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007話『裏拍-其は足元に這い寄る濁り水』(5)

・(2025.11.04)加筆修正を行いました。


「……あの」


 暴風の如き刹那の一幕を越えて、貧民街には再び湿気た静寂が訪れる。

 それまで物陰に隠れていた少年が、おずおずと顔を出して声を掛けてきた。


 否、少年だけではない。それまで遠巻きに様子を伺っていたであろう他の貧民街の住人も、ぽつぽつと顔を出して騒動の起こった区画を見詰めていたのだ。

 三人組の悪漢……それも手練れに襲われたにも関わらず見事に撃退したノイシュリーベに向ける視線には、畏怖と羨望の色合いが加わったかのように思えた。



「その足で きちんと隠れていたのね、偉いわ。だけど

 貴方の家を台無しにしちゃって申し訳ないわね……」


 僅か数合の戦闘であったが、竜巻を纏わせる風魔法の余波によって木片やボロ布を寄せ集めたような住処は無残にも吹き飛ばされてしまっていた。

 常人にはゴミの山のように映るが、彼等にとっては雨風を凌ぐための大事な家であり砦なのだ。住処すら失えば、更に悲惨な境遇となるのは明白である。


 新たに顔を出してきた住人達の中には、そのことでノイシュリーベを責めるような視線を傾ける者も居た、だが言葉には出さない。

 自分達が何を訴えようとも絶対に勝てない、逆らえない存在だと理解させられてしまったからだ。



「…………」


 そんな視線を一身に浴びて、ノイシュリーベは黙して瞑り、僅かの間 考え込んでしまった。父ベルナルドならば、こんな時にどうするのだろうか。幼き日の無鉄砲な己ならどうしただろうか。



「(彼等を路傍の石として切り捨てるのは、とても簡単なこと……)

 (何もせずこの場を離れてもグレミィル半島の運営に支障は生じないわ)」


 むしろ早急に城塞都市ヴィートボルグに帰還し、然るべき戦力を投じて貧民街に巣食う悪漢達の一掃とセオドラ卿との因果関係を精査するほうが有益である。

 その為には貧民街の住人などに時間と資金を割いている余地はないとまで考えらえる……しかし。



「そういうのは私が歩いていく路じゃない」


 胸中を吐露して意思を固めるための呟きを零した。

 細剣を納刀しながら周囲を一瞥。そして付近一帯に響き渡らせるかのうような、凛とした声で住人達に告げる。



「先程の戦いで住処が壊れた者は申し出なさい。

 弁済として当座を凌げるだけの銀貨を差し出すわ!

 それから『偽翡翠』に罹った者で、まだ立ち上がることができる者は、

 この街の救護院を訪ねなさい」



「それは……無理だよ。

 何人も救護院には駆け込もうとしたけど、皆 門前払いされた。

 俺達みたいな『偽翡翠』に罹った底辺の人間を受け入れると、

 街のお偉いさん達に怒られるんだってさ……」



「……なんですって? セオドラ卿が根回しでもしているのかしらね」


 救護院とは、街や村ごとに建てられている公の施設である。

 元々は大陸を統括する"(トーラー)"を奉じる宗教組織が、布教の一環として孤児の保護や病人の治療、読み書きの学習の場などを手掛けるために各地に建てていた。


 しかしラナリア皇国では時代が下るにつれて皇王府の権威が増し、"(トーラー)"を信奉する者が数を減らしたがために前述する宗教組織の影響力が低下。

 財政難を理由に運営が立ち行かなくなった各救護院は施設を放棄するしかなく、そこを皇王府ないしは属領の支配者層が接収していった経緯を持つ。


 そうして運営者を変えながら救護院は存続したものの、各街の有力者達の意向が強く反映されるようになり、場所によっては少年が口にしたように特定の者達の受け入れを拒むようなことも起こり得るのだ。


