24話 ~私刑~
港区の路地裏に30人ほどの男が密集している。
「おいテメエよくのこのこと戻ってきやがったな!」
取り囲む男たちの中の額の広い長髪パーマの男が金属バットを地面に叩きつけると、甲高い音が路地裏に響いた。倫理に近いところにいる者たちは残虐な笑い顔をして、離れたところにいる者たちは晴れ上がった顔で怒りに満ちた表情をしている。
「何者だお前ら」
「ぶっ潰してやる!ぶっ殺してやるよぉおおおおお!!」
「全く会話にならない。どうやら義務教育もまともに受けていないようだな」
溜息をつく倫理を見て男たちは激高して次々と吼える。
「よくこの人数に囲まれてそんな口が利けるもんだな!本当は足震えてんだろ?」
取り囲む列の後方にいるカマキリのような顔をした背の低いのリーゼントの男が言った。
「震える?全くだ無いな、自分でも驚くくらいに落ち着いている。前までなら体が強張って興奮していたはずなんだ。向こうで化物とやり合ったことで精神的な経験値も積んでいるようだ、実に喜ばしいことだ、嬉しいよ」
「何言ってんだてめぇ、どっかおかしいんじゃねぇのか?」
「俺はまともだ。なかなか理解されないけどな」
倫理は笑った。
おかしい。倫理を取り囲む男たちの中のいくらかはカマキリリーゼントと同じことを考えていた。大体で見積もっても人数差は1対30。普通の人間ならばこういう時に必ず震える、怯える。逃げたり命乞いをしたりするのが普通だ。虚勢を張っているようには見えない、この状況で正面から向き合って震えない人間などいるはずがないのだ。
「なにか勝算があるってのかよ」
「考えもしなかったな、なるほど、勝算か」
おかしそうに笑う男を見てカマキリリーゼントの背筋が寒くなった。
そして今ここにきて頭の中に大きな警報音が鳴り響いた。子供のころからカマキリリーゼント(はじめ)がピンチの時になると、いつも頭の中の警報器は鳴る。ただ、残念なことになぜかいつも遅いのだ。本当のピンチのほんの少しだけ直前に知らせるから前もって逃げるということが出来ないという欠点を持っているのだ。
「わりぃな!加瀬、望、俺は逃げるぜ!危険信号発令だーーー!」
素早いターン。言うが早いカマキリリーゼントはあっという間に大通りの方へ逃げ出した。
「待ってよはじめ!なんでひとりで逃げるんだよーー!」
「危険信号!?うわーーーーーーー!」
細身で長身の男と太った男がそれに続いて逃げ出した。
「随分と勘の良い奴らだな、逃げ足が速い。逃がすつもりは無かったんだけどまあいいか、あいつ等どう見てもやる気が無さそうだったから多分金に釣られて来ただけなんだろうからな」
呆れたように、少し感心したように倫理が言う。
「お前たちも逃げるのか?今ならまだ見逃してやるかもしれないが?」
「あんな臆病者と一緒にするんじゃねぇ!仕事もしねえで逃げ出すような馬鹿には後でたっぷり分からせてやる!ここは俺たちの縄張りだ、逃げれば済むなんて変なこと考えるんじゃねえぞ!」
他の者たちの顔を見ながら叫ぶ。
「本能にしたがっておけばいいものを」
「テメェのせいでな!道夫は腰の骨を折っちまっていま病院で手術してんだよ!その恨みをな、たっぷりと晴らしてやるぜ!どうだビビっただろ!え!?」
今度は髪をオールバックにして、裸の上半身に「男」と言う刺青の入った男が叫ぶ。
「なんということだ」
「はっ!ようやく自分がしでかしたことの大きさに気付いたか」
「人様に迷惑をかけるんじゃない」
「は?」
「なぜ病院になんか行くんだ、たかだか腰の骨が折れたくらいでだ。医療従事者はもともと過酷な現場であるのに感染症のせいでさらに激務になっているのだ。それに報道によると最近は薬が不足していて四苦八苦しているとも聞く。それをお前らごとき屑が迷惑をかけるとは何事だ!あってはならないことだ!」
周囲をに顔を向けて全員に均等に声が届くようにして演説する。
「お前たち屑は死んだとしても喜ぶ人間はいても悲しむ人間など一人もいないんだ。失敗作なんだ。人間の命を救うという尊い仕事に日々勤しんでいる方々の手を煩わせるな」
「テんんんんんメェ!何調子こいてんだよ!ええ!?死なない程度に痛めつけてやれとは言われてたけど少しは手加減してやろうと思ってたんだよ、そんな俺のやさしさをテメェは裏切りやがった!全身の骨をな!粉々に砕いてやるよ!ええ?!聞いてんのかテメェ!」
「臭い息を撒き散らすな」
静まり返る路地裏。
「いい度胸だ殺してやるよこの野郎!」
鼻で笑われた男が距離を二歩詰めて倫理の左腕上腕辺りを狙って角材を振りかぶった。
「か、かっか、かかか……」
角材は獲物に到達することなくカランという乾いた音を立ててアスファルトの上に転がり落ちた。振りかぶっている途中にはもうすでに男の鼻の下、人中のあたりに赤い皮膚をした掌底が叩き込まれていた。
