第1話 何の変哲もない二人の朝
もう4月の終わりになったというのに、綺麗な花を残す桜の木々。
春風に吹かれて舞い散る微かな花びらと、少しずつ育ちつつある若葉は、ここの生徒の成長を大いに祝福、そして応援しているように見えた。
「…………」
そんな桜の木が立ち並ぶ華やかな道を、黙々と歩く私の名前は朝田愛。
この道の先にある大学、その在校生だ。今年で二年生になったりもする。
……ま、だからといって何か変化があるわけじゃないけど。
私は今年も地味な大学生活を送るだろうし、それを望んでいたりもするし。
そんな事を考えているような、根暗な私に声をかけてくる物好きがいるなら――
「おっはよ~う! さあ話を聞かせてもらおうか~!!」
いきなり私を襲う、後ろからの衝撃。
つい数月前くらいまでは倒れそうになったこの衝撃も、今となっては慣れた動きでうまく受け流すことができるようになっていた。
ちなみに、この物好きの名は森原杏美。私は縮めてアズと呼んでいる。
「……おはよう、アズ。で、何?」
「何じゃないよ~! どうしてうちを起こしてくれなかったの~!」
「起こしたよ。あなたに言われた通りに、三回も」
えっ、と意外そうに呟いたアズ。
そんな彼女に若干の呆れの念を抱きつつ、私は言葉を続けた。
「まず7時に1回、次に7時5分に1回、7時10分に1回。合計で三回」
「そっだっけ?」
「そうだよ。だけど、何分も待っても起きてこなかったから先に行ったの」
「えっ、そんな~。こういう度に思うけどさー、ちょっとは融通効かせてよ~」
「……嫌だよ。それに、そうしたら私まで遅刻するじゃない」
時間厳守がモットーな私にとって遅刻は何事にも耐え難い。
いくら友人でも自分の危険を犯してまで助ける義理は、流石にないはず。
それに「7時に起こして! 起きなくても3回くらい起こして!」と言ってきたのは紛れもないアズなのだから、融通を効かせるも何も無いと思うんだけど。
それに「あと五分……」とか言ってるから待ってあげているというのに。
文句を言われて心外だ。ちょっとだけ、むかっとした。
ちなみに、私がアズを起こす役になっているのは寮の部屋が隣だから。
そのために合鍵を渡されているし、たまに彼女の部屋に泊まったりもしている。
……アズのプライバシーやセキュリティの概念は、どうなっているのかしら。
私なら他の誰かに自分の部屋の鍵を持っていてほしくないし、我が家に長時間も人が居られたくないんだけどね。
そういうところは、私とアズは考えが真逆になっているらしい。
「でも今日はぎりぎり追いつけたわけだから……ま、いいか!」
「そんなんだから、いつまでも寝坊グセが消えないんだよ」
「あっはっはっ! こればっかりは気にしてもしょうがないからね~」
あっけらかんとして笑い飛ばしているアズ。
そんな見慣れたいつもの姿を見て、突飛に今日の講義のことを思い出した。
「あ、そういえば。提出するレポートはやってきたよね? 連絡入れたし」
思い出したのは講義そのものよりは課題について。
ちょうど今日の1時限目に課題を提出することになっている。
レポートといっても1000字程度で意見を述べよ、という簡単な物だけど。
まあ講義の序盤だから、講義に取り組む上での問題意識を持つためのなのだろう。
これを提出しないのは想像を絶する馬鹿か――おっちょこちょいのどちらか。
「…………」
私からの問いを聞いて表情がさめざめとしてきたアズ。……もしかして?
「あー! 忘れてたぁ~!!」
どうやら私の友人は想像を絶するおっちょこちょいだったらしい。
……まあ、分かっていたけど。むしろ持ってきてたら驚く。
長い期間付き合っているから知ってるけど、アズは遅刻や忘れ物が多い。
去年は必修科目の単位を落としかけて大変な目にあったこともある。
しかも……彼女曰く、愛ちゃんがいなかったら二倍は遅刻してた、とのこと。
それを聞いた時は、よく今まで生きてきてこれたねと言ってしまった。
「……なら、私の予備をあげようか? 内容は違ってるから問題はないし」
「えっ!? ほんと!?」
「本当だよ。……今回だけだからね」
あの講義は、私が元から興味を持っていて書くのに気合が入っていた。
自身の思いの丈を連ねていると……気づけば、文字制限を軽く越えてしまった。
なので良さそうな半分の部分は自分の提出用にして、もう半分は違和感がないように文章を変えた上で予備として用意していたんだよね。
元々提出する予定じゃなかったから質は保証できないけど、ないよりマシのはず。
そんなことを思いながら、私はアズに課題用のレポートを手渡す。
しかし、肝心のアズは……何故か私のレポートを見つめて黙り込んでいた。
「……うっ」
「うっ?」
そして、言葉になってないような声を漏らした後に。
「ありがとうっ!! 愛ちゃん、大好きー!!」
――またもや私の体を、強く抱きしめてきたのだった。
「わ、わかったよ! わかったから急に抱きつかないで!」
「あ、ごめんごめん!」
「……まったく」
唐突に抱きついてきたアズを何とか引き離す。
何でアズは事あるごとに抱きついてくるのだろうか。意味がわからない。
それに、そもそも私はアズのような人種を嫌っていたはず。
自分が好かれるような人間じゃないと理解しているから他人と距離をとっているというのに、わざわざそれを無視してこちらに入り込んでくるような、馬鹿。
なのに……気づいたら、彼女との付き合いは10ヶ月にも渡っている。
――根暗で物静かな私と、明るく元気で騒がしいアズ。
でも、こんな正反対に位置するような人種のアズを、私は憎めないでいた。