池田屋事件
○ 幕末の1864年7月8日、元治元年6月5日
京都三条木屋町の旅館・池田屋に潜伏していた長州藩・土佐藩などの尊王攘夷派志士を、京都守護職配下の治安維持組織である新撰組が襲撃した事件ー。
「会津中将お預かり浪士隊・新撰組!御用のため宿内を検める!歯向かうものは切れ!!」
暗闇が今日の町を包み込む22時ー。
京都の町中に野太い男の声が響くー。
おそらく討ち入りを知らせた局長・近藤勇ー。
そして、まもなく
その旅館からは刀同士がぶつかり合う激しい斬撃音が響き渡った。
○そして、沖田さんが吐血したことで有名な事件ー。
池田屋からは大分離れた京の町・島原ー。
賑やかなその町の店で、一際暗い顔をして座る少女の姿があった。
「、、、らさき」
「、、、、、、、。」
「紫!」
「!」
かけられた声に我に返ると、そこには自身を心配そうに見つめる菊月の姿があった。
「姐さん、、、、」
「顔が真っ青じゃ。大丈夫か?」
「、、、はい」
言葉とは裏腹に元気の無い紫の姿に菊月はため息を吐くー。
理由は何となくわかっている。
「今日は沖田はん、来はりませんな〜」
「っ」
「あんなにあんさんにべったりやったあの人が珍しいことで」
「、、、、、、、、。」
(今日は来ない、、、、、)
(いや、しばらく)
(若しかするともうずっと)
(来れないかもしれない、、、、、)
(もう)
(会えない、、、、)
そう、さらに紫が俯いたその時、
ワイワイと楽しそうに話をしながら浪士達が店へと入ってきた。
「花魁!ご指名!」
「はーい!ほなわっちは行ってくるさかい、その辛気臭い顔何とかしとき。言うてもあんさんはあの人に他の客を取るな釘刺されとるからすることはあれへんけどな」
「、、、、、、、。」
(本当に)
(どうしてくれるんだ、、、、)
(あなたが来なければ仕事にならないじゃない)
(情報も入ってこない)
(会いたい、、、、)
(こんなにも、、、、)
涙が滲む目をぎゅっと瞑ったその時、浪士隊の声が耳に届く。
「なんや聞いた話やと、今三条近くの旅館で乱闘騒ぎが起きとるらしいで」
「怖いな〜」
「京の町も物騒になったもんやわ」
「近づかんとこ近づかんとこ。誤って巻き込まれでもしたら大変や」
「っ!」
(はじまったんだっ、、、、!)
『近藤さんの命を、新撰組の意向を僕に無視しろっていうの?』
『次にそんなこと口走ったら殺すから』
(でも私にはどうすることも出来ない)
(できることなんて、、、、ない)
(私は未来人で傍観者)
(自分の時代に帰るために、あの人とも関係を持っただけ)
(それに後世に受け継がれている史実が全て正しいとも思えない)
(本当に血を吐いて倒れるかなんて誰にも分からないんだもの)
(でも、、、、)
(歴史は動いてる)
(私がこの時代に来たことで何か変化が起きてるかもしれない)
(もし)
(血を吐いて倒れるだけじゃなくて)
(もし)
ドクン
『紫』
(死んでしまったら、、、、、)
ドクン
紫の頬に嫌な汗が流れる。
心臓が大きな音をたてて跳ねる。
(もし、なんかじゃない)
(この時代は)
『人を斬ることは僕らにとって生きることだ。斬らなければ生きていけない』
(いつ死ぬかなんて)
(斬られるかなんて分からないんだ)
ドクン
(死んだらもう)
『パパあ!!ママああ!!』
(二度と会えないっ、、、、!!)
