019話『プリンシパルキャスト』(7)
「うひゃあ! 相変わらずサダューインははどんな財テク使ってんのさ?!
五百五十万エディンをぽんっと出せるなんて、おいら信じられないよ」
「決して安くはないが、不可能という額でもないからね。
それにエバンス……君くらい顔が広くて器用な男なら、
同じくらいの蓄えは十分に実現可能だと俺は思っているよ」
「いやいや~、おいらは身軽に動けるのが一番性に合ってるからねぇ。
色々なものを抱えるのは君やノイシュがやればいいよ」
サダューインが言い放った資金の提供と隠者衆を動員させてみせるという宣言に対して、真っ先にエバンスが反応を示して軽口を叩いてみせた。
地上の貨幣価値に疎いラキリエルは、その金額の大きさに今一つ実感が湧いておらず、きょとんとしたままである。
「ま、とりあえず……サダューインがやってくれるって言うんだから、
ここは有難く乗っかっておいたほうが良いんじゃない?
解決までの速度重視ってのは、おいらも賛成したいところだし!」
ノイシュリーベが座る席の斜め後ろに佇んだまま腕を伸ばし、彼女の肩に一瞬だけ掌を添えながら軽い調子で語り掛ける。
その言葉にノイシュリーベは、はっとした表情を浮かべた。
「……そうね。それ以外に方法は思いつかないし。あんたの提案に乗るわ。
ただし、あんたが負担したお金は三年以内に返済する」
「今回のような緊急事態に備えて蓄えていた資金ですので、不要ですよ。
返済に回す予算があるのなら、怪我人達への補償に宛がったほうが良い」
「……施しは受けたくないの」
「成程……しかし俺とてエデルギウス家の一員です。
領民の安寧のために私財を投じるのは当然の義務でしょう」
事態の収束を第一に考えつつも、互いの矜持のために一歩も引く様子を見せない姉弟をラキリエルは困惑した面持ちで見詰めていた。
そこで双方の意見を聞き遂げた後に、一拍置いてからエバンスが提案を行う。
「んー……だったらさぁ、まずはサダューインに肩代わりしてもらうとして
事件解決後にその七割分を返済するようにすれば良いんじゃない?
サダューイン個人の負担額は三割の百六十五万エディンってことで!」
「ふむ、まあ俺はそれでもかまわないが……」
「良いでしょう、それなら大領主の面目も保たれる。
あとは功労に対する名誉な勲章でも適当に送りつけてやるわ!」
「結構なことです。では諸経費についてはエドヴァルド筆頭紋章官に。
隠者衆との交渉状況については、エバンスを通じてお伝えします」
「それで、かまわないわ」
もう一度、机に置かれた資料を入念に眺めながらノイシュリーベは頷いた。
「ふい~、お互いに納得してくれて よかったよかった」
先程の、ほんの一瞬だけ顕れた身体の震えはエバンスの気遣いによって鳴りを潜めている。むしろ彼女の極僅かな変化についてサダューインとラキリエルは最後まで気付くことはなかった。
「他にこの場で話しておくことはありますか?
ラキリエルの受け容れも正式に認めていただきましたし、
こちらからは特に議題は残っていません」
「おいらも特に思い付かないかな~」
「…………」
少しだけ考える素振りを見せた後に、口を開く。
ノイシュリーべにしては、やや長い黙考。
「分かったわ、これにて面会の場は終了とします。
エバンス、悪いけど東の一番室にラキリエルを連れて行って頂戴。
それから明日以降でいいから、空いた時間に城館や市街地を案内してあげて」
牽制するかのように、サダューインを一瞥しながら言い放った。
ノイシュリーベの指示に対して他の三名がそれぞれに意見を述べる。
「ええっ、おいらがやるの?! 別にいいけどさ。
でもラキリエルは、サダューインに案内されたいんじゃないの?」
「えっと、そ……そうですね!」
遠慮がちに頷きながらも、表情ではサダューインとともに市街地を巡りたいと訴えかけているようであった。
「いや、すまないが先程の件で明日から動き回らなければならなくなった。
姉上の言う通り、エバンスに任せるのが最良だと思う」
「そういうことよ。城館で生活する間はアンネの部下の誰かを付けるけど
市街地を安全に案内するなら他に適任者はいないと思うわ」
「そ、そうですか……」
「……ザンディナムの件が完全に片付いたら必ず時間を作ると約束する。
そうしたら、その時こそ一緒に街中を巡ろうか」
「はい……サダューイン様がそうおっしゃるのなら……」
「んー、これは責任重大だなぁ。まあ、やるだけやってみるよ。
逆にサダューインを連れ回せるくらい、市街地のことを教えておくね」
「はははっ! それは楽しみだな」
無垢なラキリエルを除いて、それぞれが思惑を測りながら。一見すると和やかな雰囲気でこの場はお開きへと向かっていった。
「ラキリエル、改めて我がグレミィル半島へようこそ!
