003話 『序曲 英雄の子』
・(2025.10.31) 加筆修正、プロローグⅡより移転
・今話は本作の舞台や国家の成り立ちについての説明を兼ねた御話となります。
・物語の本筋を優先されたい場合は、このまま第4話までお進み下さい。
※今話で綴られている情報は、以降の話でも都度 散りばめています。
[ エルディア地方 ~ 港湾都市エーデルダリア 旧中央広場 ]
「さあさあ、皆様 お立合い!」
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夏の息吹を感じる晴天の空の下。エルディア地方で最も栄えた都市の広場にて、狸人という獣人の一種の若者が陽気な掛け声と共に竪琴を掻き鳴らし始めた。
その種族名が示す通り、狸のような獣耳と尻尾を生やし、丸く膨らんだ腹部や、短く太い手足は見る者にとって多少の愛嬌を感じさせる。
彼は『森の民』出身でありながらグレミィル半島の各地を渡り、時にはそんな小さな枠組みを飛び越えて大陸全土をも巡業して来た、名うての旅芸人。
会得した楽奏や叙事詩の数は計り知れず、故にあらゆる傑物達の来歴を唄い挙げては民衆達を楽しませ、知らしめる役回りを心掛けていた。
「これより紡がれますのは、ここラナリキリュート大陸の物語。
そして、その一部であるグレミィル半島に纏わる一人の英雄と、
彼の意志を継ぐ双子の姉弟……即ち、英雄の子達の唄でございます」
~~~♪
狸人特有の大きな掌で巧みに弦を爪弾き、鍛え上げた歌声を披露する。
厳かな旋律を基調としているが所々で何処か物悲しき音節を滲ませており、かと思えば稀に熱き音節が混在している。
夏前の空の彼方へ向けて、語り部は独り 己の想いと唄を捧げ始めた――
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「君達は、どこまでも歩いて行ける」
その言葉を最初に発したのは、遥か太古に偉業を成し遂げた者であった。
常世の総てを喰らい尽くし、新たに敷かれた幻創の大地。
六柱の"主"が統べる各大陸は、一部を除いて再生と繁栄の盛りを迎えていた。
大地に根差した民達が、血と汗と希望と夢、そして怨嗟を擁いて拓いた路は、やがて血管の如く大陸の隅から隅まで往き渡ることであろう。
「君達は、どこまでも歩いていける」
その言葉を次に発したのは、いつかの時代の傍観者であった。
永き時の流れを経て"豊穣の大陸"と呼ばれるまでに実ったラナリキリュート大陸では、現代に於いて三つの勢力と、一つの禁域で区切られている。
三大勢力の筆頭。南の覇勢、ラナリア皇国。
およそ百年前に王座を簒奪したバランガル・ホルガが、南部一帯の海洋諸島群を平定し屈強なる海洋軍と陸軍を基軸とした軍事力を以て、更なる領土拡大を求めて北上を推し進めた。
やがて大陸全土の三割をも統治下に収めたころ、バランガル・ホルガの急死によって皇国の侵攻は勢いを減ずる。以降、定期的に小競り合いこそ起これども、勢力図を塗り替えるような大規模な戦の機会は失われていた。
【綺纏暦5756年(※本編から約27年前) 勢力図】
ラナリキリュート大陸は仮初の安定期に入った。
牙を削がれたラナリア皇国では、大きく拡がった国土の守りを固めるべく武功を挙げた有力な騎士達に、特別な爵位と権限を与えて新たな領地へと封じた。
ベルナルド・バシリオ・エデルギウスもその一人。
彼は、"偉大なる騎士"であり、英雄であった。
元々はラナリア皇国と敵対していたイングレス王国に所属する無価値な男爵家の嫡子にして一介の騎士に過ぎなかったが、長らく続いた平穏から腐敗の限りに至った王朝に有って希少で限られた高潔なる武人として勇名を馳せた人物となる。
そんな彼は無辜の民の為にと願い、最前線で己の血肉を捧げ続けながらラナリア皇国陸軍と死闘を繰り広げ、後に『大戦期』と称される時代を駆け抜けた。
然れど、為政者達からすれば体のいい捨て駒であり、異種族間の諍いが絶えないイングレス南域の忌地は彼等にとって瀉血の如く切り捨てるべき廃棄の対象。
そうとも知らず戦い続けるベルナルドと彼が率いる騎士団および防衛部隊に、敵対するラナリア皇王バランガル・ホルガは称賛と憐憫の情を懐いた。
死闘の果てにベルナルド隊は捕えられ、英雄という牙を失ったイングレスの為政者達は領土の割譲という条件を提示して講和を申し出た。これに対しラナリア皇国は英雄の身柄の引き渡しを条件に加えることで承諾。
斯くしてイングレス王国は南北に分断され、南イングレスと成った領土はラナリア皇国へと編纂された。
その一部、『グレミィル半島』と呼ばれる多種多様な種族が棲息する忌地の統治者として英雄ベルナルドが抜擢され、幾度かの説得と交渉を経て彼は皇国陸軍に迎え入れられたという。
なお交渉の場に立ったのは急死したバランガル・ホルガの孫、王座を継いだばかりの新皇王バランガリアという男であった。
グレミィル半島は南イングレス領からは独立した侯爵領として特別な自治権を与えられることとなり、大戦期以前の為政者の大半は皇国の意向により粛清。
須らく地盤が整えられた末に統治者として封じられたベルナルドは相応の爵位と権限を得たのである。
