003話『悪辣者の行進』
(2025.10.16) 加筆修正を行いました。
「ふい~~、ようやく町が見えてきやしたぜ……まったく散々な有様だぁ。
まさか、このグレミィル半島の大領主……侯爵様が直々にお出ましとはねぇ」
ノイシュリーベ率いる『翠聖騎士団』との戦いを生き延びた矮躯の男……グプタは、夜通し歩き続けた末に港湾都市エーデルダリアが視認できる距離まで逃げ果せていた。
なおノイシュリーベが当主を務めるエデルギウス家自体の家格は子爵なのだが、大領主という役職に付随する『グレミィル侯爵』という爵位も兼ね備えていた。
故に、彼女は一般的にも、外交的にも侯爵相当として扱われているのである。
「お宝は獲り損なうし、巫女には逃げられるし、人数も随分と減らされちまった。
あっしは限界まで魔術を使わされて魔力がカラッカラ!
これじゃあ、泣くに泣けませんわな……」
徐々に漂う潮騒の香りに安堵したせいか、ついつい大仰な素振りを交えて盛大に愚痴を吐いてしまう。彼の背後には同じく徹夜で逃走を続けた後に合流を果たした悪漢達が疲労困憊な様子で付き従っていた。
港湾都市の端の埠頭には、冒険者ギルド『ベルガンクス』の本拠地である大型船が停泊しており、そこまで辿り着けば一先ずの安全が担保されるのである。
精鋭騎士に強襲され、目論見を打ち砕かれたことを鑑みれば僥倖と呼べる結末に相違ない。だが巨漢の頭目はそうは考えていなかった。
「それ以上、言うんじゃねえ。クソッ!! あのボンボンの腐れ騎士どもが!
一番オイシイところで邪魔しやがって!」
忌々し気に吠えるバランガロンの左肩には、真新しい傷痕が刻まれていた。
あの乱戦の最中での大将同士の激しい一騎打ち勝負。ノイシュリーベが放った二度目の『過剰吶喊槍』の直撃を受けたのである。
心臓を確実に貫く算段で放たれた傑戦奥義に対して、寸前のところで上体を逸らして肩部で受けたがために即死だけは免れた。
しかし真っ当に大戦斧を振るうことが出来なくなるほどの大怪我であったのは確かであり、その時点でバランガロンは戦闘不能に陥ってしまったのだ。
直後にグプタが機転を利かせて、逃走のための大魔術を強引に発動させなければ本当に全滅させられていた可能性は高い。
そういった経緯もあり、既に全身の至る箇所に傷痕を残す歴戦の冒険者の肉体に於いても、一際に目立つものとして刻まれたのであった。
「へっへっ……まあ『翠聖騎士団』相手に生き延びたんですから、それだけで儲けものでさぁ。
とりあえず今回の損失分は経費として雇い主に請求しときやしょう。
お頭に使い込んだ治癒魔術の魔力分も含めて、ふんだくってやりますよ」
訳もなく言ってのけるが精鋭騎士を撒くための大魔術に加えて、瀕死に近い状態だったバランガロンを自力で歩ける程度にまで治療してみせたのだから、この矮躯の男が秘める魔術師としての地力は侮れない位階にあった。
「フン、それにしてもあの先頭を走って来やがったガキ。
……確かノイシュリーベとか言いやがったか?
男のクセにまるで女みてーな名前だぜ」
ノイシュという名前自体は男性のものとして時折 耳にするくらいには、この地方でもそれなりの数を見掛けることだろう。
しかし愛や恋、または恋人や添い人という意味を持つ『リーベ』を後ろに付けるのは南イングレス領や一部の地域での、淑女として期待された者への慣習だった。
「その上、着てる鎧こそ豪奢だったが、ずいぶんと小柄な上に
貧相な体付きだったしよ。だが俺様の斧と互角に切り結んでやがった。
……一体どんなカラクリを仕込んでやがるんだか、気に要らねぇ!」
二メッテを越える偉丈夫であるバランガロンは老成期とはいえ、その膂力の凄まじさは折り紙付きである。彼が扱う大戦斧もまた超重量を誇る上に魔具術の媒体にも成る得るという隣の大陸で造られた特注品なのだ。
そんな代物を自由自在に扱う彼の技量は、並の冒険者などとは比較にならない。
にも関わらず、宵闇の渦中で対峙した小柄な若い騎士は、バランガロンと五分五分の戦いを演じてみせたのだから辛酸を舐めさせられたと憤るのも無理はない。
「はぁ、一応……背丈でいえば、あっしと同じくらいなんですけどねぇ?
