016話『"春風"の足跡』(1)
[ ザンディナム銀鉱山 宿場街 ]
グレミィル半島最大の財源の一つである銀鉱山は、複数の貴族家が共同で管理し、採掘によって得られた利益は平等ではないものの各家で分配されている。
そのため銀鉱山の近くには貴族家が保有する別邸もしくは事務所を兼ねた建物が点在しており、彼等を相手に商いを試みる者達が絶えず訪れるのだ。
更に鉱山労働者や旅人、魔物退治の依頼を受けた冒険者なども数多く滞在し、それに比例する形で宿泊所や飲食店、救護院や雑貨店、鍛冶工房に歓楽街などの様々な店舗が軒を連ねていくうちに自然と宿場町が形成された経緯を持つ。
特に英雄ベルナルドが大領主の座に就き、二つの民が融和へ向けて歩み出してからは年月の経過に伴って鉱山事業は拡大の一途を辿り宿場街は飛躍を遂げた。
しかし、その規模に反して街の名前は存在せず単に『宿場街』もしくは『ザンディナムの街』といったように暫定的に呼ばれることが多い。
これは銀鉱山が特定の貴族家のものではなく、半島に住む者全員の宝である、という最初期に鉱山事業を興した者達の理念に基づく慣習が、今日まで反映されているからであった。
「……ふむ、覚悟していたよりは秩序が保たれているようだ」
「そのようですね。良かったです!
救護院に収まりきらないほど多くの負傷者の方がいらっしゃると聞いた時は、
とてつもなく酷い状況に陥っているのではないかと心配でしたけども」
宿場街に辿り着いたサダューインとラキリエルは、例の如く番兵にエデルギウス家の使者だと告げて街へ入る手続きを進めていた。
一帯を覆い囲う土塁を越えた先には、慌ただしく行き交う人々の様子が視界に映り、怒号が飛び交っている建物も見受けられたが暴動などが起こっている様子は今のところ見当たらなかった。
『負界』の噴出とその被害によって混雑こそしてはいるものの、確実に怪我人の救出と治療がなされつつある……といったところであろうか。
「銀鉱山の筆頭管轄家はベルダ家だった筈だ。
当主であるジェーモス殿が居られずとも、よく働いてくれているようだ」
感心しながら周囲を見渡し、これなら手を貸す必要は特になさそうだなとサダューインは満足気に頷いた。
「ジェーモス様……という御方はたしか、あの街道でわたくしを救けに来てくださった騎士様のお一人でしたっけ」
「ああ、『翠聖騎士団』の第一部隊長であり副団長を兼ねている。
姉上の右腕を担う古株の騎士さ、派手さはないが堅実で信頼できる御仁だよ」
グラニアム地方を渡る最中に、救出に赴いた主だった騎士達のことは話の流れの中で簡単に紹介していた。
ヴィートボルグへ到着し、暫く生活していくのなら彼等と顔を合わせる機会も起こり得る。その時に正式な御礼を述べたいとラキリエルが申し出たのだ。
「ここから見える範囲だけでも団結されているご様子が伝わってきます。
普段からベルダ家の方々によって規律ある統治がなされてきたのでしょうね」
「ザンディナムは旧イングレス王国だったころから有数の銀の産出地だからね。
昔から最も信頼できる者に任されてきた歴史と実績がある。
今回の騒動への対処は、それが良い方向に働いてくれたようだ」
とはいえ此度は自然発生などではなく意図的に熾された災害。ベルダ家をはじめ鉱山を管轄する各家には最低限の『負界』の情報と、再発を防ぐための警戒の必要性を説いておく必要があるだろう。
鉱山の奥地までラナリア皇国の軍人が潜り、孤立した状態で工作活動を行うのは困難を極める。ましてや三メッテもの魔具像を持ち込むのなら尚更にだ。
管轄家の中に裏で手引きを企てた裏切者が存在すると考えるのが妥当である。
と、その時。喧噪を掻き別けて何者かの声が耳朶に響く。
「……イン殿……サダューイン殿……」
「その声は……テジレアか? 姿を見せてくれてかまわないよ。
隣の女性は我々の客人でもあるから、気にしなくていい」
呼び声の主に心当たりがあったのか、サダューインはさり気なくラキリエルの肩に右掌を添えて付近の建物の裏……なるべく人目のない場所まで促した。
「え、あの……サダューイン様!?」
突然のことに、しどろもどろになりながら慌てるラキリエルを余所に、サダューインは周囲を入念に見渡した後に何もない虚空へ向けて頷く仕草を見せた。
すると眼前に霧のようなものが発生し、やがて明確にヒトの姿を象っていく。
「一ヶ月ぶりくらいになるか? 元気そうでなによりだ」
「あんたもね……って言いたいところだけど。
こりゃまた随分と派手にやられてきたみたいじゃないかい!」
ラナリア皇国の軍人達との戦闘で破損した左肩の装具や骨折した左腕、右腕の裂傷を視て、思わず呆れた声が挙がった。
その声の主は矮躯の女性。背丈でいえばラキリエルの首元まであるかどうか。
がっしりとした肩幅をており、恵まれた筋力を持つ者が、しっかりと鍛錬を積んだ肉体であることが衣服の上からでも一目で分かる。
そして闇に溶け込むような漆黒の外套と装束で総身を覆っており、細部は異なるものの、どことなくサダューインの衣装と似通っていた。
「……どうしても避けられない戦闘だったんだ」
「成程ね、その子が海底都市から逃れてきたっていう巫女殿かい」
「ご明察だ。ザンディナムで変事が起こったと聞いて寄り道をする形となったが
数日の後にはヴィートボルグへ連れ帰る予定をしている」
「相変わらず目敏いねぇ……こっちは報告の手間が省けてなによりだけど。
初めまして、巫女殿。うちの上司に変なことされていやしないかい?」
冗談めかしながら面貌を隠していたフードを脱いで素顔を晒す。
肌はやや浅黒く、臙脂色の髪は紐で無造作に束ねられており、頼れる姉御肌といった風情を醸し出している。
彼女は純人種ではなく、グレミィル半島では珍しいドワーフの女性であった。
「へ、変なこと……ですか?
