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第十五話 平和になった、そのあとで

「だから、てめえに言ってんだよ!」

 ベンチに座っていると、突如として、怒号が朝の通りに響いた。


 僕は顔を上げた。建物の角を曲がった先、店の軒先に男たちが集まっている。その間から、小柄な人影が見えた。少女だ。頭の上には、獣の耳がある。男の一人が一歩詰めると、その耳がぴくりと動いた。少女は下がらず、相手を見上げている。けれど、周りを囲まれていては、立ち去ることも難しそうだった。


 僕は立ち上がった。

「助けに――」


「待て」

 踏み出す前に、ワンダが僕の前へ腕を出した。


「俺が行く」


「僕も行くよ」

 ワンダは僕を見た。何も言わなかった。言わなくても分かった。昨日の僕の戦績は、山賊に負け、冒険者にも負け、ついでにワンダを照れさせることにも失敗している。最後の一件は今、関係ない。


「……分かったよ」


「ニアとここにいろ」

 彼は僕たち二人へ目を向け、短くうなずいた。それから、男たちのほうへ歩いていった。僕は浮かせた腰を、もう一度ベンチへ戻した。頭では分かっている。今の僕が勢いだけで飛び込めば、助ける相手が一人増えるかもしれない。実に面白くない事実だった。


「ワンダさん……」

 隣で、ニアが小さく呟いた。膝の上で手を握り、彼の背中を目で追っている。


「大丈夫だよ」

 僕は言った。


「ワンダは強いから」


「でも、あんなに何人も」


「数だけの話なら、問題ないよ」

 男たちは、いかにも冒険者らしい格好だった。腰に武器を下げ、肩や胸を革で覆っている。そろって恰幅がよく、ワンダより年上に見えた。ただ、大きいことと強いことは、必ずしも同じではない。


 僕など、以前よりずっと小さくなったというのに――。いや、今の僕は普通に弱かった。この例えはやめよう。


「レイリーンさんは、怖くないんですか?」


「僕が?」


「ワンダさん、剣も抜かないで近づいていくから」


「いきなり抜いたら、それこそ騒ぎになるだろう?」


「それは、そうですけど……」

 ワンダが男たちのそばで足を止めた。何か話しかけている。声はここまでは届かないが、男の一人が不機嫌そうに振り返るのが見えた。ニアの肩が、わずかに強張った。僕はもう一度、彼女に言った。


「大丈夫。あいつは、ああ見えて器用なんだ」


「ああ見えて?」


「力任せに剣を振るうしかできなさそうな顔だけど」


「そんなこと、ないです」

 返事が早かった。僕はニアを見た。ニアは真剣な顔で、ワンダを見ていた。そうか。それはないのか。……別に、そこまで即座に否定しなくてもいいのに。


 僕は少しだけ唇を尖らせ、囲まれている少女へ視線を戻した。獣人だった。人間の耳がある場所には耳がなく、代わりに頭部から獣のような耳が生えている。鋭い爪と牙を持ち、身体能力も人間より高い。一方で、人間やエルフのような魔法への適性は持たない。


 かつては、その違いを理由に差別されることも多かった。今では以前ほどではないとはいえ、誰もが気にしなくなったわけではない。少女は動きやすそうな装備を身につけ、武器も持っていた。彼女も冒険者なのだろう。


 何を揉めているのかは分からない。獣人だから絡まれているのか、別の事情があるのか。それは、まだ決めつけないほうがよさそうだった。ただし、男たちが何人もで取り囲み、怒鳴りつけているのは事実だ。朝から、ずいぶん元気なことである。……昨日の連中も、元気だったな。そこで、ふと疑問が湧いた。


「ねえ、ニア」


「はい?」


「この町は、いつもこうなのかい?」


「こう、というと?」


「冒険者が道端で怒鳴っていたり、人の断りを聞かなかったり」

 ニアが僕のほうを見た。


「昨日も、何かあったんですか?」


「ちょっとね。噴水広場で、しつこく声をかけられたんだ」


「大丈夫だったんですか?」


「ワンダが来たから、何ともなかったよ」

 昨日から、この説明ができる機会は多い。何かあった。ワンダが来た。助かった。僕の冒険譚が、ずいぶん簡潔になってしまった。ニアは心配そうに眉を下げた。


「嫌な思いをしましたね」


「まあ、少しは。でも、不思議だなと思って」

 僕は通りを見回した。


 磨かれた店の窓。きれいに並べられた商品。軒先を掃く店員と、荷車から品物を下ろす商人。大きな店もあれば、小さくても手入れの行き届いた店もある。道は歩きやすく、昨夜泊まった宿も、ずいぶん上等だった。人々の顔に、暮らしへ追い詰められたような険しさはない。少なくとも、町全体が荒れているようには見えなかった。


