019話『プリンシパルキャスト』(8)
執務室を出たラキリエルは、廊下の壁に背を預けて凭れ掛かかりながら待ってくれていたエバンスの姿を見咎めた。
「お、来た来た。そんじゃあ君に用意された部屋まで連れて行くよ。
……と、その前に自己紹介だね。おいらはエバンス! しがない旅芸人さ。
ここじゃあ一応、密使として侯爵様に仕える身分ってことになってるよ」
「エバンス様、どうかよろしくお願いいたしま……」
深々とお辞儀をしながら返答しようとしたところで、眼前に差し出された狸人の旅芸人の掌に阻まれてしまう。
「おいらはただの平民だし、様付けとかお辞儀とかは要らないよ~。
もっと気軽に接してくれたら嬉しいかな」
「そうなのですか? ノイシュリーベ様とも対等に話されておられたので、
てっきり良家の御出身なのかと……」
ノイシュという愛称で呼んでいたことから、彼等がお互いに信頼し合っている様子が容易に感じ取れたのだ。更に、サダューインからも一目置かれていることが会話の節々より伝わってきていた。
「あはは、もっと公的な場なら侯爵様とはちゃんと敬語で話すよ。
さっきのは半分私的な面会みたいな状態だったからねぇ、
つい素の話し方が出ちゃってただけなのさ」
頭の後ろに両掌を添えて、まるで歌い出しそうな素振りで廊下を歩き出す。
ラキリエルは慌てて後を追い始めた。
「あの姉弟を含むエデルギウス家とは昔から良くしてもらってね。
でも、おいら自身はどこにでもいる、ただの旅芸人なのさ。
そんなわけで普通に呼び捨てとかで大丈夫だけど、まあ好きに呼んでくれればいいよ~」
「分かりました。それではエバンスさん……改めてお世話になります」
「ういうい、じゃあ二階の賓客用の部屋に行くよ。
この建物の地上部分はそんなに複雑な構造じゃないから迷子になる心配はないだろうけどね」
三階の奥まった場所に位置する執務室より壁沿いに伸びる廊下を渡って階段を降りていく。城館二階の中央には会議室を兼ねる大部屋が存在し、その大部屋を隔てて東西に別れるようにして幾つかの部屋が設けられていた。
「西側の廊下を進むと、資料室や『翠聖騎士団』専用の執務室に上級使用人達の詰め所なんかが並んでいるよ。
そんで東側の廊下を進めば、賓客用の個室を含めた部屋が並んでいるんだ」
「ふむふむ……」
海底で暮らしていたラキリエルにとって地上の建物は全て物珍しく映り、新鮮に感じるために興味深そうに頷き続けた。
「元々は軍事拠点として築かれた建物だから宮殿みたいな豪華な装飾はないし、 あまり構造に遊びもないけれど、丘陵の頂にあることを考えれば
かなり快適な住居になってきていると思うよ」
「そうですね。寒さも感じませんし、どこを見ても清掃が行き届いていて
埃一つ見当たりません!」
「あはは、侯爵様はそういうところに厳しいからねぇ……寒さ対策のほうは
そういう設備のおかげかな。サダューイン様が管理を担当されているんだよ」
「えっと、たしか……サダューイン様達のお母上が中心となられて
魔具を用いた設備をお造りになられたのでしたっけ?」
黒馬に乗って市街地を進んでいた際に、サダューインが発した言葉を思い出しながら尋ねてみた。
「そうそう、先代の大領主様の奥方でダュアンジーヌ様という御方だね。
すごく頭が良くて物知りで、器用なヒト……だったんだよ」
少しだけ遠い目をして虚空を見上げながら、言葉を続けた。
「ダュアンジーヌ様が造り変えたお城を、今はサダューイン様が中心となって
稼働させたり、補修したり、部分的に発展させたりしているんだ。
君が暮らす部屋も、かなり過ごし易いと思うから存分に寛ぐといいよ」
春から夏に差し掛かる時期でさえ、遥か北東の方角に聳えるキーリメルベス大山脈を降って流れ込む冷風により、城館の外では肌寒さを感じる瞬間がある。
夏前でこれなのだから、冬場は氷獄の如く凍えることは想像に難くない。
然れど、室温を一定に保つ魔具を埋め込んだ壁の効果により、城館内で暮らす者達の手足が震えていたのは昔の思い出と化していた。
「とか言ってる間に、着いたよー」
ささやかな意匠が施された樫木の扉の前で先頭を歩くエバンスの足が停まる。
真鍮製のドアノブには鍵が掛かっておらず、軽く捻って扉を開けてみせるとラキリエルに先に入室するように促した。
