第5話 攻略対象 紅の盾
「──で、返事は保留にしたまま、わしのところへ来たわけか」
翌朝の資料室。契約書の写しを一瞥したバッセ爺さんは、深いため息をついた。
「『紅の盾』ガルドんとこか」
「知ってるんですか」
「この街で十年張っとるパーティーじゃぞ。知らんはずがなかろう。……リーダーのガルドは、腕は本物じゃ。Bランクの中でも上澄み、対人の立ち回りなら上位にも食い込む。人当たりもいい。受付の嬢ちゃんらの評判も上々よ」
「爺さんの評判は?」
老司書は丸眼鏡の奥から、じっと俺を見た。
「──お前さん、もう自分で調べる気じゃろう。なら、わしの色眼鏡は貸さんほうがええ。紙は嘘をつかん。読んでこい、亡霊」
◇
紙は、嘘をつかなかった。
三日かけて、俺は「紅の盾」に関する記録を洗い直した。パーティー編成の届出、依頼の受注記録、達成報告、そして事務局に綴じられた契約の改定履歴。資料室の閲覧権限で見られる範囲の、すべて。
浮かび上がった数字は、こうだ。
過去六年で、「紅の盾」に臨時加入した冒険者は十四人。正式加入に至った者、ゼロ。平均在籍期間、約四ヶ月。うち三人が在籍中の負傷で冒険者登録を抹消。一人が消息不明扱い。残りは全員、契約満了か途中解除で離脱している。
そして受注記録。臨時メンバーがいる期間の「紅の盾」は、受ける依頼の難度が明確に一段上がる。臨時が抜けると、また一段下がる。つまり彼らは、臨時メンバーという消耗部品を組み込んだ時だけ、高難度・高報酬の依頼を回す運用をしている。
極めつけは、達成報告書の役割欄だった。十四人の臨時メンバーの担当役割、その大半に同じ言葉が並ぶ。──「先行索敵」「殿」。
死亡率が一番高い役割を、一番査定の軽い「補助」として計上する。仕組みの奥に、最初から組み込まれた搾取。数字の上で人間を使い捨てる装置が、そこに綴じられていた。
「……よくできてる」
思わず、感心の声が漏れた。悪辣という意味でも、設計という意味でも。
契約は合法。報告は正確。ギルドの制度の条文を一切踏み外さず、条文の隙間だけで完結している。訴えても勝てない。悪評も立たない──離脱した臨時メンバーは「実力不足で脱落した新人」として処理され、本人たちも大半はそう思い込まされているからだ。
制度を読み込んだ人間が、制度の急所を知り尽くして組んだ仕組み。皮肉なことに、俺はこの設計者に、資料室の同類の匂いを嗅ぎ取っていた。
◇
紙で分かるのはここまでだ。次は、人に会う。
十四人のうち、今もこの街にいる元臨時メンバーは三人。俺はその中から、五年前に半年だけ在籍していた元斥候──今は東地区で猟具屋を営む男を選んで、訪ねた。選定理由は単純で、在籍期間が平均より長い分、内情を多く見ている可能性が高いからだ。
「『紅の盾』? ……あんた、勧誘されたクチか」
猟具屋の親父は、店じまいの手を止めて、俺をしばらく眺めた。それから、裏の椅子を顎で示した。
「やめとけ、と言いたいところだがな。先に言っとく。あそこは、あんたが思ってるような分かりやすい悪党の巣じゃねえ」
親父の話は、記録の行間を埋めるものだった。
危険な役割は、確かに臨時に回される。ただし、いきなり死地に放り込むわけじゃない。ガルドは訓練もするし、装備の面倒も見るし、現場では的確に指示を出す。だから臨時メンバーは最初、「厳しいが面倒見のいいリーダー」だと思う。搾取に気づくのは報酬の精算時で、気づいた頃には「役割は契約通り」の一言で外堀が埋まっている。
「報酬をチョロまかす詐欺師なら、憎みようもある。だがあいつは……何て言うかな。本気で『これが新人のためだ』って顔をしてやがるんだ。そこが一番、薄気味悪かった」
「あなたは、なぜ半年もいたんです」
「……途中までは、本当に世話になったからだよ。俺が斥候として食えてるのは、あの半年の実戦のおかげだ。それは否定できねえ。──だから余計に、報酬の紙を見た時、心が折れた」
親父は最後に、こう付け加えた。
「ひとつだけ、妙な話をしてやる。あそこの僧侶の姉ちゃん……セシリアさんな。俺が抜ける前の晩、宿まで来て、頭を下げてったよ。『ごめんなさい』とだけ言ってな。……あの人だけは、多分、全部分かってて、全部止められねえんだ」
◇
その夜、宿の天井を見ながら、俺は盤面を並べ直した。
まず、敵情。「紅の盾」は合法の皮を被った搾取の装置。頭のガルドは有能で、危険で、そして──妙な言い方になるが──信念を持って搾取している。実行役のニック、事情を知りつつ止められない僧侶セシリア。そして、あの魔法使い。
フィオナ。窪地で会った、あの目。
記録によれば、彼女の加入は二年前。加入以降、彼女が臨時メンバーの査定に関わった形跡は、報告書のどこにもない。つまり──彼女は仕組みの外に置かれている可能性が高い。ガルドが意図的に見せていないのか。……あの観察眼の持ち主に、二年間も隠し通せるものなのか?
