第10章ー85
「はあ……はあ……はあ……サダメ……っ」
息が上がる。胸が苦しい。けれど足は止められない。マヒロに言われた瞬間、私は考えるより先に走り出していた。
走りながら、どうしてもこみ上げてくるものがあった。涙だ。必死に堪えようとするのに、視界が滲んでしまう。今は泣いている場合じゃない。分かっているのに、感情が言うことを聞いてくれない。
最初は、何が起きたのか分からなかった。
さっきまで、あの場所にはサダメとマヒロがいたはずだった。二人が並んで立っていて、敵と対峙していたはずなのに――気づいた時には、そこに立っていたのは見知らぬ吸血鬼族の魔物だけ。
サダメの姿が、消えていた。
「え……?」
理解が追いつかない。目の前の光景を、頭が受け入れようとしない。
その直後だった。
――ドンッ!!
鈍く、重い衝撃音が響いた。反射的に音のした方へ視線を向ける。
そして、見つけてしまった。
遠く離れた壁際に、サダメの姿を。
もたれかかるように倒れ込み、ぴくりとも動かないその姿を。
「っ……!」
一瞬で、全身の血の気が引いた。
頭の中に浮かんだのは、最悪の想像。
――死。
そんなはずない。そんなこと、あるわけない。そう思いたいのに、目の前の現実がそれを否定してくれない。
お願い……。
死なないで……。
祈るように、願うように、ただそれだけを繰り返しながら、私は走る。転びそうになっても、足がもつれても、それでも止まらない。
「サダメ!? サダメぇ……!」
ようやく辿り着いた瞬間、堪えていたものが決壊した。涙がぽろぽろと溢れ出して、止めることができない。
本当は、こんな顔しちゃいけない。
治療する側が泣いてどうするの。しっかりしなきゃ。そう分かっているのに、どうしても無理だった。
震える声で呼びかける。
「サダメ……ねえ、サダメ……っ」
返事は、ない。
もう一度。もう一度と、何度も名前を呼ぶけれど、反応はまったく返ってこない。
ねえ……嘘だよね?
本当に、そんなこと……ないよね?
胸の奥がぎゅっと締め付けられる。怖い。確認するのが怖い。でも、確かめなきゃ。
私は震える手で、そっとサダメの胸に耳を当てた。
――ドクン、ドクン。
聞こえた。
確かに、心臓の音が。
規則正しく、しっかりと刻まれている鼓動。弱っている様子もない。
「……よかった……」
思わず、安堵の息が漏れた。全身から力が抜けそうになる。
生きてる。
ちゃんと、生きてる。
それだけで、どれだけ救われたか分からない。
「うん。どうやら意識を失っているだけのようだね」
隣から、落ち着いた声が聞こえた。ソンジさんだ。
「といっても、後頭部を強く打ち付けているみたいだから安心は出来なさそうだね。大量に血も吐いちゃってるし」
「っ……!? そう、ですね……」
一瞬で現実に引き戻される。
そうだ。安心してる場合じゃない。吐血しているし、頭も強く打っている。下手をすれば命に関わる状態だ。
助けなきゃ。
今すぐ、私がやらなきゃ。
涙を乱暴に拭う。震えを押し殺して、意識を切り替える。
「サダメ、待っててね」
そっと手を握る。冷たくはない。その温もりに、もう一度だけ勇気をもらう。
「必ず、私が助けるから」
そう言い聞かせるように呟いて、私は深く息を吸った。
魔力を練り上げる。焦る気持ちを抑え込みながら、丁寧に、確実に。失敗は許されない。
淡い光が、手のひらから溢れ出す。
それをサダメの身体へとそっと当てながら、私は治癒魔法の詠唱を開始した。




