016話『"春風"の足跡』(3)
「(冗談じゃないよ! エルドクロウラーは大きくても精々が五メッテの筈だ)
(コイツは軽く三倍……十五メッテ近くはあるじゃないか!!)」
驚愕に目を見開き、思わず叫びそうになった口を咄嗟に掌で抑え込むことで声を発することは免れた。
魔物……否、これはもう魔獣と呼んで差支えのないほどに変異した個体が少なく見積もっても十頭は這い回っており、まるで何者かを必死に追い散らすべく団結して戦っているようにも映る。
眼前の空洞地帯で繰り広げられるその光景は、とてもではないが常世のものとは思えない有様であった。
ではその魔獣と化したエルドクロウラー達は、何と戦っているというのか?
優れた冒険者や傭兵であったとしても、これだけの数を相手にしては、まともな戦いなど成立する筈もない。道中で発見したような亡骸が増産されるだけだ。
「(ん……?)」
ヒュン…… ズ バ ァ !! ……ドオオン
暗闇の中で何かが閃いた。と感じた矢先に魔獣のうちの一頭が真っ二つに両断されて地に倒れる。
「(今、なにが起こった?!)」
続いて二度目の閃き。今度はテジレアの瞳にも辛うじて捉えることが適った。
誰かが、何者かが、魔獣の巨体に跳び移りながら剣かなにかを振るい、そして斬り伏せると同時に即座に離脱しているのだ。
正に理想的な一撃離脱殺法の極み、魔獣達はただ闇雲に巨体を踊らせることしかできないでいた。
「(疾い……なんてもんじゃないね)」
優れた素質を持った者のみで構成される『亡霊蜘蛛』の中でもテジレアは有数の動体視力を誇る。にも関わらず真っ当に視界で捉えることが出来ないのだ。
ほんの僅かながら、魔獣と戦う何者かの姿……の残像と、剣閃らしきものが視えたような気がするが、それも確実ではない。ただ両断された魔獣の断面から脳が「そういうことが起こったのではないか?」と補正しているだけである。
「……やれやれ、また冒険者が派遣されてきたのか?
先客達よりは少しはマシみたいだが、悪いことは言わないから今直ぐ帰りな」
唐突にテジレアに向けて何者かが声を掛けてきた。
地に伏せ、気配を断ち、音を発しない細心の注意を払いながら暴れる魔獣を観測していたというのに、声の主は容易くテジレアの接近に気付いていたのだ。
声色からして若い男性。しかしその落ち着きようからは、とても戦闘の最中に在るようには思えない。つまり魔獣と戦っていた者とは別人ということだ。
「(この私が、こんなに近くに居る奴に気付かなかったっていうのかい!?)」
男性との距離は僅か五メッテも離れていなかったというのに、暗部の精鋭たるテジレアが知覚できなかったのだ。凄まじき隠形の技である。
「……あんた、何者だい? それに、あの化け物どもを倒して回ってる奴もさ」
魔獣達の意識がこちらに傾くことはなさそうであることを確認してから、やや躊躇いながらも口を開いて声を発することにした。
テジレアの問い掛けに対し、男性は少し考える素振りを見せた。
彼の井出立ちは黒と紫を基調とした上質な外套を纏い、嫌味に感じさせない程度の高級感を漂わせる手袋とブーツを身に付けた純人種の青年。
貴族ではなそうだが、ただの平民でもないといったところか。いずれにせよ、とても瘴気が満ちる坑道を探索しに来た冒険者や傭兵には見えない。
なによりも目を惹いたのは、その頭髪。彼は青味がかった紫色の長髪を軽く結っていたのだ。この髪色は大陸南部や中央部の出身者には見当たらず、北部の更に最果ての極寒の国々で生まれ育った者達、特有の体毛なのである。
「まあ別に、明かしても問題はないだろう。
僕は……ヴィルツだ。ウォーラフ商会の長といえば分かるかな?」
「ウォーラフ商会のヴィルツ……ウォーラフだって!? あの大商人かい」
その名前には聞き覚えがあった。あり過ぎた。近頃 急速に勢力を伸ばしてきた新進気鋭の商会であり、その販路は今や大陸中に行き渡ろうとしている。
商会を率いるのは、やり手の大商人にして蒐集家のヴィルツ・ウォーラフ。
かつて"北方の勇者"の二つ名を持つ冒険者の相棒を務めた伝説の男であり……そしてテジレアの主君たるサダューインが個人的に懇意にしている取引相手。
「信じるかどうかは、あんたが判断すれば良い。
で、そこで戦っている奴は僕が討伐の依頼を出した冒険者だ」
「こんな場所で大商人の名を騙る馬鹿はいないだろうさね」
有名人 故に名を騙る偽物の可能性はあったが、そんな卑しい者がテジレアに気配を悟らせないような隠形の術を心得ているとは思えない。
ましてや瘴気が充満し魔獣が暴れ回る坑道で平然としていられるわけもなく。
ヒュン…… ズバァ! ズババァ!!
