#024『真っ赤なりんご飴』《Primer Gray》
お盆になると、神社の境内で開かれていた盆踊りを思い出します。
私の地元はやぐらを組んだ上で、お兄さんが太鼓を叩く盆踊りで、いつかやぐらの上で太鼓を叩いてやるんだと、幼心に決意していました。その夢は叶わなかったのですが、いまでも祭囃子が聞こえてくると、ふらふらと吸い寄せられていきます。
24作目となる本作は、夏の終わりの空気感を詰め込んだ、女子中学生ふたりの少し甘酸っぱい青春短編です。祭りの夜の雰囲気を、二人と一緒に楽しんでいただけたら幸いです。
『真っ赤なりんご飴』
むせ返るような夏の夜気の中、焦げたソースと青のりの香ばしい匂いが、神社の境内に立ち込めている。
頭上には赤々と連なる提灯の明かり。それらが行き交う人々の熱気と混ざり合い、日常とは違う特別な空間を作り出していた。
夏祭りである。
日本人にとって、祭りは単なる季節の催しではない。それは、息の詰まるような単調な日常の連続に突如として開かれる、非日常への扉だ。
腹の底を震わせる和太鼓の響きと、夜の闇を焦がすような熱気は、理屈ではなく感覚として人々の心を浮き立たせ、狂騒と郷愁の入り混じった特別な夜へと誘っていく。
「んっ、熱っ! 葉月、これ熱々だよ」
「当たり前じゃん。屋台のおじさん、鉄板から直接舟によそってくれたんだから。ほら、はふはふして食べようよ」
竹串に刺した《《たこ焼き》》を口に運び、目を白黒させている柳原凛の横顔を見て、佐藤葉月はカラカラと笑った。
先月で部活動を引退したばかりの二人にとって、中学校生活最後の夏祭りは、秋から本格化する受験への微かな焦りを一時的に忘れさせてくれる、魔法のような引力があった。制服でも部活のジャージでもなく、お互いに少しだけ背伸びをした私服で並んで歩くこの時間が、葉月にはとても心地よかった。
凛の華奢な指先には、つい先ほど屋台で釣り上げたばかりの水ヨーヨーが揺れている。透明なガラス玉のような青色に、白い波模様が入った小さな水風船。それは凛が歩幅を合わせるたびに、ちゃぷちゃぷと涼しげな音を立てていた。
「でも、ヨーヨー釣り、凛のほうが上手かったな。私、紙縒りを一瞬で切っちゃったし……」
「葉月は力が強すぎるんだよ。こういうのは、もっと力を抜いて、そーっと引かないと」
「ひどいなあ。私、そんなにバカ力じゃないよ」
「ごめんごめん」
ふふふと笑う凛の顔は、提灯の柔らかな光を受けてひときわ穏やかに見えた。
葉月は残りのたこ焼きを頬張りながら、そんな親友の様子を横目で見て、ほっと息をつく。最近、生徒会の引継ぎ資料の作成などで、凛は少し根を詰めているようだったからだ。
その時だった。
「待てー!」
「あはは! 捕まるかよ!」
けたたましい笑い声と共に、人混みの隙間を縫うようにして、三人の小学生が猛スピードで駆け抜けてきた。鬼ごっこに夢中になっている彼らの目は、前を歩く大人たちの姿を捉えていない。
先頭を走っていた男の子が、すれ違いざまに砂利に足を取られ、体勢を崩して真っ直ぐ凛に向かって突っ込んできた。
「あっ——」
ドン、という鈍い衝撃音がした。
男の子が凛の腰のあたりにまともに衝突する。華奢な凛は、その衝撃を受け止めきれず、小さな悲鳴を上げて後ろへ大きくよろめいた。砂利にサンダルを取られ、支えを失った体が地面へと倒れ込む。
「えっ、あ、……!」
倒れ込む瞬間、凛の指先からゴムの輪がすっぽりと抜け落ちた。青い水ヨーヨーが、地面へと落下する。そして、体勢を立て直そうと無意識に、けれどあまりに不格好に踏み出されたサンダルの底が、落ちたばかりのその水風船を正確に踏み抜いてしまった。
パンッ!
