雪の夜
その日、繭子の住んでいる辺りでは雪が積もった。
ほんの数センチだったが、積雪には違いない。
雪に音を奪われたような静かな夜。
明日は休みで予定が何もない。
繭子は寝る前に外の景色を見ておきたいと、部屋のカーテンを開けた。
すでに雪はやんでいる。
窓も開けてみようかと一瞬考え、そしてやめた。
起きているとおかしな事ばかり考えて苦しくなる。
だからもう寝てしまおう。
カーテンを閉じようとして、窓の向こうに現れた姿に気がついた。
慌てて窓を開ける。
「両儀さん!」
「あ、あの、繭子さん、夜遅くにすみません。それから、遅くなってすみません、やっと終わったので、その、あああ、あの、繭子さんに会いたくて、それで」
繭子は両儀の腕を掴むと部屋の中へ引っ張り込んだ。
その胸に顔をうずめ、ぎゅう、っと抱きつく。
「ま、繭子さん?」
繭子は返事をしない。
「そそ、その、遅くなって、しまって、すみません。ちょちょ、ちょっと、思ったより時間がかかってしまって……」
繭子は答えないまま両儀の胸で首を振った。
それで両儀は落ち着いて、ほっとしたような声でもう一度言う。
「……遅くなって、すみません。繭子さん」
繭子は両儀の胸から離れると、顔を赤くして小さな声で答えた。
「お帰りなさい……」
両儀が嬉しそうに笑う。
そしてとんでもない事を言った。
「あの、もし良かったら、一緒に出かけませんか」
「え」
繭子が目を丸くする。
もう日付も変わろうとする夜の夜中。
いくらなんでも、ちょっとばかり両儀らしくない。
「あ! いえ、ではなくて、その、朝! 朝になったら、です! 朝と言っても、明け方とか早い時間になるんですが」
両儀の慌てた様子に、繭子は小さく吹き出す。
長く会えなかった恨みつらみが全く無いわけではない。
仕事なら仕方ないのだろう。でも、全く会えない、声も聞けない、便りさえない。その上いつ会えるかどうかすらわからないというのは、10代の繭子にはかなりこたえた。
だが、そんな事は全てどうでもよくなった。
こうして会えた。
もうそれだけで充分なほど、今繭子はとても嬉しかった。
「今からで平気です」
「え!? えええええ! ダメ、ダメですよ!」
「ダメですか?」
「ダメです! ご両親に怒られてしまいますよ! 夜遊びは絶対、ダメです!」
狼狽する両儀のまわりで、精霊たちが楽しそうにクスクス笑う。
繭子も一緒になって笑いながら、久しぶりのやり取りに安心した。
彼女にとって両儀も精霊たちも、もう家族のように大切な、親しい者たちだった。
「夜明け前に迎えに来ますから」
そう言って必至に厳しい顔を作ろうとする両儀を繭子は見上げた。
「はい」
両儀が穏やかに笑う。
ああ、この笑顔が、この空気が好きだ。
繭子は嬉しくてもう一度両儀に抱きついた。
自分が大胆になっている。
きっと積もった雪と夜のせいだ。
「お帰りなさい」
両儀も優しく、そっと繭子の肩に手を置いた。
「はい。ただいま、繭子さん」
子供扱いの、ただの友人へのハグかもしれないし、そうではないかもしれない。
けれど今はそれでよかった。
こうしてまた会えたから、それだけで。