出社初日と社会の洗礼
その日は野宿して、翌日俺は朝六時きっかりに会社に向かった。
会社の前に行くと、社長が仁王立ちしていた。
「遅い」
小さく舌打ちをして社長はそう言った。
「えっ、時間通りですよ」
「十分前に来るのが常識でしょ。はぁ、アンタ社会舐めてんの?」
「……すんません」
早速社会人の洗礼を受ける俺。昨日のくだりで分かってはいたけど、全然アットホームじゃねぇ。
そう言えばこの春から働き出した高校の先輩も「会社に時間通りに行くとめっちゃ怒られるんだよ。お前もいつか働く時は気をつけろよ……」とか言ってたっけ。異世界でも十分前行動は必須なんだって先輩に伝えてあげたい。
ちなみにその先輩もブラック企業で働いている。当時はよく分からなかったけど、今なら先輩の気持ちがよく分かる。先輩も辛かったんだな……。
シュンとしている俺に、社長は何かを手渡してくる。
「じゃあ午前中でこれ全部読んどいて。午後からアンタの教育担当紹介するから」
「でもこれって」
渡されたのは、数百ページはあろうずしりと重い本。
その表紙には『モンスター製造基礎』と書かれていた。
「これを午後までにですか?」
「決まってるじゃない。こっちは一から全部説明している余裕はないの。最低限の知識くらいは自分で吸収しておきなさい」
研修無いのかよ。労働時間も長ければ研修もない。社長もめちゃくちゃ威圧的だ。既にブラック企業倍満くらいはありそうだ。
会長の言っていた『経験は問わず』とは何だったんだ……。
「返事は?」
「はい!」
社長の威圧的な言葉に思わず肯定の返事をしてしまう。
いや無理だって。こんなの半日で読み終えられる量じゃないよ、なんて言える空気じゃない。
「まだアンタの席は無いから取り敢えず応接室で読んでなさい。午後までに用意しとくから」
「マジっすか」
「……返事は?」
「はい……」
獣耳幼女のくせになんたる威圧感。これが肩書きの重みか。
社屋に入り、入口近くにある応接室に連れて行かれる。
「じゃ、昼頃になったら来るからそれまでに最低でも基礎的なことくらいは覚えておくこと。いい?」
「分かりました……」
そう言って社長はバタンとドアを閉めて去って行ってしまった。
俺は半ば泣きそうになりながらも、昨日社長が蹴りまくったせいでヘコんでいる応接室の椅子に座り、『モンスター製造基礎』と書かれている本を開いた。
「やるしかねぇ、か」
座学は正直あまり得意じゃないけど、もうそんなことは言っていられない。
社長が戻って来るまでにせめて半分くらいは読んでおかないと。
ぺらぺらとページをめくると見開きいっぱいにびっしりと書かれた文字が飛び込んでくる。うう、睡魔が……。
というかこれ全部日本語だよな。最初から疑問に思ってたけどそこら辺どうなってるのよ。言葉も通じているみたいだし、ここ異世界じゃないのかよ。まぁ異世界の言語で書かれているよりはまだマシだけどさ。
いかん。そんなこと考えてる場合じゃない。
とにかく今はこの本を読まないと。
睡魔と戦いながら、俺は『モンスター製造基礎』を読み進めていく。
「魔道回路と人工外装ねぇ」
人工モンスターの構造はおおざっぱにその二つの部分に分けられる。
コアである『魔道回路』と、モンスターを形作っている『人工外装』。
魔道回路にはダンジョンから採れる希少な『魔道鉱石』が必要で、その魔道鉱石に特定の魔法を込めることで動作を設定することができる。
人工外装はダンジョン外で採れる素材を使っているが、強度を上げるためにはダンジョンのモンスターを狩猟した際にドロップする希少アイテムや特殊な金属が必要だとか。
そのため、モンスター製造をするにはダンジョン探索が必要不可欠らしい。
……ここらへんまではなんとなく理解できた。本当になんとなくだ。
魔道回路って要はロボットとかのCPU的な感じだろ? あんまり電気系には詳しくないけどそんな認識であってるでしょ。
人工外装はそのままの通りだしね。魔王軍の後ろについてきていたキメラとかも、一見して普通のモンスターっぽいけどあのガワも全部作られたものなのだ。
うんうん。元の世界のものに置き換えればいける!
だが、ここからが地獄だった(以下読み飛ばし可)。
魔道回路作製の際に必要な魔道鉱石の種類とその特性。現在発見されている魔道鉱石の各種異なる魔法記憶原理から、魔法入力方法と魔道鉱石の組み合わせで出来るモンスターの行動パターン。魔道鉱石の加工によるその特性の変化と適切な加工方法。ダンジョン毎に採れる魔道鉱石の違いと、時期によるその変遷。最古の魔道回路から現在の魔道回路に至るまでの改良の歴史。魔道回路に適応する外装金属の種類と組み合わせと、不良発生原因とそれぞれの対処方法。性能担保試験の手法一覧に、魔道回路の検査項目。他にも色々、エトセトラ、エトセトラ。
ちなみにこれは章のタイトルとか副題を読み上げただけで、正直なところ何を書かれているのか全く分かっていない。
大枠まではまだ何とか理解できる。だけど詳細となってくると理解できない。
そりゃそうだ。基礎知識もない今の俺に分かるはずがない。
まだまだ魔道回路の章は大量に残っているし、人工外装の章も後に控えている。
これ本当に『モンスター製造基礎』なの!?
絶対基礎じゃないでしょ。
半日じゃまず無理。というかこんなの一ヶ月あっても理解できる気がしねぇ!
だがやらなくちゃいけないのだ。
そうしないと社長に何を言われるか分かったもんじゃない。
なに、いくら難しく見えようがこれは所詮基礎だ。最初から順に、しっかり読みこめば絶対に理解できるはず。
昔苦手だった物理だって、定理を一個一個覚えていったらなんとかテストの点を取れるようになったし。俺はやればできる子なんだ。
パチンと顔を叩いて気合いを入れる。
よし、やる! 俺はやるぞ! やってやるです!
……
「初日早々に寝るなんていい度胸ね」
「はっ!」
気付いたら社長が目の前で腕を組んで見下ろしていた。
さっきの本を十分の一ほど読んだところで俺の記憶は途切れている。
恐らくその辺で意識を保てなくなって寝てしまったのだ。
「ちょっと様子を見に来てみたらこの有様。アンタ本当にやる気あるの?」
「返す言葉もありません……」
だって難しすぎるんだもん。俺からしたら頑張った方だよ。
なんて言い訳できるはずもなく、俺はただひたすら頭を下げる。
社長の冷ややかな視線が痛い。
「はぁ……。まぁいいわ。こっちもアンタが最初から全部できるなんて思ってないし」
「はは、それならよかったです」
「全く良くないわよ。アンタは深く反省しなさい」
どっちだよ……。
「今からアンタの教育担当に会いに行くからついてきなさい」
「分かりました」
これ以上何かを言っても絶対怒られるだけなので俺はおとなしく社長について行くことにする。
前途多難だけど、こんな感じで俺の出社一日目は始まった。




