3話 空転の魔法使い 下
その夜、二人が潜り込んだ野営地は、思っていたよりもずっと明るかった。
近頃、公国では、野営がひとつの文化的な活動として広まりつつあった。
火の扱い、水の汲み方、星の見方、夜の越し方を、親から子へ伝える。
そうした習わしが広まり、山間部には整えられた野営地が増えていた。
野営地では、いくつもの焚き火が揺れていた。
笑いながら食事を囲む家族連れ。
干し肉を焦がした少女を叱る母親。
楽器を手に、子供と共に歌う父親。
ただただ、笑う子供たち。
その中に混じって、ハモンとククルスも焚き火を囲んでいた。
ククルスは焚き火の様子を見ると、自分が着ていた礼服を無造作に投げ込んだ。
「お前の服も燃やせ」
ハモンはすぐには答えなかった。
十六歳から軍に入り、着続けた剣士の装い。
「二十年だ」
まず、外套から火にくべた。
「まさかこんな最後になるとはな」
「なんだ、切ないか」
「物が燃えるときは、いつでも切ない」
「それじゃ料理のときも、毎回切なくなるな」
「比喩というものを知らんな」
「そりゃお前のことだろ」
ハモンは苦笑いをしつつ、剣士の装いをひとつずつ火にくべていった。
火の中で、剣士の外套が音もなく縮んでいった。
「二十年か、惜しいのか?」
「少しな」
ククルスはしばらく黙っていた。
それから、荷物から瓶を一本取り出した。
栓を抜き、琥珀色の酒をひと口含む。
「なら、なぜ戻らん」
ハモンは火を見た。
燃える布の奥で、小さく火花が跳ねた。
「戻れば、死んだ者が帰ることになる」
「別にいいだろ。死んでから役に立つ奴などおらん」
「死んだままだから、納まる話もある」
「お前の死でか?」
「俺一人で済むならな」
「……ますます意味が分からんな」
琥珀色の酒を傾けていたククルスは、星を見上げた。
「それだけか?」
ハモンはすぐには答えなかった。
火の中で、外套の端が崩れていく。
ハモンは少しだけ困った顔をした。
「……もう、剣でどうにかする時代は終わったのかもしれん」
ククルスは片眉を上げた。
「お前が言うのか」
「戦場では前からも後ろからも魔導具が来る。同時に撃たれたら無理だ。そんなものを、街の兵が当たり前のように持っていた。戦場でも、街でも、剣でどうにかなる時代ではないのだろう」
「同時に……? 正面だけなら戦える口ぶりだな」
「正面だけなら、なんとかする」
「はは。お前、冗談も言えるのか。だが、そこまで剣を低く見るなら、捨てればいいだろ。今だって、隠すように腰の後ろへずらしている。魔導具を使え」
「……それが、できれば楽だった」
ハモンは少しだけ笑った。
「俺は剣が好きでな」
ハモンは焚き火をつついていた枝を、ゆっくりと型どおりに振った。
「型をやっていると、それを残した剣士が、なぜここで退き、なぜ踏み込んだのか、少し分かることがある」
ハモンは枝先を返し、次の動きへ移った。
「難しい箇所では、その剣士も同じところで失敗して、誤魔化したり、苦笑いしたりしたのだろうとな」
ハモンは枝を下ろした。
「そういう時は、一人で剣を振っている気がせん」
「男ってのは、みんな不器用だな。手紙を書け、手紙を」
「手紙では、むしろ届かんかもしれん。みんな口下手だからな」
ククルスは瓶を軽く揺らし、眉をひそめた。
「それで、これからどうする?」
「剣を必要とする場所が、まだあるかもしれん。本当に終わったのなら、自分の目で確かめたい」
「そうかい、そうかい。なんとも肩の凝りそうな旅だな。……しかし、この酒は薄い。ほとんど水だ」
ククルスは酒瓶を抱えたまま、その場に横になった。
目の前の火では、剣士の外套が黒く縮んでいた。
焼けていく布の上に、近衛の紋章だけが残っている。
ククルスはふと、国葬で見た紋章を思い出した。
「おい、ちょっと待て。お前、最後の剣士か!?」
「言わなかったか?」
「はぁ……初めて聞いたぞ……お前はほんとに底が知れぬな。何があったんだ?」
ククルスが酒を飲む横で、ハモンはパンをかじりながら、自分の身の上を話した。
「という感じだな」
「ハモンよ、お前に言わねばならないことがある」
「どうした?」
「国葬で聞いた話だが、川沿いに生家があるらしいな。あれは記念館になるそうだ。家の前の道には、お前の名前がつくかもしれんな」
「なんと……本当に帰る場所がなくなった……」
「まあ気にするな。死んでいても腹は減る。私といれば飢えはしないさ」
