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005話『花弁の街の表拍』(2)

※(2026.9.5) 本文の改稿を行いました。

※一刻=約2時間(一刻半なら約3時間)、西征の刻=午前9時頃

 

 [ エルディア地方 ~ 港湾都市エーデルダリア ]


 グレミィル半島最大の港町は、早朝から活気に満ち溢れていた。

 少なくとも都市の正門から中心部にかけて、道行く人々の表情は一様にして明るかった。魔物が近寄っていたことなど、露知らず。



「(元々この都市に住んでいた『人の民』だけではなくて)

 (近頃は『森の民』である亜人種の若者達も増えた……それは良いことだけど)」


 本国(ラナリア)の関係者や、洗練された文化を誇るトネリスナ領からの来訪者も年を追うごとに数を増してきており、行き交う者達の顔ぶれや身に纏う衣服は多種多様。

 大いに賑わいを見せる一方で、だからこそ常備兵の怠慢が気掛かりだった。



 要である港と、それに隣接する湾に目を向ければ、大小様々な船が今日も入出港を繰り返している。

 其々の航路を進む船舶が、放射状に広がっていくことからダリアの花弁になぞられて都市名の由来ともなった。




「都市の正門付近で魔物を三体討伐した。

 悪いけど大至急、骸を片付けておいて頂戴。これは大領主権限での指令よ。

 それから……市長のセオドラ卿への面会を取り付けてくれるかしら?」


 港湾都市に無事辿り着いたノイシュリーベは、その足で役所を兼ねるテルペス宮殿の入り口へと赴き、窓口を務める奉公人へ要件を伝えた。

 早朝から勤務しているのは、あまり役職の高くない新顔であることが多い。

 ノイシュリーベの顔を知らない可能性があるので、丁寧に説明していった。



「急な訪問であることは承知している。市長の予定を優先した上で、

 午後の空いている時間帯に入れてもらう形で構わないわ」



「か、かしこまりました!

 グレミィル侯爵閣下ほどの御方にご足労いただき何と言っていいのか……」



「私のことは気にしなくて良い。特別な歓待も不要よ。

 貴方は貴方の、今日の務めを果たしなさい……用件は市長と話すから」


 早朝一番にグレミィル半島の最高権力者が訪れ、腰を抜かし掛けていた奉公人を気遣いながら、用件だけを告げて一旦テルペス宮を後にした。




「(一先ず、これで良し)

 (今はエバンスもこの都市に居るでしょうから、先に市中を見ておきたいわ)」


 彼女の立場からすればセオドラ卿の元へ直接訪問しても良さそうなものだが、言葉通り急な訪問であるため、先方が段取りを整える猶予を与えることにしたのだ。


 勿論、先に一息ついて心身を整えておきたいという欲求もある。疲労の極みに達しつつある状態では建設的な話し合いに臨むことは出来ない。

 それに幸いなことに、今なら安全に休めるという確信が彼女にはあったのだ。






 [ エルディア地方 ~ 港湾都市エーデルダリア 『ソルヴァトン』 ]