バッ
紫はそう思い立つと着物が乱れるのも気にせず、店を出て、全力で走り始める。
「こら、紫!どこへ行く!」
「すみません!ちょっと、、、。必ず戻ります!」
後ろでに呼び止める女将さんに振り向きながらそう答えると、紫はそのまま暗い京の町へと消えていった。
「なんだぁ!?道中でもないのに、遊女が1人外に出ていったぞ」
「今夜見世の時間じゃねえのか?」
「それにしても美人だったな〜。あれが最近入って有名だっていう「紫」か」
「しかし、1人の客の相手しかしないとか何とか」
紫の走り去る姿を見た浪士たちが口々に声を上げる。
それを聞いていた女将はため息を吐きながら、しかし優しい眼差しで同じように闇夜に消えたその姿を見ていた。
「そうどす」
「!」
「あの子の殿方はお1人だけなんどす。今、もしかしたらその殿方を迎えに行ったのやもしれませんな〜」
(紫)
(あんたはこの時代の人間やない)
(あんたが正しいと思う所に進んだらええ)
ーーーーーーーーーーーーーーー
「はぁ、はぁ、はぁっ」
暗い京の町を着物が汚れるのも気にせず全速力で走る少女の姿があった。
(沖田さん、、、、、)
(沖田さんっっ)
「なんだぁ?女が護衛もつけずに、こんな夜中に」
「おーい!あぶねえぞ〜」
「不逞浪士に絡まれるなよ〜」
遠くで自分の姿を見て暗示た男たちの声が聞こえる。
(着物に下駄、、、、)
(なんて走りにくいの、、、、、)
だいぶ慣れたとはいえ、走りなれない服装に疲労感が募る。
その時、
「おーい、姉ちゃん、こんなとこで何してんだ?あぶねえぞお?」
「!!」
酔っ払い、不敵な笑みを浮かべる男2人が紫の前に立ちはだかる。
「こういう悪いお兄さんたちがいるからなぁ?」
「お!よく見ると上玉じゃねえか!ちょっと俺らと遊ぼうぜえ」
「、、、、、、、。」
紫は、相手にするでもなく、前に立ちはだかる男たちを避けて前に進む。
「おい、つれねえなぁ?」
男の1人が紫の細い手首を掴む。
「俺らと、、、、」
「離して」
「あ?」
「急いでるの」
しかし、そこにはか弱い女の目ではなく、猛獣のように男たちを睨む女の姿があった。
「うわっ!」
男はその迫力に思わず、手首から手を離す。
紫はそれを確認すると再び暗闇の中を走り始めた。
ーーーーーーーーーーーー
ーーーーーー
「はぁ、はぁ、はぁ」
ブチッ
「あっ」
足元を見ると、鼻緒が切れ
足はドロドロに土で汚れていた。
「、、、、、、、。」
紫は意を決すると
下駄を脱ぎ、
ビリリリリリ
着物の足元部分の布を引きちぎった。
「っ」
そして、少し走りやすくなった格好で再び走り始めた。
そこにはもはや美しい遊女の姿はなく、目的のため外見を気にせず必死で走る少女の姿があった。
ーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーー
その頃、京都三条木屋町の旅館・池田屋では
バンッ
人が落ちる音、
襖や壁が倒される音と同時に
キンッ
と刃物がぶつかり合う甲高い金属音が響いていた。
しかし、始まった頃とは比べ、その音はどんどんと小さくなりつつあった。
東の空が明るくなり始めた頃、走り続けた紫はその場に到着した。
「っ!!」
この世のものとは思えない残酷無惨な光景に思わず紫は口を手で覆った。
鼻に着く凄まじい血の匂いと
そこら中に転がる死体ー。
その中には浅葱色の羽織を来た隊士の姿もあった。
旅館の襖は倒れ、刀傷や返り血が所狭しと広がっている。
どれだけ激しい戦闘が行われていたかは、火を見るより明らかだった。
(これが、、、、、)
(池田屋事件、、、、、)
史実として知ってはいたが、目の前に広がるその現実味を帯びた光景に紫は言葉を失った。
(これが)
(この時代の姿、、、、、、)
(あの人はこんなところに、、、、、)
「日が昇ったら、屯所へと戻る。闇討ちされてはたまらんからな。それまで負傷者の治療に当たれ」
「はいっ」
「!」
(あの人は、、、、、)
浅葱色の羽織を真っ赤な血の色に染めて、池田屋から出てきた貫禄ある男の姿に紫は息を飲んだ。
(局長・近藤勇、、、、、)
「それから藤堂くんの怪我も心配だが、総司が血を吐いた。よく診てやってくれ」
「はっ」
「っ!!!」
(沖田さんっっ)
(やっぱりっ!!)
ダッ
その名前を聞き、いてもたってもいられなくなった紫は、池田屋への入口へと飛び出した。
「なんだ?貴様は」
「ここは女子の来るような場所では」
入口にいた隊士達が怪訝そうに紫を見つめる。
すると
「お!紫ちゃんじゃねえか!」
「!」
奥から聞いたことのある声が響く。
「なんでこんなとこにいんだあ?あぶねえぞ」
「!永倉さんっ!」
そこには、先程まで人を沢山殺したとは思えないほど、初めてあった時と変わらぬ表情を浮かべる永倉新八の姿があった。
その姿にぞくりと背筋を凍らせながらも紫は声を放つ。
「あのっ、沖田さんは?」
「あー」
永倉が困ったように声を上げた
その時、
「何者だ?」
ヒヤリとした冷たい声が、紫の体を震わせた。
聞いた事のない声ー。
しかし、紫にはそれが誰の声かなぜだがわかってしまった。
血に汚れた浅葱色の羽織を来た男が、一歩一歩奥から近づいてくる。
今までにない恐怖が全身をつつみ、体を震わせる。
(間違いないー)
そこには自身を鋭い剣幕で睨みつける男の姿があった。
(今の私にとって)
(最も危険な人物ー)
(新撰組、鬼の副長と呼ばれた男)
(土方歳三ー)