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005話『花弁の街の表拍』

 

  [ エルディア地方 港湾都市エーデルダリア ]


 グレミィル半島最大の港町は今日も活気に満ち溢れており、少なくとも都市の中心部で賑わう人々の表情は一様にして明るかった。


 この地に元から住んでいた純人種だけでなく、近年では『大森界』出身の亜人種……猫人や魚人、樹人、鬼種、妖魔といった種族の若者達の姿も目にするようになり、またラナリア皇国領や、洗練された文化を誇るトネリスナ領からの来訪者も数を増してきていた。

 行き交う者達の顔ぶれや、身に纏う衣服を眺めているだけでも一日中 暇を潰すことができるほどである。


 そして肝心の港と、それに隣接する湾に目を向ければ、大小様々な船が常に入出港を繰り返している。放射状に別々の航路を進む船舶の様子は、ダリアの花弁になぞられて都市名の由来ともなった。



「セオドラ卿への面会を取り付けてくれるかしら?

 ええ、急な訪問だし既存の予定を優先してくれてかまわないわ。

 どの道、食事を採ってからにしたいと考えていたから、午後の空いている時間帯に捻じ込んで頂戴」


 港湾都市に無事辿り着いたノイシュリーベは、その足で役所を兼ねるテルペス宮殿の入り口へと赴き、窓口で務める奉公人へ要件を伝えた。


 彼女の立場からすれば市長であるセルドラ卿の元へ直接訪問しても良さそうなものであったが、父から家督を継いで間もない若輩の身であることと、言葉通り急な訪問であることを弁えて先方が段取りを整える猶予を与える心配りを見せる。

 勿論、夜通し駆け抜けてきたが故に先に一息着いておきたいという思惑もあった。



 その後、裕福な客層が集う、治安が保証された区画の宿泊施設で部屋を採り、愛馬と甲冑を預けた後に沐浴を所望する。


 グレミィル半島では古来より精霊を通じて魔法を扱う者が多く存在しているため、水の精霊との友誼を重ねる行為である湖水浴や沐浴の文化が根付いており、転じて街中で暮らす人々の清潔意識にも寄与していた、という背景がある。


 時には貴人を遇する機会も多い宿泊施設なだけのことはあり、ものの数分で陶器製の沐浴槽が用意されて目一杯の清水が張られていった。

 透き通るような水質であることを確かめると、満足したノイシュリーベは手際よく衣服を脱ぎ、身体を洗って着水していく。

 過去に騎士見習いとして八年間ほど厳しい修行時代を経験した彼女は、身の回りのことは一通り自力で熟すことができるのだ。


 そうして夜を徹して行われた作戦行動によって塗れた土埃と、血と汗の臭いが諸共に洗い流されていく――




「……ふぅ、さっぱりした。

 ありがとう、とても心地よい清らかな水でした。どうか受け取っておいて」


 沐浴を終えて、よく身体を拭いてから着衣を済ませると清水に宿っていた精霊達に感謝の祈りを捧げた。同様に、沐浴槽を用意してくれた宿泊施設の従業員へは労いの言葉と数枚のグレナ銀貨を手当として渡す。

 自ら率先して騎士や兵を率いて戦場を駆ける立場とはいえ、こういった細かい部分での気遣いは弟のサダューインと同じくエデルギウス家の一員として弁えていた。



「(時間はまだまだ余裕があるし、軽く何かお腹に入れておきましょう)」


 宿泊施設内の食堂を利用することも検討したが、どうせならエルディア地方の市勢を検める良い機会でもあるので自らの足で港湾都市の市街地へと出歩くことにした。そうして暫し散策の後に目に留まった飲食店へと入り、オープンテラスの一席に腰掛ける。


 するとノイシュリーベが座った席の隣では旅芸人と思しき獣人……この辺りでは珍しい狸人(ラクート)の男性が分厚い掌ながらも見事な腕前で弦楽器の音色を奏でており、周囲の客達を虜にしている。

 騎士が戦いの後で空腹を満たすのであれば、音楽を堪能できる場というのは悪くない選択肢であり、誠に心地良い席なのである。



 メニュー一覧の中から、牛肉と子羊肉とヘラジカの肉を合わせた肉団子に、芋を蒸かして磨り潰したものを和えた定番料理と、薄く焼いた種無しパン、そして安価で流通している渋みの強い紅茶を注文する。


 侯爵位を持つ者が口にするには聊か以上に質素な食事だが、彼女はこういった素朴な料理も嫌いではなかった。

 むしろ作戦行動の後の疲弊した肉体には豪華な宮廷料理などよりも、こういった市勢の料理のほうが気兼ねなく食べることができるので有難く感じるのだ。


 料理を待っている間にも旅芸人の奏でる音色は佳境へと移り、周囲の客達はますます演奏に聞き惚れている。

 明らかに他の客層とは異なる、高貴な雰囲気を醸し出すノイシュリーベの存在すら気に留めなくなるほどに。


 そうして数分が経過したころに、注文したものが木皿に盛られて運ばれてきた。



「あら、この肉団子(ショットブラール)……味付けが独特ね。

 皇国領産のスパイスか、それともナジア領や外洋から入ってきた新種の薬味でも使っているのかしら?」


 口に入れた定番料理の意外な味わいに驚きつつも満足しながら舌鼓を打つ。

適度な歯応えの楽しさに加えて肉本来の旨味と、刷り込まれている癖の強いスパイスの相性はなかなか悪くない。

 やや肉汁が少なく、粗野さを感じる食感ながら一口一口を噛み締めて味わうことを好むノイシュリーベにとっては丁度良いと感じた。時折、肉団子の合間に摺り潰した蒸かし芋を挟むことで緩急を付けることもできる。