「頼りにしている。そういえばこちらからの質問があるんだが」
「いきなりだな。質問はよく考えてからしろよ」
「その……耳は動くのか?」
ハモンは時折動くククルスのとがった耳に興味があった。
だが、ククルスは質問を聞くとフードを深くかぶった。
「おい、よく考えてからにしろ」
「む……エルフは月の光を糧にするというのは?」
「今さっき酒、飲んでたろ」
「背は特別大きいのか? それともエルフはみな大きいのか?」
「私は平均的だ。もっとでかいやつもいる」
「何歳くらいなんだ?」
ククルスは立ち上がった。
「ええい! 年齢は四百歳! 寿命は人間とは比べものにならん! 背は平均! 独り身だ!!」
周りの家族連れの視線に気づき、ククルスは静かに座り直した。
それから、小さな声でつぶやいた。
「最後のは……その、忘れろ」
「分かった。忘れるようにする。実は王国ではエルフを見たことがない。どうにも珍しくて」
「人を珍獣みたいに言うな」
「すまん。ただ気になって」
「初対面の女に背だの耳だのと聞くな馬鹿者」
「まだ俺たちは初対面なのか?」
「お前という奴は言わせておけば……! もう寝る!」
ククルスはさらにフードを深くかぶり、焚き火に背を向けた。
「すまん。次からは、考えて聞く」
「寝てる!」
翌朝、焚き火はすっかり小さくなっていた。
家族連れの多くは、朝食の支度を始めていた。
鍋をかき回す音、子供を叱る声、薪を割る音。
その中で、逃亡者の二人だけが、朝靄と共に野営地を後にしていた。
「本気で逃げるなら、別々に逃げた方がいいかもしれんな」
ハモンが言うと、ククルスは露骨に眉をひそめた。
「おい、何を言っている。私とお前は一蓮托生だぞ」
「だが、追手が来た時は……」
「昨日、眠る前に占った。二人で行動しろと出た」
「いつ占った?」
「いつの間にか、だ」
「道具は?」
「私の占いに道具はいらん」
ハモンは、怪訝な顔でククルスを見つめた。
ククルスはしばらく耐えていたが、分かれ道に差しかかると、道端の枝を一本拾い上げた。
「よし、分かった。実際に見せてやろう。お前の要望通り、道具を使ってやる」
「なんと。どうやるんだ?」
「まず、この枝をだな」
ククルスは枝を軽く振り、もったいぶって目を細めた。
「こうだ!」
枝は思ったより高く舞い上がり、空中で一度回ると、乾いた音を立てて道の上に落ちた。
枝の先は、古びた街道を指していた。
所々が崩れ、草に埋もれかけた道だった。
遠くには、小さな村の屋根がいくつか見えた。
だが、その道は村で終わることなく、山の間を抜け、はるか遠くまでまっすぐ続いていた。
「お告げだ。次の突き当たりまで真っ直ぐ行くぞ」
「おい、ちょっと待て。この道、突き当たりが見えないぞ?」
「旧街道だな。大陸の端から端まで貫く道だ」
「はぁ……次の占いはずいぶん先になりそうだ」
「枝が節約できていいじゃないか。よし行くぞ、ハモン!」
一人で進む背の高いエルフの背中を見ながら、ハモンは苦笑した。
「まあ、やってみるか」
ハモンは、隠すように腰の後ろへずらしていた剣を、本来の位置へ戻した。
そして、ククルスの後を追った。
しばらく街道を進むと、道の先から少年が走ってきた。
少年は手を振りながら、笑顔で叫んだ。
「お待ちしてましたー!」
「ハモン、誰だ? 知り合いか?」
「いや……ククルスの友人ではないのか?」
「私は友達が多いように見えるか?」
「確かに……昨夜、独り身だと」
ククルスがハモンの頭を軽くはたいた。
「……痛い」
「忘れろ」
少年が近づくにつれて、ククルスはフードを深くかぶりなおした。
男物の服に身を包み、顔を隠すようにフードをかぶった背の高い人物。
その傍らには、顔に泥を塗った男が立っている。
手を振っていた少年の笑顔は、近づくほどに薄れていった。
やがて二人の前で足を止める。
年のわりに、妙に大人びた身なりの少年だった。
少年はククルスを見上げ、少し圧倒されたように呟いた。
「お、おっきい……」
「初対面で失礼な奴だな」
少年は慌てて頭を下げた。
そのままの姿勢で、恐る恐る続ける。
「い、いえ、すみません。あの……討伐募集を見た方では……?」
「討伐?」
剣の役目を探す旅は、
どうやら何の募集かを確かめるところから始まるようだった。
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