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019話『プリンシパルキャスト』(1)



 どうか、悪い夢でありますように――




 白亜の壁に囲まれた御伽噺(ユメ)のような街に導かれ、その頂に建つ離れの家屋に泊まることになった わたくしは夕食をいただいた後、蓄積した疲労のためか急な眠気に襲われてしまい、宛がわれた部屋で休ませていただくことになりました。


 眠りに入った時刻が早かったからでしょうか、、深夜を過ぎたころに目が覚めてしまい手持無沙汰となってしまったので部屋から出てみることにしたのです。

 すると廊下の先、やや離れた場所に位置するサダューイン様の私室を兼ねる工房の扉の微かな隙間より、灯りが漏れていたのです。


 つまり、こんな夜更けにも関わらずまだ起きていらっしゃるということ……。既に消費した魔具の補填は済んでいる筈なので、なにか追加のお仕事を熟されているのだと思い、邪魔をしてはならないと頭で理解しながらも、まるで光に引き寄せられる蟲の如く工房のほうへ足を傾けてしまったのです。



 

 一歩、進む度に耳朶に響いてくる女性の甘い声。

 更に一歩、進むと 女性に応じる男性の声も伝わってきました。


 察しの悪いわたくしは扉の手前へ近付くまでに、それが男女の夜の営みによる嬌声であることに気付くことができませんでした。胸騒ぎがしました。


 扉の先より聞こえてくるのは、眠りに着く前までわたくしと接していただいていたスターシャナさんと……サダューイン様の声だったのです。


 わたくしに語り掛けてくれていた時と同じ優しい声でサダューイン様が囁き、

わたくしと接していた時の姿からは想像もできような興奮した嬌声をスターシャナさんが発しておられる様子でした。

 困惑しながらも頭の片隅では状況を理解しつつあり、なるべく足音を鳴らさないようにして、その場から逃げるように自室へと戻りました。


 再び寝台に横になり、これが悪い夢であることを心の底より願いながら頭から布団を被って眠りに着くことにしたのです……。




 そうして一夜が明けて、おそるおそる目を覚ますと先に起床していたと思しきスターシャナさんが清水とともに身支度を整えるための道具一式を用意してくださっていました。

 彼女の井出立ちは昨日と変わらず、完璧に纏った給仕の衣装に相応しく一切の卒なく淡々と職務を全うされる立派な女性でした。



 身支度を整えた後、建物内の居間へと通されるとそこには既にサダューイン様が椅子に座っておられて、優しく微笑みながら挨拶をしてくださったのです。

 居間の中央に置かれた長机には二人分の朝食が用意されていて、どうやら彼はわたくしが起きて来るまで待ってくださっておられたのです。


 挨拶と御礼の言葉を述べてから着席し、向かい合って食事をいただきました。

スターシャナさんと同じく、サダューイン様からも昨日からなにか変わったような素振りは見えず、翌日の大領主様との面会のことについてお話されました。

 ですが、わたくしは昨晩の件があり、話されておられた内容の半分も頭に入ってこなかったのです……。



 あれが聞き間違いでなかったのだとしたら、悪い夢ではなかったのだとしたらと考えると、心と身体が同時に震え出しそうになります。

 今すぐに目の前の彼に問い質したい。ですが尋ねてしまえばなにもかもが終わってしまうような気がして……結局は口に出すことができませんでした。



 朝食を終えると、サダューイン様は大量にお仕事を抱えているらしく家屋を発っていずこかへと出掛けて行くとのこと。


 常に傍にいて、わたくしを懸命に護ってくださった、頼りになる大きな身体。変わらぬ微笑。耳に残る優しい声。その全てが素晴らしく輝いていらっしゃるというのに、この日を境に陰りのようなものが視え始めてしまったのです……。



 サダューイン様をお見送りさせていただいた後に、わたくしは良からぬ思考を振り払うべく宮廷作法に関する書物を幾つかお借りして宛がわれた部屋に籠って一日中 読み耽ることにしました。




 夜中に聞いてしまった、あの声は現実だったのでしょうか? それとも単に、わたくしが眠っている最中に見ただけの浅ましい夢だったのでしょうか?


 あの時……思い切って扉を開いて工房内へ踏み出していれば、このように煩悶とすることはなかったのでしょうか?

 あの時……工房でサダューイン様の掌を握り締めた際に、己の想いと本性を包み隠さずに告げることができていれば、彼は今も隣に居てくれたのでしょうか?