花火の音にも似た、しかしもっと湿り気を帯びた小気味よい破裂音が足元で鳴った。色鮮やかな青いゴムの表面張力が限界を迎え、弾け飛んだのだ。内側に閉じ込められていた生ぬるい水が重力から解放されて、バシャリと砂利の上に散乱する。飛び散った冷たい水しぶきが、葉月と凛の素足にパシャリと跳ね返った。
「凛!」
葉月の身体は、衝突の音がした瞬間に動いていた。
凛にぶつかり、その反動で今度は反対側へ転びそうになっていた小学生の男の子の背中を、葉月は空いた右手を伸ばしてポンと柔らかく受け止めた。バネのようなしなやかな筋力が、男の子の勢いを完全に殺す。そのまま男の子を支えつつ、視線は地面に尻餅をついている凛へと向けられた。
一瞬前まで凛の指先で涼しげな音を立てていた美しい球体は、あっという間に無残に引き裂かれたただのゴムの切れ端へと成り果て、湿った土に力なくへばりついている。周囲の喧騒だけが、嘘のようにそのまま流れ続けていた。
「あっ……!」
葉月に支えられた小学生の男の子が、弾けた水風船と、地面に座り込んでいる凛を見て顔を青ざめさせた。
汗の匂いと、微かに混じる土ぼこりの匂い。彼の中で「悪いことをしてしまった」というパニックが膨らみ、大きな瞳が揺れている。
「ご、ごめんなさい……っ! 俺、前見てなくて……!」
泣き出しそうな声で男の子が頭を下げる。その後ろでは、一緒に鬼ごっこをしていた二人の友達も、バツの悪そうな顔をして立ち尽くしていた。
凛は膝の砂を払いながら、ゆっくりと立ち上がった。サンダルを履いた足元の水溜まりを踏む音が、パチャと鳴る。
「ううん、大丈夫だよ」
凛は少しだけ身をかがめ、男の子の目線に合わせるようにして、ふわりと柔らかい微笑みを浮かべた。
「私がよろけて、自分で踏んじゃっただけだから。きみたちのせいじゃないよ」
「でも……」
「大丈夫。気にしないで」
その声は、いつも通りの穏やかで優しい、耳に心地の良いトーンだった。
男の子は恐る恐る凛の顔を見上げ、彼女が本当に怒っていないことを確かめると、ほっとしたように息を吐き出した。
「ほんとに……? ごめんなさい」
「うん。人がいっぱいいるから、走ったら危ないよ。気をつけて遊んでね」
凛が優しく手を振ると、小学生たちは「はーい!」と元気よく返事をし、再び人混みの奥へと駆け出していった。彼らの小さな背中が遠ざかり、お囃子の音と人々のざわめきが、再び二人の間を埋めるように流れ込んでくる。
葉月は、その一部始終を静かに見つめていた。
(……凛の昔からの悪い癖だ)
心の中で小さく呟く。
たしかに、最終的に水風船を踏み割ってしまったのは凛自身の足だ。けれど、そもそもの原因は突っ込んできた小学生たちにある。普通なら「もう、気をつけてよ」と少しばかり小言を言っても許される場面だ。
だが、凛は絶対にそれをしない。他人が罪悪感を抱えたり、空気が悪くなったりするくらいなら、自分が「私の不注意だから」と泥を被って笑う。そういう女の子なのだ。
中学生になり、同じクラス、そして生徒会という近い距離で三年間を過ごしてきた葉月には、凛のその「優しすぎるがゆえの嘘」が痛いほどよくわかった。
小学生の姿が完全に見えなくなると、凛の肩からふっと力が抜けた。
彼女の視線が、足元の湿った砂利に落ちる。サンダルの先で水溜まりを踏み、パチャ、と小さな音が鳴った。
淡いベージュのスカートの裾は、弾けた水しぶきを吸って濃い色に変わっている。凛は少しだけ裾をつまみ、肌に張りついた布を離した。
