001話『嵐の夜を越えて』
※(2026.9.5) 本文の改稿を行いました。
[ グラニアム地方 ~ ノールエペ街道 南端 ]
「ノイシュリーベ様、もう間もなく到着いたしまする」
「分かっている。既に悪漢達は網を張って待ち構えているでしょうし
発見次第、全騎突撃して一掃するわ。一手でも間違えれば彼女達の生命は無い」
地方と地方を繋ぐ主要な街道を全速力で直走る騎兵の集団。
先頭を駆ける白馬に跨るのは、白く輝く全身甲冑を纏った女性騎士。面当てを上げた兜より垣間見える面貌はヒトとは思えぬ美しさだ。
しかしながら、この場においては焦燥感から来る険しさに満ち溢れていた。
「我等『翠聖騎士団』の誇りに懸けて、そしてグレミィル半島の平穏のため。
何としてでも悪辣者達を討ち果たし、異国より逃れて来た貴人を救い出す!」
「はっ! この槍と誉は、須らくエデルギウス家の旗の下に有り」
「救けを求める声あらば、応じねば騎士の名折れ!」
「"貴き白夜"の後塵を拝する栄誉を賜りましょうとも」
女性騎士が発破を掛け、臣下である後続の九騎がそれぞれに呼応する。
一糸乱れぬ隊列で騎馬の常識を覆す馬足を維持して急行する姿からは、彼女に続く者達も最精鋭部隊の一員であることは誰の目にも明らかである。
「(お父様より継いだ大領主の責務と使命、そして私の理想を遂げていくためにも)
(平穏を乱す輩を野放しにするわけにはいかない)」
眦を吊り上げた双眸には、強い決意が宿っていた。
[ エルディア地方 ~ セオドラ子爵領 エペ街道付近 ]
ノールエペ街道を南下して地方を跨ぐと、エペ街道と呼ばれる路が続いている。そんな主要な街道から、やや離れた位置。
生い茂る草地の中で長身の男性が俯せになって身を隠していた。
「(……今夜は忌々しいほど月明りが綺麗だな。先日までの天気が嘘のようだ)」
春過ぎから夏にかけて海上で頻発する嵐の影響により、雲が攪拌され散り散りとなって風に流されたのか、余さず降り注ぐ月光が周囲一帯を照らしている。
隠密を生業とする者にとっては、誠に辛い夜だ……。
「(これ程までに奴等が素早く動き出すとは予想外だった)
(下手に身動きが取れない以上、姉上達が間に合ってくれることを願いたいな)」
彼が息を潜めて見据えているのは、街道を占拠するガラの悪そうな者達だった。
「(エデルギウス家の一員として、必ず救い出してみせる)」
固い決意を懐く彼の眼光は、若者ながらに数多の修羅場を潜り抜けてきた者ならではの鋭さと厳しさを兼ね備えている。
確実なる救出を誓うからこそ、慎重に機会を窺い続けて耐え忍ぶ。
彼は、自身の立場や才能、能力といったものに一切驕ることはなかった。
[ ナーペリア海 ~ エルディア地方の沖合 ]
「あれがグレミィル半島……わたくし達に残された、最後の希望の地……」
小さな舟で嵐に耐え忍びながら海を渡り、ようやく眼前に広がり始めた陸地を目の当たりとした女性が、安堵の溜息と共に掠れた声で呟いた。
半年以上もの逃亡生活を経て疲弊した彼女達にとって、正に救済の地に等しい光景として映ったのかもしれない。
『人の民』と『森の民』が共存する土地……『グレミィル半島』。
大陸南部で覇を誇るラナリア皇国に併呑された属領の一つであり、半島の北側と南側では大きく地形が様変わりすることで知られていた。
また各地方で暮らす人種、文化、言語、価値観の全てが大きく異なっている。
これらを統括するのが『グレミィル侯爵』の爵位を戴く、大領主の役目と特権。
特定の貴族家が保有する爵位や領地とは別に、立場に付随して与えられるものであり、現在はエデルギウス家のノイシュリーベという女性がその座に就いていた。
「(複雑な歴史を経て、異なる種族同士が手を取り合っている……)」
故に、それを成した大領主の慈悲に縋るべく沖合を漂っていたのである。
[ エルディア地方 ~ セオドラ子爵領 サグレナ岬 ]
グレミィル半島の南側に位置するエルディア地方には、半島どころかラナリア皇国内でも有数の港湾都市エーデルダリアを擁していた。
大陸の西側に広がるナーペリア海を往来する多数の船舶が絶えず入出港を繰り返しており、十数年前に皇都リズウェンシアとの交易路が解禁されてからは数多の富を半島に齎し続けている。
