第3章ー⑭
「はあ…はあ…はあ…」
走る。走る。走る。
呼吸が苦しくなっていることすら意識の外へ追いやり、ただひたすら足を動かし続けた。
あれから一度も後ろを振り返っていない。
ほんの一瞬でも視線を背後へ向け、その隙に追いつかれたら──そう考えるだけで背筋が冷え、怖くて振り返れなかった。
追われていない可能性より、「追われているかもしれない」という想像の方が、何倍も恐ろしい。
「…ダメ、サダメ!? 大丈夫? そんなに走ったら息がもたないよ!」
背中から聞こえるミオの必死な声。
だが今の自分には、返事をする余裕すらなかった。
生き延びたい。ただそれだけが、思考を占めている。
──もし、ダークボルトがエイシャと同じ移動魔法を使えるなら。
走って逃げ切るのは不可能に近い。
あの時、すぐ隣に立っていたというのに、まったく気配を感じなかった。
それが意味するものを、考えないようにしても無駄だった。
ならば隠れるしかない。
草むら、岩陰、木の上、洞穴──しかし土地勘のない場所で、都合よく安全な隠れ場所など見つかるはずもない。
探している間に追いつかれれば終わりだ。
──だったら、いっそこの茂みに……
「よおっ!」
「ッ!?」
横目で茂みを確認した、ほんの一瞬。
目の前から男の声がした。
心臓が凍りつき、思わず急停止する。
まただ。足音も気配も、一切感じなかった。
先読みされたのか。
それとも──やはり瞬間移動か。
「聞いたぜ。あいつ、お前がやったんだってな?」
ダークボルトは愉快そうに笑いながら話しかけてくる。
だがこちらは、言葉を返す余裕など欠片もない。
「だっはっはっはっ! 面白れぇな、お前! 十死怪のあいつに一撃入れるとはよぉ!」
高笑い。
楽しそうな声音。
それが、逆に恐怖を煽った。
──ダメだ。こいつを見ているだけで、本能が逃げろと叫んでいる。
「ちょうど暇つぶしが欲しかったんだ。俺と一戦──」
「くっ!?」
言葉を最後まで聞く前に、身体が勝手に動いた。
横の茂みに向かい、全力で駆け出す。
「おぉい!」
──数秒後。
再び、目の前に立つ影。
息が詰まる。
振り返ると、先ほどまで生い茂っていた草木が、雷に撃たれたかのように焼け焦げ、黒い一本道を作っていた。
──これが、奴の魔法。
「今、俺から逃げようとしたよな?」
声の調子が変わった。
先ほどまでの軽薄さは消え、底知れぬ苛立ちが混じる。
「俺から逃げるってことは──逃げ切れる自信があったってことだよなぁぁぁ?」
ダークボルトの周囲に、黒い雷がバチバチと走る。
圧倒的な魔力の奔流。
肌が粟立ち、呼吸が止まりそうになる。
──こいつと戦ったら、死ぬ。
本能が、はっきりとそう告げていた。
「ミオ! 風魔法で──」
「舐めるなよ、クソガキィィィィ!!」
脱兎跳躍で後方へ跳びながら指示を出す。
だが、それより速く──
赤い槍が、腹を貫いた。




