007話『裏拍-其は足元に這い寄る濁り水』(1)
・(2025.11.04)加筆修正を行いました。
「……とんだ俗物だったわね。
あんなのでも若い頃は修行して騎士叙勲を受けていただなんて信じられない」
テルペス宮殿を後にしたノイシュリーベは、なんともいえない表情を浮かべるしかなかった。理由は明白で、面会したセオドラ卿から滲み出る器の卑小さに辟易してしまったからである。怒る気力すら失ったと言うべきか……。
どうあれ醜悪にふんぞり返る姿には、呆れを通り越してしまった。
セオドラ卿とは過去に二度ほど顔を合わせる機会があった。
一度目は父ベルナルドと母ダュアンジーヌの葬儀の場にて、彼が子爵家の当主とした参列した際に。
二度目はノイシュリーベが大領主の座に就いた際の祝宴の席にて。
父ベルナルドと確執のある人物だとは聞かされていたが、その時点ではこれといって不審な点を感じる箇所は見受けられなかった。
必要最小限の挨拶と儀礼的な言葉しか交わさなかったこともあるが、優秀な余所行きの装束で塗り固めていたのだろう。
「(テルペス宮殿は彼の根城……出張先では最低限の見栄を維持するけど)
(自宅だと本性の制御が杜撰になってしまう典型例といったところね)」
面会している最中、明らかにこちらのことを年若い女と侮る節が垣間見られた。 更にノイシュリーベの出自が純人種と亜人種の混血ということで、裡に秘める忌避や侮蔑といった感情が滲み出てもいた。
父の代から続く因縁も合わさり、まるで敵対者を謗るかのようですらあった。
無論、表面上の言葉遣いは大領主を遇するに値するものではあったのだが……。
尤も、ノイシュリーベが一人で面会に赴いたことも、セオドラ卿が舐めて掛かってきた要因の一つではあるのだろう。
仮に騎士ジェーモスのような古参の騎士を連れていたら、多少はまともな態度だったのかもしれない。
「(まあ、態度に顕れ易くなっていたからこそ)
(セオドラ卿が考えていることが手に取るように分かったのは良かったわ)」
話を進めていく中でエペ街道で交戦した悪漢達の件に触れた際には明らかな動揺を見せた。
彼等ほどの人数であれば普通の村や町に纏まって滞在することは出来ない。
ある程度の大きな都市で宿を採り続ける必要がある。
悪漢達を率いていた『ベルガンクス』は独自の大型船を保有しているので、其処で寝泊まりしている可能性もあるが、だとしてもそんな船が停泊できる港など限られていた。
何れの場合にしろエーデルダリア以外に大勢の悪漢達が拠点として逗留できる場所はなく、市町であるセオドラ卿が把握していない筈はないだろう。
にも関わらず、セオドラ卿は悪漢達については何も知らないと突っ撥ねたのだ。
「(あれだけの数の悪漢達を束ねて街道を占拠していた冒険者がいるというのに)
(エルディア地方を管轄する者が知らぬ存ぜぬなんて言い出す筈がないわよね)」
色々と探りを入れるための言葉回しは試そうとした。しかしながら相手は「知らない」の一点張りで聞く耳を持たない様子。
ならば、とこちらも詰問するような口調となってしまったことは否めないが、それを差し引いたとしてもセオドラ卿の対応は稚拙であったように思う。
これでは自分から今回の悪事に関与していることを宣言しているようなものだ。
「(叩いてみようとしたら最初から埃塗れだった……といったところかしらね)
(拍子抜けというか、新手の罠か何かだと思ってしまったわ)」
百メッテほど離れた場所で一度 背後を振り向き、テルペス宮殿を検めた。
表向きは荘厳にして美しい建物だったが、内部は随分と黴臭さとキナ臭さを感じずにはいられない。
「この分だと、セオドラ卿の支配下であるこの街も調べれば色々と出てきそうね。
……コソコソと嗅ぎ回るのは"あいつ"の領分でしょうけど」
嘯きながら、エバンスから手渡された質素な外套に身を包む。
