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地表都市ヴァルガドの道を歩くラクトの上に、薄く雪が降ってくる。地下にあるケイブと違い地表にあるヴァルガドでは雪への影響を直接道が受けてしまうため、道が白く染まる。
その上を様々な人々が行き交い、数多くの靴跡で雪が踏み荒らされて道が見えてくるのを、ラクトは嫌いでは無かった。ただの歩くという行為であっても、人が自然を超える事ができる証左に見えるから――。
白く息を吐きながら歩くラクトの表情は、暗い。
悩みがあるから、というのも少し違う。正確に言うと、自分が何を悩んでいるのかすら言語化できていない。そんなモヤモヤが自分の中にあるのだけが分かるのだ。
それを父ラーグの言葉で消し飛ばそうとしたところを、ゴードンによって窘められてしまったラクトは、まだモヤモヤを抱えたまま行き先も特になく歩くしかできていなかった。
――自分のこの悩みは、ジンガの最期の言葉に起因しているのか? と問えばそれはその通りではあるのだろう。
あれを聞かなければラクトは今もなおジンガを倒し仇を討った達成感で幸せに浸る事ができていたかもしれない。
しかし一方でそれがモヤモヤの全てではないというのもラクトは気づいていた。
ジンガの言葉は結局トリガでしかなかった。そこから引き出されたあれこれが、言語化できない悩みとしてラクトの中で渦巻いているのだ、という自覚だけはできていた。
それに、ララやロイドがラクトのこれからの話をする度に、胸に疼くものがあった。ゴードンが軍に復帰するかも知れない、と思った時にも感じたものだ。
変わってしまうという恐怖ともまた違う。その変わり方が本当に正しいのか、という自問にも似た疼きだ。
(そうか、俺は今の自分が変わる事を恐れているのか……?)
そう自問しても、違うと自答する。復讐を達成したのだから、復讐を誓い一目散に突き進んでいた自分から変わるのは当然の筈だ。むしろ自分はそれを目指していた筈なのだから。
(いや、そうだったか……?)
自分が何を望んでいたのか、という形に思考がめぐる。堂々巡りであり、思考が何回もループする。
やがてよく考えたら、復讐後の自分を全く考えていなかったのだ、という事にようやく行き着く。それ故に沢山の違和感があるのだ、という話はストンとラクトの中に腹落ちした。
(けどそれは……)
自分にとって復讐とは。果たしたはずなのに、何故こうも心に空っぽなものが出来上がるのか。自分は復讐に心を満たしていなければ生きていけない歪んだ人間なのか? その自分に対する問いかけには、さすがに否定をしたいと思える程度には正常な思考ができている自分にラクトは安堵していた。
(もう、考えもまとまらない……)
一人で考え、頭を冷やす為に歩いている筈だった。しかし思考は四散し、堂々巡りをするだけ。どうにも生産的にはなれない自分にラクトは苛立つ。
と、少し顔を上げた視線の先に、BARの開店を示すネオンがともったのにラクトは気が付いた。
「酒……か?」
ふと勝利の美酒という言葉が頭をよぎる。そして酒が何某かの刺激になってくれるかもしれない、という考えが浮かんでくる。
「年齢的に問題ないし……行ってみるか」
ラクトは纏まらない思考のまま、酒に幻想を抱いてBARの扉を開いた。
***
少し薄暗い照明により雰囲気が作られたBAR。ラクトはそのカウンターの前に座っていた。眼前には琥珀色の液体。
最初は年齢を疑われたが、身分証明書を出して問題ない事を示し、その挙句にようやく注文することができた、ラクトにとって人生初となる酒だ。
ノーゼシアにはケイブと呼ばれる地下空間が数多く存在するのだが、その地底湖の周辺に生えている木がある。凍える程に冷たい湖に根を張るその木は、凍らないように樹液の糖度を高めている。樹皮に傷をつけて集めた甘い樹液を、煮詰めて、蒸留し、ルジー藻で香りをつけたりと加工して作ったのがノーゼシアで一般的に作られているルジー酒だった。
アルコール度が高い為に水や炭酸水で割って飲むのが一般的だが、ラクトはあえてロックを選んでいた。単に”その方が大人っぽい”という子供じみた思いから来たものだったが、それに本人は気づいていなかった。
勝利の美酒というからには、今の自分であれば楽しめるに違いない。そう信じてグイと自分の口に流し込んだラクトは――次の瞬間には噴き出さないようにすることに全力を注ぐことになった。
もう少し甘いものかとラクトは油断していたのだが、特に割ってもいない蒸留酒はラクトの舌には苦すぎ、しかもアルコールが喉を焼けつくすように感じてしまった。