そんな栄えた都市から少し離れた位置に、サグレナ岬という峻険な崖地が存在している。普段は誰も近寄らない場所なのだが、この日は違った。
一艘の舟が漂着し、二人組の男女が覚束ない足取りで崖地に降り立ったのだ。
「ラキリエル様、お急ぎください。どうにか上陸に成功したとはいえ、
ボルトディクスに与する悪漢達の船も既に港湾都市へ入っております。
夜通しの移動となりますが、お覚悟を……」
二人組の片割れは男性。周囲を入念に見渡し、後から地に脚を着けた女性を先導している。その挙措は丁重で、高貴なる人物に仕える従者の如し。
対する女性の方は、その容姿と身に纏う白き法衣が合わさり浮世離れしていた。
整った顔立ち、疲弊の色が顕れてはいるがそれでも健康的で美しき肌、薄めの黄金色の髪は腰まで届く長さで纏まっており、手足はすらりと長く、まず美女といって差し支えない完成された美貌といえる。
そんな彼女を導く従者もまた同様の肌と髪の色。頭髪は後梳に整えられており、角眼鏡を掛けた面貌は如何にも生真面目そうな印象を周囲に与えることだろう。
「悪漢達を撒いて街道沿いの旅籠屋まで辿り着くことが出来れば、
一時の休息を得られましょう。それまで、どうかご辛抱ください」
「ええ、ツェルナー。
貴方にも、これまで多大な負担を強いてしまって申し訳ありません」
「勿体ないお言葉です! ラキリエル様の御身と、我等の故郷が誇る秘宝は、
我が命に代えてでも必ずお守りいたします」
「……わたくしを追手から逃がすために身を挺して犠牲になってくださった
衛兵の方々の意思を無碍にしない為にも、今はただ進み続けましょう」
ツェルナーと呼ばれた従者が恭しく首を垂れて一礼した後に、再び周囲を警戒しつつ宵闇の直中を人知れず突き進み、最寄りの街道を目指していった。
現在の季節は春の終わりから夏の入り口に差し掛かる時分。
グレミィル半島の西側に広がるナーペリア海では、嵐が頻発する時期なのだ。
予定より大幅に遅れてサグレナ岬に漂着したのは、この天候の影響を大いに受けた結果であった。
一刻ほど歩き通した二人組はエルディア地方を南北に横断するための要路であるエペ街道へと辿り着く。
この街道を北上していけば、隣接するグラニアム地方との境目へと至り、地方と地方の間には旅人や冒険者を相手に宿泊業を営む旅籠屋が建っている筈である。
「この先の旅籠屋辺りで、我々を受け入れてくださった
エデルギウス家の方々と合流する手筈となっています」
「エデルギウス家……前大戦の英雄であらせられるベルナルド様は
ここグレミィル半島の全てを統治される大領主様でもあるのでしたっけ?」
「ええ、ですが彼は数年前に病死したと公表されています。
現在ではその御子であるノイシュリーベ殿が大領主の座を継ぎ、
弟のサダューイン殿と共に領土を守っておられるのだとか……」
「……わたくしとそう歳も違わないのでしょうに、なんて凄い方々なのでしょう。
そのような御方が救けに来てくださるのなら心強い限りです」
安堵しかけた二人組は、しかし街道付近に無数に灯る提燈の輝きを見咎めて急速に表情を強張らせた。
その提燈は乱雑な間隔で灯されており、どう見ても地方を移動中の商隊や警邏隊といった風情ではない。
追手である悪漢達が待ち伏せしていたのだ。
[ エルディア地方 ~ セオドラ子爵領 エペ街道 ]
「……拙いですね。あれは魔具の携行提燈です」
魚油などを燃料とする提燈の灯りは僅かな強弱を繰り返すものだが、街道で散見される灯りは常に一定の輝度を保ち続けていた。
「一人一人がそのような高価な代物を持ち歩けるとなると、
あの者達はさぞや羽振りの良い、強力な冒険者ギルドの一員か何かでしょう。
ボルトディクスに与する者が金に糸目を付けず雇い入れたか……」
「彼等とは、まだ二百メッテほど距離が開いています。
このまま音を立てずに迂回することはできないのでしょうか?」
「残念ながら、強力な冒険者ギルドであれば必ず索敵能力に優れた者を
抱えている筈です。おそらく我々のことは既に……ッ!?」
危機的状況を察して苦渋に満ちた表情を浮かべるツェルナー。
説明の言葉を口にする最中にて、何かを見咎めて急遽 大きく瞳孔を見開いた。
ヒュン…… バ ズン !
