第四話 もう少し付き合おう
ワンダが男たちの前へ立つと、二人の冒険者は目に見えて動きを止めた。
「何だよ、あんた」
片方が強がる。けれど、さっきまで僕の手首をつかんでいた手は、もう離れていた。ワンダは答えない。ただ、二人を見ている。その場の空気が、すっと冷えた。
――殺気。
剣を抜くでもなく、声を荒らげるでもない。それなのに、ワンダから放たれる威圧に、男たちの顔色が変わっていく。彼らは一度だけ視線を交わし、剣と槍に手をかけることもなく、じりじりと後ずさった。
「お、覚えてろよっ……」
最後にそう言い捨て、二人は逃げるように広場を離れていった。
ワンダは追いかけなかった。低級の魔物を追い払うために、無駄な労力を使う必要はない。上澄みの冒険者なら、強い殺気をぶつけるだけで、相手に人間の脅威を刻み込み、退かせることができる。……あの二人を魔物扱いするのは、少し失礼かもしれないけれど。
僕はワンダの背中を見つめた。一年経っても、まるで鈍っていない。それどころか、間合いの取り方も、相手を退かせる気配の出し方も、以前より洗練されているように感じる。努力家の彼のことだ。きっとこの一年も、休まず腕を磨き続けてきたのだろう。
「怪我はないか?」
ワンダが振り返る。
「ないよ。大丈夫だ」
「手首は?」
「何ともない」
本当は、まだ少しだけ痛む。でも、それを口にするのは何となく悔しかった。
「怖かったか?」
「まさか。あんな連中、僕の敵じゃない」
胸を張って答える。前の身体なら、その言葉に嘘はなかった。今の身体では、さっきあっさりと手首を取られたばかりだけれど。
ワンダは僕の強がりを見抜いたのか、見抜かなかったのか、短く言った。
「そうか」
それだけだった。
山賊に助けられたときにも感じた、胸の奥が落ち着かなくなるような感覚が、また湧いてくる。心配してもらえたのが嬉しいのか。いや、そんなことはない。僕は勇者だ。誰かに気遣われることに、いちいち動揺するはずがない。
「それで」
ワンダが続けた。
「どうして、あんな場所を服も着ずに歩いていたんだ?」
やはり聞かれるか。僕は曖昧に微笑んだ。
「それは……少し説明が難しいというか」
正直に話してもいいはずだった。
僕は死んだこと。転生の石が砕けて、この姿で目を覚ましたこと。前世の記憶を持ったまま、少女として生まれ変わったこと。ワンダなら、信じてくれるだろう。
僕たちだけが知っている幼い頃の思い出を話せば、きっと本人だと気づく。誰にも話したことのないことを、いくつも知っている。彼なら、僕の言葉を簡単には笑わない。
なのに、言いたくなかった。この姿で転生したことを、ワンダに知られるのが嫌だった。理由は分からない。彼の目に映る僕が変わってしまう気がするのか、それとも、今の僕をどう思うのか確かめるのが怖いのか。
「……記憶が曖昧なんだ。気づいたら森にいて、自分のこともよく分からない」
口から出たのは、そんな嘘だった。ワンダは少しだけ目を細めた。勘の鋭い彼なら、嘘だと見抜いたかもしれない。
「そうか」
けれど、彼はそれ以上何も聞かなかった。
僕はほっとしたような、少し残念なような、変な気分になった。ワンダは広場の端に目をやり、それから僕へ視線を戻した。
「本当なら、俺はこの町で君と別れるつもりだった」
「そうなのかい?」
「賞金首を役所へ引き渡したら、次の仕事に向かう予定だった。でも、山賊に襲われて、今度はあいつらに絡まれた君を見たらな……一人にしておくのは危なっかしい」
「僕はそんなに頼りなく見える?」
「ああ」
即答だった。
「もう少し否定してくれてもいいだろう」
「無理に慰めるのは得意じゃない」
ワンダは少し間を置いてから尋ねた。
「保護者や、頼れる人はいるのか?」
質問の口調はまっすぐだった。けれど、すぐに彼は付け足す。
「答えられる範囲でいい。答えたくないなら、そう言ってくれ」
少し強めで、それでも無理に聞き出す気はない。昔から、ワンダはそういう優しさを持っていた。
幼馴染として、僕は何度もその優しさを受け取ってきた。けれど今は、見知らぬ少女として、彼に気遣われている。そのことを意識すると、全身がくすぐったくなるような感覚に包まれた。胸の奥が妙に温かい。手首をつかまれたときの恐怖とは、まるで違う落ち着かなさだ。
「いないよ。記憶が曖昧だから、家族がいるのかどうかも分からない」
僕はまた嘘をついた。
ワンダは僕の顔をしばらく見た。やはり、見抜かれているのかもしれない。それでも彼は、問い詰めなかった。
「そうか」
短い返事のあと、彼は疲れたように息を吐く。
「仕方ない。もう少し付き合おう」
「いいのかい?」
「君を一人にして、不幸な厄介ごとに巻き込まれたと聞くのは気分が悪い。行く当てが決まるまでは、俺と一緒にいろ」
「ありがとう」
自然と声が柔らかくなった。
ワンダは「礼を言われることじゃない」とでも言いたげに、わずかに肩をすくめた。この姿で彼の隣を歩くのは、まだ少し不思議だった。
正体を明かせば、きっと彼は僕だと信じる。そう分かっているのに、僕は記憶喪失の少女を演じることを選んだ。どうして知られたくないのかは、まだ分からない。ただ、彼が「もう少し付き合おう」と言ってくれたことが、思った以上に嬉しかった。
「さて、まずは食事だな。君は何か食べたのか?」
「まだだよ。今日は何も食べていない」
「なら、店を探そう」
ワンダが歩き出す。
僕は外套の襟元を整え、彼の隣へ並んだ。これは護衛だ。正体を隠したまま町を歩くために、彼の同行は合理的な判断にすぎない。胸の奥のくすぐったさも、きっとその安心感から来るものだ。
そう自分に言い聞かせながら、僕はワンダの横顔を見上げた。