 思考は堂々巡りに至り、不安と後悔が胸を圧迫しました。


 嗚呼、海神龍ハルモアラァト様……これは罪なのでしょうか? 貴方様や故郷の同胞達を犠牲にして一人で生き延びた先の新天地で、胸を焦がすような殿方に救われ、親睦を深め、そして強く惹かれてしまった。

 いつしか彼のことだけを想う時間が増し、これから先も常に傍にいたいと希うようになってしまった……わたくしは罰せられて然るべきなのでしょうか。


 深夜の出来事が夢であったことを強く願い、御伽噺(ユメ)が延長されることを心より願い、足元に這い寄る不安の糸に絡め捕られないよう、わたくしは只管に書物の(ページ)を捲って、捲って、捲り続けたのでした――





 その日、サダューイン様は家屋へ戻ってくることはありませんでした。



 スターシャナさんには「公務ですので、私のほうからお答えすることはできません」という回答しかいただけませんでした。


 いっそのこと、彼女に昨晩のことが真実かどうか尋ることが出来たなら楽になれたかもしれませんが、もし夢であったなら大変に無礼な質問であり、侍従として働いておられる彼女の名誉にも関わりますので、訊くことは論外でしょう。



 葛藤を懐いたまま御伽噺(ユメ)のような街での第二夜が更けていき、いよいよ大領主様との面会を行う日がやってまいりました。

 幸いにも、少しは眠ることが出来ましたので体調に問題はありませんでしたが果たして無事に面会を終えることができるのか、別の不安が過ぎり出します。


 昨日のうちにスターシャナさんは、わたくしが着ていた法衣を完璧に洗濯し、長い逃亡生活の間に傷んでいた箇所の修繕までしてくださったらしく、まるで故郷に居たころのような新品同然の状態にまで仕上げていただきました。



 再び法衣を纏い、身支度を済ませ、大領主様とお会いするのに相応しい状態へ己を整えてから家屋の扉を開いて外へ出ると、そこには既にサダューイン様のお姿が在りました。少し前から待機してくださっていたのです。




「ラキリエル、準備はいいかな? 

 心配しなくても大丈夫だ、姉上は真摯に話せば必ず受け容れてくれる人さ」


 一日ぶりに目にする整った御顔、わたくしに傾けてくださる優し気な眼差しと言葉、その全てが愛おしく、ですが同時に陰を抱えているようにも視えました。



「はい……本日も、どうかよろしくお願いいたします……」



「勿論だとも。随分と緊張しているのだと思うが、これを終えれば

 君も暫くはゆっくりできるだろうからね……もう一踏ん張りだよ」


 わたくしが一昨日の出来事のために表情を硬くしていたことを緊張からの不安によるものと捉えたサダューイン様は、より優しい声色と眼差しを以て和らげてくださろうとなされました。


 彼の心遣いを貴く思う反面、どこか遠いものを感じました。

 目の前にいらっしゃるのに……まるでわたくし達の立ち位置は地上と海底の如く離れているのではないかと錯覚してしまうほどに……。




「幸い、姉上は夕方からも別の者との面会を控えておられるそうだ。

 だから君との面会時間は長くても半刻といったところだろう」



「やはり大領主様ともなると、とてもお忙しいのですね」



「ああ、ザンディナム銀鉱山の件もあるだろうからね。

 エバンス……姉上の側近で密使を務める者も長引きそうだと言っていたよ」


 名前の挙がった密使の御方は、サダューイン様ともとても親交が深いらしく、わたくしを連れて戻る道中の間にも何度か伝書を送って状況を伝え合っておられたそうなのです。



「それでは行こうか。既に宮廷作法の書物を読んだのなら知っていると思うが、城館の中では俺の後ろに、一歩半の距離を空けて歩いてほしい。

 ヴィートボルグの発祥は戦砦だが、現在は紋章官や他国の役人達も出入りしているからね……それなりに気を遣わないといけない部分もある」



「はい、先導してくださるサダューイン様の御顔に泥を塗ることがないように

 付け焼刃の知識ですが、わたくしにできる最善を尽くしてまいります」



「はははっ! 俺の顔など幾ら汚れても問題ないさ!

 むしろ君の踏み台になれるのなら、幾らでも汚してくれてかまわないよ」


 冗談交じりに、或いはわたくしを安堵させるために、そうしてくださったのでしょうか。溌剌と笑ってくださり、そして前を向いて歩き出されました。


 先に進む彼の後を追い、わたくしもまた歩き出しました。

 この先に続くのがどのような現実であれ、今はただ進むしかないのです。




 どうか、善き御伽噺(ユメ)が続いてくれますように――



・第19話の1節目をお読みくださり、ありがとうございました。

 第1章の締めに向けて突き進んで参りたいと思いますので、応援していただければ幸いでございます。

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