彼の頭部へ何かが去来し、激突と同時に大量の血飛沫を挙げて仰向けに倒れる。
飛んで来たのは小振りの片手斧。今際の叫びを挙げる間もなく絶命したのだ。
「えっ? ……え? きゃああ!」
突然の事態の把握に数秒を要し、無残な骸と化した従者の姿を見咎めたラキリエルが悲鳴を挙げる。
それを皮切りとして街道付近に屯していた悪漢達が一斉に押し寄せ、彼女を包囲してしまった。迅速にして無駄のない動き、間違いなく手馴れている。
「へっへっへ……居やしたぜお頭ぁ!
奴等、エーデルダリアじゃなくて隣の地方へ逃げ込もうとしてやがりますよ。
勘のいい連中だぁ、この辺で網を張っていて正解でしたわ」
包囲する悪漢達を掻き別けて、小柄な純人種の男性が近付いて来た。
焦げ茶色の癖毛と放置された無精髭は自堕落さを醸し出し、卑屈さが滲み出る面貌からは人生に草臥れた様子を垣間見せる中年といったところだろう。
彼はツェルナーの亡骸とラキリエルを交互に検分しつつ、後ろに控える総大将へと声を掛けた。
「おう、良くやったぞグプタ! お前の読み通りだったなぁ、ガハハハハッ!!」
グプタと呼ばれた男性の背後より、凄まじい巨漢が遅れて姿を現した。
この巨漢こそが悪漢達を纏め上げる立場の者なのだろう。
初老と思しき白髪と白髭を携えた風貌。
筋骨隆々な肉体は、異常な程に活力に満ち溢れており、全身に刻まれた傷痕が歴戦の無頼漢であることを物語っている。
「生意気にも俺様達の船から逃げ腐った獲物共がやっと網に掛かりやがった。
後は例のお宝をぶん獲ってから、思う存分お楽しみといこうじゃねーか!」
「待ってましたー!」
「こんな夜中まで出張る羽目になった代償くらいは貰っておかないと!」
「げへへ、生きたまま身柄さえ引き渡せば依頼主も文句は言いませんぜ!」
巨漢の男に呼応した周囲の悪漢達が、下卑た表情を浮かべながら生き残った美女へと躙り寄る。
然れど、ラキリエルの命運は見放されてはいなかった。
街道の北側の方角より、砂塵を巻き上げながら馬蹄の音が鳴り響く。
騎兵の集団。それも隊列の見事さから、かなりの練度であることが窺えた。
「貴様達だな! 我が領土へ亡命を願い出た貴人を付け狙う悪辣者とやらは。
その悍ましき蛮行を即座に止め、武器を捨てて投降せよ!」
先頭を駆ける、白く輝く甲冑を着込んだ騎士が凛とした声色で勧告を発した。
既に悪漢達が平穏を乱す輩で、包囲されたラキリエルが庇護すべき者であることを前提としたかのような口振りである。
「あぁん……? 巡回の警邏隊か? それにしちゃ豪勢な鎧を着てやがる」
「うわわわ……お頭! あれはこの半島の大領主が率いる精鋭騎士団の旗ですぜ。
たしか『翠聖騎士団』とか云われてる連中でさぁ。
普段は隣のグラニアム地方の城塞都市に駐屯してる筈なんですがねぇ?!」
「……はぁ? 何でそんな連中が、こんなに早く隣の地方まで出て来やがるんだ。
気に入らねぇ! 完全に誰かに仕組まれてんなぁ、こりゃあ!!」
巨漢の男が悪態を突きつつも、背負っていた大戦斧を引き抜き臨戦態勢に移る。
周囲の悪漢達も提燈を足元に置き、各々が持参する使い込んだ得物を構えた。
「おうおう、精鋭騎士だかなんだか知らねえが
このバランガロン様のシノギを邪魔するとぁは、いい度胸してやがる」
騎士の放った警告を正面から突っぱねたばかりか、堂々と抵抗の意志を示した。
「小娘共を追い回すのも飽き飽きしていたところだ!