「――ふう」
ようやく落ち着いてから、バーテンダーが一緒に出してくれたチェイサー、水を口に含む。それまであまり感じた事は無かったのだが、水のあまりの美味しさにラクトは酒というのは水を美味しく飲むための液体ではないか、と錯乱した感想すら抱いてしまった。
少し落ち着いてから急には飲まずに唇を湿らす程度にチビリ、チビリとやっていく。そうすると苦みよりも香りを強く感じ、これであれば毎日食べているパンの香りに似ていて落ち着くな、とラクトは違う飲み方をすることにした。
こうして酒の飲み方を考え、アルコールが回ってくると折角思考を整理、刺激しようとしたのに、その気すら無くなってくるのにラクトは気が付いた。
(ああ、だから”酒に逃げる”って言うのか……)
少しボンヤリとした頭でラクトは一人納得した。
と、急に歌声が聞こえて来た。小さいBARにも拘わらず、お立ち台みたいな場所があり、そこに一人の女エルフが椅子に座ってハープを弾きながら歌っていた。
額に大きな飾りをしているエルフだったが、やはり日ごろ見ているイーシャのように耳が長く同じ金髪でも全然違うエルフに見えるのだなやっぱり、とラクトは妙な所で感心してしまった。
「あれ。ジロジロ見ちゃって嫌らしい」
唐突に横から声をかけられ、ラクトは慌てて振り返った。そこには何故かイーシャがいて、ラクトをからかうような視線で見ていた。
「じ、ジロジロ見てた訳じゃない。イーシャに似てないなって」
「そら、同じ女エルフやからって、顔は違うやろな。他人だし」
「そんな事より、なんでこんな所にいるんだよ」
歌声を邪魔しないようにコソコソと話すラクトの横に、イーシャはスツールを引き寄せると座って来た。
「なんやあっちへふらふら、こっちへふらふらしてるラクトはんを見かけてな。おまけにこんな所に入っていくもんやからビックリして」
「後をつけてきたのかよ」
「ここに来たのはな。町で見かけたのは偶然や」
言いながらイーシャはバーテンダーに何かを注文した。やがて来たのは三角形のグラスに水色の液体が満たされ、チェリーが浮かんでいるカクテルだった。
「お酒、初めてなんやろ? ご相伴させてや」
「まあ初めてだけど」
「初めての飲酒に、乾杯」
「……乾杯」
軽くグラスを触れ合わせるようにしてから、ラクトは再度ルジー酒を少し多めに口に含んだ。最初の一口よりは少なめにしたが、それでも口中に焼け付くようだった。
「美味しい?」
「……苦い」
その返答に声を潜めて笑ったイーシャは、自身もカクテルを飲みながら、横のラクトの顔を覗き込んだ。
「何か悩んでた? だからお酒を試そうとしたとか?」
「……試してみたかっただけだ。どうにもならなかったけど」
「せやろね」
またクスクスと笑うイーシャは、やはり美人に見えた。そう意識すると、BARの他の客の視線がイーシャに集まっているような気がしてくる。が、それならば先ほどの歌姫にだって集まるはずだろうと、ラクトは自分の自意識過剰に自嘲した。
「まあ、悩むのはええ事や。時間はあるんやから」
「時間……あるのか?」
「あるやろ。あと1,2年は悩んだって別にええよ?」
「そ、それは悩みすぎじゃ?」
「人生を考えたら、流されて生きるよりはよっぽどええと思うけどな」
「流されて生きる?」
「そや」
三口目でカクテルを飲みきってカウンターに置くと、イーシャは少しだけ真剣な顔をした。
「ラクトはんの復讐が終ったって言って、色々な人が”こうするべき”とか”ああするべき”とか言ってくるかもしれへん。やけど、それには流されんといてや、という話」
「学校に行くべき、とか?」
「せや。別にラクトはんが自分で選んだんならそれでええ。せやけど、周りのそうするべき言われたからする言うんは、違うんちゃうかな、って」
先ほどロイドに言われた事を言ってみると、イーシャは頷いてきた。が、それはロイドに対して思うところがある訳ではないというのはさすがのラクトにも分かった。
「誰かに言われたからやのうて。ラクトはんが何をどう考えてどういう結論を出したか。ウチはそれを聞きたいんよ」
それはきっと、イーシャの本音なのだろうとラクトには思えた。思い返すに、イーシャは常にラクトを肯定してくれた。が、それは聞きたい答えをくれるという意味ではない。イーシャは後押しはしてくれても、答えになりそうな言葉自体はくれなかった、という事をラクトは今更ながらに思い出していた。
「……分かってるよ。約束したしな」
そう言ってラクトはグラスに残った酒を呷った。度数が高い酒は喉から食道を熱く焼きながら下っていき――その苦さはずっと消えずに舌にこびりついたままだった。




