22話 ~約束と別れ~
驚いた表情の倫理さんとエンカ。
「ちょっと何言ってるのユウキ、貴方今とんでもないことを言っているのよ?」
食べかけの月聖花を床に投げ捨てて飛び掛かってきた。エンカの驚く気持ちはもちろんわかる、けれど僕はその言葉を言わずにはいられなかった。
「わかってるよ」
吊り上がった目で下から睨みつけてくる愛しい妹にできるかぎり優しく言う。
「わかってないわよ!」
「んぎゃっ!」
右腕に鋭い痛み。
「なにしてんのエンカ離してよ!」
いきなり腕に噛みついてきた妹の頭を掴んで押す。こんなことをするのは子供の時以来だ。エンカは怒ったり機嫌が悪くなると僕の手足に噛みつくという謎の習性があるのだ。
「んんんんーーー!」
「強い、強いってば!」
首がくの字になるくらい頭を押してようやく離れた。
「痛ったいなぁ」
袖をまくり上げて見ると歯形が綺麗についていた。
「ほら見てよこんなに跡になってる」
「そのくらい当たり前よ!」
「何が当たり前なんだよひどいなぁ、なんで急にこんなことをするのさ」
ふーふー息を吹きかけながら自然と嘆きの言葉が出てしまった。けれどこれを見る限りエンカの体調が戻ってきているのは間違いないと思う。普通の病人ならここまで積空強く噛みつくことは出来ないはずだ。どうやら最近噛みついてこなかったのは成長したからでは無くて噛みつくほどの体力がなくなっていたからなんだと知る。
「急にじゃない!」
「んぎゃーーー!」
今度は指に噛みついてきた。中指からゴリゴリゴリと言う音がする、さらには頭を振り始めた。ヤバい、骨ごと食いちぎられるかもしれない。
「痛い!痛いってば!落ち着いて、落ち着いてよ」
反対の手で頭を押して何とか引き剥がす。本当に野良猫くらいに素早い身のこなしで、うかつに近寄るとまた噛まれそうだ。
「私がどれだけ苦しかったか分かる?目が覚めたら枕元に小さなメモだけがあってユウキがいなくて!私がどれだけ不安だったか、寂しかったか、私のことなんか置いてユウキはどこかに行ってしまったんじゃないかって本当に心細かった!」
涙があふれている。
「ごめん」
エンカの体を包み込んで謝る。その体はあまりにも細くて骨が当たってとても女の子の体とは思えない。驚くほど高い体温と鳴く声の振動が僕の体に響いてきて申しわけなさで心がいっぱいになる。
エンカには月聖花を採りに行くなんて言えなかった。その判断はいまでも間違ってはいなかったと思う。けれど月聖花ですべてが解決すると思い込んで、自分自身で全部背負ってしまった僕はエンカの気持ちをないがしろにしていたのかもしれないと思う。
「エンカごめん………んぎゃーーーーー!!」
許してくれるかもしれない、そう思った瞬間に愛しい妹が首元にかぶりついていた。
「ふぐーーーー!ごごずごごずごごじでだぐーーーーー!」
「首の筋がメキメキメキって言ってるよ!本当にやめてよエンカ!本当に痛いって!」
今度はどんなに引っ張ってもエンカの顔はビクともしない。しかも自分の腕の力で自分の首の肉を引き千切ろうとする形になってしまってものすごく痛い。
「まあまあまあ落ち着いたらどうだい。ユウキは君のために命をかけて月聖花を採りに行ったんだからね」
倫理さんの声はすごく優しかった。
「え?」
真っ直ぐに僕を見るエンカの目が美しい。エンカの黒目は普通の人と違って色素が薄くてまるで光に輝いている青い宝石みたいに見えて僕は大好きなのだ。
「もう隠しておく必要は無いだろう。ちゃんと説明してやったらどうだ?それならきっと君のことが大好きな妹も納得してくれるんじゃないか?」
あまりにも優しい声の言うままに僕はすべてを話すことにした。みんなにさんざん反対されたけどひとりで月聖花を採りに言ったこと。そこで倫理さんと出会ったこと。食人アフライが現れたこと。人間を食べて魔法の力で奴隷化していたこと。倫理さんが食人アフライを白い光で倒したこと。そこから月聖花が生えてきたこと。
全部話した。
「なんで、どうして教えてくれなかったの?」