「かかかか………」
上顎は砕け大量の鼻血と共に前歯が地面にばらばらと音を立てて落ちて男の膝も落ちた。
「手加減成功だな」
ゆっくりと右手を引いてまた仁王立ちへと体を戻す。
「さあ、どこからでもかかってきたらいい」
指揮者のように両手を大きく広げ挑発的な表情を浮かべる。
「さあどうした、後ろから来てもいいんだぞ?」
「くんにゃろーーー!!」
まるで誘導されたかのように倫理の真後ろの細長い顔をした坊主頭の顔が金属バットを振り上げた。
「がぽぽぽぽぽぽ………」
倫理が放った裏拳は振り下ろされた金属バットとぶつかってから坊主の男の顔に直撃した。結果的に男の顔には金属バットによってできたものと倫理の拳によってできた2つの窪みができていて、泡を吹きながらその場に崩れ落ちた。
「疑問なんだが………」
句の字に曲がってしまった金属バットをゆっくりと拾い上げる。
「なぜ一斉にかかってこないんだ?俺ならそうする、それが一番可能性が高いと思うのだが?」
それを聞いてもなお男たちは取り囲んだまま動かない。動いたらやられる。取り囲む男たちの脳にははっきりとそう刻み込まれていた。顎を砕かれ頭蓋骨が凹んでいるのを目の前で見てしまっている。
倫理には分からない。この場にいるものの中に決死の覚悟を持ったものなどいない。絶対に勝てる、余裕で勝てる、そう思いながら集まっている。負けるかもしれない、怪我をするかもしれないなどとは誰も思っていない。
彼らにとって武器とは人を攻撃するためにあるのではない。脅すためにあるのだ。武器を使って人をけがさせることが怖い、殺すことが怖い、刑務所に行くことが怖い。これが生きるか死ぬかの戦いだと覚悟を決めているのはこの港区の路地裏にはほとんどいない。
「武器を奪われるなんて最もやってはいけないことだな」
倫理は笑う。
「お前たちは知らないだろうが世の中には「撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ」という素晴らしい名言があるのだ。お前たちには理解できないだろうが教えてやるが、この場合は俺がお前たちをこの金属バットで殴っても良いという意味になる」
足を引きずる音がして倫理を取り囲む人の輪が遠くなる。そして笑い顔だった若者たちの顔は驚き、恐怖、で真顔となって脂汗を浮かべ始める。1対30。自分たちの絶対的勝利を疑わなかったはずだ。気軽に集まった者もいる。
「さあ、やろうか。上手く手加減できるかどうか分からない。なにせ向こうとこっちとでは体の使い方が違いすぎて戸惑っているんだ」
倫理によって金色の金属バットがゆったりと上げられるのを皆が催眠術にでもかかったかのように見ている。ブンッという鋭い音がして振り下ろされた金属バットは倫理が持つ手を中心としてぐにゃりと大きく曲がっていた。
「なんだ、曲がったのを戻そうと思ったんだけどな、さらに曲がってしまったよ。残念だな。金属バットと言うのは思いのほか脆いな」
ブーメランのような速度でバットは飛んで、固まっていた数人を巻き込んで4人の骨を砕いた後で建物に当たって甲高い音を立てて落ちた。
倫理の姿が消えて走り出した男の骨盤の辺りにサイドキックを命中させた。
「自分たちから始めたのだから責任はきちんと取らないといけないな。不利になったから逃げるなんてことは許されないことだ」
逆エビ状態で痙攣する男のそばにはサバイバルナイフが転がっている。
「覚悟が必要なんだ、さっき教えただろう。」
爆音と青い光。
「あ、あああ………」
逃げだしたドレッドヘアの男の鼻と右足の甲が焼失した。
「お前たちみたいな奴らは大嫌いなんだ………学校で習っただろ?弱い者いじめは止めなさいって。けどね俺はそうは思わないな。だってここは天国じゃないんだ」
夕闇のビルの間に車の音と足音と倫理の声が響く。
「お前たちみたいな屑は虐めて虐めて虐めまくって自分のした愚かさをしっかりとわからせてやることが大事なんだ。そうしなければ頭の悪い屑共は必ず次の犠牲者を作り出す。許されないことだ。優しい心を持った弱い人間が、お前たち屑に虐げられることなどあってはならないんだ。だから俺が教えてやる、お前らみたいな奴らにも分かるように教えてやる」
身体強化を使った踏み込みは目に負えないほどの速度を生み出し一瞬で距離を詰める。恐怖に顔が歪んでいるの脇腹に右フックは突き刺さり、骨は砕け、骨は内臓を傷つける。
「安心しろよ、できるだけ殺さないように気を付けてやるからさ。お前たちが考えたことと同じだよ、痛めつけてやるだけで勘弁してやるよ。上手くできるかどうかは分からないけどな」
倫理は跳ぶ。
血の水音、骨が砕ける音。
落雷。
叫び、苦悶、嗚咽。
戦いとも呼べないほどの一方的な暴力の音が港区の路上に響いた。
月は三日月だった。