彼は最初に、異種族間の諍いを沈めて領民達の生活を安定させることに着手した。
その為に、彼は半島北部に広がるグラナーシュ大森林……通称『大森界』に自ら、独りで赴く。
『大森界』内で暮らす種族の有力者、"妖精の氏族"に属するエルフ種の王族の娘と婚姻を結び、姻族の繋がりを足掛かりとすることで種の対立を和らげ、徐々に半島を平穏へと導くことに成功していったのである。
更に婚姻から二年後の春には、彼等の血を受け継いだ実子を授ることとなる。
無論、これまでの歴史の中で異種族間の婚姻の事例は存在していたが、英雄ベルナルドが成したからこそ善き影響を及ぼしたのである。
【綺纏暦5781年(※本編から約2年前) 勢力図】
彼が大領主に封じられてから二十二年……。
グレミィル半島は着実に発展を遂げ、確かな平穏と理想に向けて前進を続ける。
"偉大なる騎士"は、どこまでも自らの足で歩いていくことで無辜の民に平穏を齎そうとした。
そんな彼の人生の歩みと輝きは、彼の妻と共に不可解な死を以て瓦解する。
二人の実子、双子の姉と弟を残して――
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[ エルディア地方 ~ 港湾都市エーデルダリア 旧中央広場 ]
「おお、何たる悲劇! 災いの種は直ぐ足元より這い渡っていたのです!
英雄を喪いしグレミィル半島の行く末や如何に?」
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狸人の旅芸人の楽奏が、静かに転調を迎え始めた。
心無しか、彼の表情にも緊迫と悲観の色が滲み始めている。
これが演出なのだとしたら、さぞ大層な技巧派であると観客を唸らせるだろう。
これが戯曲なのだとしたら、さぞ捻くれた台本である予兆を感じたことだろう。
「嗚呼、どうかご安心を!
英雄死すとも理想は死せず。英雄死すとも理念は死せず。
意思を継ぐ者は必ず現れる……そう、英雄の子は、着実に育っていたのです」
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狸人の旅芸人の楽奏が、しなやかな転調を迎え始めた。
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双子の姉、ノイシュリーベ・ファル・シドラ・エデルギウス・グレミィル。
エルフ種である母の面影を強く宿し、エルフの王族たる高貴な佇まいと魔力を受け継いだが彼女は、"偉大なる騎士"ベルナルドのようでありたいと強く願った。
故に、家督と爵位を継承し、死した父に代わり自ら最前に立って半島の平穏を守ると誓う。
双子の弟、サダューイン・エヌウィグス・エデルギウス。
純人種の父であるベルナルドの面影を強く宿し、屈強なる肉体と武芸の才を受け継いだが、彼は貞淑にして賢姫であった母……"魔導師"ダュアンジーヌのように、影ながらグレミィル半島を支えたいと強く願った。
故に、光輝く姉の翳であるかの如く、人知れず半島の民を護ると誓う。
姉弟がそれぞれ受け継いだ風貌と才覚は、皮肉にも両者がお互いに求めてやまないものであった。
"偉大なる騎士"を目指した姉のノイシュリーベは父親譲りの肉体を持って産まれた弟を羨み、"魔導師"ダュアンジーヌを目指した弟のサダューインは母親譲りの莫大なる魔力に加えて魔法や魔術の才能を持って産まれた姉を羨んだのだ……。
やがて時が経つにつれて、互いに己が持たぬものを継いだ肉親への嫉妬と羨望、憎悪と畏敬という二律背反の感情を募らせ、袂を別つこととなる。
英雄亡き後の領土を託された姉弟は、遥か海の底より訪れた貴人を救い出した事で、より大きく路を違えながら それぞれが目指した未来へと突き進むのである。
たとえそれが悍ましき因果に囚われた畦道であれ。
たとえそれが醜く藻掻く宿痾の隧道であれ。
たとえそれが、微かに灯る綺装の導きであれ。
「君達は、どこまでも歩いていける 筈なのだ」
その言葉を最後に発するのは、きっと この姉弟を傍で支え続けた者だった――
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[ エルディア地方 ~ 港湾都市エーデルダリア 旧中央広場 ]
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狸人の旅芸人の楽奏が、徐々に曲調を落として静寂を迎えた。
「ここまでのご清聴 誠に有難うございました!
然れど、物語はここからが本番なのでございます。
どうか……どうか、この姉弟達の続きの唄を引き続き お聴きくださいませ」
一度、観客達に頭を下げ、場面の移り変わりを暗に示す。
そうして楽奏は新たな旋律と共に再開されるのであった。
・第3話をお読みくださり、ありがとうございました!
・元々はプロローグⅡとしていたのですが、主要人物に旅芸人がいるのだから
折角なら彼の語り部ということにしたほうが良いような気がしましたので
第3話として編纂させていただきました。
・もし僅かでも、本作の舞台にご興味を持っていただけましたら幸いです。
・そしてこの旅芸人の本編での登場は、もう少しだけお待ちくださいませ。




