第1話 リュシアという少女
楽しんでいただければ幸いです。
石畳の冷たさが、頬に触れていた
どうして俺は、こんなところで寝ているのだろうか。
重い身体を起こし、周囲を見渡す。
そこは、粗い石を積み上げた家々に囲まれた裏路地だった。
湿った空気、薄暗い路地、知らない匂い。
少なくとも日本では簡単に拝めるような景色ではないことは分かった。
「大丈夫ですか?」
背後から声を掛けられ、俺は振り返った。
「え?」
あまりにも間抜けな声だった。
目の前に立っていたのは金髪碧眼の少女だった。
年齢は十代後半くらいだろうか、背は高めだ。
彼女はこちらを心配そうに見つめていた。
「いや、失礼。恥ずかしながら迷子になってしまったみたいで、ここがどこか教えてもらえますか?」
少し遅いが取り繕い、現状の確認をする。
「…アルヴェリア王国の王都ですけど……」
彼女は非常に不思議そうな顔で俺の質問に答えてくれた。
それは、どうしてそんなことも知らないんだろうとでも言わんばかりの表情だった。
「すいません、ちょっと地理に疎くて……。周囲の大きい国とか、有名な国とかってわかります?」
俺は続けて質問を重ねる。
彼女は不可解なことをいう人間だなと思っただろう。
けれど、彼女は、怪しむような目をしながらも、きちんと答えてくれた。
「そうですね。この国より大きい国というのであればレイネール帝国でしょうか。あまりいい印象はありませんが」
どうにも聞いたことのない地名ばかりだ。
アルヴェリア王国
レイネール帝国
少なくとも、俺の知っている地図には存在しない。
「あぁ、ありがとうございます。……つかぬことをお聞きしますが、とても日本語がお上手ですね。留学でもされてたんですか?」
そこでようやく俺は気づいた。
彼女の言葉を、俺は当然のように理解している。
そしておそらく、彼女にも俺の言葉は伝わっている。
「いえ、そのような場所に留学したことはありません」
彼女は首を横に振った。
「というより、言語の精霊が意思を汲み取り、双方にその意思を伝えているので、意思ある言葉はお互いに理解することができますよ? 現にあなたと私もできていますよね?」
常識もしらないのか、と言いたげだった。
それでも、彼女は丁寧に教えてくれた。
言語の精霊。
意思のある言葉。
その時点で確定した。
ここは俺の知る世界ではないらしい。
「あぁ、そうなんですね。いせk…田舎から出てきたもので。不勉強ですいません」
「いえ、気にしないとそういうのもあまり気になりませんもんね」
自分よりも年らしい彼女に少し同情された気がした…
「あ…」
その時、俺は非常に最悪なことに気が付いてしまった。
自分の身体を確認する。
スマホも財布もない。身分証もない。
いや、この際、スマホが使えるかどうかはあまり関係ない。
問題なのは金銭的に何もないということだ。
右も左もわからないような場所にいきなり一文無しで放り出された。
「どうかされましたか?」
「い、いえ…」
彼女の問いに、俺は何と答えればいいのかわからず、しどろもどろしていた。
「まさか……追剥にあわれたのですか?」
彼女ははっとしたように目を見開いた。
「なるほど、道理でこんなところで寝転がってたわけですか」
どうやら彼女は、少し前から俺がここにいたことを見ていたらしい。
「恥ずかしながら……」
かなりのいい人を相手に嘘を付いているようで心が痛む。
しかし、異世界から来ましたと言って誰が信じてくれようか。
「どうしよう……。一応エリゼさんに連絡したほうがいいかな」
彼女はそう呟くと、懐から薄い板のような道具を取り出した。
スマホではなかったが、似たような道具だろうか。
少なくとも単なる板ではない。彼女がそれに触れると、淡い光が表面に浮かび上がった。
電話の機能を持つものと考えていいだろう。
この世界は、見た目ほど文明レベルが低いわけではないらしい。
彼女はその板に向かって、誰かと短く言葉を交わした。
警察のような組織か、あるいは知人か。
今の俺には判断がつかなかった。
◇
「えっと、自己紹介をしていませんでしたね」
少しして連絡を終えた彼女が、改めて俺に向き直った。
「私はリュシア。ここ、王都のアルヴェリア魔法学校に通ってます。今は少し先にある古書喫茶《灯屋》で、住み込みで働いてもいます。」
そういって、彼女は小さく頭を下げた。
「俺は高嶺 総一郎。元々はゼネコン勤務の現場監督をしていたんだけど、どうにもとんでもなく遠いところまで連れ去られた……って感じかな」
俺は苦笑いを浮かべながらも、そう名乗った。
「ぜねこん?あまり聞いたことのないお仕事をされてたんですね」
「俺の国では。割とメジャーだったんですけどね。まぁ簡単に言うと建物を作る仕事ですね」
「建物を…」
「厳密には、自分で建てるわけじゃないですよ、職人さんたちが作業しやすいように整えたり、建物が完成するように予定を組んだりするのが俺の仕事って感じです」
ある程度簡単にかみ砕いて話した。
実際に、同じような職種があるとは限らないからね。
「すごいお仕事をされたんですね」
彼女は素直に感心したように言った。
「そうそう、エリゼさんに連絡したんですけど。あっ、エリゼさんというのは、灯屋の店長で、とてもやさしい人なんです。」
俺から見れば、見ず知らずの俺にここまで親切にしてくれるリュシアも相当な優しい子だと思う。
「へぇ、確か古書喫茶と言っていたけどどんな感じの本を置いてるんですか?」
雑談を装いながら、俺は少しでも情報を集めようとした。
今の俺には、この世界について何もわからない。言葉が通じるのがせめてもの救いか。
「そうですね、古い時代の本を中心においてますね。エリゼさんは考古学科卒なのでそういうのに強いんです。魔力性質的にも古い時代のものを保存するのに適していますね」
彼女は少し自慢げに教えてくれた。
魔力性質。
どうやら魔法的なものが存在する世界であることは間違いない。
そして、そのエリゼさんという人は保存に長けた能力を持つと考えるべきか。
「それで、そのエリゼさんがどうかしましたか?」
「あっそうでした、困っているようでしたら一度是非うちに来てくださいって」
「それは…助かるけどいいんです?」
「はい!大丈夫って言ってました」
リュシアはにっこりと笑い答えた。
よほど、その人のことを信用しているのが伺える。
そして、エリゼさんというひとはよほどのお人よしでもあるらしい…
「非常に助かります。ありがとうございます」
俺は彼女に深々と頭を下げ礼をした。
右も左もわからず一文無し。
この状況で、彼女の申し出は本当に有り難かった。
この世界で最初に差し伸べられた手。
俺は、それをつかむ以外に選択肢はなかった。
俺にできることは少ないから。




