第6話 紅の盾、初日
「お前が噂の亡霊か! いや、会いたかったんだ。俺はガルド。ようこそ、紅の盾へ!」
初日の朝、ギルド二階の面談室で待っていたのは、握手と、岩みたいな手のひらだった。
暗い赤の短髪に、無精ひげ。左の眉から頬にかけて古い傷。使い込まれた重鎧は手入れが行き届いていて、この男が装備を大事にする人間だと分かる。歳は三十半ば。笑うと目尻に皺が寄って、なるほど、これは──人が好きになる顔だ。
「レイジです。よろしくお願いします」
「堅いなあ! まあいい、そのうち慣れる。ニックから聞いてるぞ、ソロでDランク討伐の変わり者だってな。うちは実力主義だ、ランクなんざ気にすんな」
実力主義。……さっそく出た。あの契約書の「役割に応じて配分」を運用する側の人間が使う「実力主義」は、辞書と意味が違う。査定するのはお前だ、という意味だ。
けれど不思議なもので、目の前で豪快に笑うこの男から、嘘の匂いはしなかった。猟具屋の親父の言葉を思い出す。──本気で『これが新人のためだ』って顔をしてやがるんだ。
なるほど…これは、手強い。
「歓迎ついでに紹介しとくか。おーい、みんな入ってくれ」
扉が開いて、三人が入ってくる。軽薄な笑顔で手を振るニック。おっとりと会釈する、ミルクティー色の髪の僧侶。そして最後に、紺のローブ──。
「…………」
「…………あら」
フィオナは、俺の顔を見て足を止めた。紫の目が、二度、瞬く。
「お知り合いですかぁ?」と僧侶が首を傾げる。
「いえ。……以前、臨時で入った先で、群れ狼の討伐に居合わせただけです」
「へえ!? 何それ、世間せまっ!」とニック。
フィオナは短くそう答えて、それきり口を閉じた。だがその視線は、面談の間じゅう、窪地の時と同じ温度で俺を観察し続けていた。──あの時の「覚えておきます」は、社交辞令じゃなかったらしい。
僧侶がふわりと歩み寄ってきて、両手で俺の手を包んだ。
「セシリアです。回復と祝福を担当しています。……ふふ、よろしくお願いしますね、レイジさん」
柔らかい笑顔。柔らかい声。──なのに、一瞬だけ、包まれた手に妙な感覚が走った。この人は今、握手じゃなくて、脈を取った。緊張の具合を、確かめられた気がする。
おっとりの皮を被った観察者。……この一党、思ったより層が厚い。
「よし、顔合わせは済んだな。善は急げだ、レイジ。早速だが明日、依頼に出る。東の丘陵地帯、ロックワームの駆除。難度C。──お前の役割は先行索敵だ」
来た。初日から、記録どおりの配役。
「了解です。では約束どおり、役割の書面を」
「……はは! ニックの言ってたとおりだ、ほんとに書面ときたか。几帳面なこった。おう、構わんぞ」
ガルドは笑いながら、羊皮紙にすらすらと書き付けてサインした。依頼名、日付、レイジの役割「先行索敵」、査定区分「補助」──。
補助、ね。パーティーで一番最初に魔物と接触する係が、補助。
俺は礼を言って、その紙を丁寧に折り畳んだ。……一枚目、回収。
◇
翌朝、東の丘陵地帯。
ロックワームは体長三メートルほどの岩喰い虫で、地中に潜み、振動で獲物を感知して足元から食らいつく。厄介なのは巣の分布が地表から読めないことで、だから「先行索敵」は要するに、踏んで教える係だ。
「レイジ、五十歩先行しろ。合図は笛でいい」
「了解です」
ガルドの指示は的確だった。腹立たしいくらいに。先行距離も、笛の合図の取り決めも、危険役をやらせる段取りとして完璧に整っている。訓練された使い捨て方、というやつだ。
ただ──俺が昨日のうちに丘陵の地質記録を資料室で引いてきたことまでは、この男は知らない。
ロックワームの巣は岩盤の裂け目に沿って作られる。
そして裂け目の走り方は、地表の岩の露出の並びで、ある程度読める。過去の駆除記録三件ぶんの巣の位置を古地図に落とすと、裂け目の方向はほぼ一直線に揃っていた。──つまり、今日の索敵は「どこを踏まないか」がだいたい分かってる状態で始められる。
「【自己強化(小)】」
小さく唱えて、俺は先頭を歩き出した。
読みどおり、危険地帯は左手の岩の露出帯に沿っていた。俺はわざと安全側を蛇行しながら、時折足を止めて地面に耳を当てる素振りをする。実際に聞いてるのは地中の振動じゃなく、後ろの四人の会話だが。
「……ねえガルド、あの新人、妙じゃない?」ニックの声。
「初見の丘で、迷いがなさすぎるっつーか」
「新人は張り切るもんだ。そのうち肩の力が抜ける」
