6話
「え?」
今までより低い、少しかすれ気味の所謂ハスキーボイスと呼ばれる声。
貴女の行った行動や発言は挨拶とは呼べないものだという指摘も忘れ、私はその声で呼ばれた自分の名前に囚われてしまったような不思議な感覚から立ち直ることができない。
貴族令嬢とのしての体裁を忘れ、ぼーっと先輩を見つめていると、先輩はにっこりと微笑み、もう一度私の名前を呼ぶ。
名前を呼ばれるたびに、むず痒い感覚が皮膚の上をなでる。
ゾワゾワといていて、先輩が喋るたびに体から力が抜けてしまいそうで、お腹に力を入れていないと膝をついてしまいそうな不思議な感覚。
頑張れ私。負けるな私。耐えろ私。
よくわからないけど、こんな所で崩れ落ちたら我が家の醜聞が広まるだけだ。
「凄い顔だね。大丈夫?」
裏がありそうなにっこり笑顔で楽しそうに喋っていながら、私を心配するならここからさっさと立ち去って欲しい。
「急にごめんね。本当に、君と話しをしたかっただけなんだ。あ、向こうも満足したみたいだよ」
先ほどまで集中して見ていた場所を示されたので、その先輩に背中を向けることに不安を感じつつ、義姉の方向へ視線を戻すと、義姉に群がっていたお姉様方は満足したようなドヤ顔と雰囲気を振り撒きながら、身の程を知ることね!という、捨て台詞を吐きながら高笑いしつつ、楽しそうに去って行った。
渦中の義姉は叩かれた拍子に転んでしまったのか、ぺたんと尻餅をついた状態で俯いててその表情はわからない…。けれどあれは相当怖かったに違いないわ。
微動だにしない義姉に手を貸そうと歩き始めた瞬間、背後の妖しさ満点の先輩が手首を掴む。
「そのまま見ててご覧。面白いものが見れるから」
面白いもの…。
この状態でそういうことが言える先輩に不快感が増していくばかりだ。
そもそも初対面の女の子に許可なく触れてくるし、がっちり掴むだなんて。痕が残ったらどうしてくれるのよ。
私が先輩への警戒心を高めているうちに、座っていた義姉は何事も無かったように立ち上がると、制服についていた砂や草を何でも無いかのように払い落としていく。
その姿に、怯えや悲しみといった雰囲気は感じられず、先程まで虐められていた人って言われてもとても信じられないと思う。
目の前でばっちり見ていた私でさえも、さっきのは夢だったのではないかと疑う程に、何も無かったような雰囲気なのだ。
一般的にはもっと放心したように座りっぱなしとか、こぼれる涙を拭っている仕草や、嗚咽みたいなのが聞こえてきたり、悔しいって怒りのようなものがあったりするものだと思っていた。
目の前にいるのはあの、未知なる生物の義姉なのだ。
脳内お花畑状態の、夢の中に住んでいるのではないかと、お母様と共に恐怖すら覚えた、あの義姉ならもっと悲しみなどの感情を全面に出してくるものではないのだろうか。
思ってもみなかった状態に、声をかけるべきか悩んでいる私の背後からのんきな声が義姉を呼ぶ。
「やぁ、ライナ。今日も嫌がらせされてるなんて、本当に人気者だね。」
その声に私達に初めて気づいた様子の義姉だったが、声の主を確認すると小さくため息をつきながら私の方へと歩いてくる。
「あんなの嫌がらせにもならないわ。子供の暇潰しよ、毎回同じ内容でそれしか言えないのかしらね、ホント頭悪い人達。というか、なんでマリアーナと一緒にいるの?その娘はちゃんとしたお嬢様なんだから、アンタの遊び相手には向かないわよ。」
え、誰…。
「挨拶に来ただけだよ。遊びだなんて失礼なこと言わないでくれるかな。」
「挨拶、ねぇ。」
知り合いのような謎の先輩と義姉の、意味深な会話に挟まれてるいる私。
なにこれ。まだがっつり腕を捕まれてて逃げ出すことも出来ず、だらだらの気持ち悪い冷や汗が滝のようだ。気持ち悪い。
「マリアーナ、そんなのと関わったら将来が台無しよ。我が身が可愛いなら今すぐ離れることをオススメするわ。」
義姉の台詞に壊れた人形のように何度も深く頷き、試行錯誤しながら腕を離してもらおうとするのだが…なかなかうまくいかない。
力任せに何度も振り回しているが、離してもらえたと思ったら、反対の腕を捕まれ、そちらをどうにかできたら次は肩を、そこをどうにかしたと思ったら腰を…と何だか密着度が上がってきて怖い。
「離してください…。」
「どうしようかな~。」
勇気を振り絞ってお願いしても、とても楽しそうな笑顔で、ニヤニヤとした笑顔のままそう言われるばかりでなかなかに進展しない。
やはりこの先輩は性格が悪いのだろう。近づきたくない。関わりたくない。
「いい加減に離しなさいよ。マリアーナに何かしたら容赦しないわよ。まぁ、アンタも流石に貴族のお嬢様をどうこうするほど馬鹿だとは思っていないけど。」
「さて、どうだろうね。」
「そーいう所、本当に腹が立つわ。」
「そういうなって。俺はお前のこと嫌いじゃないよ。」
「アンタなんかに好かれたくないわ。さっさと行ったら?もうマリアーナに関わらないでくれるならうれしいわね。」
「それは無理かな。仲良くなれるのを楽しみにしてるんだ。絶対に関わるよ。」
「ホント、最悪よね。」
義姉と二人だけにわかる会話を楽しむと、気持ち悪い先輩はそれじゃと言ってあっさりと去って行った。
そうして残された疑問だらけで思考が纏まらない私と、機嫌が悪そうな空気を出している義姉の二人のみ。とってもきまづいことこの上なし。
「マリアーナ。ちょっと顔貸してもらえる?」
「…はい。」
ついてきて。そういう義姉にどうして逆らえようか。