19.モブ令嬢と分岐点7
あぁ、よかった。シルヴィは心底安心して、ほっと胸を撫で下ろした。どうやら、魔女長にもシルヴィの演技は通用したらしい。
「はて? あやつは、何を言っとるんじゃ?」
「何でしょう? 分かりませんわ」
「はぁ!?」
「愛し人の子が持っとるのは、美しい空色の液体が入った瓶じゃぞ?」
「は?」
魔女長の目が点になる。そんな訳がないと、そう訴えてくる瞳に、シルヴィは尚も無害そうに眉尻を下げてみせた。心底困ったように。
「あら、いやだわ。間違えて持ってきてしまったみたい。どうしましょう」
「間違ってしもうたのか?」
《そんなわけないだろ》
「……どっちじゃ」
「ふふっ、どっちだったかしら」
一変してコロコロと笑うシルヴィの後ろに、父であるアミファンス伯爵がちらつき、場が凍る。特に、国王から話を散々聞かされていたフレデリクの表情といったら。
アミファンス伯爵家にとって、称賛も功績も過度なものは必要がない。何事もほどほどでいいのだ。厄介な連中が「何とも運のいいことだ」と鼻で笑ってくれれば僥倖。
などということをアミファンス伯爵が言っていたと、国王はほとほと呆れていた。「運もあいつの手の内である癖になぁ」と。
現に知らなければ、ラーミウと同じ反応になるであろう。それほどまでに、先程のシルヴィの困り顔は完璧であった。
「むぅ……。意地悪せんでくれ」
「そんなつもりはなかったのですが。勿論、はじめから“透き通るような晴天の空色”であることは知っていましたよ」
《だろうね》
「えぇ!? 嘘を吐いたのですか!? どうして!?」
「えぇ? そんな人を極悪人みたいに……」
「やめないか、ジャ――あぁ、いや、ガイラン公爵令嬢。少し考えれば、分かることだろう」
「分かりかねますわ!! わたくし達にまで、嘘を吐くなんて!!」
《相変わらず面倒だな》
フレデリクは、返事こそしなかったものの。ルノーの言葉を肯定するような溜息をこぼす。そういえばフレデリクとジャスミーヌは、それほど仲が良い訳ではなかった。
「ま~ま~、ジャスミーヌ様。ほら~、よく言うじゃない?」
「あぁ、騙すのなら味方からと!」
「納得できません!!」
「ん~、強情~」
「ディディエ卿!!」
「姉がご迷惑をおかけして、誠に申し訳ありません」
深々と謝罪したディディエは、暗にどうすることも出来ませんと言っている。それに、リルもロラも遠くを見るような目になる。
「ヤベー女だな」
「イヴォン、そういう言い方はよくないと俺は思う」
「惚れてんですか?」
「イヴォン!!」
「うわ、ウルセッ!」
こんな状況でも一応はフォローを試みようとする辺り、トリスタンはやはり満更でもないのだろうか。イヴォンの問いには、肯定とも否定ともとれる表情をしているので、何とも言えない。
「う~ん、ほら、あれですよ」
「どれですの!?」
「だって、追いかけて来られると困るじゃないですか」
「そ、れは……」
「そうでしょう?」
シルヴィの正論に、ジャスミーヌは急に口ごもる。魔女長の様子からして、シルヴィの持ってきた空色の液体こそが解毒薬であることは確かなようであるし。
「うぅううぅう……っ!! ムカつくムカつくムカつく!!」
魔女長は呻くようにそう言うと、髪を掻き乱す。真白なベールも綺麗な髪飾りも、無造作に放り投げながら。
纏められていた白銀の長い髪が、乱れて重力に従い落ちる。髪を下ろした魔女長の顔を真正面から改めて見て、シルヴィは見覚えがあることに気づいた。
揺れた真っ白な制服のスカート、散らばる図書館の本。うっとりと熱を帯びた彼女の瞳を冷ややかに見ていたのは、そうだ、ルノーだった。
「あぁあっ! 図書館でルノーくんにぶつかってた魔法科の人!!」
目の前の人物と記憶が結び付き、想定よりも大きな声がシルヴィの口から出る。それに、魔女長にいっていた全員の視線がシルヴィへと戻ってきた。
シルヴィは伯爵令嬢らしく、はしたなかったかもしれないと口を指先で隠す。失敗を隠したい子どもが助けを求めるように、上目遣いでルノーを見上げた。
《ぶつかった……? そんなことがあっただろうか》
「まぁ、そうだよね。私が一年生の時の事だからなぁ……。一応、ルノーくんが風魔法で助けてたよ」
《覚えていない》
「そっかぁ」
じゃあ、仕方がないね。続けるとしたらそんな言葉であろうか。いつものやり取りをいつも通りの調子で繰り広げるシルヴィとルノーに、周りは突っ込んでいいものかと困り顔だ。