その一連の挙措は、熟練の執事と比べても遜色ないものであった。
「は、はい……それではお邪魔します」
先程までの気楽な旅芸人といった雰囲気から一変して執事然とした振舞に様変わりしたエバンスに戸惑いながらも、賓客用の個室へと足を踏み入れる。
そこは貴族階級の者が居座る個室としてはやや狭い造りではあったが、豪奢な暮らしにはあまり興味のないラキリエルとしては十二分な広さであると感じた。
むしろ一人で使うには持て余しそうなくらいである。
部屋の端には大きめの窓が設けられており、格子状の鉄枠には小さい丸硝子が無数に嵌め込まれて外の光を採り込めるようになっていた。
また部屋内には机や椅子を始めとした一通りの家具類が揃っており、いずれも上質で希少なベルシンガ地方の木材が用いられているようであった。
金細工や宝石細工といった華美な装飾こそほとんど見当たらないが、故に年季を経た木材本来の温かみが伝わってくる。
「素敵ですね」
落ち着いた色合いの家具を一つ一つ検めながら、清掃が行き届いた室内を見て回るうちに思わず感嘆とした声が、ぽつりと零れた。
床部は藁敷きではなく、この地に棲息する固有種の羊毛で編まれた床敷き布が敷かれており、適度な硬さが歩く度に心地良さを与えてくれる。
窓から差し込む陽光も過度になり過ぎないよう調整されているようで、滞在者が快く過ごせる細心の気配りを感じられた。
「わざわざ丘の上まで登ってきた賓客をおもてなしするための部屋だからねぇ。
侯爵様は清貧を好むから贅沢な調度品はあんまり採用していないけど、
それでもヴィートボルグの中じゃ一番いい場所だと思うよ」
言いながらエバンスは入口付近に置かれていた棒状の魔具を掴むと、先端に設えてある六角推の摘まみを捻ってみせる。
すると壁に仕込まれた別の魔具が作用して部屋内に新鮮な空気が流れ始めた。窓を開けずとも換気を行える仕組みなのだろう。
「こんな感じで色々と便利な機能が備わっているんだよ。
基本的な操作は、おいらが今から一通りやってみせるから適当に見ててね」
「ありがとうございます。
なるべく早く使いこなすことができるように、がんばって覚えます」
自動的に換気を行う壁を不思議に感じながら軽く触れてみるが、どのような仕組みで作用しているのかラキリエルには皆目見当が付かなかった。
それでも前向きに理解しようという心意気から、じっくりと機構が仕込まれた壁を見て回り、壁伝いに部屋の端部の硝子窓まで歩いて行く。
「あら……? あれはサダューイン様とノイシュリーベ様、でしょうか」
たまたま硝子窓の外の景色が視界に映った。
丘上の城館から真っ先に視えるのは白亜の壁。次いで城館の周辺に点在する軍事施設や果樹園、そして周辺の山々ときて、白亜の壁の外へと向かう二人組の男女が目に留まったのだ。
遠目からでは面貌までは判らずとも姉弟の持つ特徴的な銀輝の髪が、ノイシュリーベ達であることを判別させた。
「へぇ? あの二人が揃って出掛けたのか……」
意外そうに驚きながら、エバンスも窓硝子に近寄り外の様子を検める。
先刻の面会の時の様子からして姉弟間の仲があまり良いものではないことは、ラキリエルも実感しており、共に連れ立って城館を出ることを不自然に感じた。
「……ああ、成程ね。あそこに行くのか」
「……?」
「んー……侯爵様達の間で、たまによくある恒例行事ってやつだねぇ。
それよりも今は部屋の設備の説明を進めちゃおう。
はい、これ持ってね。おいらがやった時みたいに端の摘まみを捻ってみてよ」
「や、やってみます!」
手渡された棒状の魔具をおそるおそる受け取ったラキリエルは、言われた通りに摘まみを時計回りに軽く捻ってみると、先ほどと同じように室内の空気が自動で入れ換わったのだった。
「すごいです、窓も開けずにこんなに新鮮な空気が入ってくるなんて!
これなら寒い季節でも部屋の温度を保ったまま換気を行えそうですね」
「そうそう! そんな感じ、そんな感じ。
次は魔具の側面に付いてるボタンに指を添えて、軽く魔力を流しながら押してみようか」
「こう……でしょうか?」
言われた通りに魔力を注ぎ込みながら、力いっぱいにボタンを押す。
すると壁から凄まじい勢いで温風が噴き、あっという間に室温が急上昇した。
「わわわ、魔力を注ぎ過ぎだよ……!