またしても何者かが魔獣に跳び移っては一刀両断し、即座に隣の個体へと渡って更なる剣閃を迸らせた。
跳び移る直前、微かに糸のようなものを射出し、それを手繰り寄せるかのように超高速で移動していたようにも視えたが、確かなことは判らない。
一つだけ分かることがあるとすれば彼が雇った冒険者は常軌を逸する……などといった言葉では言い表せないほどの逸脱者であるということのみ。
「あいつは"春風"だ。"春風"のアルビトラ……聞いたことは?」
「……!! ああ、名前くらいならね。そうかい、アレが噂の……」
「それはなにより。とぼけた奴だが、実力だけは本物だからな。
この程度の化け物なら問題にはならないだろう」
会話の最中にも魔獣達が次々と両断され、数を減らしていく。
魔獣側も熱線砲で反撃するが、それすら問答無用で両断されていくのだ。
「しかしこのワームのような化け物。元々はこの鉱山に棲息する魔物だろうに。
瘴気を浴びた影響で図体がデカくなった上に凶暴化しているみたいだな」
もはや別物と化したエルドクロウラーの異様さを前にしては、テジレアも同じ見解を懐いていた。
「あんた達は、この瘴気を吸っても平気なのかい?」
「まさか? 僕はこの外套型の魔具で、ある程度は無効化できているだけさ。
あんたが頭に付けている仮面と同じような効果だよ」
一目見ただけで、テジレアの魔具を看破してのける。
彼もまた非常に優秀な魔具術士もしくはそれに匹敵する鑑定眼を持ち合わせているのだろう。
「だが、あいつは違う。
なんの防護策もなしに、この瘴気の中で化け物と戦っていやがるのさ」
「……嘘、だろ? どれだけ規格外なんだい」
「言った筈だ。信じるかどうかは、あんたに任せるってな」
「…………」
「ま、そういうわけだ。この場は僕達に任せてくれてかまわない。
生き残っていた奴を見つけたら、適当に運び出しておいてやるさ」
特に気負った様子もなく言ってのける。
ふと視線を空洞地帯の奥へと傾ければ、途轍もない脅威だと感じた筈の魔獣の群れが残り一頭にまで減っており……そして今、新たな剣閃と同時に両断され、呆気なく全滅した。
「……といっても僕は、あいつが変なことをやらかさないかどうかを
見張るために同行しているだけだがな」
ヒュン…… パスン
直後、テジレアとヴィルツの間の地面に半透明状のロープのようなものが飛来し、根を張るようにして打ち込まれた。
「誰かと話してるのー?」
間の抜けた声が遠方から響いたと思った矢先、テジレアの眼前に何者かが突如現れる。隠形を解いたのではなく、純粋なる超高速移動で距離を詰めたのだ。
「(な、なんだい……今のは!?)」
改めて驚愕する、全く接近に気付かなかった。視えなかったのだ。
「横着するんじゃあない! いきなり近寄られると心臓に悪いだろ!」
「えへへー、こっちのほうが歩いていくより早いからねぃ。
そっちのお姉さんは誰? ドワーフ? この辺じゃ珍しいね! 珍しいよ!」
現れたのは白髪に白尾、白い狐耳を頭頂部に備えた狐人。
見た目通りの年齢であるならば十代後半の娘といった具合だろうか。テジレアは直感的にこの娘が件の冒険者であることを察した。
依頼主に叱られても、まるで気にする素振りは見せず。
また魔獣との戦闘の直後だというのに、戦い終えた者 特有の荒涼とした雰囲気は微塵も感じさせることはなかった。
間近で視た凄腕の冒険者……"春風"のアルビトラの井出立ちは、改造された青いロングコートを纏い、白いシャツと黒い半ズボン、そして使い込まれた革製のロングブーツを着用している。
特徴的だと感じさせたのは彼女が佩いている得物。曲刀や蛮刀のようであったが、そこまでの反りはなく工芸品のような美しさを兼ね備えていた。