鬱憤晴らしに手前ぇ等の首でも跳ね飛ばして
そのクソ高そうな鎧を売り払って大宴会を開いてやるぜ! ガハハハッ!」
「お頭の言う通りだぜ! こんな場所まで来て、手ぶらで帰れるかよ!」
「馬鹿な騎士共だ、"海王斧"の二つ名を持つお頭に勝てると思っているのかよ?」
「俺達もお頭に続くぞー。こんな田舎の連中に言われ放題ってのは気に喰わねぇ」
大戦斧を高らかに掲げた巨漢の男……歴戦の冒険者バランガロンが宣言すると、彼が率いる悪漢達もそれに応じて怒号を発した。
「……下郎が。我こそはこのグレミィル半島を統べるエデルギウス家の当主、
ノイシュリーベ・ファル・シドラ・エデルギウス・グレミィル!
流れ込んだ悪辣者をのさばらせておくほど私が率いる騎士達は寛容ではない!」
先頭を駆けるノイシュリーベが馬足を速める。駈足から突撃体勢へ。
彼女が率いる騎士達も同様に速度を増して騎槍の穂先を悪漢達へと傾けた。
「突っ込んで来やがったぞ!」
「弓を持ってる奴は、ありったけ撃っちまえ!」
「槍もだ、急いで槍を構えろー!」
騎士達の接近に備える悪漢達。彼等もまた烏合の衆ではなかった。
各々が手にしていた片手斧を投擲し、短弓を射掛け、長槍を突き出して騎馬突撃に対する緊急の迎撃策を試みる。
しかしノイシュリーベと、その愛馬の疾走はまるで衰えない。
槍衾の如き手厚い歓迎にも一切動じることなく、むしろ馬足を速めていった。
「グレミィルの空を巡る、大いなる原初の風の精霊達に希う。
我が身、我が領、我が腕! 巡りて循る、環にして圏と成れ!
『――風域を統べし戴冠圏』!」
手綱を操りながら朗々と詠唱句を唄い挙げて、魔法を発動させる。
すると何処からともなく豪風が渦巻き、全身甲冑や騎馬を丸ごと包み込むようにして、球形の膜を築いてみせた。
「な、なんだ……矢が弾かれる?」
「駄目だ、当たらねぇ! くそっ、もう目の前に!」
放たれたが、投擲された斧が、或いは戦場の喧噪そのものが、白く輝く甲冑騎士を避けていく。王に近寄る不埒者を撥ね退ける、絶対防護領域の如し。
「風の魔法で防護圏を張りやがったってとこですかい。
突撃中の馬に乗りながら精霊と交信するなんて、正気の沙汰じゃあない。
……って、そんなこと言ってる場合じゃないぞ!」
グプタの目算は正しかった。飛び道具を防いだ豪風の膜は、そのまま竜巻の如く彼女が握る斧槍の刀身へと収斂されていく。
その光景を目にした彼は、慌てた様子で一目散に飛び退いていった……。
「研ぎ澄ませ、グリュングリント! 嵐を纏い蹂躙せよ。
――――『過剰吶喊槍』! 突撃!!」
白く輝く甲冑のうち、肩と腰の草摺りに該当する箇所が彼女の意思により稼働。
装甲内に設えられている噴射口を後方へと傾けるように変形・展開した後に、風魔法によって起こした豪風を一挙に放出させた。
愛馬の走力が瞬間的に強化され、吶喊の勢いもまた飛躍的に向上していくのだ。
ノイシュリーベを先頭とする『翠聖騎士団』が、悪漢達と激突した――
ビュゥゥゥゥ…… カ ッ !! ドゴォォン!!
