016話『"春風"の足跡』(3)
※(2026.9.15) 本文の大幅な改稿を行いました
※メッテ=メートル
テジレアがザンディナム銀鉱山で謎の瘴気が発生したことを知ったのは、幾つもの偶然が重なった結果であった。
暗部の精鋭部隊、『亡霊蜘蛛』の長としてグラニアム地方の村や町を巡り、諜報活動に勤しむ日々。
優れた魔具術士でもある彼女は、魔晶材や鉱石類を自ら調達するために定期的にナグス小山脈を訪れていたのである。
「その日、私はクシュ村での調査を終えてナグス小山脈の北側に来ていたのさ。
一般的にはサダューイン殿みたいにザントル山道を登って来るんだろうけど、
私はほら、山には慣れているからねぇ?」
「ミロキア卿の違法賭博の件だな……後で報告書を寄こしてくれ。
そして小山脈の北側は、かなりの断崖絶壁だった筈だ。
だがドワーフを父に持つ君ならば、登攀なり隧道を掘るなり手立てはあるのか」
「そういうことさね。
ま、キーリメルベスの御山に比べれば可愛いもんだよ」
主君にすら秘匿している、独自のルートと採掘場を見出しているのだろう。
ドワーフ種の気質を心得ているサダューインは、テジレアの振る舞いを公然と黙認していた。
「で、話はここからなんだけどね。
素材に使う焔水晶を採掘している最中に、大きな地響きが鳴ったのさ!」
「ほう……」
「近くで眠っていた野生動物や魔物が一斉に起きて、一目散に山から逃げ出した。
グレイウルフ、エルドグリフォン、グレンシーラ……正に百鬼夜行だったねぇ」
「そのような危険な場所で、テジレア……さんは素材を集めておられるのですね。
あっ、でも! 完全に姿と気配を隠せるなら大丈夫なのでしょうか」
先刻、初めてテジレアから声を掛けられた時のことを思い出す。
幾ら目を凝らしても、耳を澄ましても、魔力の痕跡を辿ろうとしても、ラキリエルには何一つとして彼女の居場所を察知できなかったのである。
「ふっ、テジレアや俺が着ている漆黒の外套には、そういう機能が備わっている。
まあ俺の場合は魔力量が足りなくて、機能をほぼ扱えないのだがね」
「あぅ……す、すみませんでした」
「気にしなくても良い、ただの事実だからな。……テジレア、続けてくれ」
「あいよ。地響きの後に銀鉱山の辺りから嫌な気配が漂ってきてねぇ。
こりゃ一大事に違いないと、採掘を中断して急いで北側から登っていったのさ」
「つまり坑道まで直接向かったのだな?」
「その通り。正規ルートじゃなかったから『負界』を浴びずに済んだのさ」
続けてテジレアは、坑道で噴出した『負界』がどのようにして地上まで這い出たのかを、かいつまんで説明してくれた。
同時に、落盤事故で阿鼻叫喚となった現場の様子を語り始める。
断片的な情報にも関わらず、ラキリエルはぞっとした表情を浮かべて青褪めてしまっていた。
「……酷いもんだったよ。
私に出来たことはといえば、匿名でベルダ家に急報を届けたくらいだ」
「いや、十分な働きだ。
初期対応が的確に行われていたのは、君が居合わせてくれたお陰だな」
「そう言ってもらえると助かるよ。
……どうしても気になっちまったから、一日置いて私も坑道内に再突入した。
勿論、防毒用の特製の魔具を身に付けてね」
頭上の夜空を見上げながら、テジレアは的確な言葉を見繕う。
主君だけならばまだしも、ラキリエルが居る場でどこまで話すべきかを吟味しているようだった。
「そこで私は見たのさ。
狂暴化して暴れ散らかすエルドクロウラーの群れをね」
「エルドクロウラー、二メッテ程の大きさの潜蟲型の魔物だったな」
「ああ、そうさ。だけど『負界』を吸収して膨れ上がったのか、
どいつもこいつも十五メッテ以上はあったよ!」
「十五メッテ……それでは、まるで……」
「ふむ、小型の地竜くらいの大きさとなるな。それが群を成すとは……」
とてもではないが通常の冒険者や常備兵の手に負えるような事態ではない。
ただでさえ坑道内には『負界』が充満しているのだから。
「白状すると私も脚が竦みそうになったもんさ。常世の終わりかよってね。
そんな時に、あいつらが後からやって来たのさ――」
[ グラニアム地方 ~ ザンディナム銀鉱山 第二坑道 (過去) ]
「(……冗談じゃないよ、なんだってこんなことに!)