その横顔に貼りついた、ごく小さな寂しさを、葉月は見逃さなかった。
さっきまで指先で揺れていた青い水ヨーヨーは、もうどこにもない。
葉月は、手に持っていたたこ焼きの舟を持ち直し、凛の隣に並んだ。
「……濡れちゃったね」
それだけを、いつも通りの声で言う。
「残念だったね」と口にしてしまえば、凛が今ようやく飲み込んだものまで、また掬い上げてしまう気がした。
「うん……」
凛は顔を上げ、葉月を見て、いつものように微笑もうとした。けれど、その口元が、ほんの少しだけ引きつっているのを葉月は見逃さなかった。
「大丈夫だよ。ちょっとスカートが濡れただけ。すぐ乾くし」
凛はそう言って、なんでもないことのように振る舞おうとする。強がりの裏側にある、夏祭り特有の高揚感が少しだけ萎んでしまったような、乾いた空気。
葉月は小さく息を吸い込んだ。
ソースの焦げる匂いの奥から、甘い砂糖の香りが風に乗って漂ってくる。
ことさら明るい声で、葉月は言った。
「そっか。……じゃあさ、次はりんご飴食べようよ!」
「えっ?」
唐突な提案に、凛が目を丸くする。
「しょっぱいものの次は、甘いもの! これ、絶対のお祭りルールでしょ?」
「そんなルール、聞いたことない」
「いいの。あそこの角を曲がったとこに、すっごいピカピカのりんご飴の屋台があったの。私、見逃さなかったんだよね」
葉月は、凛の足元の水溜まりから視線を引き剥がすように、参道の奥を指差した。
凛の視線が自然と上を向く。
葉月の瞳には、同情も哀れみもなかった。
ただ、「お祭りはまだこれからだ」と言わんばかりの、真っ直ぐな光だけがある。失った青い水ヨーヨーの代わりに、もっと甘くて、もっと赤くて、もっと心が浮き立つものを探しに行こう。そのまっすぐさが、凛の心にまとわりついていた小さな影を、強引に、けれど優しく吹き飛ばしていった。
凛はきょとんとしていたが、やがて葉月のそのあまりにも真っ直ぐな明るさに引っ張られるようにして、ふふっと小さく吹き出した。今度は、無理をした作り笑いではなく、心の底からの自然な笑みだった。
「なにそれ。でも……そうだね。りんご飴、食べたいかも」
「よし、決まり! たこ焼きは私が責任を持って平らげるから、りんご飴は凛が選んでよ。一番大きくて甘いやつね!」
葉月は最後のたこ焼きをポンと口の中に放り込むと、熱さに目を瞬かせながら、空になった舟を片手に持ち、凛の背中を軽く押すようにして歩き出した。
濡れたスカートの裾が、夜風に揺れる。足元にはまだ少し冷たい水滴の感触が残っていた。でも、凛の歩幅は先ほどよりもずっと軽く、前を向いていた。
遠くで、ドーンと花火の上がる重低音が夏の夜空を震わせた。
ソースと青のりの重厚な香りが遠ざかり、代わりに夜風に乗って、焦がした砂糖の甘く鋭い香りが鼻腔をくすぐり始めた。
境内の喧騒を少し離れた一角。そこには、オレンジ色の裸電球がひときわ明るく輝く「りんご飴」の屋台があった。
「うわ、これ……すごいね。宝石みたい」
「でしょ? ここの屋台の飴、薄くコーティングされてて、中身もちゃんと真っ赤な姫りんごなんだよ」
葉月はたこ焼きの空舟を近くのゴミ箱に捨てると、屋台の台の上に整然と並ぶ赤い球体を眺めた。
凛はその中から一番つやが良く、形の整ったものを選んで買い求めた。手渡されたりんご飴は、ずっしりと重い。透明なセロハンの袋越しに、街灯の光を跳ね返して真紅の輝きを放っている。指先から伝わってくるのは、飴のひんやりとした硬質な質感と、中にある果実の確かな重みだ。