その隣のボタンに同じくらいの魔力を注入して押してみて!」
「すいません……! こう! ですよね!」
隣のボタンを押すと今度は冷風が噴射される。先刻の温風と相殺する形で元の室温へと戻っていった。
どうやらボタンを押す際に注ぎ込む魔力の量で室温の如何を調節できる仕組みとなっているようであった。
「話には聞いていたけど、侯爵様並みの魔力量ってのは本当なんだねぇ。
最初に言わなかった おいらの落ち度だよ」
「びっくりしちゃいましたけど、面白いカラクリですね」
「あははー……ボタンを複数回押して調節するタイプもあったんだけど、
グレミィル半島に住む人は大なり小なり魔力の扱いに長けているから
今のような操作方式に落ち着いたのさ」
「たしかに、慣れてしまえば一瞬で温度を調節できそうで便利ですね!」
「うん、でもまあ……これは魔力量があまり高くないヒト…たとえば
サダューイン様でも扱えるように調節してあるからね。君や侯爵様が
思い切り魔力を注入しちゃったら、とんでもないことになっちゃうかもね」
なお風を噴射する機構というのは、ノイシュリーベが纏う甲冑にも一部転用されており、至る箇所に"魔導師"ダュアンジーヌが生きた証が刻まれているのだ。
その後もエバンスは他の設備等の説明を続けていった。そうして四半刻ほどの時間を掛けて練習を積んだラキリエルは、初めて触れる設備にも関わらず、ほぼ完璧に操作方法を把握することが適ったのである。
「だいたいこんな感じかな?
いやぁ~覚えるのが早くて、思ってたよりずっと説明が楽だったよ」
「エバンスさんの教え方がお上手だったからですよ。
これでどうにか、このお部屋を活用させていただくことができそうです!」
「ういうい~、より詳しい使い方や設備に使われている技術に興味が湧いたら
サダューイン様か、城館内に務める侍従の人達に尋ねてみるといいさ」
「そうさせていただきます。……ところでサダューイン様といえば、
先程お見掛けした際にはどちらに向かわれたのでしょうか?」
エバンスは恒例行事みたいなものと言っていたので、どこからしら行先に心当たりがあるのだろう。
仲の良くない姉弟が揃って城館の外へ出掛けたということに、遅巻きながらラキリエルは不穏なものを感じ始めていたのだ。
「んー……まあ、話してもいいのかな?
あの二人が向かったのは、たぶん第三練兵所だろうねぇ」
「それは、どのような場所なのですか?」
「この城塞都市内に幾つかある軍事施設の一つだよ。
でも今じゃエデルギウス家のプライベートエリアみたいになっているんだ。
近頃は侯爵様が、サダューイン様を折檻するために使うことが多いかなぁ」
「せ、折檻……!?」
「あはは、まあ例え話だよ。サダューイン様は独自に裏で動いている上に、
一人で抱え込もうとして必要なこと以外は話そうとしない性分だからねぇ。
だから侯爵様は、ああやって誰も使わない練兵所に呼び出して
徹底的に問い詰めるってわけ。たまに斧槍でポコポコにしようとするけどね」
「そのようなことが……」
「まあ、一種のガス抜きというか軽い姉弟喧嘩みたいなものだから、
気が済むまでやらせておくのが一番なのさ」
ノイシュリーべとしてはサダューインのやり方は肯定できないまでも、それがグレミィル半島で暮らす領民達のためであることは理解している。
故に本格的な処罰や幽閉といった措置を採ることはないのだが、然りとて秘匿が過ぎると感じた時は、こうやって行動を起こして白状させようとするのだ。
それを知悉するエバンスは「いつものことだよ~」くらいの感覚で納得しているのだが、ラキリエルはそうは思わなかったようだ。
「……サダューイン様は山道で負った怪我がまだ完全には癒えておられません。
ノイシュリーベ様が斧槍でポコポコ? にしたら大変なことになります!」
ザントル山道でラナリア皇国の軍人や魔具像と交戦した際に、サダューインはラキリエルの治療を拒んで自前の魔具で最低限の応急処置のみを行った。
エペ街道で悪漢達を一掃するほどの武力を見せたノイシュリーベと、もし武器を交えることにでもなれば傷口が開いて悪化する可能性が十分に考えられた。
「止めにいきましょう!
エバンスさん、わたくしを第三練兵所まで連れていってください」
「え、あ……うん。まあ確かに怪我が治っていないのなら問題だね」
「今度こそ、しっかり傷口を診せていただかないと……!」
それに、なにやら胸騒ぎが止まらないのだ。ここで彼の元へ向かうことを躊躇ってしまえば、なにかを決定的に見落としてしまうような気がして……。
両腕に纏わせている半透明状の布をふわりと漂わせながらラキリエルは賓客用の個室より出ていった。
「う~ん……温厚そうなのに、いざって時に急に行動力を発揮するところは、
どことなく生前のダュアンジーヌ様を思い出すなぁ」
有無を言わせない勢いで部屋を飛び出したラキリエルの姿を見て、先程までのおっとりとした雰囲気からの急変ぶりにエバンスはすっかり困惑してしまった。
ともあれ放置するわけにもいかないので、彼女に追従して個室を出ると、仕方なしに城館の外に建てられた練兵所へ案内することにしたのであった。
昼下がりの城塞都市の直上では、陽の陰りとともに分厚い雨雲が幾重にも覆い被さり始めていた――
・第19話の8節目をお読みくださり、ありがとうございました!
・さて、次話はいよいよ第1章の最終話。締めにふさわしき戦いを描いていけるよう全力を尽くす所存なので、どうかご期待いただければ幸いでございます。