 そうして街を行き交う人々を眺めながらノイシュリーベは心地良い音楽とともに食事を堪能した。

その双眸は優雅なれど時に鋭く、為政者としての色が入り混じっている。

 多様な種族が行き交う街、然れど彼等の井出立ちや、利用する店や宿には明確な隔たりが生じており、有体にいえば激しい貧富の差が一目で見て取れるのだ。



「(前に訪れた時よりも明らかに貧困層の住人達の姿を表通りでは見掛けなくなったわね……)」


 やがて四半刻ほどが経過したころ、幾許か気掛かりな点を感じつつ木皿に盛られた料理をあらかた平らげて紅茶を啜っていると隣席の旅芸人は長時間の演奏が締め括るとともに、周囲からの喝采と大量の御捻りを貰って満面の笑顔を振り撒いていた。



「演奏、ご苦労様。これは私からの労いよ、一杯飲んでいきなさい」


 自分が注文したものと同じ紅茶を頼み、旅芸人の席へと届けさせた。

彼の好みである砂糖……まだまだ高級品の部類に入るが、それもたっぷりと追加して。



「へへっ、まいどあり! でもさぁ、侯爵様が一人で街中をうろつくとか、いい加減に勘弁してほしいねぇ。

 毒見役も連れてきてないし、何か起こってからじゃ洒落にならないよ」


 カップを受け取った旅芸人は、ノイシュリーベの身分を承知した上で気さくに言葉を返しながら、提供された紅茶を啜り始める。

 どう見ても貴族とは思えない風采であり、本来であれば彼女と対等に話せるような存在ではない筈だ。



「あんたが居座ってる店なら、まあ危険なことは起きないだろうと思ってね。

 昔から食い意地張ってたし……妙に危機を察する勘が鋭いから毒なんて入ってたらすぐ発見してくれるでしょ?」



「そりゃまあ、その通りだけど。

 ただ即興で魔奏に切り替えるのは結構、大変なんだよね。

 こういった店に入るのなら、次からは一言くらい連絡や合図がほしいっていうか……」


 魔奏とは、楽器を奏でる音色に精霊由来の魔力を乗せることで様々な効果を発揮させる魔法(スペリオル)の一種である。

ノイシュリーベほどの存在感を放つ者を周囲の客があまり気にしていなかったのは

この旅芸人が即興で認識操作の魔奏を行使し続けたことにより、衆目を己に惹き付けていたからなのであった。



「悪かったわね、今日は何かと時間が足りなかったのよ。すごく眠たいし……。

 この後の予定はセオドラ卿と面会するだけだから、夕方以降は幾らか余裕はできそうだけど」



「働き過ぎだよ。あんまり詳しくは聞いてないけど、どこかから逃げてきた巫女を救けに行ったんだって?ジェーモスのおっちゃんも気苦労が絶えなさそうだねぇ」


 ノイシュリーベの補佐を務める騎士達の気苦労を想像して同情を禁じ得ない旅芸人。

とはいえ、それが緊急の変事であることも想像に難くなく、ならば必要なことを優先するべきであると弁えて少しだけ真面目そうに表情を引き締めた。



「それなら先に要件を伝えておいたほうがいいかな? サダューインから、さっき伝書が届いたよ。

 例の巫女さんは無事に保護したってさ! 様子を見て数日のうちにはヴィートボルグに向かうそうだ。ノイシュとは、そこで面会させるつもりなんじゃないかな?」


 サダューインという名を耳にした途端、一瞬だけノイシュリーベの表情が険しくなったものの、続く言葉を聞き遂げるころには元の顔に戻っていた。

 「分かりやすいなぁ」……と旅芸人は内心で思いつつも、敢えて口に出して煽るような真似は避ける。



「そう、相変わらず自分の仕事だけは完璧にやってのけるわよね。

 まあ良いでしょう、庇護を求める者がいれば率先して応じるのが大領主の務め!

 "あいつ"の策が最も有用性が高く、救うべき者の安全が保障されたのなら文句はないわ」



「ほいほい、じゃあそういう感じで伝えておくよー」



「……エバンス、城に戻ったら色々と働いてもらうことになるかもしれないから、その心算(つもり)をしておいて頂戴」



「ん~~、なんだか面倒ごと押し付けられそうな予感! 荒事じゃなければ大体のことは引き受けるけどさ。

 じゃあヴィートボルグに向かう用意はしておくから、ノイシュと市長との話が纏まったら合流するよ」



「ええ、よろしく」



「それとこれ、一応 着ておいてね? 君は何かと目立つからさぁ……」


 エバンスという名で呼ばれた旅芸人が、別れ際にフード付きの外套をノイシュリーベに手渡した。

 (おもむろ)にそれを羽織り、フードを目深に被り込む事で人目を惹き付ける要因たる真珠の如き銀輝の髪と、秀麗な面貌が覆い隠される。


 そうして然るべき隠匿を施し、店員に料理の代金と個人手当を纏めて支払うとオープンテラス席より発ち、市長との面会に向けて彼が勤務しているテルペス宮殿へと再び足を運ぶのであった。


・第5話を読んで下り、いつもありがとうございます。

 狸人の旅芸人エバンスが登場したことにより、今回で主要登場人物が全員出揃った形となります。

・彼もまた様々なものを抱える人物の一人でエデルギウス姉弟とも深い関わりがありますので、どうか今後の活躍に注目していただければ喜ばしく思う次第でございます。


・さて、次なる第6話はセオドラ卿側の描写となりますが、主人公以外に焦点を当てるシーンを皆様はどう感じておられるでしょうか?

 群像劇を目指しているため時折そういったシーンを挟みたいと作者は考えているのですが、もしご意見やご感想などがあれば気軽にお伝えいただければ幸いです。

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