それにお頭ぁ、その大領主のガキってのは男じゃなくて女ですぜ!」
「……マジかよ!? そいつは逆に凄ぇな!!」
グレミィル半島や南イングレス領を含む、嘗てのイングレス王国の文化や慣習の影響下にある土地は男尊女卑の傾向が強く、女性が騎士に成ることなど言語道断。
故に、女性の身で騎士として、大領主として、振舞うノイシュリーベの非凡さは瞠目に値することだろう。
「聞いた話じゃ母親は森に棲むエルフのお偉いさんで、見た目も大分そっち寄り。
お頭と対等にやり合えたってのも、たぶんエルフの小賢しい魔法か何かを
駆使してたんじゃないですかねぇ」
「ほ~う、そういうことかよ。
道理で戦ってる最中に、やたらと手応えのなさを感じたわけだぜ。
こっちの斧が不自然に逸らされるというか、暖簾に腕を突っ込むかのような
不気味な感触がするとは思ってたんだよな!」
得心が行ったとばかりに、白髪だらけの顎髭を撫でながら嘯く。
思い返してみれば、確かに大戦斧を振るう度に不自然な風がどこからともなく吹き荒び、太刀筋を微妙に狂わせられていた。
相手の斧槍と刃を打ち重ねる際も、まるで風の膜に阻まれて斬撃の勢いが充分に乗り切らないような気がしてはいたのである。
「まあ……いずれ今回の借りは、たっぷり利子付けて返してやるぜ!
女なら、ぶっ倒した後に船に連れ帰って飼い殺しにするのも悪くねぇ!
高貴なエルフサマの血筋だってんのなら尚更、楽しめそうだ、ガハハハ!」
「あぁ、またお頭の悪い癖が出ちゃってるわ~。
それに高貴な血筋云々を言っちまうなら、お頭だって……」
疲れた表情で更なる愚痴を零そうとした瞬間、突如 バランガロンが背部で保持していた大戦斧を抜き放つ。
凄まじい風切り音を鳴らしながら振り降ろし、グプタの眼前で静止してみせた。
「……それ以上、言うんじゃねぇぞ。三度目は無ぇからな」
左肩の痛みを堪えながら静かに吐き捨てる。先程までの無作為に怒鳴り散らすような声色とは別物の、低く重い凄味を滲ませていた。
「死んじまった親父殿や、辛気臭ぇクソ兄貴とその息子達とは
とっくの昔に縁を切ってるんだ。
俺様は天下無双の海賊にして冒険者ギルド『ベルガンクス』を束ねる
バランガロン・バルロウォーズ様……だろ?」
「はい! はいぃぃぃ……おっしゃるとおりです、お頭ぁ!」
「フン、戻ったら今日 殺られちまった連中の分だけ員数を補充をしねぇとな。
それからショウジョウヒとクロッカスの奴も呼んでおけよ。
あいつらが揃ってりゃ巫女を捕り逃すこともなかったんだからよ!」
どうにか溜飲を下げて大戦斧を背に戻すと、燦然と照り付ける朝日を浴びながら港湾都市の外れに停泊させてあった己の船を目指した。
同じく散り散りになって逃げ延びた残りの部下達も徐々に集結し始めており、彼等を統率しながら共に帰路に着く。
「はぁ~~、危なかった。ご機嫌ナナメな時に茶々を入れるもんじゃないわな」
うっかり頭目の地雷を踏み抜いた結果、冷や汗をだらだらと垂れ流す羽目になったグプタは、悪漢達の殿に回って木製の舷梯を一段ずつ登ろうとした。
彼等の根城である大型船『ベルガロベリア号』は、正に海に浮かぶ城といった巨大さを有し、甲板の高さは水面から測ったとしても四階建ての建物に匹敵する。
したがって舷梯を登るにつれて、艶やかな港湾都市の端部を眼下に見渡せるようになるのである。
「田舎の栄えた都市とはいえ、こうして見ると立派なもんですねぇ。
とはいえ、お約束は付き纏うもんだけど」
街の裏の顔とも呼べる貧民街の様子がグプタの視界に映った。
粗末な荒屋。汚物に塗れた通路。空腹に喘ぐ子供。手足を失った元兵士。
どんなに栄えた都市であっても、或いは栄えた都市であるからこそ日影となる部分も同じくらいに増殖してしまうものである。
「…………」
国は違えど、貧民街出身であったグプタには見慣れた光景の筈だった。
しかし一点だけ彼にとっても奇異に映る要素が混在していた。それは貧民街で暮らす者達の手足の一部が、恰も濁った翡翠を彷彿とさせる鉱物のように結晶化していた点だ。
魔術を修める過程で様々な知識を得ているグプタの眼には、結晶化の原因が極めて邪悪な呪詛であることを瞬時に見抜く。
加えて、誰かが意図的に撒こうとしなければ蔓延しない類であることも。
「……あれが今、この半島で広まり出している呪詛ってやつですかい。
この都市の市長といい、キナ臭い火種が其処彼処で燻ってらぁ!」
薄ら笑いを浮かべながらも、どこか同情と諦観を含ませた面持ちのまま舷梯を登りきり、甲板を踏み締めながら幹部用の船室へと入っていった。
【Result】