第1話
剣撃の勢いを完全に受け止める。
がきんッと、木剣にあるまじき音のわりに、おっさんの身体はその場からわずかも動いていなかった、自然、笑みが浮かんだ。
ーーそう、来なくては……
男は形の整ったくちびるを歓喜に歪めて、二打目を振るうために距離を置こうとした、……刹那、おっさんが動いた。距離が詰まる。男にはわからなかった、おっさんが急に消えたと思った。男の視界がふたたび彼と、彼の剣を捉えたときには、もうすべてが終わっていた。……最後まで、男だけがそれに気づかないままに、静かに訓練場の空気が凪いだ。
誰かが枯れた喉を潤すため飲み込んだ唾液の嚥下音すら聴こえる。
「……ここまでかな」
深い声がそこに落ち、……時が動き出した。
トビアスは名の知れた剣士だった。
地元でもだったが、王都に出てきてからもそれは変わらなくて、でも決して自分の腕に驕ったり溺れたりはしていないと思っていた。……多少、鼻につく態度を咎められはすれど、だいたいは彼の人柄にすぐに絆されるかたちですぐ、声を潜める。生意気は若者の特権だと、なんなら可愛がられることすらあった。
生き方はまだ定まっていなかったが、次第になにかしらの使命や運命に身を投じられるのではと、特有の選民感や万能感も抱いていた。
悪人ではない、善人でもない、聖人や勇者などには成り得ない、だが彼はそれなりを謳歌して、満足と幸福の中にいる、……つもりだった。
そのひとと出会ったのは酒場だった。
どこにでもいそうなおっさん、ちょっとお人好しそうで抜けている、タチの悪いのに絡まれていて、ほっときゃいいと言われたが助けた。
「よかったらお礼に一杯」
……一瞬だけナンパかとも思ってしまった。自分の容姿が魅力的なことはわかっていたから、でも話せばたんに他人に飢えているだけの寂しい中年男性だと察せられて、哀れみからそれに応じた。
わりと話が上手くて、なんだか気分よくふたりでぐいぐい飲んで、周囲もそれを煽った。……そして誰かが言ったのだ。
「おっさん、あんた剣士か」
自分が賛美されることには慣れきっていて、うんざりしているところさえあった。おっさんはどうだろうかと思えば、たいした腕ではないと話をそらそうとする。まわりが面白がっているのが手に取るようにわかって、ほんのりと気分が下がった。窘めると矛先がこちらに来た。苦虫でも噛んだような、嫌な感じが胸に広がる。目立ちたいわけじゃないとか、この場で俺を引き合いにだして玩具にするなとか、いろいろな言葉を飲み込んだ。
「手合わせがしたい」
気づけば、ぽつりと零していて、自覚はあった、八つ当たりの憂さ晴らしだ。
向こうはなんなら肉体の衰えを自覚している年齢だろう、腕にも自信がないらしい、謙虚なのか卑屈なのか事実なのか、でもトビアスには彼の衣服の下にある腕や足がごく自然に醸し出す屈強さを感じ取っていた。……本当かどうか確かめたいと、自分から思ったのは、はじめてだった。
頭を下げて頼むとおっさんはあっさり折れたが、今夜は無理だと明日に持ち越しになった。取り巻きがはやし立てた、逃げるなよ!と、叫ぶ声がした。
翌朝、おっさんは約束通り訓練所にあらわれた。
挨拶もそこそこに、軽く運動をしてお互いに身体を慣らす。おっさんの動きにぎこちなさはなく、すべてが端的で適当だった。
……何回も、下手すれば何十何百何千と、同じことを重ねてきた動きだとすぐにわかった、手足の爪、髪の一本の先まですら、己のすべてを操作しきっていると錯覚しそうになる、そんな動作。
木剣を手に馴染ませる様を見て、トビアスはこのときまではまだ思っていた、……五分五分だろうか、なんて、本気だった。
そして撃ち合った。
勝敗が決して、……何もかもが壊れた。