いや。人は、見たいものしか見ない。あの目は、戦場の盤面には向いても、身内の帳簿には向いていないんだろう。天才の死角というのは、案外そういう場所にある。
次に、損と得の計算。
乗った場合の損。報酬の中抜き、想定六〜七割減。危険な役割の常時割り当て。最悪、死。
乗った場合の得。Bランク帯の実戦経験。連携の技術の吸収。高難度の魔物との接敵の記録。ギルド上位の依頼の実情。そして──本職の僧侶がかける、生きた祝福の下での重ねがけ検証。
俺のギフトが本当に輝く環境は、祝福や強化の飛び交うパーティー戦だ。第三話の検証以来、その結論は動いていない。だが才能値最底辺のFランクを、まともな取り分で迎えるパーティーは、この街に存在しない。……一つだけ、あった。まともじゃない取り分で迎える気の、まともじゃないパーティーが。
「……向こうは、俺を安く買い叩くつもりでいる」
天井に向かって、俺は呟く。
「なら、こっちも同じことをすればいい」
報酬は買い叩かれる。だから俺は、報酬以外の全部を持ち帰る。経験を、記録を、技術を、人の繋がりを、そしてあの仕組みの内側の景色を。搾取される前提で入り、搾取される以上の価値を、向こうの気づかないところで回収し続ける。
言ってしまえば、これは相互の搾取だ。むしろ対等ですらある。
危険への備えも詰めておく。第一に、命の防衛線。危険な役割は受けるが、事前の調査と準備で死ぬ確率を自前で下げる──幸い、それは俺の本業だ。第二に、証拠の保全。報酬の精算記録、役割の指示、依頼の内容。すべて日付入りで写しを残す。使う日が来るかは分からないが、手札は多いほどいい。第三に、引き際の線。回収が頭打ちになるか、命の計算が合わなくなったら、即座に降りる。
……我ながら、まともじゃない指し手だと思う。罠と分かってる盤に、自分から座りに行くんだから。
だが、前世から俺はこういう人間だった。強い駒を引けなかったら、勝負の場そのものを攻略対象にする。配られた手札で勝てないなら、卓の仕組みごと利用する。
「紅の盾」。あんたらは俺の脅威じゃない。
──攻略対象だ。
◇
翌日の夕方、俺は酒場でニックを見つけて、告げた。
「例の話、受けます」
「お! マジで? いやー嬉しいねえ。じゃ、さっそくリーダーに──」
「その前に、一つだけ条件が」
俺は契約書の写しを広げ、報酬配分の条項を指で叩いた。
「役割の指定は受けます。危険な役割も断りません。その代わり──依頼ごとの役割と査定を、書面で残してください。俺は頭が悪いので、口約束だと忘れるんです」
ニックの笑顔が、ほんの一瞬だけ、固まった。
──そうだ、その顔が見たかった。書面にしても、お前らの仕組みは壊れない。壊れないが、記録は残る。それが将来どういう意味を持つかを、今のお前らはまだ計算しなくていい。
「……はは、真面目だねえ、亡霊さん。いいよいいよ、そのくらい。むしろちゃんとしてて助かるわ」
「では、よろしくお願いします」
差し出された手を、俺は握り返した。
こうして俺は、俺を騙すつもりのパーティーに、騙されるつもりで加入した。
手の内に、向こうの知らない札を三枚──重ねがけの秘密と、六年分の記録の写しと、そして引き際の線を引いた損得の帳面を──伏せたまま。
盤面は、ここから中盤戦だ。