(この瘴気が『負界』で間違いないとすれば、あの魔物達は……)」
銀鉱山内に幾つか設けられている採掘拠点の一つ。広大な空間の前でテジレアは俯せになりながら息を潜めて気配を断つことに専念していた。
また坑道内を流れる大気に乗じて蔓延する『負界』を吸い込まないようにするために匍匐前進で移動していた、という理由もある。
彼女の眼前では、途方もなく巨大化したエルドクロウラー達が正気を失いながら蠢き回り、近付いた生き物を手当たり次第に貪ろうと暴れている。
それが同胞であったとしても、おかまいなしに。
「(ロッティ達が言っていた、生物を変貌させる界獣化現象そのものだよ!)」
『負界』の正体については主君であるサダューインから聞かされている。
また『負界』が頻発する大陸出身の同僚達から、それを浴びた者が辿る末路についても断片的に知らされていた。だからこそテジレアは辛うじて冷静さを保てた。
「(……拙い状況さね。此処の貴族家に報せても大したことは出来ないだろうし)」
むしろ中途半端に魔獣を討伐しようと常備兵や冒険者を坑道内に向かわせれば、無意味な犠牲者が増える一方である。
だからといって狂暴化したエルドクロウラーを放置していては、いずれザンディナム銀鉱山の外に出て行ってしまうかもしれない。
「(この魔獣の群れを倒すなら、最低でも『翠聖騎士団』の半数は必要だよ)
(サダューイン殿なら、他に何か有効な手を考え付くかもしれないけどさ)」
いずれにせよ時間がない。テジレア単独で出来ることもない。
焦燥が極まり、額に冷たい汗が滴り始めたところで背後より足音が響いてきた。
硬い靴底で地面を踏み締める、ヒトの足音……二人分。
「逃げ遅れた炭鉱夫か? ……いや、どうやら違うみたいだな」
足音の正体の片割れは、比較的若い青年であった。ただし身形はかなり良い。
それでいてテジレアと同じく防毒用の口布や、魔具を身に付けている。
「んー、そのお姉さんは、ばっちり生きてるよ! よ!
偵察のお仕事をするヒトって感じかなー」
もう一人は、十代後半といった風貌の狐人の女性だった。
驚くべきことに、彼女はこの『負界』の直中を平然と歩いている。
青色の長羽織こそ纏っているが、それだけだった。
「……あんた達はいったい?」
「ただの通りすがりのお節介だ。
ま、一応はヴィルツ・ウォーラフっていう名前を持っているけどな」
「私はアルビトラっていいまーす!」
「ヴィルツ……ウォーラフ? まさか、ウォーラフ商会の!?」
その名前には、テジレアも大いに聞き覚えがあった。
近頃、急速に販路を拡大し続けている新進気鋭の商会。
北方のキーリメルベス連邦、中央のデルク同盟を経て、いよいよラナリア皇国の属領にまで手を伸ばし始めたという。
「ヴィルツくんも有名人になったよねぃ」
「ふん、僕の目標は大陸全土に支店を出すことだからな。
名を売ることが目当てじゃないが、それが有効に働くなら吝かじゃあない」
「そんな大人物が、なんだってこんな場所に居るのさ。
あんた達、理解しているのか? 此処が今どれだけ危険かってね!」
自分のことは棚に上げて、驚愕しながらもテジレアは的確に訊ねた。
名を騙る偽物の可能性は既に除外している。何故ならば、そんな卑賎な輩がこんな場所で平然としていられる筈がないのだ。
「厄介な瘴気が充満しちゃってることは聞いたよー。
逃げ遅れたヒトが居ないかどうか、見て来てくれって依頼を受けたの!」
懐から冒険者証を取り出してテジレアの前に突き付ける狐人の女性。
冒険者統括機構が正式に発行したものであり、確かに『アルビトラ』という名前が刻まれていた。
斯様な危地にも関わらず、彼女は常にのほほんとした口調を崩すことはない。
「なんて年季の入った冒険者証なんだい……いや、待っておくれよ。
アルビトラ? それに、銀色の髪の狐人の冒険者って言ったら……」
ヴィルツ・ウォーラフの名を告げられた時以上の衝撃がテジレアに襲い掛かる。
「そう、コイツは"春風"の二つ名を持つ冒険者。アルビトラご本人サマだ。
逃げ遅れた炭鉱夫の救出、瘴気の調査。そして内部で暴れる魔物の討伐。
そういった仕事を、此処の為政者から請け負ったのさ」
そしてヴィルツ・ウォーラフの護衛としてアルビトラを雇っていること。
グレミィル半島で目ぼしい出店場所を探しているうちに、ザンディナムの異変を聞いて立ち寄ったことなどを話してくれた。
「あんた達の素性は理解したよ。ちょっと信じられないけどね。
だけど目の前の魔獣はどうするんだい? 此処は通れそうにないよ」