僕の胸板を泣きながら叩くエンカが美しい瞳で言う。
「心配を掛けたくなかった。それにもうそれしか手段は無いと思っていた」
僕は自分の思っていることを話す。
「祈るだけじゃ神様は救ってくれない、だからやるしかないって」
いつの間にか自分が泣いていることに気が付いた。
「奇跡は絶対にあると信じてた。頑張ればちゃんと神様は見てくれているはずだって信じてた」
嬉しい。
エンカがこんなにも元気になってくれて嬉しい。体はまだ骨張っているけどこれだけ元気なんだからきっとすぐに肉が付いてくるはずだ。そうすればふたりで一緒に出掛けることだってできるし、一緒に料理することだってできる、一緒に布団を干すことだってできるし、お祭りに行くことだってできるはずだ。
「僕一人じゃ食人アフライを倒すことは出来なかった。逃げることは出来たかもしれないけどそれ以上はできなかったと思う。本当なら僕はあそこで死んで、死ぬことすらできずにあいつの奴隷になっていたんだと思う」
優しい目で僕たちを見ている倫理さんを見る。
「だから僕は恩返しがしたいんです。今こうしていられるのは倫理さんのお陰です。だから僕は倫理さんの役に立ちたい。倫理さんがルシファーを倒したいと言うなら僕も力になりたいんです」
「ユウキ、君はまだ子供だ。いくらなんでも子供にそんなことをさせるわけにはいかない。気持ちはすごく嬉しいけどね」
「それなら大人になったらいいんですね?」
「ん?」
「それなら大人になるまでは何もしません。けど時間が経って大人になったら僕にも手伝わせてください。それなら大丈夫ですよね?」
「なかなか賢いんだねユウキは」
倫理さんの苦笑い。初めて見たかもしれない。
「けどさっきまで名前を言うこともできないくらいにルシファーを恐れていたじゃないか。俺はそんな恐ろしい悪魔を倒そうとしているんだ。それに実際問題できるかどうかは全く分からないんだ。あの時見たあいつはとても太刀打ちできるような強さじゃなかった。あの時俺を半殺しにしたのだってあいつからしてみればただの癇癪で闘いにもなっていなかったはずだ。俺が言っているのは無謀極まりない事なんだよ」
「倫理さんなら絶対にできます、だから協力させてください」
「何を言っても聞きそうにない目をしているね」
僕は倫理さんの答えを肯定だと捉えた。
「私も一緒にやる」
エンカが言う。
「もうひとりは嫌、ひとりは寂しい。ひとりでいる世界なんて意味がない。ユウキがいない世界なんて生きていてもつまらない。だから………」
エンカが僕の手を握った。
「なんでもします。だから僕にも手伝わせてください」
倫理さんの手を握る。
「ああ、頼むよ」
その瞬間、足元に白い光の魔方陣が一瞬にして浮かび上がった。
「ええ!?なにこれ!何が起きているの!?これって魔方陣だよ。魔方陣って言ったら魔法使いが地面に書いて魔法を発動しやすくするために書くやつだよ。何にもしてないのになんでこうなるの?!」
「わからない、こんなの分かるわけないよ。倫理さんはどう思いますか?こうなったのは手を繋いでからですよね。もしかして一旦手を放したほうがいいんですかね?」
「全く分からない」
「落ち着きすぎです、少しは慌ててくださいよ倫理さん」
「ねえちょっと見てよユウキ!」
エンカの声が大きい。
「ほら見てよなんか体にも魔方陣が浮き上がってきているんだけど!なんか青白い文字が光ってる、光ったり消えたりしてる!これはさすがに危ないよ!」
驚いたことに確かにその通りだった。服をまくって見ると体にも浮き出ているのが分かる。
「これは駄目だ!直ちに何とかしなくては!」
倫理さんの驚く声に心臓が跳ね上がる。
「どうしましょう、もしかしたら体が爆発したりとか」
「えぇええ!?爆発!?なんでそんなことになるのよ」
「思い出したんだよ。魔方陣を掻くのを失敗すると爆発して近くにいる魔法使いは体がバラバラになるっていう話を」
「なんでそんなこと思い出すのよ!」