「そうじゃなくてさぁ……」
そうだ、ニック。その違和感を大事にしろ。お前は多分、この一党で二番目に勘がいい。
一番は──さっきから一言も喋らず、俺の足取りだけを見ている、紺のローブの彼女だが。
◇
巣の発見は、昼前だった。
岩の裂け目に沿って三つ、地表がわずかに膨らんでいる。教科書どおりの兆候。俺は笛を短く二度吹いて、全員が止まった。
「巣、三つ。裂け目に沿って並んでます。……提案が一つあるんですが、いいですか」
「聞こう」
「風上の巣から順に潰すのが定石ですが、今日は逆がいいと思います。ロックワームは振動に敏感で、風の強い日は地表の判定が鈍る──今、風下の巣が一番『寝てる』はずです。風下から順に、寝込みを刺していく方が安全かと」
一瞬、場が静まった。ガルドが顎の無精ひげを撫でる。
「……面白い。だが外したら、三つの巣が全部起きるぞ。根拠は」
「過去の駆除記録です。風の強い日の駆除は三件とも負傷者なし、無風の日は二件とも負傷者あり。それと──今日を選んで依頼を受けたのは、ガルドさんでしょう。今日、風が強いから」
ガルドの眉が、ぴくりと動いた。
そう。この男、依頼の受注日をちゃんと選んでる。口では「善は急げ」と言いながら、実際は風待ちをしていた。搾取者のくせに、現場の仕事は本物なのだ。
……だから余計に、性質が悪い。
「──はっ! はっはっは!」
ガルドは弾けるように笑った。
「気づくか、そこに! いいぞ亡霊、気に入った! よし、新人の提案どおりだ。風下から行くぞ、フィオナ、初手の氷は一番奥の巣だ!」
「……指示が雑です。奥、とは膨らみの中心ですか、裂け目の走りに沿ってですか」
「そりゃお前──」
「裂け目に沿って、です」
思わず、口が挟んでいた。フィオナがこちらを見る。
「巣は裂け目の空洞に沿って細長い。中心を凍らせても尻尾側が生きます。裂け目の走りに沿って、線で凍らせれば……多分、一撃です」
「…………」
フィオナは三秒、俺を見た。それから何も言わずに杖を構え、詠唱を始めた。
放たれた氷の槍衾は、裂け目の走りに沿って、地面を一直線に貫いた。地中から響く、くぐもった断末魔。一番奥の巣は、そのまま二度と膨らまなかった。
「……仰るとおり、一撃でした」
「どうも」
「参考までに聞きますが、あなた、私の魔法の射程と貫通の深さを、いつ把握したんですか」
「窪地の時に。氷嵐の効果範囲から、だいたい」
「…………一度見ただけで?」
「観察だけが取り柄なので」
フィオナは答えなかった。ただ、杖を持ち直したその横顔が、ほんのわずかに──ほんとうにわずかに、面白がっているように見えた。
◇
残り二つの巣も、同じ手順で片付いた。負傷者なし、討伐三、作業時間は想定の半分。ガルドは終始上機嫌で、帰り道はニックが埋葬虫の物真似で騒ぎ、セシリアがころころ笑っていた。
……いい一党だ。本当に、そう思ってしまうのが困る。
夕方、ギルドで精算。受付で提示された俺の取り分は、報酬総額の一割五分だった。
「今日の査定な、レイジ。お前の役割は補助だったから、この額だ。まあ最初はこんなもんだ、実力が認められりゃ上がっていく。焦るな」
巣の位置を特定し、攻略手順を提案し、フィオナの一撃の精度を上げたのが、一割五分。まあ、記録どおりの数字だ。むしろ想定(一割)より高い。初日は餌を多めに撒く、ということかもしれないが。
「分かりました。──あ、査定の書面、お願いします」
「……ほんとに毎回書かせる気か、お前」
「毎回お願いします」
ガルドは苦笑しながらサインした。二枚目、回収。
宿に戻って、俺は検証ノートを開く。今日の収穫を書き付けていく。
『ガルド:現場指揮は本物。風待ちの受注。搾取と仕事の質が両立している型。攻略難度・高』
『ニック:違和感を拾う勘あり。ただし上に潰される。切り込み口はここか』
『セシリア:初対面で脈を取る観察者。敵に回すと厄介、味方につけば──』
『フィオナ:魔法の精度、想定の上。詠唱様式は学院式。そして──』
ペンが、一瞬止まった。
そして、何だ? 何を書こうとした。
『──そして、こちらの観察に、観察で返してくる』
……まあ、事実だからいいだろう。事実の記録だ。
ノートの最後に、俺は今日の最重要項目を書き足した。
『セシリアの祝福:未検証。次の依頼で必ず機会を作る。重ねがけの本命』
盤面は動き出した。回収は、まだ始まったばかりだ。




