013話『そして濁り水は像を結んだ』(3)
「……先程はお見苦しいところを見せてしまい、申し訳ございませんでした」
落ち着きを取り戻したラキリエルは、その場で何度も頭を下げて謝罪の言葉を口にした。
「気にすることはない、溜め込んでいたものが心の表層に出てきたのだろう。
全てを吐露することを難しいと思うが、俺で良ければいつでも話を聞くさ」
黒馬の歩を進めつつ、左掌で優しくラキリエルの頭を撫でながら告げた。
「サダューイン様達はどうしてそこまで……わたくしに対して良くしてくださるのですか?」
「ふむ……そうだな」
問われて、少しだけサダューインは思案した。
従者からの打診を通じて彼女の亡命を受け入れ、大領主の一族が身体を張って救援に赴いたのは偏に将来的な領地の利益に繋がると踏んだからである。
尤も、姉であるノイシュリーベならば純粋なる善意や、騎士の寛大さ、大領主の義務といった側面が強く出ていたのだが……。
海底都市という未知なる領域で暮らしていた者達が持つ知識や技術、そして価値観はそれだけで有益なものであるし、ましてやラキリエルは海底都市の秘宝を託されたという。
知識欲と、魔力への強い渇望を懐くサダューインにとっては正に垂涎ものであったのだ。故にラキリエルに尽くさないという手は考えられなかった。
然れど、傷付いた彼女を前にしてそういった思惑や打算を馬鹿正直に告げるほどサダューインは愚かではない。
むしろ傷付いた彼女の心に漬け込むような賢しさを、身に付けてしまっていた。
「……淑女が困っているというのに手を差し伸べないのは紳士とはいえない。
それに君と過ごす時間は楽しい、願わくばこのまま我が領地でともに暮らしてほしいと思っているよ」
嘘は言っていない。嘘だけは、言っていない。故に一切の後ろめたさを切り捨てて堂々と言い放った。
「ともに……暮らす、サダューイン様と……?」
返された言葉を復唱し、その意味を反芻しながら想像したラキリエルは思わず頬を朱色に染める。
「ああ、君が再び自分の脚でどこまでも歩いていけるようになるまで、どうか守らせてほしい……それが答えでは駄目かな?」
「いえ……いいえ! すごく光栄に思います。わたくしなどに、そこまで心を砕いていただけるなんて……」
「違うよ、ラキリエル。君だからこそ、俺はそうしたいと思えたんだ」
曇りなき眼で直視しながら淀みなく告げる。
その所作は実に洗練されており、明らかに手馴れていたが喜悦に支配されたラキリエルはそれを検める余地などなく、ただ純粋に己に向けられた好意として受け取るのみであった。
「うぅ、ずるいですよ。そんな風に言われたら、わたくし……」
いよいよ朱色で染まりきった面貌を隠すように俯きながら。然れど発する言葉の節々からは嬉しさが滲み出ていたという。
「ふっ、それじゃあ落ち着いたところで先へ進もうか。ザンディナム銀鉱山の宿場街までは、あと半刻もあれば辿り着ける筈さ」
そうして山道を進む速度を僅かに速めて目的地を目指していると、途中ながら開けた空間が見えてきた。麓から中腹に至る間に設けられた休息所ないしは避難場所である。
鉱山へと続く岩山では時期によっては落石が頻発することがある。故に被害を避けるためにこのような場所が幾つか拓かれており、岩壁を刳り貫いた人口の洞穴が設けられているのだ。
このまま宿場町を目指すのなら、日が暮れる前に辿り着くことに越したことはない。魔物の姿が見えないとはいえ夜の山道など何が襲い掛かってくるか分かったものではないからだ。
ラキリエルの負担の件は気になるところだが先を急ぐために避難所を素通りしようとした時、洞穴で屯していた者達の姿が視界に入った。
そこには粗末な外套に身を包んだ男が四人ほど座り込んでいた。
いずれも鋭い眼光を放ち、それなりに鍛え上げられた身体をしている。
また外套こそボロボロだが、その下から微かに覗かせている衣服は上質そうな紺色の布地であり、ただの冒険者や山賊の類ではないことを伺わせた。