「なんっで覚えてないのよ!! 態々ぶつかったのに!!」
「態とだったか……」
「いっそ清々しくなってきたかも~」
「なりませんわよ」
「ん~、確かに? 計算高い女っていうのは、成功してこそそう言うのであって~。ものの見事に失敗してるから、清々しいというよりかは、可哀想にって感じかも~?」
「シルヴィ嬢の天然タラシ具合を計算で再現出来たら、それはもう賞を貰えるだろうな」
「それな~」
「絶対に無理ですわよ」
「それ過ぎる~」
ロラとリルはバッドエンドなど、シルヴィが無事に戻ってきた時点で、もはや無理ゲーだと判断したらしい。
シルヴィの手には、解毒薬。隣には、魔王と精霊王。どう考えても大団円ハッピーエンドルートに突入している。
ヒロインとしての責務からくる緊張が解けたのと、魔女長に言いたいことは一通り言った満足感で、ピリピリとした空気はなくなりいつも通りの緩い雰囲気に戻っていた。
「いやよ。イヤイヤイヤイヤッ!! 絶対に嫌!! 幸せになるのは、私なんだから!!」
まるで、駄々を捏ねる幼子だ。今にも泣き出しそうに表情を歪めた魔女長を見て、シルヴィの怒りはすっかりと消えてしまった。だって、ルノーは彼女を覚えてすらいなかったのだから。
恋とは難儀なものである。ちょっとしたことで、一喜一憂して。無駄に心配をして。嫉妬をしては怒り。いつものように、“まぁ、気にしないけれど”などと、受け流せない。
しかし、不思議と悪い感情ではないのだ。ルノーを想ってのことだからだろうか。それとも、これこそがアミファンス伯爵家の真髄に迫る第一歩なのかもしれない。
「あぁ、なるほど。奇跡なんだなぁ」
そんなシルヴィの静かな呟きは、背後の城が更に崩れた音によって掻き消された。それにシルヴィは、ハッと我に返る。
城内にはまだ、アレクシとマリユスだけではない。沢山の魔女達も残っているのだ。
“何でも言いなさい”
“叶えてやろう”
“次は何を望む?”
そんなラーミウの言葉が次々と浮かんだシルヴィは、迷いなくラーミウを見上げた。ここで頼るべきは、ラーミウなのだと。
「ラーミウ様にお願いがあります!」
「よし!! 何でも願いなさい!!」
「城内に私と同じ格好をした男性が二人。アレクシ様とマリユス様と言います。この場所に転移をお願いします。あと、出来れば魔女達も何とか外に出せませんか?」
「あぁ、よいぞ。その優しさが心地好い」
ラーミウは、うっとりと目尻を下げる。心の底から、愛おしげにシルヴィを見つめた。しかしそれは、ルノーやファリードがシルヴィに向けるものとは、明らかに毛色が違っていた。
「アレクシとマリユスの二人は、この場所じゃな。他の魔女達は……。ふむ、魔王に倣って海にでも落とすとしよう」
「えぇ……? ルノーくん、そんなことしたの?」
《城が崩れた時にね。下にいたのを適当に転移させたのは、事実だ》
「あぁ、人死にを出してないってそういう」
《偉いだろう?》
「うん、とても」
ここは甘やかすのかと、フレデリクは何とも言えない顔になる。しかし城内の様子を知っているシルヴィとしては、とても偉いねに着地する他の選択肢は存在しなかった。
海に落とされたらしい魔女の姿は見られなかったのだから。魔女長の禁忌の術が及ぶ範囲は、そこまで広くはないのかもしれない。ならば島外の海に落としたのは、偶然だったとしても褒められて然るべきである。
あぁ、そうか。運でさえも読み切れとはよく言ったものだ。こういう運も最初から頭の片隅には入れておけと、そういうことだろう。手札として浮上した時、迷う間もなく切れるように。
《というか、精霊王がそれでいいの?》
「何の事かよう分からんが、精霊は基本的に愛し人の子以外は、どーでもよいのじゃよ」
《あぁ、そういう》
「わしの案で、異論なかろう? な?」
「はい、お任せします」
「この! わしが! 任された!」
精霊王は、意気揚々と転移魔法で姿を消す。ルノーのそれよりも豪華なキラキラエフェクトが舞った。登場の時といい、派手なのが好きなのだろうか。
《無駄に派手だな》
「やっぱり、そうなんだ」
ルノーの何処か呆れたような声音に、シルヴィは苦笑する。しかしラーミウがやると可愛いので、このままでもいいのではと思ったが、何となくシルヴィは口に出すのをやめておいた。




