018話『白亜の壁の更なる裡へ』(1)
[ 城塞都市ヴィートボルグ ~ 城館三階 大領主の執務室 ]
城塞都市ヴィートボルグおよびグレミィル半島の中枢にして丘陵の頂には、巨大で堅牢な建物である城館が冠の如く聳え立っている。
嘗ては丘上に築かれた戦砦の一つでしかなかったが、長き年月を経てヒトが集まり、街が築かれ、白亜の壁で覆われた。
そんな防衛の要にして政治の場でもある城館の三階には、歴代の大領主達が勤める執務室や会議室等が設けられているのだ。
サダューイン達より二日ほど先じてヴィートボルグに帰還したノイシュリーベは、エバンスと別れた後に半日だけ休息を採ってから政務に励んでいた。
エペ街道でバランガロン率いる悪漢達と交戦した騎士の損耗が記された報告書に目を通すと、詰め所に赴いて一人一人に労いの言葉を掛けて回る。
そして帰還を果たすまでの道中で自身が知り得た情報の数々を仔細に纏めて羊皮紙に書き記していった。一切の誤魔化しや虚飾はなく、誠実で潔白なノイシュリーベらしい記述内容が綴られていく。
続けてセオドラ卿の身辺調査や、ノールエペ街道に放置した魔物の死骸の撤去を急いで命じたり、不在にしていた間に溜まっていた書類の山にも一枚ずつ地道に目を通して、必要とあらば大領主としての採択を提示していく。
そうして慌ただしく政務を熟すうちに、あっという間に丸三日が経過した。
サダューインが離れの家屋にラキリエルを泊めた翌日。即ち、面会を明日に控えた日の正午前の時刻にて、執務室には六名の人影が集っていた。
大領主であるノイシュリーベ。その侍従であるアンネという名の女性。『翠聖騎士団』の第一部隊長にして副団長も兼ねるジェーモス。筆頭多面騎士のエゼキエルという名の中年の男性。筆頭紋章官を務めるエドヴァルドという名の壮年の男性。
そして旅芸人にして密使を兼ねるエバンス……といった顔ぶれである。
アンネはノイシュリーベと同じハーフエルフ、ジェーモスとエゼキエルは純人種、エドヴァルドは"大樹の氏族"出身の樹人、エバンスは"獣人の氏族"出身の狸人……と、種族にばらつきが見受けられた。
「まさかザンディナムでそのようなことが……。
"春風"が立ち寄ってくれていたのは、せめてもの不幸中の幸いですぞ」
「人的被害もさることながら採掘業が滞るのも厳しいところですな。
ザンディナムで採掘される純銀や魔晶材は半島の重要な収入源でもあります」
銀鉱山の管轄家を束ねるベルダ家の当主でもあるジェーモスが深刻そうな面持ちで呟き、続いて財政や内政だけでなく外交を担う各紋章官達を束ねる立場のエドヴァルドが同意する。
この日、彼等はエバンス経由で手渡されたサダューインの報告書に記された件について会議の場を設けていたのだ。
窓際の執務机には大領主であるノイシュリーベが座り、その傍らには密使のエバンスが控えて会議の内容を書面に記す役目を担っている。
部屋の中央の応接机を囲む四つの席のうちの三席には、それぞれジェーモス、エゼキエル、エドヴァルドが着席し、侍従のアンネは入り口付近に置かれた移動台の上で紅茶を淹れている最中であった。
「この『負界』という瘴気、グリーヴァスロ周辺でも聞いたことはありませぬ」
「ええ、私もよ。人為的に噴出させたというのが真実なのだとしたら
本国の軍人達は、いったいなにが目的なのかしらね?」
角都グリーヴァスロを治めるイングバルト公爵家に仕官していたエゼキエルは、特に旧イングレス王国を含む大陸中部の事情に明るく、その彼ですら知らないとなれば相当に稀有な事態であることを伺わせた。
「軍人達の派兵が海洋軍第四艦隊……ボルトディクス公の独断であれば、
大戦期の因縁ないしは雪辱といった線も考えられますな」
「どういうことかしら?」
「ボルトディクス公は当時、陸路で進軍するラナリア皇国陸軍とは別に
海路で密かにグレミィル半島に上陸して攻め落とそうと画策していたのです。
ですがダュアンジーヌ様の計略と迎撃策によって艦隊を壊滅させられて
一時は失脚する間際まで追い詰められたとか……」
「おお、それならば小生も耳にしたことがありますぞ!