「治安が悪そうな町じゃないだろう。なのに、冒険者に絡まれることが続くからさ」

 ニアは少し考え、男たちへ目を向けた。


「たぶん、よそから来た方たちだと思います」


「見覚えがない?」


「はい。最近、知らない冒険者の方が増えたんです。お店にも、よくいらっしゃって」

 酒場で働いていれば、町の人間の顔は自然と覚えるのだろう。僕はうなずいた。


「何かあるのかい?」


「この町の近くで、ダンジョンが発生したそうなんです」


「……ダンジョンか」

 それなら、少し話が見えてくる。


 ダンジョン。何らかのきっかけで、この世界と魔界の間につながりが生まれ、二つが混ざり合った結果、できてしまう魔物の巣だ。魔物が集まり、周辺にも危険が及ぶ。放っておいて喜ぶのは、少なくとも町で普通に暮らしている人間ではない。当然、魔物を狩る冒険者の出番になる。


「それで、人が集まっているのか」


「ええ。仕事があるって聞いて、来た方も多いみたいです」


「店は繁盛するだろうね」


「はい。でも、忙しくなると、お酒を飲んで喧嘩をする方もいて……」

 ニアは言葉を濁した。


「ワンダさんが来る日は、少し安心します」

 僕は彼女の横顔を見た。


「用心棒もしているの?」


「いえ。でも、騒ぎになりそうなとき、声をかけてくれるので」


「なるほど」

 食事をしに来ただけで、料理を食べ、店の騒ぎを止め、ウェイトレスから慕われる。あの男は、一回の外食で何をどこまで済ませているんだ。


 僕は気を取り直した。今はワンダの話ではない。いや、目の前で仲裁しているのはワンダなのだけれど。


「ダンジョンは、大きいのかい?」


「そこまでは。私、冒険者の仕事には詳しくなくて」


「そっか。無理に思い出さなくていいよ」


「すみません」


「謝ることじゃない。僕も、最近のことは知らないから」

 一年。僕が知らない間にも、世界は変わっている。魔王が死に、以前より平和になった。ワンダは、そう言っていた。


 魔物がすべて消えたわけではない。それでも、魔界の力が弱まり、こちらの世界へ及ぶ影響が減っているのだとしたら。ダンジョンの発生も、以前より少なくなっているのかもしれない。それは、喜ばしいことだ。町も街道も安全になる。魔物に襲われて泣く人間も減る。ただ、魔物を狩って暮らしている者にとっては。


「……仕事が減るのか」


「え?」

 ニアが聞き返した。


「魔物が減れば、それを倒す仕事も減るだろう?」


「そうですね」


「新しくダンジョンができたと聞けば、そこへ集まる人も増える。ほかに仕事がなければ、なおさらだ」

 僕は男たちを見た。


 もちろん、あの連中がどういう事情でこの町へ来たのかまでは知らない。ただ、今の話を聞く限りでは、そう考えてもおかしくない気がした。昔ならあちこちにあった仕事を、今は限られた場所で取り合う。平和になったからこそ、困る人間もいるのだ。


「魔物が減るのは、いいことですよね?」

 ニアが、確かめるように言った。


「もちろん」

 僕はすぐに答えた。


「減らなくていいなんてことはないよ。ただ、困り方が変わるんだなと思って」

 彼女は少し黙り、それからうなずいた。


「お店でも、仕事が少ないって話している方はいました」


「そうか」


「でも、皆さんが怖い方というわけじゃないんです。料理をおいしいって喜んでくださったり、帰りにお礼を言ってくださったり」


「分かっているよ」

 僕は小さく笑った。


「冒険者がみんな、あんな様子だったら困る。ワンダだって、冒険者だろう?」

 ニアの表情が、少し和らいだ。


「そうですね」


「僕の知っている中では、かなりまともなほうだよ。言葉の選び方には、改善の余地があるけれど」


「ふふ。レイリーンさんには、遠慮がないんですね」


「ありすぎても困るけど、なさすぎるのも考えものだね」

 汗臭いとか、獣でもできるとか。あの言葉については、いずれ改めて話し合いたい。


 建物の角で、男の声がまた少し大きくなった。ニアがそちらへ顔を向ける。ワンダは、少女と男たちの間に立っていた。剣には手をかけず、相手の話を聞いている。僕はその背中を見ながら、息を吐いた。


 魔王を倒せば、みんな喜ぶ。それで、ひとまずめでたしだと思っていた。間違ってはいなかったはずだ。僕たちが戦ったことにも、助けた人たちの笑顔にも、後悔はない。それでも、そのあとには、そのあとの暮らしがある。剣で魔物を倒すだけでは、どうにもならないことが。


 ……僕自身、剣一本で食べていけなくなって、今朝から途方に暮れていたところだった。急に、他人事ではなくなった。


「レイリーンさん?」


「いや。世界は、なかなか難しいなと思ってね」

 ニアが少し首を傾げた。僕は肩をすくめ、男たちへ視線を戻した。


「でも、仕事が少ないことと、女の子を囲んで怒鳴ることは別の話だ」


「……はい」


「そこのところは、難しくないと思うんだけどね」

 ニアはうなずいた。僕も、ようやく同じ気持ちで、彼女とワンダを見守った。

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