第十二話:英雄は魔王の夢を見るか?
【プロローグ:案内人】
おや、まだお立ちにならない。結構。あなたのような熱心な観客は、大歓迎ですよ。
さて、英雄と魔王の物語、というのは、いつの時代も変わらぬ人気を博しますな。光と闇、善と悪。その対立構造は、実に分かりやすく、人々の心を掴んで離さない。英雄が魔王を討ち、世界に平和が訪れる。めでたし、めでたし。
ですがね、もし、その「英雄」という役柄そのものが、異世界から呼び寄せられた魂のために用意された、使い捨ての駒だとしたら?
もし、英雄が手にする勝利の証が、次なる絶望への招待状だとしたら?
今宵お見せするのは、一人の転生者が、自らが打ち倒したはずの悪夢そのものになる物語。勝利が敗北へと反転する、その瞬間を、とくとご覧あれ。
【本編】
1.最後の光
英雄アランの剣が、ついに魔王の心臓を貫いた。
十年。彼の人生の半分を費やした、長きにわたる旅路の終焉だった。仲間を失い、血反吐を吐き、それでも彼は、この瞬間のために全てを捧げてきた。
(やった…!やったんだ…!)
アラン――いや、かつて日本のしがない会社員だった斎藤健司は、魂の底から歓喜に打ち震えた。無意味な書類仕事と満員電車に揺られるだけだった前世。それに比べて、なんと輝かしい人生だろう。世界を救う英雄。これこそが、俺が本当に生きたかった人生だ!
断末魔の叫びもなく、魔王は静かに崩れ落ちていく。その巨体が塵と化す寸前、アランは確かに聞いた。それは、憎悪の声ではなく、まるで安堵のため息のような、か細い囁きだった。
『…やっと…帰れる…』
それは、この世界のどの言語でもない、しかし彼の魂に直接刻み込まれた、懐かしい響き。日本語だった。
アランは、その言葉の意味を深く考える余裕もなく、勝利の歓喜に身を委ねた。魔王は滅び、世界は救われたのだ。彼が握りしめる聖剣「ソウルイーター」だけが、魔王の血を吸ったかのように、不気味な紫色の光を放っていた。
2.蝕む影
王国への凱旋は、熱狂的な歓迎に包まれた。アランは、歴史に名を刻む大英雄となった。人々は彼を讃え、その功績を永遠に語り継ぐだろうと誓った。
だが、平和な日々の中で、アランは静かな異変に蝕まれていった。
まず、あの聖剣が、彼の手から離れなくなった。まるで、彼の腕と融合してしまったかのように、鞘に収めることすらできない。
そして、悪夢を見るようになった。
夢の中で、彼は魔王だった。玉座に座り、果てしない孤独と絶望の中で、世界を呪う。そして、かつての自分のような、光り輝く瞳をした英雄が、自分を殺しにやってくるのを、ただ待っている。
だが、その夢はそれだけでは終わらなかった。殺されるたびに、彼の脳裏には、見知らぬ「記憶」が流れ込んでくるのだ。
――放課後の教室の匂い。コンビニの明かり。鳴り響く踏切の警報音。それは、彼が捨てたはずの、日本の風景だった。
彼の容姿も、少しずつ変わり始めていた。肌は血の気を失い、瞳の奥に、時折、赤黒い光が宿る。仲間たちが彼を祝おうと開いた宴の席でも、彼は誰とも目を合わせず、ただ黙って酒を呷るだけだった。彼の心は、説明のつかない焦燥感と、ある場所への抗いがたい渇望に支配されつつあった。
魔王城。あの、忌まわしい玉座へ。
3.玉座の呪い
ある満月の夜、アランは、まるで夢遊病者のように、一人、魔王城へと向かっていた。抗おうとしても、体が言うことを聞かない。聖剣が、彼の意志を乗っ取るかのように、彼を城の奥へ、奥へと導いていく。
そして、彼はたどり着いた。
静まり返った、玉座の間に。
そこにある、巨大で禍々しい玉座。かつては憎悪の対象でしかなかったそれが、今、彼を呼んでいた。『おかえり』と。
聖剣に引きずられるように、彼は一歩、また一歩と玉座に近づく。そして、抗うことのできない力によって、その冷たい石の座に、深く腰掛けさせられた。
その瞬間、激痛と共に、彼の体は変貌を始めた。
背からは歪んだ翼が突き出し、額からは捻じれた角が生える。彼がまとっていた英雄の鎧は、溶けたように形を変え、魔王のそれと同じ、絶望を象ったかのような漆黒の鎧と化した。
そして、彼の脳内に、真実が流れ込んできた。
それは、彼が倒した魔王の記憶。そのまた前の魔王の記憶。さらにその前の…。連綿と続く、絶望の系譜。
彼らは皆、英雄だった。
そして、彼らは皆、アランと同じ、日本からの転生者だった。
「魔王」とは、邪悪な個体ではない。
世界に「英雄」という光を生み出し続けるために、必ず存在しなければならない「影」。その役割を、異世界に憧れる転生者から転生者へと、聖剣をバトンにして受け継がせる、呪われたシステムそのものだったのだ 。
4.英雄は魔王の夢を見る
アランの意識は、呪いの奥底へと沈んでいく。
彼はもう、英雄アランではない。名もなき、新たなる魔王。世界に魔物を放ち、人々に恐怖を与え、次なる「日本の若者」が英雄として転生してくるための、「舞台装置」となるための、ただの装置。
彼の英雄としての伝説は、歴史からゆっくりと消去されていく。人々は、英雄アランが魔王を討った後、謎の失踪を遂げたと語り継ぐだけ。そして、間もなく現れた新たな魔王の恐怖に、彼の記憶など、すぐに忘れ去られていくだろう。
どれほどの時が流れただろうか。
何十年か、あるいは何百年か。
ある日、玉座の間の重い扉が、轟音と共に開かれた。
そこに立っていたのは、若く、希望に満ちた瞳を持つ、一人の少年。その手には、新たに鍛えられたであろう、白銀の聖剣が握られている。
「見つけたぞ、魔王!今日こそ、貴様の悪逆に終止符を打つ!」
若き英雄の、正義に満ちた声が響く。
アランは、その姿に、かつての自分を重ねていた。叫びたかった。『やめろ』と。『その剣を捨てて逃げろ』と。『お前も、私と同じになるぞ』と。
だが、呪われた彼の口から漏れ出たのは、彼の意志とは裏腹の、低く、地を這うような声だった。
『…来たか。次の…『日本人』…』
絶望の連鎖は、また、ここから始まる。
英雄は、魔王を倒し、そして、魔王の夢を見るのだ。永遠に。
【エピローグ:案内人】
…いかがでしたかな?
英雄の存在を保証するのは、絶対的な悪の存在。そして、そのどちらの役も、異世界に夢見る愚かで愛おしい魂たちに演じさせる。実に、よくできたシステムだとは思いませんか?
彼がかつて救った世界は、今、彼を討つべき悪として断罪する。これ以上の悲劇が、そして喜劇が、ありましょうか。
さあ、この重苦しい感傷も、次が最後です。
回転木馬が、最後の周回へと入ります。どうか、最後までお付き合いください。
またすぐにお会いしましょう。この、歪んだ運命の博覧会で。