貴方が不自由なく暮らしていけるよう、私が責任を持つわ。
『灼熔の心臓』については、そのまま貴方が持っておきなさい」
「ありがとうございます、ノイシュリーベ様……!
既にご存じと思いますが、治癒魔法に関して多少の心得がございますので
もし癒し手が必要な際には、どうか わたくしにお命じください」
「ええ、頼りにしているわ」
優しく微笑みながら己の言葉を受け止めてくれるノイシュリーべに対し、ラキリエルは「やはり姉弟なのですね」と心の中で素直な所感を懐いていた。
「じゃあこれでお開きかな? 皆、お疲れ様~。
色々と話は進んだけど、まあまあ順当に決まって おいら安心したよ」
「ふっ、ではラキリエルのことはエバンスに任せるとして……。
早速こちらは調整に向けて動かせてもらいますよ。
姉上もこの後、別の者との面会の予定が入っていると聞いていますし」
「いや、あんたはここに残りなさい!
……夕方からは確かにウォーラフ商会長と面会する予定があったけれど、
先方の都合が悪くなったらしくて急遽 延期になったわ」
「ほう、ウォーラフ殿と……察するに支店の件ですかね。
あの彼が直前で面会の予定を取り下げるとは、余程の事態に見舞われたか」
「ええ、凄まじく丁寧な謝罪の伝文が送られてきたわ。
まあ大陸中を股に掛ける大商人だもの、そういうこともあるのでしょう」
まさかその理由が、ヴィルツの蒐集物を盾に取られての妻からの帰還要請だとは露知らず、為政者の姉弟はそれぞれに納得したようであった。
「そんじゃあ、おいらは行くけど……本当に大丈夫?」
それまで、この場で交わされた会話の記録を書面に綴っていたエバンスは筆を止めてノイシュリーベの顔を伺った。
弟と二人になって冷静でいられるのかどうか、それを心配しているのだ。
「大丈夫よ、別口で話を付けておきたいことがあるだけ」
「そっか。分かったよ……行こうか、ラキリエル。
とりあえずは君が泊まることになる二階の貴賓室まで案内するね」
「は、はい……よろしくお願いします、エバンス様。
サダューイン様、ノイシュリーベ様、それでは失礼させていただきます!」
席を立ち、二人に向けて深々とお辞儀をするラキリエル。執務室の扉を開けて先に退室しようとしていたエバンスに付いていく形で、彼女も部屋を後にした。
「さて、と……あんたにはもう少しだけ話がある。
今から私と一緒に、第三練兵所まで向かいなさい」
「それはどうも、穏やかそうな内容ではなさそうですね。
別に今ここで話し合えば良いのでは?」
意図を察したのか、サダューインは肩を竦めて応答する。
「どうせ、口達者なあんたは言葉巧みにはぐらかすだけでしょう。
己の行いに後ろめたいことが何もないというのなら、言う通りにすることね」
エバンスとラキリエルが退室した途端、部屋の温度が一挙に低下していた。
ノイシュリーベは貫くような視線を傾け、サダューインはそれを柳の如く受け流そうとしているが、張り詰めた空気と凍えそうな緊迫感が両者の間に漂い始めていたのだ。
「……ラキリエルのこと、そしてその左腕のことよ。ああ、背中の"腕"もか。
私の眼のことは知っているでしょう、誤魔化せるとは思わないことね」
三重輪の『妖精眼』を灯しながら、静かに双子の弟を睨み据えた。
「やれやれ……貴方はいつもそうだ。
もう少し清濁を併せ持つようにしたほうが、柔軟に振舞えるでしょうに」
「それは私の生き方じゃないってことは、よく理解しているでしょう?
……先に行っているから、武装して来なさいね」
そう言い残し、執務室の主であるノイシュリーベも退室してしまった。
「中途半端に誤魔化し徹すことは出来そうにない、か。
ザンディナムの件を速やかに片付けるためにも従っておくしかなさそうだ」
わざわざ場所を変えて話の続きを要求する。それも第三練兵所ときた。
そこは嘗て、姉弟とエバンスが英雄ベルナルドより直接 武芸の手解きを受けていた思い出の場所。
近年では姉弟間で込み入った話をする際に用いる密談の場と化していたのだ。
一人残されたサダューインは自身の左腕……漆黒の手袋で覆われた掌に目を落とし、次いで窓から見える件の建物へと視線を移して溜息を吐いた。
・第19話の7節目をお読みくださり、ありがとうございました。
・おかげ様で累計PV数が4000を越えまして感無量でございます!!
このままの勢いを保ったまま第1章を書き終えることができますよう、頑張っていきたいと思います!