「んー、あれくらいなら何とかなりそうかな? かな?」
「そうだな、アルビトラなら問題にはならないだろう。頼めるか?」
「もちろん! ちょっと待っててねぃ」
気安い返事で承諾し、なんとアルビトラは一人で魔獣の群れに近付いていった。
咄嗟にテジレアが立ち上がり、止めようとしたのをヴィルツが静止する。
「アンタは伏せてな。その魔具は、よく出来ちゃいるが
流石に此処の瘴気に長時間耐えられる造りじゃあないんだろう?」
「(この男、一目で私の装備の性能を見抜いたっていうのかい!?)」
ヴィルツの言葉は正鵠を射ていた。
何せテジレアが身に付けている防毒用の魔具は、異変に際して現地で組み上げた急造品なのだ。
「それでも瘴気に汚染されずに済んでいるんだから、大したもんだけどな。
……まあ黙って見ていな。"春風"のアルビトラが全部なんとかしてくれる」
「…………」
眼前の青年に言い包められて、テジレアはそのまま伏せったまま見守ることしか出来なくなってしまった。
「キシュキシュキシュ……」
「シュシュ……キルシュシュシュ……」
「こんなになっちゃって、苦しそうだねぃ」
同胞を共食いし、無秩序に岩壁や床に激突しては土ごと喰らう狂った魔獣達を見据えて、アルビトラは少しだけ悲しそうな視線を傾けた。
「今、楽にしてあげるよぅ」
長羽織に括り付けた紐の先、一振りの刀剣の鞘を左掌で握り締める。
そして右掌を柄に添えた瞬間、テジレアの視界からアルビトラの姿が忽然と消え去った。
「(私と同じ『姿隠し』? ……いいや、違うね。これは!)」
そうアルビトラは姿と気配を消したのではない。
ただ単に、圧倒的な速度で魔獣との距離を詰めたに過ぎなかった。
ヒュン…… ズ バ ァ !
抜刀、一閃。そしてカチン……という金属同士が打ち鳴らす微かな納刀音。
「な、なにが起きたんだい!」
「あいつが斬ったのさ。ただ、それだけの出来事だ」
十五メッテを超える巨体が、気付いた時には真っ二つにされていた。
舞い散る鮮血、歪な臭いのする体液が飛び散るが、アルビトラは既にその場には居なかった。
「キシュゥゥゥ!」
「キルシュシュゥゥ……!」
そこで漸く魔獣達も異変を察したのか、一斉にアルビトラを敵対者として見定める。彼女を取り囲むように蠢き回り、鞭の如く尾を振るう。もしくは炎を吹いた。
「……ん!」
軽く跳躍して尾撃を躱し、その場で刀剣を振るって炎波を断ち切ってみせる。
如何なる者も、"春風"のアルビトラを捉えること能わず。
「『風紡』!」
魔獣の攻撃を避け続けながら、別の個体が居る方角に向けて左掌を突き出すアルビトラ。そして詠唱句と鍵語が一体化した魔術を宣言する。
左掌に風が集い、凝縮した末に不可視のロープを象ると、そのまま魔獣へと射出してみせた。
「刀剣だけじゃなくて、魔術も扱えるのかい。
しかも魔力を練り上げる速度も、術式構築も、とんでもない速度だよ!」
「まあな、あれがアルビトラの編み出した独自魔術ってやつだ」
テジレアもヴィルツも、魔術に対して一定の理解があるためか、目の前で起こった現象を逸早く察した。
「(風を束ねたロープを打ち出して、魔獣の身体に着弾させた……)
(そのロープを巻き取る要領で、自身の肉体を超高速で稼働させたのかねぇ?)」
テジレアに理解できたのは、そこまでだった。
まるで消滅したと錯覚する程の速度でアルビトラが魔獣に肉薄し、居合貫きで一刀両断する。そしてまた次の標的へと断続的に動き回る。
血風が舞い踊り、無慈悲な斬撃と魔獣の断末魔が鳴り止まぬ地獄絵図。
瘴気に満ちた空間など、彼女にとって関係無い。
鋭く研ぎ澄まされた風の路が、"春風"の歩みが、如何なる者とて寄せ付けない。
狂暴化した魔獣の群れが瞬く間に消し飛んだ。
時間にして一分にも満たない些末な独壇場。或いは、処刑場でしかなかった。
「……なんて奴だい」
「これが"春風"だ。そして僕達は、このまま先に進む。
必要なことを調べ終えたら直ぐに立ち去るけどな」
それだけを言い残し、ヴィルツ・ウォーラフはテジレアを置いて魔獣の血と体液で塗れた空間へと躊躇なく踏み出していった。
「これで、おしまいだねぃ!
この子達の魂がちゃんと巡っていきますようにー」
「ご苦労さん。可哀そうな魔物だったが、まあ過ぎたことだ。
……コイツ等が無事に霊峰へ旅立てることを願っておくぜ」
魔獣の死骸の直中で祈りを捧げるアルビトラにヴィルツが近寄り、簡素ながらも彼なりの祈りの言葉を紡いでいた――
【Result】