「……ええ、一日だけで結構よ。

 ただ直ぐにでも汗を流したいのだけれど、大丈夫かしら?」



「はい、本日は幾らか部屋が空いております。

 ご要望通りに浴槽も準備させますので、ご安心ください」


 裕福な客層が集う区画。つまり治安が保証された宿泊施設で部屋を取り、愛馬と甲冑を預けた後に沐浴を所望した。

 自身の体力もそうだが、帰路に備えて愛馬をしっかりと休めておく必要がある。

 そうしてノイシュリーベは、ようやく一息つくことが出来るのであった。




「(国外から来た富裕層向けの宿だけど、こういうところはしっかりしてるわね)」


 案内された部屋には、既に陶器製の沐浴槽が用意されていたのだ。

 しかも目一杯の澄水が張られており、思わず笑顔を浮かべてしまっていた。


 グレミィル半島では古来より、湖水浴や沐浴の文化が根付いている。

 これは精霊を通じて魔法(スペリオル)を扱う魔法使い(ドルイド)が数多く存在する関係で、水の精霊との友誼を重ねる行為を発端としたという。

 転じて街中で暮らす人々の清潔意識にも寄与しているというわけだ。


 ノイシュリーベ自身も身を清めることを好んでおり、激務に追われる彼女にとって、こうした一時は貴重な安らぎなのである。



「(いい水ね……流石は高い宿泊費を要求するだけのことはあるわ!)」


 軽く掌の上で澄水を掬って確かめる。その質に満足すると手際よく衣服を脱ぎ、身体を洗ってから浴槽に浸かった。

 過去に騎士見習いとして八年間ほど厳しい修行時代を経験した彼女は、身の回りのことは一通り自力で(こな)すことが出来るのだ。


 夜を徹して行われた作戦行動によって心身共に纏わり付いた土埃と、血と汗の臭いとが諸共に洗い流されていく――






「……ふぅ、さっぱりした。

 ありがとう、とても心地よい清らかな水でした。どうか受け取っておいて」


 格段に身体と心が軽くなったような境地。

 自然と表情が綻び、ようやく彼女は戦闘状態から解放されたのだ。



 そうして沐浴を終えて、よく身体を拭いてから着衣を済ませると澄水に宿っていた精霊達に感謝の祈りを捧げた。

 同様に、沐浴槽を用意してくれた宿泊施設の従業員には労いの言葉と、数枚のグレナ銀貨を手当として渡す。


 自ら率先して臣下を率いて戦場を駆ける立場とはいえ、こういった場面での細かい気遣いは弟のサダューインと同じくエデルギウス家の一員として弁えている。

 尤も、サダューインがエディンで支払うのに対して、彼女は旧イングレス王国の貨幣であるグレナ銀貨を用いるという違いはあるのだが……。



「(まだ時間に余裕があるし、一眠りしたら軽く何かお腹に入れておきましょう)」


 部屋の壁に備えてある黒樫の掛け時計を見咎めて、現在の時刻を検める。

 時計の針は一応、まだ早朝に分類される時刻を指していた。

 これならば一刻半ほど仮眠を取ってからでも、食事を行う猶予があった。


 そう考えた途端、何だか急激に眠気が押し寄せてきたのである。

 沐浴により身体と心は晴れ渡ったが、蓄積した疲労だけはどうしようもない。

 


「ふぁ~~」


 自然と大きな欠伸が出てしまい、いよいよ休むべきだと判断した彼女はそのまま寝台に寝転んで安らかな寝顔を晒し始めた。






 それから一刻半後、予め決めておいた通りにノイシュリーベは瞼を開けた。



「……ん、そっか。エーデルダリアで休んでいたんだっけ」


 これも隣領である南イングレス領の首府で鍛え上げられた騎士修行の賜物だ。

 野営地では数刻ごとに見張り役の交代を行うため、計画的な起床が求められた。



「昔は予定通りに起きれなくて、よく怒られていたのにね……。

 まあ取り敢えず、着替えて何か食べに行きましょうか」


 理想を言えば二、三日の休息を挟むべきだが、ヴィートボルグで処理しなければならない政務が山積みとなってしまうので、そうも言ってはいられない。



 素早く身形(みなり)を整える。衣服に関してはチェックインした時点で貴族用の衣装の貸し出しを申請しており、部屋の前に届けられていたのだ。


 これから市長であるセオドラ子爵家の現当主と面会するとなれば、甲冑を纏ったまま臨むわけには行かない。

 かといって甲冑の下に着込んでいるのは布装や鎖帷子といった戦闘用の装束だったので、これもまた面会には適さないだろう。


 上品な純白の上着に、質の良い革製の礼服。この辺りの礼装が無難といえた。



「……今なら良い演奏が聴けるかしら」


 部屋を出て、従業員に挨拶をしてから外へ出る。宿泊施設内の食堂を利用することも検討したが、どうせならエルディア地方の市勢を検める良い機会でもあるので自らの足で港湾都市の市街地へと繰り出すことにした。

