98.慟哭
疲れた。
あれから色んなスクロールに触れたり、魔法を使ってみたり、さまざまな検証に取り組むことになった。
セオルが取っていた記録を見せてもらったけど、難しい数式とか専門用語とかがふんだんに使われていて、早々に読み解くことを諦めたのは、賢明な判断だったと思う。
窓の外では、すっかり日が傾いている。
それに気づいたおじさまから「今日は切り上げよう」と言ってもらって帰路に就いた。
今は馬車に揺られながら、夕日に照らされるセオルの顔をぼんやり眺めている。
検証が始まるころに自分の部署に戻ったお父様は、すでに魔法省を出て屋敷に戻ったらしい。
「大丈夫?疲れちゃったよね」
『んー』
「眠いなら寝てもいいよ」
『眠くはない、けど、うん』
「お膝にごろんする?おいでおいで」
人を犬か猫だとでも思っているんだろうか。
どうせ来ないと思っているのか、気軽に手招きなんてして。
意趣返しのつもりで、ごろりと勢いよく膝に転がってやった。
男の人の太ももって硬いのかと思ったけど、意外と柔らかい。
女性のそれとはまた違う柔らかさ……質のいい筋肉は柔らかいって本当だったんだ。
そんなことを考えていると、大きな手のひらが頭の形をなぞるように触れる。
子どもの頃、こんな風に大人に頭を撫でられるとすごく安心した。
懐かしさと安心感から、小さなあくびをこぼして、頭を撫でる手にすり寄る。
もっと撫でてほしいとアピールする子どもみたいでちょっと恥ずかしいけど、疲労感からか思考力が低下していて、理性がうまく働かない。
ぼんやりと見上げたセオルは、蜂蜜のようにとろけそうな甘い瞳で私を見ていた。
ドキリとして顔を背けると、ほっぺに柔らかいものが触れる。
また勝手に、と思ったけれど、意識と反して瞼がゆっくり落ちていく。
「おやすみ」
柔らかい声に小さく頷いて返事をして、私は意識を手放した。
※
どこだろう、ここは。
私はどうして、こんなところにいるんだろう。
古びた屋敷の、埃っぽい匂い。
窓やカーテンを閉め切っているのだろう、どこかカビっぽくて、じめじめとした空気の居心地悪さ。
カーテンの隙間からのぞく窓の外には、木々が鬱蒼と生い茂っている。
深い森の中にこの屋敷はあるのだろうか。
薄暗くて、不気味で、こんなところには少しの時間だっていたくないのに、外に出ようとは思えなかった。
長い廊下の先にある扉から、すごく嫌な気配がする。
近づきたくない、逃げ出してしまいたいのに、勝手に足が進むのを止められない。
行きたくない、開けたくない、見たくない。
頭の中で何度叫んでも、無情にも私の手がドアノブを掴んだ。
やめてやめてやめてやめてやめてやめて――
必死になって繰り返しても、声にすらならない。
そうしている間に、ドアがゆっくりと開いていく。
その先に―――
『ひっ』
引き攣れるような悲鳴が鼓膜を揺らす。
あれ?私の声、こんなだったっけ?
揺れる視界の中で赤と紫が溶けあうように滲んでいく。
震える呼吸、むせ返るような鉄と花の香り、その中央で椅子にもたれかかる美しい人。
耳をつんざく慟哭は、どこから聞こえてくるのだろう?
これは私のもの?それとも、ほかの誰かのもの?
胸が苦しい。
死んでしまいそうなほど、身体が芯から冷えていく。
冷たい指先、雫の落ちる音。
湧き上がってくるのは、ないまぜになったあまたの感情。
悲しみ、絶望、怒り、後悔、憎しみ、悔恨、そして途方もない愛おしさ。




