いて騎士たちが左右から槍を突き出し、獣の進路を塞ぐ。

 動きが止まったのは、ほんの一瞬だった。

 しかし、慧が距離を取るには十分だった。


「助かった!」

「まだ来るぞ!」


 颯真は剣を構え直した。

 その声に応えるかのように、異形の獣が身体を捻る。

 肥大した腕が、大きく横へ振り抜かれた。


「散れ!」


 隊長の怒声が響いた。

 薫はすぐに身を低くし、颯真も後方へ跳ぶ。

 だが、騎士の一人が逃げ遅れた。


「……っ!」


 腕そのものに殴られたわけではない。


 避けようとしたところへ、振り回された腕の先が槍の柄を捉えたのだ。


 槍が大きく弾かれ、握っていた騎士の身体も横へ持っていかれる。騎士は石畳の上を転がり、低い石壁へ背中から叩きつけられた。


「ぐっ……ああっ!」


 騎士は起き上がろうとした。


 だが、右脚が不自然な方向へ曲がっていた。身体を起こそうにも体重を掛けられず、苦痛に顔を歪めている。


「くそっ、脚が……!」

「おい、しっかりしろ!」


 近くの騎士が駆け寄った。

 負傷した騎士は歯を食いしばったまま、立ち上がろうとする。


「俺は、まだ……!」

「無理するな!」


 肩を貸そうとした仲間の手を、一度は振り払った。

 だが、二度目に立とうとしたとき、痛みに耐えきれず、その場へ崩れ落ちた。


「……っ、すまん」


 ようやく絞り出した声は、ひどく小さかった。


 薫はその姿を見ていた。

 もう戦える状態ではない。

 それなのに、騎士はまだ前へ出ようとしていた。


 ……これ以上は。


「隊長!」


 薫が声を上げた。


「負傷者を退かせましょう! このままだと、動ける人までやられます!」


 隊長が一瞬だけ振り返った。

 その顔には迷いがあった。


 戦線を維持するには、一人でも多くの騎士が必要だ。しかし、負傷者を放置するわけにもいかない。彼らを運ぶにも、人手が要る。

 ましてや、ここは高い渓谷へ架かる橋の手前だ。橋へ異形の獣が踏み込んでくれば、避難する住民たちまで巻き込まれる。


「……負傷者を橋の向こうへ!」


 隊長が決断した。


「動ける者は肩を貸せ! 急げ!」


 騎士たちが動き始めた。

 しかし、その分だけ前線の人数が減る。

 異形の獣は、そんなことなど構わずこちらへ向かってきた。


「颯真!」

「分かってる!」


 二人は再び前へ出た。

 薫が獣の右側へ走って注意を引き、颯真は正面から剣を構える。慧も後方で魔術の準備を始めていた。

 騎士たちが負傷者を運び終えるまで、何としても持ちこたえなければならない。


 異形の獣が薫へ顔を向け、肥大した腕を振り上げた。


「……っ!」


 薫は踏み込みかけた足を引き、横へ逃れる。

 直後、巨大な腕が石畳を砕き、その反動で獣の上体が沈んだ。

 その隙へ、颯真が踏み込む。


「はあっ!」


 風を纏わせた剣を斜め上へ振り抜き、獣の肩口を斬りつけた。

 異形の獣が身を捩ると、颯真は追撃せずに後退した。


「薫、離れろ!」


 慧の声が飛んだ。

 薫が距離を取ると、慧が手を突き出した。

 異形の獣の足元で石畳が盛り上がり、尖った岩が突き出す。

 獣は踏み出しかけた足を引いたものの、すぐに岩を踏み砕いてしまった。


「……くそっ、これでも止まらねえのかよ」


 慧が荒い息を吐く。


 それでも、薫と颯真が距離を取るだけの時間は稼げた。二人は再び位置を変え、迫ってくる巨体へ剣を構え直す。

 胴体には岩槍が突き刺さり、脚にも新たな傷が増えている。先ほどと比べれば、踏み込む際の動きもわずかに鈍くなっていた。


 確かに、攻撃は通じている。

 それでも、この怪物を倒すにはまだ足りなかった。


「カオル!」


 後方から隊長の声が響いた。

 薫は獣から目を離さずに返事をした。


「はい!」


「負傷者を運び出す! お前たちも下がれ!」


 薫は橋の方へ目を向けた。