 暫し散策した後、目に留まった飲食店に入りオープンテラスの一席に腰掛ける。




 ~~~♪


 するとノイシュリーベが座った席の隣では旅芸人と思しき獣人……この辺りでは珍しい狸人(ラクート)の男性が、分厚く大きな掌を巧みに動かして弦楽器(フィドル)を奏でており、周囲の客達を虜にしている最中であった。


 彼が演じていた楽奏は、港町に漂う潮の香や(さざなみ)の音を強調するような調べ。

 一時の憩いの場として店に立ち寄った者達の心を掴み、一つに纏め上げつつも、新たな旅路へ快く向かわせてくれるような不思議な旋律だ……。


 戦いの後で空腹を満たす際に、音楽を堪能できる場というのは極上だ。


 町中であれ野営地であれ、ノイシュリーベはこういった食事の場を好んでいる。

 誠に心地良い席であり、ささやかな幸福と安心を得て表情が綻んでしまう。




「(良い具合に音が乗っているわね、弦を新調したのかしら?)」


 などと考えつつメニュー一覧を見渡し、給仕に注文を伝えた。

 彼女が選んだのは、牛肉と子羊肉とヘラジカの肉を合わせた肉団子に、芋を蒸かして磨り潰したものを和えた定番料理。薄く焼いた種無しパン。そして安価で流通している渋みの強い紅茶であった。


 侯爵位に就く者が口にするには聊か以上に質素な食事だが、彼女はこういった素朴な料理も嫌いではなかった。

 むしろ作戦行動の後の疲弊した肉体には豪華な宮廷風料理などよりも、こういった市勢の料理の方が気兼ねなく食べることができるので有難く感じるのだ。



 料理を待っている間にも旅芸人の奏でる音色は佳境へと移り、周囲の客達はますます演奏に聞き惚れている。

 明らかに他の客層とは異なる、高貴な雰囲気を醸し出すノイシュリーベの存在すら気に留めなくなるほどに……。


 それから数分が経過したころ、注文したものが木皿に盛られて運ばれてきた。



「あら、この肉団子(ショットブラール)……味付けが独特ね。

 皇国領産のスパイスか、それともナジア領や外洋から入ってきた新種の薬味でも

 使っているのかしら?」


 口に入れた定番料理の意外な味わいに驚きつつも満足しながら舌鼓を打つ。

適度な歯応えの楽しさに加えて肉本来の旨味と、練り込まれている癖の強いスパイスの相性はなかなか悪くない。


 やや肉汁が少なく、粗野さを感じる食感ながら一口一口を噛み締めて味わうことを好むノイシュリーベにとっては丁度良いと感じた。時折、肉団子の合間に摺り潰した蒸かし芋を挟むことで緩急を付けることもできる。



「(前に訪れた時よりも、表通りを行き交う者達の身形(みなり)が良くなっている)」


 街を行き交う人々を眺めながらノイシュリーベは心地良い音楽とともに食事を堪能し始めた。その双眸は優雅なれど時に鋭く、為政者としての色が入り混じる。



 多様な種族に加えて、他領から渡航してきたヒトが行き交う都市ならば、出で立ちや、利用する店に明確な貧富の差が生じるのは至極当然だ。


 にも関わらず、ノイシュリーベの視界に映る範囲ではそれなりに裕福な住人の姿ばかりであった。

 小汚い冒険者や旅人も居るには居たが、彼等は一時的な滞在者に過ぎない。



「(……いいえ、貧困層の者達を不自然なくらい見掛けなくなっただけね)」


 幾許か気掛かりな点を感じつつも木皿に盛られた料理をあらかた平らげる。

 食後の紅茶を啜っていると、隣席の旅芸人は長時間の演奏の締め括りに入っており、周囲からの喝采と大量のおひねりを貰って満面の笑顔を振り撒いていた。




「演奏、ご苦労様。

 これは私からの労いよ、一杯飲んでいきなさい」


「へへっ、まいどありー!」


 自分が注文したものと同じ紅茶を一杯頼み、旅芸人の席へと届けさせた。

 彼の好みである砂糖……グレミィル半島内ではまだまだ高級品の部類に入るが、それもたっぷりと追加して。



「でもさぁ、侯爵様が一人で街中をうろつくとか、いい加減に勘弁してほしいね。

 毒見役も連れて来てないようだし、何か起こってからじゃ洒落にならないよ」


 手杯(カップ)を受け取った旅芸人は、ノイシュリーベの身分を承知した上で気さくに言葉を返しながら、提供された紅茶を啜り始める。

 どう見ても貴族とは思えない風采であり、本来であれば彼女と対等に話せるような存在ではない筈だ。



「あんたが居座ってる店なら、まあ危険なことは起きないだろうと思ってね。

 毒なんて入っていようものなら、直ぐに発見してくれるでしょ?

 昔から、そういう勘が妙に鋭いんだから」



「そりゃまあ、その通りだけど。

 ただ即興で魔奏(スピリトーゾ)に切り替えるのは結構、大変なんだよね。

 こういった店に入るのなら、一言くらい連絡か合図がほしいっていうか……」


 魔奏(スピリトーゾ)とは楽器を奏でる音色に、魔力と精霊への祈りを乗せることで様々な効果を発揮させる魔法(スペリオル)の一種である。