 ここエーデルダリアの場合なら、市町であり近隣一帯の領主でもあるセオドラ子爵が運営権を持つ責任者という形となる。




「だったら貴方達に対しても受け入れを再開するように私が掛け合ってみるわ。

 そして『偽翡翠』の進行を遅らせる魔具を、この街の救護院に届けさせる。

 大領主の権限を使うことになってしまうけど、小さな問題ね」


 ノイシュリーベの立場なら決して不可能なことではないのだろう。

 ただしバルゲルク・セオドラとの関係は悪化の一途を辿ることになるのだが。



「(もし呪詛の件すら知らぬ存ぜぬで通そうとするのなら)

 (多少 強引にでもエルディア領の領地運営に介入する口実としましょう)」


 『偽翡翠』はどうやら彼女の両親を死に追いやった呪詛と同種の類。

 場合によっては本国(ラナリア)の皇王府を経由して圧力を掛けることも適うだろう。

 何故ならば、英雄ベルナルドの死因については現皇王バランガリアも強い関心を懐いているのだから……。



「大領主の権限……? そんなことができるなんて、あんた一体何者なんだ……」


 眼前の女性が只者ではないということは、既に貧民街の少年とて理解していた。

しかしながら容易く行政の方針にまで口を出せるような存在であったなど、露にも思わなかったのである。



「そういえば私としたことが名乗り損ねていたかしら」


 先程の戦闘の最中にて、素性を隠しておくための外套は失われた。であれば今更 顔と名を隠し通そうとする意味は薄いだろう。

 構うことはない。堂々と言ってのけてやろう、幼少の頃と同じように。



「私の名はノイシュリーベ・ファル・シドラ・エデルギウス・グレミィル!」


 声高々に、朗々と響き渡らせて己の名を告げる。



「このグレミィル半島を治めるエデルギウス家の当主よ。

 今は訳あって貴方達が生活する区画にお邪魔することになったけど、

 用事が終わったらすぐに出ていくから安心しなさい」


 眼前の、呪詛や病や貧困で苦しむ者達を今直ぐに救うことは出来ない。

 しかし、己の持つ権限を駆使すれば救済に繋げるための一歩を踏み出していくことはできるだろう。



「少し時間は掛かるかもしれないけど、さっき話したことは必ず約束する。

 だから早まった真似だけはしないで頂戴……貴方達を救ってみせるわ」


 身分に甘えた施しと言われれば、それまでのことかもしれなかったが、少なくともこの街の市長の意向によって彼等が救護院を利用できない状況にあるのなら、その改善に務めるために権力を振るうことに抵抗は感じない。


 無論、救護院に受け容れられたからといって彼等の症状が完治するという保証はないし、現段階では解呪の目途は立っていない。

 だが少なくとも、多少はまともな環境で療養することは適う筈だ。




 その後、宣言通りに住居を破損された者達への充当として銀貨の入った革袋を配って回り、討ち倒した悪漢の一人の遺体は港湾都市の警邏隊へと引き渡した。

 ノイシュリーベが貧民街を後にする頃には、すっかり日が暮れてしまっていた。


 悪漢達こそ捕り逃したものの、セオドラ卿との繋がりを示唆する言質を取れた上に、『偽翡翠』……兼ねてより手掛かりを負っていた呪詛を見付ける機会を得たのだから成果としては上々だ。


 やるべきことがまた増えてしまったが、グレミィル半島を預かる大領主として、歩むべき路の輪郭が少しだけ明確になった気がしていた。



・第7話の5節目を読んで下さり、ありがとうございました!

 長かった第7話もこれで一区切りとなりますが、如何だったでしょうか?

・本日は夜19:10頃にもう1話、第8話を投稿する予定ですので、もし良ければそちらもご覧いただければ幸いです。

 そして明日の朝、いつもの7:10頃より投稿予定の第9話からはサダューインのパートを予定しております。

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― 新着の感想 ―
軽い気持ちで読み始めたのですが想像以上に練りこまれた設定と描写に驚きました ノイシュリーベかっこいい! まるでハードカバーの小説を読んでいるような感覚で久しぶりに大当たりを引いたなと思いました
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