斧槍を突き出すと、蓄えられていたエネルギーが一挙に解放され、長槍を構える悪漢達を爆風によって紙屑同然に吹き飛ばした。
更に後続する騎士達による騎馬突撃が存分に威力を発揮して、悪漢を躙るのだ。
僅か一走で、ラキリエルを包囲していた人員の半数近くが削り潰された。
そして騎士達は街道上に即席の攻勢陣地を築き、残敵の処理へと移行する。
「今ので、何人死にやがったぁ? クソったれが!」
暴威の直中で悪態を突くバランガロン。
どうやら自慢の大戦斧を盾代わりに使うことで、ノイシュリーベ達の突撃を耐え抜いてみせたようだ。
「存外、しぶとい……!」
「この程度で俺様がくたばるワケねぇんだよ!」
吠えながら大質量の得物を巨躯に物言わせて振り回しながら反撃に転じた。
そうして付近一帯では、乱戦の様相を呈し始めるのであった。
[ エルディア地方 ~ セオドラ子爵領 エペ街道付近 ]
「(悪漢達の総数は約七十名、姉上が率いて来た騎兵は十騎)
(数の上では圧倒的に不利だが、初撃で敵の半数を潰せたは大きいな)」
更に大領主であるグレミィル侯爵が直接率いることによる士気の高さが、互角以上の戦いへと押し上げている。
むしろ悪漢達こそ、精鋭騎士を相手に奮闘していると称えるべきかもしれない。
「(……ほう?)」
茂みに隠れて趨勢を窺っていた長身の男性の眼前で、新たな動きが見られた。
「はぁぁ……これだから田舎は嫌なんでさぁ。
こうなりゃ、とっとと秘宝を隠し持ってる巫女さんだけ確保して
一目散にずらかるのが最も利口な選択ってなもんだ!」
「いっ、いや……! 離してください!」
乱戦に参加する気がないグプタはより一層、草臥れた表情を浮かべながらラキリエルに近寄り、その細い肩を掴んで一人でさっさと逃げ隠れようとした。
だが、その時。グプタの後方より小粒だが鋭く伸びる炎弾が飛来し、着弾する。
「うわっちぃぃぃ!! 何だ何だ? 後ろから??」
「攻撃用の魔術を受けて「熱い」程度で済むのか……流石は"灰煙卿"グプタ!」
慌てふためく彼の背後より、黒尽くめの装束を纏った長身の男性が出現。
素早く足払いを仕掛けて転倒させ、右掌で握る杖の先端部分……銀色の光沢を放つ流線形状の部位で、容赦なく腹部を打ち据えた。
「ぐべぇぇっ!!」
「(……思ったより硬い。胴にも防護術式を仕込んでいるのか?)」
無様に口から吐瀉物を撒き散らしながら地面を転がるグプタを見下ろし、入れ違いにラキリエルへと忍び寄ると、黒尽くめの装束から伸びた掌が彼女の腕を掴む。
そして足早に、音も立てずにその場から離れようとした。
「あの……貴方様は、いったい?」
「説明は後だ。だが少なくとも俺は君の味方だと明言しておく」
長身の男性に腕を引かれて連れていかれようとしているにも関わらず、ラキリエルは不思議と恐怖を感じなかった。
状況が状況だけに、彼の発する声からは焦燥の色が滲み出ている。
それ故に、真摯に彼女を救出しようとしていることが伝わってきたからだ。
「(大きくて……なんて温かい掌なのでしょう……)」
長身の男性に掴まれた腕より、確かな熱が伝播する。
それは半年ほども続いた逃亡生活の中で、次々に仲間を喪って冷え切りつつあるラキリエルの心を一瞬で温め直し、鼓舞し、蕩かし始めてしまう程に……。
その直後であった。ラキリエルから見て左へ僅か三十メッテほど離れた地点。
悪漢達を束ねるバランガロンが振るう大戦斧より、凄まじい冷気が巻き起こる。
吹雪の如く押し寄せて、周囲の大地を瞬く間に凍て付かせた。
長身の男が発する熱に触れていなければ、凍えてしまっていたことだろう。
思わずラキリエルは凍結する戦場の一角へと視線を傾けて、そこで何が起こっているのかを垣間見た――
[ エルディア地方 ~ セオドラ子爵領 エペ街道 交戦地帯 ]
「糞餓鬼にこれ以上 舐められて堪るかよ!