 負傷した騎士たちが、仲間に支えられながら移動を始めている。鎧の擦れる音や、苦痛を堪える声が、戦闘の音に混じって聞こえてきた。

 あの速度では、異形の獣に追いつかれるかもしれない。


 薫は剣を構え直した。


「……まだです!」

「何だと!?」

「今、全員で下がったら追いつかれます!」


 異形の獣が再びこちらへ顔を向ける。


「俺たちで、もう少し引きつけます!」

「しかし、それでは……!」

「隊長!」


 今度は颯真が叫んだ。


「負傷者を頼みます! 動ける騎士が一緒にいないと、向こうまで運べません!」


 隊長は橋へ目を向けた。

 負傷者を運ぶ騎士たちの足取りは遅い。向こう岸でも戦闘が続いており、無事に渡ったあとも人手が必要になるだろう。

 それでも、目の前の異形の獣を、この三人に任せていいのか。


 隊長は薫と颯真を見た。

 まだ十七歳の少年たちだった。


「……すまん」


 低く呟いた声が、薫にも聞こえた。


「長くはもちません! 急いでください!」


 薫は振り返らずに答えた。


 隊長は一度だけ目を閉じ、それから声を張り上げた。


「撤退する! 負傷者を先に渡せ!」

「はい!」


 騎士たちが負傷した仲間に肩を貸し、橋へ向かって急ぎ始める。


「カオル、ソウマ、ケイ! 無理に倒そうとするな! 時間を稼げればそれでいい! お前たちも必ず退け!」

「はい!」


 薫が返事をした。


 隊長は最後まで何か言いたげだったが、やがて負傷者を運ぶ騎士たちの後を追った。

 鎧の音と足音が、少しずつ遠ざかっていく。

 橋の向こうからは、まだ戦闘の音が聞こえていた。

 そして、異形の獣の前に残されたのは、薫と颯真、慧の三人だけだった。


「……しっかし」


 慧が荒い息を吐いた。


「とんでもないのと戦うことになったな、俺たち」

「……うん」


 薫は短く答えた。


「正直、俺もここまでとは思わなかった」

「そりゃそうだろ。騎士が何人もいて、あれだけ攻撃してんのに、まだ動いてんだぞ」


 慧は指輪型の触媒へ目を落とした。

 魔力の消耗が激しい。

 村では大地と協力して大きな岩を作り、ここへ来てからも何度も術式を使っている。まだ魔術は使えるが、このまま撃ち続ければ、いずれ限界が来る。


「……あと何発撃てるか、分かんねえな」

「無理に連発しなくていいよ」


 薫は獣から目を離さずに言った。


「俺が注意を引く。颯真が攻撃できるときに、合わせて援護してくれれば」

「簡単に言うなよ……」

「……ごめんて」

「いや、分かってる。ほかに手もねえしな」


 慧は小さく息を吐き、再び手を構えた。


 颯真は薫の隣へ並ぶ。


「薫、右側は任せた」

「うん。颯真は正面をお願い」

「分かった」


 二人は短く頷き合った。


 異形の獣が、また一歩近づいてくる。

 巨体は傷だらけだった。肩口にも、胴にも、脚にも斬り傷や刺し傷が残っている。胴体には慧が放った岩槍が突き刺さり、その周囲からも血が流れていた。

 傷ついた右脚を庇うせいか、先ほどより踏み込みが遅れている。それでも、肥大した腕を振るう力は衰えていなかった。

 むしろ、傷を負うたびに動きが荒々しくなっているように見えた。


「ギィィィィアアアアッ!!」


 けたたましい絶叫が響いた。


 薫は左腕の籠手を確かめた。

 鉤縄はまだ使える。剣も握れる。

 それでも、先ほどから戦い続けてきた身体には、確実に疲労が残っていた。荒い呼吸を整えようとしても、胸がなかなか落ち着かない。

 今度は、騎士たちの援護もない。


 異形の獣がこちらへ向き直り、傷ついた右脚を踏み出した。


「……来るよ!」


 薫は右へ走った。


 颯真は剣を構え、巨体の正面へ踏み込む。慧の足元では、次の岩槍が形を作り始めていた。


 橋の向こう岸では、まだ転移門が完成していない。

 三人は、その光が開くまでの時間を稼がなければならなかった。

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