「あ、あの方達は……!」
「知り合いか?」
「……いいえ、あの方達が身に着けている衣服が…………わたくし達の故郷を襲撃してきた方々と似ていたので、つい」
先刻の悪夢の件もあり、今ならばはっきりと思い出せるとばかりに訴える。
「成程、道理で冒険者や山賊とは毛並みが異なるわけだ。
……外套の下に着ているのはラナリア皇国の海洋軍、それも直轄軍の軍服だな」
ラナリア皇国に所属する軍隊は大別して陸軍と海洋軍の二種が存在するのだが、それぞれで共通した軍服を着用しているのはラナリア皇国本土に所属する直轄軍のみである。
陸軍は暗い紅色、海洋軍は紺色であり、将軍位に相当する者は白を基調とした井出立ちとなる。
他には皇国が併呑した属領毎に保有していた軍事組織によって衣装が異なるのだが、そもそもこの大陸に於いては正式な軍服制度を採用している国自体が滅多に存在しない。
直轄軍は属領の軍人や騎士よりも一段上の存在として扱われる傾向がある。
彼等もまたそれを鼻にかけることがあるため、属領の者からは表面状は丁重に扱われるものの内心では厄介者扱いされることが多いのである。
声を震わせるラキリエルを、自らの纏う漆黒の外套で覆い隠すようにして包み込んだ。もし本当に彼女の故郷へ攻め入った者達に連なる存在であるのならば追手の可能性もある。
ここで姿を見られてしまうのは、どう転んでも悪手であった。
「あ、あの……これは……!?」
「……暫くの間は辛抱してほしい。なぜ彼等がこんな場所に居座っているのかが分からない以上、この場はやり過ごしたほうが良いだろう」
「は、はい……!」
急に外套で包まれ、より身体を密着させることになって慌てふためくラキリエル。
再び赤面しながら何度も頷き、それ以上は言葉を発することなく避難場所を通り過ぎるまで大人しくしておくことにした。
そうして洞穴の前を何食わぬ顔で通り過ぎようとした時、男達より奥に鎮座していた物に目が留まった。
「……魔具像、か」
それは人型を模した三メッテ程の大きさの青銅塊であった。
魔術師が用いる石塊像、錬金術師が精製する錬成像と並ぶヒトの叡智を結集させて産み出した技術の一端であり、装備が潤沢な軍隊に於いては兵器として運用されている。
ただし、この青銅塊には奇妙な点が存在した。
「そんな……あの結晶は、まさか……!」
外套に包まれたラキリエルが更なる驚愕へと陥り、一挙に顔面蒼白と化した。
それもその筈、魔具像の体表面を覆っていた物質は彼女の同胞達の最期の姿……濁った翡翠の如き結晶物と酷似していたからである。
奇しくも、それはサダューインの両親を亡き者とした呪詛の症状とも合致する。
馬上より訝し気な視線を送るサダューイン達に気付いたのか、洞穴で屯していた男達が声を掛けてきた。
「貴様、何を見ている?」
「おっと、これは失礼を……俺達はしがない冒険者なのですが、この辺りで魔具像が設置してあるのは珍しいなと思いまして」
「フン、貴様等には関係のないものだ。この避難地は現在 我々が……いや待て」
咄嗟に詭弁を並べてやり過ごそうとしたものの、今度は軍服を着た男のほうが訝し気な視線を送ることとなる。
「この山道は我々の協力者が麓で封鎖していた筈だ。なぜ登ってこれた?
それに貴様が乗っている黒馬、それはテスカリオ馬だな?
ただの冒険者風情がそのような希少種に乗れるものか!」
前者については皆目見当が付かなかったが、後者に関してサダューインは内心で舌打ちをしていた。
彼の乗る黒馬リジルの馬種は本来ラナリキリュート大陸には存在せず。別の大陸の特定の地域でのみ生まれ育つ種なのである。
この大陸に住む者なら精々"変わった馬だな"と思うくらいだが、眼前の軍服を纏った者達は海外の馬種にも明るいらしく、一挙に疑念の視線を傾けてきた。
「いやいや、麓には誰も居ませんでしたよ?