ノイシュリーベとか言ったか? 年季の違いってやつを教えてやるぜええ!」
白馬に跨る甲冑騎士……ノイシュリーベに対して全く怯む様子を見せず、堂々と対峙するバランガロンの姿が在った。
巨漢に似合わぬ体捌きで、凍て付かせた大地を滑走しながら一方的に接敵した。
如何なる名馬とて氷上走行の備えがなければ、その俊足は封じられたも同然だ。
そうして自分にとって有利な地形を築き上げてから、大戦斧による無慈悲な一撃を叩き込んで白馬とノイシュリーベを両断しようとしたのである。
「見た目に反して狡い真似をしてくれる。……往くわよ、フロッティ」
「ヒヒィーーン!」
主人に名を呼ばれた白馬が、嘶きを以て呼応する。
人馬一体と化した俊敏な動きで右斜め前方へと跳び、大戦斧をやり過ごした。
ビュゥゥゥゥ…… ボッ ヒュウウ!
白馬が氷上に着地すると同時に、ノイシュリーベが纏う甲冑のうち真横に傾けた腰部の草摺りの噴射口より豪風を噴射。
続けて噴射口を後方に傾けていた肩の草摺りより立て続けに豪風を噴射することで無理やり前進させ、白馬に跨ったまま自由自在に氷上を滑走してみせる。
畢竟、この甲冑騎士にとって戦場の地形などは関係ないのだ。
そして間髪入れずに斧槍を突き出し、バランガロンの頭部を串刺しにしようとした……が、相手も歴戦の猛者。異常なまでの反射神経で躱されてしまった。
「面白ぇ動きをしやがる! だが突きが正確過ぎるぜぇ、見え見えなんだよ!」
大戦斧を袈裟懸けに振り抜いた体勢のまま身を屈め、斧槍の穂先を避けきってみせる。
そして即座に身を起こして、バランガロンは自身の得物を高らかに掲げた。
刀身より再び冷気が発生し、吹雪と化してノイシュリーベ達に襲い掛かる。
「こんな小細工で、我等グレミィルの『翠聖騎士団』を屠れると思うな!」
「こんな細ぇ腕で、このバランガロン様の斧を止められると思ってんのかよぉ!」
冷気の影響が及ぶ前に、先刻と同じ風魔法による防護圏を形成。吹雪を散らす。
続いて迫る大戦斧による怒涛の斬撃には、右掌で握る斧槍を巧みに振るい続けて手堅く打ち払うことで、着実に往なしてみせた。
キィィン! キ キィン! ……ガッ ギィィン!!
何度も大戦斧と斧槍が克ち合い、刃と刃が重なり合い、金属同士の激突音による闘いの旋律が鳴り響き続ける。
冷気と風が吹き荒れる渦中で舞い踊る火花は、幻創の戦いの如き光景であった。
[ エルディア地方 ~ セオドラ子爵領 エペ街道付近 ]
大将同士による一騎打ちに目を奪われかけていたラキリエルであったが、より強く腕を引かれ始めたことで、ふと我に返った。
「……済まないが、君の従者の遺体を回収している余裕は無さそうだな。
姉上、いやグレミィル侯爵達が上手く拾ってくれることを祈るしかない」
これだけ激しい戦いが繰り広げられ始めたのだから、さもありなん。
彼が潜伏していた街道近くの茂みまで戻ってくると、そこには立派な体格をした黒馬が巧妙に隠されていた。艶一つない漆黒の体毛が、夜陰に溶け込んでいる。
馬という生き物に馴染みの薄いラキリエルは、近付くまで全く分からなかった。
「えっ……あ、あの」
「失礼、少しだけ辛抱してもらいたい」
馬上にラキリエルの身柄を放り投げるようにして乗せながら、自身も騎乗する。
すると主人の意図を汲み取った黒馬が直ぐに駆け出し、二人と一頭は乱戦を続ける者達から離れていった。
「(姉上達が食い止めている間に、このまま街道を北上してしまおう)」
後に残されたのは、未だに戦いを継続する精鋭騎士達と悪漢達。
その最前線に立つノイシュリーベとバランガロンは、互いの得物を振るい合って一歩も退かず、只管に激しい攻防を演じていた――
【Result】