「そういえば、今日むっちゃんは?」
「睦兄? 知らないよ。きっとまた部屋に籠って趣味に没頭してるんじゃない?」
「そうなんだ……」
心底残念そうな凛の顔を見て、葉月はにんまりと笑った。
「なあに、気になるの?」
「そ、そうじゃないけど……」
「けど……?」
「もう……知らない!」
ほっぺたを水ヨーヨーのように膨らませた凛は、ぷいっとそっぽを向いて、少しだけ早足になる。
「待ってよ、ごめんて」
からかうように笑いながらその後を追う。
二人は、参道の中央を流れる人の波から少し外れ、手水舎の裏手にある大きなケヤキの木陰へと足を踏み入れた。
中心部のむせ返るような熱気から一歩引いたその場所は、砂利を踏む音も少しだけ静かに響く。木々の隙間から覗く夜空は、提灯の赤が反射して、どこか深い紫を帯びていた。
「ふう……」
凛が小さく息を吐き、大事そうにりんご飴を両手で包み直す。その時、セロハンがカサリと音を立てた。
その小さな音に混じって、ヒッ、という、短い、けれど鋭い空気の震えが葉月の耳に届いた。葉月はピタリと足を止め、周囲へ鋭く視線を巡らせた。
暗がりと明かりの境界線。
しめ縄が巻かれた太い幹の根元に、不自然なほどじっと動かない小さな影があった。
ピンク色の金魚柄の浴衣を着た、四、五歳くらいの小さな女の子だった。
女の子は小さな両手を体の横でぎゅっと握りしめ、足元を睨むようにして立ち尽くしていた。唇を真一文字に結び、大きな瞳には涙がいっぱいに溜まっている。泣くまいとするみたいに、必死に瞬きをこらえていた。
葉月は歩み寄りかけて、ほんの一瞬だけ足を止めた。驚かせないように息を整えてから、砂利を踏む音を殺して女の子に近づき、そっと膝を折る。
女の子より少し低い位置で目線を合わせてから、言った。
「ん。……お母さんと、はぐれちゃった?」
葉月の声は、無理に優しく作ったような高い声ではなかった。教室で凛と話す時と同じ、フラットで、等身大で、けれどどこか体温の通ったトーン。
その「普通の女の子」としての温度が、女の子の強ばった肩を、ほんのわずかに緩めた。
女の子がコクリと一度だけ頷く。その反動で、限界まで溜まっていた涙の粒が一つ、ぽろりと頬を伝って落ちた。
「そっか。急にいなくなると、びっくりするよね。えらいえらい、よく一人で泣かないで待ってたね」
葉月は、女の子の頭をポンポンと軽く撫でた。子どもの髪特有の柔らかさと、夏の夜の熱を帯びた感触。葉月の手のひらから伝わる一定のリズムが、女の子の「我慢の糸」を静かに解きほぐしていく。
その時、横からひらひらと、真っ赤な光が差し出された。
「ねえ。これ、知ってる?」
いつの間にか隣にしゃがみ込んでいた凛が、りんご飴を女の子の目の高さにそっと持ち上げた。
凛の微笑みは、夜の暗がりの中でぼんやりと光を放っているように温かい。彼女の足元のスカートはまだ少し濡れていて、それがかえって「完璧な大人」ではない、親しみやすい隙を生み出していた。
「りんご飴っていうんだよ。すっごく甘くて、カリカリしてて美味しいの。お母さん、きっとすぐ見つかるから、それまでお姉ちゃんたちと一緒にいようか」
りんご飴から漂う、どこか懐かしい砂糖の甘い匂い。そして、葉月と凛が纏う、夏草と石鹸が混ざったような清潔な香りが、女の子をふわりと包み込む。
二人のあいだにできた小さな静けさの中で、女の子はぎゅっと結んでいた唇を、ついに震わせた。
「……う、……うあ、……おかあ、さ……っ」
