004話『払暁』
(2025.10.16) 加筆修正を行いました。
バランガロン達が拠点としている大型船への帰還を果たしたころ、エペ街道で起こった戦いは完全に収束を迎えて後処理の段階へと移行していた。
戦死した悪漢達の遺体は一塊に纏められており、まだ辛うじて息のある者は厳重に縄で拘束されて街道の脇に除けられている。
「……失態だわ、まさかあれだけの数を捕り逃してしまうなんて」
約七十名ほどの悪漢達のうち討伐ないは捕縛が適ったのは、半数を僅かに超える三十七名。十騎だけとはいえ、グレミィル半島に於ける最精鋭戦力である『翠聖騎士団』を引き連れての戦果としては、あまり芳しいものではない。
とはいえ悪辣者の殲滅ではなく亡命者の救出が第一目的なのだから、最低限の成果は達成されていた。
悪漢達が遁走した方角を睨みながら忌々し気に呟くノイシュリーベの恰好は、既に交戦状態が解かれているためか、その美貌を覆い隠す兜や布頭巾は外されており早朝の新鮮な空気の直中に彼女の素顔が露わとなっている。
弟であるサダューインと同じ、真珠の如き銀輝の髪。翡翠のような美しき双眸。
ハイエルフの母親から受け継いだ種族特有の肌と顔立ちに、鋭利で長い耳が特徴的な容姿であった。
グラナーシュ大森林で暮らすエルフという種族は、金属製の武具を身に纏うことを忌避しているのだが、そもそもハーフエルフである上に、騎士を目指した彼女にとってそのような古い慣習と価値観は無二の長物として疾うに切り捨てていた。
「それは仕方ありませぬ、ノイシュリーベ様。相手はあの"灰煙卿"グプタ!
……彼奴の大魔術の悪名高さは折り紙付きです」
「ベルダ卿の言う通りですよ!」
「あれが噂の『灰煙』……とんでもない術式でした」
「侯爵様の魔法以外では対処することすら出来ないとはな……」
父ベルナルドの代からエデルギウス家に仕える初老の騎士が失態の責任は彼女には非ずと唱え、周囲の騎士達もまた、その声に賛同する。
「貴方の機転がなければ、むしろ我々は五体満足ではいられなかったでしょう。
捕り逃したとおっしゃるのなら、それは我々が不甲斐ないが故!
貴方の足を引っ張ってしまったからに他ならない」
グプタの大魔術とは、超広域の濃霧……彼の二つ名の由来でもある『灰煙』を発生させることで領域内に存在する敵性対象にのみ、幻覚や幻聴、激しい魔力酔いに脱力症状を強制的に発露させるというものである。
魔力酔いの症状に陥ると、己の体内の魔力を自在に扱うことが出来なくなることから実質的に魔法や魔術を封印された状態に陥る。
実際に、ノイシュリーベに随伴した魔法騎士のうち三名ほどが濃霧の洗礼によって意識を失っていた。
更に長時間『灰煙』を吸い込み続けた場合、領域外に逃れても症状が固定化して武芸者や魔法使い、あるいは魔術師としての人生は幕を閉じる。
また本質が濃霧であることから視界の遮断効果もあり、逃走の際には極めて有効な手管であった。
「(あれ程の魔術の遣い手は、お母様以外では見たことすらなかった)
(これが世界を股に掛ける最上位の冒険者ってことなのね……)」
この地上世界に於ける『魔術』とは術者が体内に保有する魔力を燃料として、後天的に学んだ知識や儀式……詠唱や魔法陣の敷設などを経て様々な現象を発現させ得る技術の総称であり、学術的な教養を必須とした。
努力次第では誰でも習得することが可能な反面、本人の保有魔力量によって扱える術に大きな差が生じる上に、例え同じ術であっても効力に影響を及ぼす。
グプタの行使した『灰煙』はその規模からして大魔術に分類される。彼が如何に規格外の魔力を貯蔵できるのかを物語っていた。
なお『魔術』とは異なる技法として『魔法』というものも確立されている。
これは地上世界に存在する精霊を媒介とし、精霊の力を借りて発現させる現象の総称であり、祈祷の所作の延長線上に位置する。
精霊と交信する際に必要な魔力さえ捧げれば一定の効力を発揮できる反面、精霊との交信には先天的な素養が必要であり、更に交信する精霊の位階によっては代償として要求される魔力量が大きく異なってくる。
幸いなことにノイシュリーベはエルフ種由来の風魔法、特に気流操作の術に長けており、保有魔力量も潤沢で並の魔法使いを遥かに凌駕していた。
『灰煙』の直中に置かれても、自身と味方の騎士達の周囲に豪風の膜を構築することで難を逃れたのだ。
尤も、その為に彼女が追走に転じる機会を逸してしまったのだが……。