「(隣の大陸で造られていた、粋然刀ってやつかい……)」
ドワーフの部族に居たころに知り得た知識を総動員し、得物の種類だけは辛うじて類推することができた。
粋然刀とは『屍都スイゼン』と呼ばれし地にて、遥か昔に造られていたものの現在では亡失した技術……と伝え聞いたことがあったのだ。
「あ、ああ……その通りさね。瘴気が噴き出したっていう鉱山を見に来たけど
どうやら私の出る幕じゃなさそうだってのは理解できたよ……」
「んー……見た感じ、お姉さんも結構やるみたいだけどねぃ。
でもまあ、これくらいだったら私 一人でもなんとかなるから任せてよ!」
満面の笑顔で、わけもなく言い放つ。ヴィルツが語った通り、この瘴気の直中にあってもまるで平然としていられるようであった。
魔具を用いていないのであれば、なにか特別な魔法や魔術を駆使しているのか、それとも特異体質とでもいうのか。
「(この環境でけろっとしていられるのも普通じゃないが、なによりも隙が全く無いねえ)」
明るく、裏表のなさそうな表情や声色で話すアルビトラを注意深く観察するとともに、武芸者としての力量を測ろうとしていた。
暗部とはいえテジレアもまた一廉の武術を修めた身。しかし眼前の狐人の冒険者には全く付け入る隙を見出せそうになかったのだ。
「(こいつは……異常だ)」
ゾワッ……と、背筋が凍る境地に至った。絶対に戦いを挑んではいけないと本能と経験則の両面から盛大な警鐘が打ち鳴らされたのだ。
万が一にも、彼女に戦いを挑むようなことがあれば、己の死を知覚する暇もなく首を斬り落とされてしまうのが道理であろう。
そんなテジレアの心境を察したのか、溜息を吐いたヴィルツがぶっきらぼうに頭を掻きながらが割って入ってきた。
「おい、コラ。あんまり現地人をビビらすんじゃあない!
……まだ化け物がうろついてるかもしれないんだ、さっさと倒して回るぞ」
「それもそうだねぃ……じゃあね、ドワーフのお姉さん。
またどこかで出会うことがあったら、よろしくだよぅ!」
空洞地帯の奥へ向けて先に進み出したヴィルツの後を追うようにして、諸手を振って笑顔で別れの挨拶をしてからアルビトラもまた姿を消していく。
奥部は更に危険度が増す筈なのだが聞こえてくる会話からは、そのような緊迫した雰囲気はあまり感じることはなかった。
「そういえばヴィルツくんの外套、端っこがちょっと溶け始めてるよ?
それ壊しちゃったら、また奥さんに怒られちゃうんじゃない?」
「……それが分かってるなら、さっさと片付けてくれ。
お前の力なら、この程度の依頼なんてどうってことないだろうに」
「はーい!
あとでご飯いっぱい食べるためにも、運動してお腹減らしていくよ! よ!」
後に残されたのは、無惨に斬り捨てられた複数体の魔獣の死骸と、一人で佇むテジレアのみとなる。
「世の中は広いってことは理解しちゃいるが、あんな連中が居るなんてね……」
身震いしながら二人組が進んでいった方角を見詰めて、ぽつりと呟いた。
あの冒険者と大商人に任せておけば銀鉱山の件は問題なく解決されることであろう。むしろ己がこれ以上、介入したところで出来ることは少ない。
であれば一刻も早く、この瘴気が満ちた坑道から出て主君への報告書を纏めておくほうが後々のために繋がるだろう。
方針を固めたテジレアは討伐された魔獣の死骸に近寄り、皮膚の一部をサンプルとして採取することにした。瘴気そのものは難しくても瘴気に侵された生き物の一部であれば保つ可能性はある。
そうして採取を終えて呪詛封じが刻印された魔具袋へと手際よく仕舞い込むと、踵を返して足早にその場から退去していくのであった。