彼女が"あいつ"と称するのは双子の弟のサダューインのことであり、彼が率いる暗部の精鋭部隊ならば既に何かしらセオドラ卿の情報を掴んでいるかもしれない。
大領主であるノイシュリーベは、様々な機関より挙がってきた報告を元にして然るべき裁断を下していく役処であり、率先して調査を行うのは領分ではない。
しかし先刻のセオドラ卿の態度が引鉄となり、このまま自ら動いてエーデルダリアに隠された情報を掴んでおきたいという想いに駆られ始めていたのである。
このような状態に陥ったノイシュリーベは停まらない。留まれない。
自ら率先して行動しなければ気が済まなくなるのだ。
幼少の頃から付き合いの長いエバンスが知れば「またノイシュの猪突猛進なとこが出ちゃったよ……」などとぼやいている頃合いだろう。
[ 港湾都市エーデルダリア ~ エルゲミル広場 ]
そのまま暫し歩いていると、この都市でヒトの往来や物流の要となる大路が交わる大規模な広場へと差し掛かる。所謂、中央広場というやつだ。
北西に伸びる路を進めば港湾都市の顔でもある埠頭が並ぶ区画。南西へ進めばノイシュリーベが仮眠を採った宿泊施設へ戻ることが出来る。
だが彼女は敢えて広場を横切って南東の方角を目指すことにした。
この先に続くのは港湾都市の外端であり、貧しい者達が身を寄せ合って違法に築いた破屋の連なる貧民街……とエバンスから聞いたことがあった。
彼女自身はこの都市の貧民街に縁などなかったのだが、先刻から広場や大通りを行き交う顔ぶれの中に貧困層の者の姿が異様に少ないことが気掛かりだったこととエペ街道で交戦した悪漢達が潜んでいるとすれば、そういった場所に拠点を構えている可能性があると推察して足を運ぶことにしたのである。
「……ちょっと見に行って、直ぐに戻ればエバンスだって文句は言わないでしょ」
などと呟きながら、ずいずいと歩を進めてしまう。市町との面会を済ませた直後の、ある種の解放感が行動力に変換されているのかもしれない。
外套に備え付けられている被衣を目深に被り直し、エーデルダリアの影の部分へと踏み込んでいった。
[ 港湾都市エーデルダリア ~ 貧民街 端部 ]
整備された路地、艶やかな商館、景観を意識して統一された趣の民家。
そういったエーデルダリアを構成している明媚な街並みとは打って変わり、そこは粗末な木組みの小屋や、ボロ布と藁で固めた天幕が並ぶ薄暗い区画であった。
何とも言えぬ悪臭が絶えず漂っており、高貴な身分でなくとも真っ当な感性の者であれば数秒で退散したくなるような有様が広がっている。
そんな貧民街の中をノイシュリーベは少し眉を顰めるのみに留めて、歩を進めていく。
彼女は騎士修業時代に、汗と涙と泥に塗れて厳しい修練を積んだ経験があった。 貧民街など天国に思えるような、野獣や魔物が潜む洞窟の奥深くに連れて行かれたこともあった。
騎士として叙勲を受けた後も幾度となく野戦の機会を体験している。
故に、煌びやかな社交の場でのみ咲くことができる貴族令嬢とは、まるで胆力の質が異なるのである。
とはいえ甲冑を纏っていない上に愛用の斧槍も置いてきた状態で見知らぬ区画に足を踏み入れるというのは、少々 心許ない。
一応、細剣こそ帯刀してはいるものの、これは直接的に切り結ぶことを想定されていない代物である。
「確かこの辺りは旧イングレス王国の外から雇い入れた傭兵達の末裔や
『大戦期』に戦災孤児となった人達が少しずつ集まって形成された区画だと
エバンスは言っていたわね……」
前者に関しては『人の民』と『森の民』の諍いが今よりも激しかった時代にて、『人の民』達は外地から傭兵を招いて『森の民』の抗っていたという。
後者はそのままの意味であり、終戦から約二十五年が経過した今でも消えぬ傷痕として遺されし負の遺産であった。