いえ、そのようなことは特に……えっと、あの……その」
ありませんでした。と言いかけたところで麓で野鳥を調理した時のことを思い出し、少し言葉を詰まらせてしまう。
「あーあ……相変わらず手が早いね。"腕"の多さは伊達じゃないってかい?」
「俺のことをなんだと思っているんだ、テジレア……なにもしてはいないさ」
「どうだかねぇ? ラスフィやロッティの時も瞬殺だったじゃないか」
「いや、それは必要だったからそうしたまでで……」
「…………??」
含みを込めたテジレアの言葉と次々と挙がる名前の意図が分からず、ただただラキリエルは困惑するしかなかった。
少しバツが悪そうな素振りを見せた後に、こほんっ と、わざとらしく咳払いをしたサダューインは右掌の五指でテジレアを指差しながら言葉を紡いだ。
「……ラキリエル、紹介しよう。
彼女は『亡霊蜘蛛』という部隊の纏め役を務めてくれているテジレアだ。
元々はキーリメルベス大山脈内で暮らしているドワーフという種族の出身で、
訳あってこの地に移り住んできた経緯を持つ」
「昔のことを語る気はないけど、その節は随分と世話になったからねえ。
『亡霊蜘蛛』ってのは、そこの色男が立ち上げた直属の部隊、つまり私達は
便利な駒の一員ってわけさ。まあ、よろしくしておくれよ」
「は、はい! ラキリエルと申します。
こちらこそよろしくお願いいたします、テジレア様」
思ったよりフランクに話しかけてくるテジレアに面食らいながらもラキリエルは名乗りを返しながら彼女が現れた瞬間の様子を思い出していた。
まるで闇の如き靄が蠢き、誰も居ないと思っていた空間に輪郭を刻むようにして出現したのだ。
加えてサダューインとよく似た黒尽くめの装束に『亡霊蜘蛛』という曰くあり気な部隊名。これだけ揃えば彼女が、あるいは彼女達が暗部に属する者であることは朧気ながら察することができた。
「様付けはいらないよ、そんな大した身分じゃないしね。
ま、あんたが心を落ち着けて生活できるようになることを祈っておくさね」
芯の優しさを感じさせる微笑みを見せながら言葉を返したのもつかの間、すぐに神妙な面持ちとなって己が主人へと視線を送った。
「それよりもサダューイン殿。あんたはどこまで掴んでるんだい?
こっちは有毒ガスだか瘴気だかが、いきなり湧き出たと聞いて大慌てさね。
宿場街まですっ飛んでいってみれば、大量の怪我人達の面倒やら坑道の封鎖やらの作業を頼まれちまって、わけが分からないよ」
「それはご苦労様。素早く動いてくれて本当に助かるよ。
ならばグレキ村から俺達が遭遇した出来事について話していこうか――」
村に運ばれてきた患者を治療したこと。紫紺色の瘴気が『負界』という産物であること。
山道でラナリア皇国の軍人および特殊な魔具像と遭遇し、交戦したこと。
彼等が『負界』と『灰礬呪』を撒き散らした元凶だったことを説明していった。
・第16話の1節目をお読みくださり、ありがとうございました!
更新していなかった日にも目にして下さった方々が居られて非常に有難い限りでございます。
更にブクマ登録や評価、感想までいただきまして、これは・・・すごい、嬉しい!!嬉しすぎます!!
より一層、書き続けていこうという意欲に満ち溢れて参りました、今後も頑張っていきたいと思いますので、どうぞ引き続きよろしくお願いいたします。