 ノイシュリーベほどの存在感を放つ者を周囲の客達が気にする素振りすら見せなかったのはこの旅芸人の仕業。

 認識阻害の魔奏(スピリトーゾ)を行使し続けたことにより、衆目を己に惹き付けていたからなのであった。




「悪かったわね……今日は何かと時間が足りなかったのよ。

 この後はセオドラ卿と面会する予定が入っているわ」



「働き過ぎだよ。まだ詳しいことは聞けていないけど、

 外国から逃げて来た巫女さんを(たす)けに来たんだって?

 ジェーモスのおっちゃんも気苦労が絶えなさそうだねぇ」


 ノイシュリーベの補佐を務める騎士達の気苦労を想像すると同情を禁じ得ない。とばかりに溜息を吐く狸人(ラクート)の旅芸人。

 それは同時に、彼が『翠聖騎士団(ジェダイドリッター)』の騎士達とも面識があるということを意味している。


 とはいえ、大領主であるノイシュリーベが直々に騎士を率いて急行しなければならない程の緊急の変事であることも理解しており、ならば必要な話を優先するべきであると弁えて、少しだけ真面目そうに表情を引き締めた。



「それなら先に要件を伝えておいた方がいいよね!

 サダューインから、さっき伝書が届いたよ」



「……へぇ?」


 弟であるサダューインの名を耳にした途端、一瞬だけノイシュリーベの表情が険しくなったものの、続く言葉を聞き遂げるころには元の顔に戻っていた。

 「分かりやすいなぁ」……と旅芸人は内心で思いつつも、敢えて口に出して煽るような真似は避ける。



「彼が言うには、例の巫女さんは無事に保護したってさ!

 様子を見て数日のうちにはヴィートボルグに送り届けるそうだ。

 ノイシュとは、そこで面会させるつもりなんじゃないかな?」



「そう、相変わらず"あいつ"は自分の仕事だけは完璧にやってのけるわよね。

 ……まあ良いでしょう、救うべき者の安全が保証されたのなら文句はないわ。

 私もなるべく早く帰還するように心掛けるから」



「ほいほい、じゃあそういう感じで伝えておくよー」



「……エバンス。

 城に戻ったら、あんたにはまた色々と働いてもらうことになるかもしれないわ。 その心算(つもり)だけしておいて頂戴」



「ん~~、なんだか面倒ごと押し付けられそうな予感!

 まあ荒事じゃなければ大体のことは喜んで引き受けるけどさ」


 おどけた様子で肩を竦ませながらも嫌がる素振りは一切見せない。

 それが必要なことであれば、危険な仕事だとしても彼は遂行してくれるだろう。



「じゃあノイシュと市長が面会してる間にサダューインへの連絡を済ますとして、

 おいらも一緒にヴィートボルグに向かった方が良さそうかな?」



「ええ、そうしてくれると心強いわ」



「うぃうぃ~。二人で街道を渡るのも何だか久しぶりだねぇ。

 それと……これ、一応着ておいてね? 君は何かと目立つからさ」


 エバンスという名で呼ばれた旅芸人が、別れ際に被衣(フード)付きの外套をノイシュリーベに手渡してきた。



「ありがとう、いつも気が利くわね」


 一切躊躇することなく受け取り、そのまま羽織ってみせる。

 背部に備え付けられた被衣(フード)を目深に被り込むことで、人目を惹き付ける要因たる真珠の如き銀輝の髪と、秀麗な面貌が覆い隠された。




「君なら大丈夫だと思うけど、一応は気を付けてね?

 セオドラ子爵は、ベルナルド様とはあまり仲が良くなかったから……」



「ふん、分かっているわよ!

 ……私だって、出来ることなら会いたくない人物の筆頭だわ」


 そうして店員に料理の代金を支払うと、個人用の手当を渡してから店を発つ。

 陽光がやや傾き始めた正午過ぎ、市長が勤務しているテルペス宮殿へと再び足を運ぶのであった。






【Result】

挿絵(By みてみん)


・第5話の2節目をお読みくださり、ありがとうございました。

・狸人の旅芸人エバンスが登場したことにより、今回で主要登場人物が全員出揃った形となります。

 彼もまた様々なものを抱える人物の一人でエデルギウス姉弟とも深い関わりがありますので、どうか今後の活躍に注目していただければ喜ばしく思う次第でございます。


・さて、次なる第6話はセオドラ卿側の描写となります。

 群像劇を目指しているため時折そういった敵側のシーンを挟みますことをどうかご了承ください。

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― 新着の感想 ―
街や種族の描写がすごく丁寧で、世界観にぐっと引き込まれました。ノイシュリーベの気品と人間味のバランスも魅力的です。エバンスとの掛け合いも軽妙で好きです。
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