せき止めていたものが決壊したように、大粒の涙が次々とこぼれ落ちる。ひぐ、ひぐ、と小さな喉が鳴った。
もう我慢しなくていいのだとわかったその涙を、葉月は「うんうん」と相槌を打ちながら、ただ真っ直ぐに受け止めていた。
葉月は急かすこともしないし、可哀想だと大げさに騒ぐこともない。ただ、小さな肩が震えるのに合わせて、その背中をゆっくりとさすり続ける。
中学生の彼女たちには、幼いころに味わったあの心細さが、まだ身体のどこかに残っていた。だからこそ、その悲しみを「処理」しようとするのではなく、ただ「共有」することができた。
やがて、女の子が手の甲でゴシゴシと涙を拭い、長く深い息を吐き出したのを見計らって、葉月はゆっくりと立ち上がった。
少しだけマメの跡が残る両手を、葉月は女の子の前に差し出す。
「よし。じゃあ、一緒にお母さん探しに行こっか。お姉ちゃん、手ぇ繋いでもいい?」
「……うん」
女の子が、おずおずと小さな手を重ねてくる。その手は少し汗ばんでいたけれど、葉月の手の中で安心したようにぎゅっと握り返してきた。
「じゃあ、反対側は私ね。りんご飴、落とさないように気をつけなきゃ」
凛も立ち上がり、りんご飴を片手に持ち直すと、もう片方の手で女の子の小さな手をそっと握った。
女の子の右手には葉月。左手には凛。
提灯の明かりが続く参道へ向かって、三人はゆっくりと歩き出した。
少し離れた場所から、祭囃子の太鼓の音が、ドンドンと力強く彼女たちの足取りを応援するように響いていた。
二人の間に挟まれた小さな女の子の手は、中学生の掌にすっぽりと包まれている。女の子の手は最初、強張って小刻みに震えていた。けれど、参道の人の波をゆっくりと泳ぐように歩くうち、その震えは次第に収まり、今はぽかぽかとした子供特有の体温と、信頼しきった体重が二人の手に預けられていた。
すれ違う人々の熱気、焼き鳥の焦げる煙たさ、遠くのやぐらから響く和太鼓の重低音。
葉月は、自分たちよりもずっと低い位置にある女の子の視界を想像しながら、なるべく人混みの圧迫感を避けるように道の端を選んで歩いた。ときおり首を巡らせ、雑踏の中に、必死な顔で子どもを探している大人がいないか目を配る。
凛は歩調を合わせながら、時折「もうすぐだからね」「ほら、金魚すくいやってるよ」と、りんご飴を持った手を揺らしながら優しく声をかけ続けていた。
「——さっちゃん!」
不意に、空気を切り裂くような甲高い悲鳴が響いた。
鳥居の近く、白熱灯の強い光が落ちるあたり。浴衣の裾が乱れるのも構わず、青ざめた顔で人混みを掻き分けてくる若い女性の姿があった。その目は血走り、涙でぐしゃぐしゃになっていた。
ビクッ、と葉月の左手に繋がれた小さな手が跳ねる。
「おかあさん!」
女の子は葉月と凛の手を振り解き、弾かれたように駆け出した。
数歩先で、崩れ落ちるようにしゃがみ込んだ母親の胸に、小さな体が勢いよく飛び込んだ。
「ごめんなさい」
「よかった、本当によかった」
嗚咽混じりの声が重なり合う。
汗と涙にまみれながら抱きしめ合う親子の姿は、祭りの華やかな喧騒から完全に切り離された、痛いほど純粋な光景だった。
葉月と凛は、数歩離れた場所で立ち止まり、その様子を静かに見守っていた。
やがて、我に返った母親が立ち上がり、二人の女子中学生に向かって何度も何度も深く頭を下げた。
「あの、本当に、なんとお礼を言っていいか……! 少し目を離した隙にいなくなってしまって……」
「いえ。無事に見つかってよかったです。人が多いので、気をつけて帰ってくださいね」