「『ベルガンクス』を相手に死者を出さず退けたのであれば戦果としては十二分。
また一つ、ノイシュリーベ様の誉と偉業が積み上げられたのです!」
「……ありがとう。ジェーモス、それに皆もね。
"灰煙卿"に"海王斧"、この位階の冒険者達が動いているなんて思わなかったわ。
奴等を雇って差し向けられるとなると、今回 亡命を申し出た娘達は
相当に厄介そうな輩に付け狙われている……」
「然り、余程 重大な秘密を抱えた御仁なのでしょう。
そういえば、我々が救出しようとしていた女性の身柄は今どちらに?」
「ああ、それなら……"あいつ"が動いている筈よ。
あの娘と、その従者の遺体は見当たらなかった。
きっと私達が交戦している間に二人を連れて行ったのでしょう」
急遽、苦虫を嚙み潰したかのような表情へと移り変わるノイシュリーベを見て、騎士ジェーモスはそれが誰のことであるかを瞬時に察した。
「亡命の要請を受けた時点では、追手の戦力が分からなかった……だから、
確実に救けるために、コソコソと這い回る奴に任せるのは理に適っていたわ。
そもそも今回の救出作戦を進言したきたのも"あいつ"の方からだったし」
「はははっ……貴弟君が連れ去っておられるのなら安心できますな」
サダューインは騎士ではない上に、何かと黒い噂の絶えない人物である。
同じ血を別けた双子の姉のノイシュリーベ自身が忌避していることもあり、臣下であるジェーモス達は、なるべく主君の前で彼の名前を言わぬよう心掛けていた。
「それでは我々は捕縛した賊共と、意識を失ったベリル達を馬車に詰め込んで
先にヴィートボルグへ帰還させていただきましょう。
ノイシュリーベ様もどうか、お気を付けてお戻りください」
「ええ、任せたわ。私はエーデルダリアの市長……セオドラ卿に掛け合って
討ち取った悪漢達の遺骸の処理と、残りの逃げた連中の捜索を要請してくるわ。
騎士を連れて領地に足を踏み入れたことへの弁明もしないといけないしね」
「此度は救出までの速度を優先したがために、十騎とノイシュリーベ様のみで
急行しましたからな。事後承諾となってしまうのも致し方ありますまい」
「そういうこと。私が戻るのは七日ほど後になると思うけど、
大事起きないようブレンケ卿達と協力して警戒は強めておきなさい」
「御意!」
「お任せください」
「ノイシュリーベ様のお帰りをお待ちしております!」
騎士ジェーモスが恭しく首を垂れて主君の命に応じ、他の騎士達もそれに倣う。そうして『翠聖騎士団』の屈強なる騎士達は悪漢達の移送に従事していった。
この光景から一つ疑問を感じるとすれば、誰も主君が単独で港湾都市エーデルダリアへ立ち寄ることについて異を唱える素振りを見せないことである。
別けても悪名高い冒険者が率いる悪漢達と交戦したばかりだというのに……。
しかし彼等にとってこれは至極当然の分別であった。
何故ならば、高位の風魔法を併用するノイシュリーベと、彼女が騎乗する愛馬との合算から成る走力は皇国陸軍随一。
海上すら無理やり走破してしまう、その全力疾走に追い付ける者は皇国内には誰も居らず、単独であれば如何なる危地からでも逃れられるのだ。
であれば、むしろ数名の騎士や従者が中途半端に彼女の護衛として随伴することのほうが、かえってノイシュリーベを危険に晒してしまうことを、この場の誰もが熟知しているのである。
「お独りで突っ走るところは、戦場でのベルナルド様にますます似てこられたな。
尤も、騎馬を駆ける速度は御父上の比ではないが……」
馬車を先導しながら騎士ジェーモス・グレイスミルド・ベルダは嘯く。
全力疾走状態のノイシュリーベは正に彗星と見紛うばかりの速度なのだ。
追尾の術式を組んだ攻撃魔術ですら彼女を捉えるには至難を極めることだろう。
唯一、彼女に背後から追い付ける可能性を持つ者がこの大陸に存在するならば、ジェーモスが知る限りでは遥か大陸東部の国々で活躍しているという、"春風"の二つ名を持つ狐人の冒険者くらいのものであった。
【Result】
・第4話を読んで下さり、誠にありがとうございました。
・この物語には魔法と魔術という二つの技法と技術が別物として登場します。
既存のゲーム作品で例えるところの祈祷に該当するのが魔法です。
・また魔術の下位互換としては魔具術というものや
魔法の亜種に魔奏というものも存在します。
・これはまた追々本編中で綴っていきたいと思いますので
「そういうものもあるのか」くらいの気持ちで読んでいただければ幸いです。