勿論、大領主として知識の上では知っていたし、他の街でも同様の理由で貧民街化した場所を訪れた経験もある。其処で成し得た出会いや、育んだ絆もあった。
しかしグレミィル半島全域を見渡しても有数の都市であるエーデルダリアは表の顔があまりにも豊かで艶やか。昼夜を問わず光り輝いている。
流入する船舶は巨万の富と希望を運ぶ象徴として強く印象付けており、こういった区画の存在は余計に視界に映らなくなってしまうのだ。
「(光あるところに必ず影が生じるものだけれど)
(光があまりにも強過ぎると、影の存在が視えなくなってしまう……)」
貧民街の淀んだ空気だけでなく、時折 異物ないしは侵入者を警戒する目付きで睨み付けてくる原住民の視線に晒され、得も言われぬ居心地の悪さを感じる。
それでもノイシュリーベは薄暗い路地を突き進み続けた。
「(うっ……これは想像以上ね……)」
ふと一際強い異臭に気付いて足元に視線を落とした時には既に手遅れだった。
汚水と思しき液体に上質な革製のブーツの爪先が浸かってしまっていた。
何年も放置されているのであろう煮詰まった悪臭に加えて蠅や蛆が湧いている。これが何の液体なのかは想像しないほうが賢明だろう。
「(……まるで戦争被害に遭った村の跡のようだわ)」
死臭を感じないのは、異臭が余りにも強すぎるが故なのだろう。
汚水で履物が穢れることも厭わず、尚も突き進む。衣装の汚れは後で洗い流せば良い。しかし歴史が育んできた薄暗き街並みは、そう簡単には拭えないのだ。
そのことをよく知るノイシュリーベは自分が今 何をする為に歩いているのかを噛み締めながら、更に……尚更に路を進んでいった。
[ 港湾都市エーデルダリア ~ 貧民街 奥部 ]
様々な破屋が無秩序に乱立する区画を通り過ぎた先には、いよいよボロ布ですらない木箱の欠片のようなものを組み上げただけの寝床が並ぶ区画へと辿り着く。
「(流石に悪漢達が潜んでいる気配は無し……か)
(だけど、折角ここまで来たからには一番奥まで視ておきましょう)」
少々、当てが外れてしまったが手振らで引き返すというのも後ろ髪を引かれた。 エーデルダリアの影の部分を垣間見る機会など滅多にあることではないし、為政者として目を逸らすわけにはいかないと思ったからである。
進むにつれて空気は更に淀み、無秩序に積み上げられた廃材や破屋によって路地に差し込む陽光は疎ら。昼過ぎにも関わらず不自然なほど薄暗い。
正に貧民街の最下層といった風情であり。そこでは年端も行かない子供達や、痩せ細った成人男性達が力なく路地に座り込んでいた。
「(栄養失調から来るの無気力……だけではなさそうね)
(何か悪い病気が蔓延し始めているのかしら……)」
その予感は的中し、膝を抱えて蹲る少年の肌を見てみると皮膚の一部より濁った翡翠の如き鉱物が突き出していた。
否、身体の一部そのものが鉱物へと置き換わり、結晶化していたのである!
「こ、これは……まさか?!」
思わず悲鳴に近い声を挙げてしまった。周囲の視線が突き刺さる。
「そんな……どうしてこの呪詛が! こんなところに?!」
ノイシュリーベは半ば狂乱し掛けながら少年の前まで近寄り、身を屈めて覗き込んでしまった。痩せこけて悲惨な有様の肉体には健常な部位など元より見当たらないが、別けても結晶化した皮膚は一際に凄惨な有様だ。
彼女が取り乱し掛けたのも無理はない。
何故ならば、過去にその症状に陥った者を直接 目にしたことがあった。
忘れはしない、忘れられる筈もない……。
彼女の最愛の両親であるベルナルドとダュアンジーヌを死に追いやった忌むべき最期の姿こそ、この濁った翡翠による結晶化だったのだから――
【Result】
・第7話の1節目を読んで下さり、ありがとうございました。
今回は文章量がかなり多くなってしまったので切りの良いところで別けさせていただきました。
予定では、おそらく第7話は5回ほどに別けて投稿させていただきます。