葉月は、ことさらに謙遜するでもなく、いつも通りのフラットな口調で答えた。
女の子が母親の足元から顔を出し、照れくさそうに、けれどホッとしたような顔で葉月と凛に小さく手を振る。凛も、赤いりんご飴を胸元で小さく振りかえした。
二人は、親子が人混みの中に完全に紛れて見えなくなるまで、その場で見送った。
親子の背中が消えた瞬間、葉月と凛は顔を見合わせ、同時に「ふうっ」と長く深い息を吐き出した。
「……なんか、一気に疲れたね」
凛が、ふにゃりと眉を下げて笑う。その額にはいつの間にかじっとりと汗が滲み、手にはまだ真っ赤なりんご飴が握られていた。
「ほんと。緊張して、食べたばかりのたこ焼きの味も飛んじゃったよ」
二人はそのまま、神社の境内を背にして歩き出した。
石段を降り、鳥居を抜けると、先ほどまでの喧騒が嘘のように遠のいていく。街灯がぽつりぽつりと立つだけの、住宅街へと続く帰り道。生ぬるかった夜風が、少しだけひんやりとした涼しさを帯びて頬を撫でていく。
「……ねえ、葉月」
アスファルトの道をしばらく歩いたところで、凛が不意に足を止めた。
振り返ると、凛は街灯の下で、自分の足元を見つめていた。
薄手のスカートの裾は、夏の夜の熱気のおかげでもうほとんど乾いている。けれど、そこに、もうあの涼しげな音を立てていた青い水ヨーヨーはない。
「私さ。さっき、ヨーヨー踏んじゃったとき……ちょっとだけ『最悪だな』って思ったんだよね」
凛の声は、虫の音の響く夜道にぽつりと落ちた。
「せっかくの中学最後の夏祭りなのに、縁起悪いなって。でも」
凛は顔を上げ、葉月を見る。
「でも、今は……なんだか、全部ひっくるめて、今日お祭りって感じだったね」
凛がふわりと笑う。
ヨーヨーが割れた小さな絶望も、迷子を見つけた時の焦燥も、手の中に残った熱も。計画通りにはいかなかったけれど、それこそが自分たちの「等身大の夏」だったのだと、彼女の表情が物語っていた。
葉月は、少しだけ照れくさそうに鼻の頭をかいた。
「まぁ、退屈はしなかったよね。……それに、あの子がちょっと安心したのって、凛がりんご飴見せてくれたからでしょ。私の顔だけじゃ、あの子もっと泣いてたかもよ?」
「ふふっ、そんなことないよ。葉月がいてくれてよかった」
凛はそう言うと、大事そうに持っていたりんご飴のセロハンを、カサカサと音を立ててようやく剥がした。
街灯の光を吸い込んで、飴の表面がツヤツヤととびきり鮮やかな真紅に輝く。
「ねえ、一口食べる?」
差し出された真っ赤な球体に、葉月は「いいの?」と目を輝かせた。凛が小さく頷く。
「じぁあ、遠慮なく。……んっ、硬っ! でも、すっごい甘いね」
葉月の口の中で、赤い飴の破片がパチンと弾ける。焦がし砂糖の鋭い甘さと、中のりんごの爽やかな酸味が、歩き疲れた体にじんわりと染み渡っていく。
「あはは、でしょ? 歯、折らないように気をつけてよ」
凛も反対側からりんご飴をかじり、カリッ、という心地よい音を夜道に響かせた。
明日からは、また部活のない放課後と、終わりの見えない受験勉強が始まる。
それでも、今夜経験した冷たい水しぶきや、小さな手を握ったときの熱さ、そして口の中に広がるこの甘酸っぱい味は、きっと、これから先の二人をそっと支えてくれる。
遠くでドーンと今日最後の大きな花火が上がる音がした。
空を彩る光は建物の陰になって見えなかったけれど、腹に響くような力強い重低音が、並んで歩く二人の背中を優しく押しているようだった。