それにこの馬は少し体毛が暗いだけのヨクゥーダ馬でして……」
ヨクゥーダ馬とは大陸東方に位置するグルダナ大草原に棲息する馬種で、同じく黒毛の馬である。
しかしリジルのような漆黒というわけではなく、どちらかといえば焦げ茶色寄りの黒毛といったところか。
「嘘を付け! 奴等が容易く部外者を通すものかよ」
「……何がヨクゥーダ馬だ、蹄の形を見れば分かるぜ。そいつはマジャハンナまで遠征して現地の蛮族どもと戦った時に嫌というほど見たからな」
「貴様、怪しいな……捨て置けん」
徐々に警戒を強めていき、立ち上がって洞穴から出ると各々が武器を構え始めた。完全に敵対者を見る目付きである。
「くっ、まさかマジャハンナまで遠征経験がある者達だとはね。
……やはり直轄の海洋軍だったか」
マジャハンナとは"燦熔の庭園"と称されし隣の大陸の西端に位置する砂漠と密林が織り成す大国であり、テスカリオ馬の唯一の生息地。
数年前からラナリア皇国海洋軍はその土地に対して調査のための派兵を繰り返していた。故に気付かれてしまったというのは、不幸な偶然である。
軍服の男達が話したようにテスカリオ馬を一介の冒険者が所有できる筈はない。
そもそも、この大陸に住む者は存在すら知らないのが常である。もし所有が可能だとすれば一国の主ないし一つの大領土を治める貴族家の者。
そのような人物が「俺はただの冒険者です」だと言い張りながら、封鎖している筈の山道を登って来たのだから彼等が警戒するのも無理はなかった。
周囲の空気が一挙に張り詰め、一触即発の雰囲気へと塗り替わる様をラキリエルは肌で感じ取った。
「サダューイン様。あの方々とこのまま刃を交えるのですか……?」
漆黒の外套で包まれたラキリエルが、か細い声を震わせながら尋ねてきた。怯えているのだ、故郷を滅ぼした者の仲間である可能性がある眼前の軍人達に。
「……すまない、俺の落ち度だ。
こうなってしまっては、もはや見逃してはくれないだろう。
だが俺としても、ラナリアの軍人共に我が物顔で領内を闊歩された上に魔具像まで持ち込まれているのは、正直なところ業腹でね」
外套を広げて下馬した後に、鞍に吊るしていた魔具杖を外して諸手で構える。
同時に、露わとなったラキリエルの姿を見咎めた軍人達の間で、微かな動揺の声が漏れ始めた。
「海洋軍がザントル山道に立ち寄るという報せも受けてはいないし、おそらく何者かの手引きで極秘裏に良からぬことでも企んでいたのだろう。
向こうが捨て置けないと言うのであれば望むところだ、こちらこそ叩き潰して目論見を吐かせるとしよう」
臨戦態勢を取るサダューインの気配を敏感に察し、軍人達もまた粗末な外套を脱ぎ捨てて紺色の軍服を白日の下へと晒した。
奇しくも互いに身分を隠して暗躍する者同士、口封じも兼ねて始末するより他はなくなった。
「……領主かなにかの一族のお坊ちゃんかと思ったが、中々どうして大した気迫じゃないか」
「隊長、あの金髪の女……やはりあの時の?」
「うむ、この半島に逃げ込んだという報告は上から通達されているし、その可能性は充分にあるだろう。だとすれば思わぬ手柄と成り得るぞ!
『グロシュラス』を戦闘位階で稼働させろ、竜人の扱う魔法は侮れんからな」
「はっ! 三十秒お与えください!」
「……二十秒でやれ、いいな」
軍人達が矢継ぎ早に言葉を交わし、隊長と呼ばれた者を中心に洗練された動きで散会していった。その無駄のない挙措からして精鋭の部類と見て間違いはない。
如何にサダューインが独自の戦い方を心得ているとはいえ、鍛え上げられた精鋭四人に加えて魔具像を相手にするのは不利な戦いを強いられることだろう。
しかし魔具杖を構えて対峙する彼の面貌からは聊かも不安の色が滲む素振りはなかった。
それは確かな勝算があるからなのか、或いは怯えるラキリエルを安堵させるための演技なのか。
「(これは油断できない遣い手達だな、曲がりなりにも精鋭といったところか)
(仕方ない……最悪の場合は"樹腕"を晒すことも覚悟しておくとしよう)」
奥の手の開帳を選択肢に入れつつも、なるべくなら温存しておきたいと弁える。
それは敵を討ち漏らした際に情報が露呈することを避けたいが故か、或いは背後に控えるラキリエルに悍ましき己が業を目撃されることを恐れてのことか……。
どうあれラナリア皇国海洋軍の軍人達との戦いは避けられそうになかった。
・第13話の3節目をお読み下さり、ありがとうございました。
・本文中にありました麓の封鎖云々に関しましては、外伝のほうの御話の中で綴っていきたいと考えております。
・気が付けば100000文字を越えていました。
ここまでこれたのも、いつも読んでくださる皆様のおかげでございます!