『ナーペリア海の翠の奇跡』と呼ばれた一件ですな」
「然様、ダュアンジーヌ様の放たれた戦略級破壊力を持つ何らかの秘術により
エーデルダリアから蹂躙しようとした艦隊を丸ごと消失させたのです」
当時を生きたジェーモスとエゼキエルがそれぞれに語る。
「ただ、これはあくまで可能性の一つの話。ボルトディクス公の独断ではなく
皇王府そのものが関わっていた作戦の可能性も充分に考えられます」
「成程ね……覚えておくわ」
「侯爵殿、奇しくも来週には皇太子のバラクード殿下がご来訪なされます。
ヴィートボルグにお迎えした際に、尋ねられてみては?」
「……ああ、もうそんな時期なのね。ごめんなさい、すっかり忘れていたわ」
「貴方は昔から殿下のことが苦手そうでしたからな。
迎賓の段取りはいつも通り、このエドヴァルドにお任せくだされ」
「ありがとう。会食の時にでも訊けそうなら訊いてみるようにするわ」
「ふふ、バラクード殿下は侯爵殿のことを大層 目に掛けておられますからな。
余程のことがなければ、知っておられることは教えてくださるでしょう。
逆に知っていても話せないとあらば皇王府絡みということ……」
「……そうでないことを祈りたいわね。ボルトディクスの件に関しては
"あいつ"も勝手に探りを入れるでしょうし、今は慎重に進めていきましょう」
後に被ることになるであろう苦労を想像して溜息を吐き、次いでジェーモスへと視線を傾ける。
「それでザンディナムの件だけど、住民や労働者への補償の段取りは?」
「一先ず、健常な炭鉱夫達には別口で仕事を与えて宿場街に留めておきます。
冒険者や傭兵には引き続き救助に関する依頼を出して雇用の維持を、
怪我を負って働けなくなった者には日当の四割相当の特別手当を支給します」
出稼ぎで訪れる炭鉱夫や冒険者、傭兵達が立ち去れば宿場街は一気に寂れる。
たとえ一時的な雇用の消失であれ、一度去った者達が戻ってくるとは限らないし、戻って来るにしても相応の時間を要するだろう。
そうなれば宿場街で商いを営む者達の生活も立ち行かなくなり、各施設が閉鎖されれば採掘事業を再開できなくなる可能性があるのだ。
管轄家は莫大な損益を被り、曳いては半島を統治する資金面で重大な影響を及ぼす事態にも繋がっていく。
「ただ、それも二ヵ月ほどが限度かと。夏以降はなにかと大変でしょうからね」
「二ヵ月か……その期間で坑道内を浄化するのは流石に難しいわ」
「ですが早期に採掘業を再開できなければ、どうにもなりますまい……」
「…………」
重たい沈黙が執務室を支配する。
『負界』という見慣れぬ災害に対する処置の実績が乏しいがために、解決に要する時間や費用、労力の目途を立てることが難しいのだ。
と、その時。ノイシュリーベの傍らに控えていたエバンスが口を開いた。
「侯爵様、発言してもよろしいでしょうか?」
「ええ、かまわないわ」
「坑道の浄化についてはサダューイン様のほうでお考えがあるそうです。
ただ、仔細の確認のため一両日を要するとのこと。
おそらく明日の面会の場で何らかのご提案をされる おつもりでしょう」
ここはグレミィル半島の統治を担う要人が集う公の場であるので、普段の砕けた口調ではなく身分を弁えた態度で進言をするのだ。
「……まあ"あいつ"なら無策でただ報告だけするってことはないでしょうね。
分かったわ。じゃあ明日の面会を経て、特に有意義な提案がなかったら
再びこの面子で会議を行いましょう」
ノイシュリーベの返答を聞き遂げると、エバンスは恭しく一礼した後に再び口を閉じて案山子に徹し、各要人の妨げにならないように静かに控えた。
「あの弟君でしたら、我々では成せぬような手段を考案されるやもしれません」
「然様。であれば、この件は一旦保留といたしましょうか。
予断は許されぬ状況ではありますがな」
「小生も異論はございませぬ」
サダューインの能力と実績を知る他の者達も、それぞれ一応の納得を示した。
そして銀鉱山の議題が保留となったことを見計らい、侍従のアンネがエバンスを除く各自の前に紅茶が注がれたカップと茶請け菓子を差し出していく。
「それじゃあ、次の議題に移りましょうか。
"黄昏の氏族"との交渉と、グライェル地方の湖族達の跳梁についてよ――」
そうして昼を過ぎて尚も、執務室内では半島が抱える諸問題について次々に話し合いが続けられていった。
・第18話の1節目をお読み下さり、ありがとうございました!
そろそろ第1章の締めに入りますので、丁重に整えていきたいと思います。