「そんなこと言われても思い出しちゃったものはしょうがないじゃないか。ちょっと待ってよ、もしかして擦れば消えたりとか………はしないね」
「当たり前じゃない。砂場のお絵描きじゃないのよ、こんなときに変な冗談言わないでよ」
冗談のつもりは全く無かったんだけど。
「どうしましょうか倫理さん」
こうなったら頼れるのは倫理さんしかいない。青白い魔法文字がチカチカ光っているのは爆発柄のカウントダウンかもしれないという気がしてくる。倫理さんなら、もしかして何か分かるかもしれない。
「こんなに光っていたら夜は寝にくいな」
「へ?」
「アイマスクを買ったほうがいいかもしれないな」
期待していたのとは全く違う言葉にユウキは硬直した。
「冗談だ」
初めて聞く倫理さんの冗談だった。なぜ今このタイミングで、と思う。
「まあ、そこまで焦らなくても大丈夫じゃないか?俺自身はとても心地がいい。体の中に柔らかい温かさのかたまりみたいなものがあって風呂上りにマッサージを受けているような気分だ」
全く焦っていない倫理さんを見ると心が落ち着いてくる。
「確かになんだかすごく温かくて柔らかくて気分はいいですけど。でも大丈夫なんでしょうか?」
「大丈夫も何もできることは何もなさそうだ。それなら大人しく待っていようじゃないか」
「そ、そうか、そうですね」
「ねえ、本当にそれでいいの?」
心配そうではあるがエンカも倫理さんに引っ張られるように落ち着いてきている。
「良くないような気もするけど倫理さんが言う通りどうしようもないし」
「それより喉が渇いたな。紅茶か何かないか?」
「すいません、うちにはそんな高級なものはないんです。毎日を暮らしていくので精一杯で」
「それならしょうがないか」
「お水ならありますけど………」
エンカが申し訳なさそうに言う。
「それなら水を貰おうか」
「わかりましたぁあああああああぁああ!?」
「いきなり何よ!こんなに近くでそんな大声出さないでよ!」
「倫理さん、倫理さんの体、なんだか透けてますよ!」
「ん?」
広げたての指が消えていた。
「ちょっと待って。これってこの体に浮き出てる魔方陣のせいなの?」
「でも僕たちの指は消えてないよ」
「あれ、本当だ。なんでだろう?」
倫理さんが2度ジャンプした。
「ありえない事が起こっているな。膝の下まで透けてなくなっているのにジャンプはできるし茶駆使した時の音も聞こえる。どういう原理なんだ一体」
「そんな他人事みたいな………」
「しかしどうすることもできない。痛くも痒くもなく、ただ体が透けていく。何のしようもないじゃないか」
「それは、そうですけど」
「多分俺はこのままこの世界から消えるな」
「ええ!?そんな!せっかく会ったのに、約束したばかりなのに!行かないでくださいよ!」
掴んだ手がすり抜けた。
「あ………」
「大丈夫だユウキ。俺はきっと戻って来る。なんとなくわかるんだ、これは恐らくなんかの魔法だろう。そして多分だが俺の魔法だろう」
「倫理さんの魔法?」
「そうだ。あの時に無意識に兵舎を破壊したように、この魔法も俺はうまくコントロールできていないんだと思う」
「?」
「戻って来る」
当たり前みたいな顔をして言う。
「俺はきっと戻って来るぞユウキ」
「信じて待っていていいんですよね?」
「もちろんだ。俺にはまだやり残したことがあるんだからな」
「それなら待ってます、信じて待ってます」
消えていく。
手が、足が、体が、消えていく。
「力を付けるんだユウキ。お前が協力してくれると言ってくれた時俺は嬉しかったんだ。だからお前を、お前たち兄妹を死なせたくない。わかるな?」
「はい」
「だから俺が戻ってくるまでに力を付けておけ、いざ戻ってき倒れがルシファーの所に殴り込みに行くといきなり言い出してもいいようにちゃんと力を付けておいてくれ。いいな?」
「わかりました、約束します」
「よし、いい返事だ」
首まで消えてしまって残りは顔だけになる。
「それじゃあなユウキ、また会おう」
倫理さんは完全に消えてしまった。




