19 私達には殺しのライセンスがある
昼前の時間帯。太陽が正中にかなり近づいている。
雲一つないせいだろうか、三月の割にはかなり暖かい。
マリナの足は非常に重かった。ハァと大きく息を吐き出す。
「帰りたくない……」
はたと、マリナの足が止まる。マリナが足を止めたのには二つの理由がある。
一つは主であるヨルハンのことであった。
マリナはヨルハンのことが嫌いではなかった。
欲に忠実で性根が腐っているため、心の底から軽蔑していた。
しかし、軽蔑が壁を突破していたため嫌悪の感覚は一切なかった。
ゴキブリを見つけた時に反射的に目を逸らす感覚と似ているのかもしれない。
もう一つは新たに屋敷に加わった少女、ドーラであった。
年齢は、先ほどあったリィネよりもう少し若いくらいであろうか。
天才職人が一生の最後に作り上げられれば最高の人生であるといった具合の、あまりにも可愛らしい人形のような少女である。
その少女のことをマリナは嫌っていた。
自身より若い身空にも拘わらず、魔術師としての才能が頭抜けていたからである。
その上、社会情勢や、その他様々な知識にも明るい。
マリナは心底その少女のことを尊敬していた。
が、しかし一方で違和感があった。
少女らしからぬ頭脳明晰さにもヨルハンをあしらう冷静沈着さにも年齢が感じられなかったからである。
尊敬していつつもどうしても好きになれなかった。
「はぁ」
マリナがもう一度ため息をついた。と、後ろから人の足音が聞こえた。軽やかな音である。
「マリナさん、ごきげんよう」
そこに立っていたのはドーラであった。
ゴシック調の日傘を差しており、その日陰で金の髪がきらきらと風になびいている。
マリナより幾分背が低いため、その少女は傘をずらし上目遣いでマリナを可愛らしく見上げている。
その可愛らしさがどうも気に入らなかった。
が、しかし顔に出すようなことはしない。こんにちは、と返事した。
初めてこの少女が現れたのは三カ月前だ。まだ、雪がちらつく頃であった。
ヨルハンがネノカタスの騎士学校に入学するとなったのでその閑静な住宅街に居を構えることになった。
引っ越しは順調に終わり、最初の夜。パーティが開催されることになった。
その席にいたのがドーラであった。
◆◆◆
砂金を流した川が天上にはある。そんな与太話をかつて父からマリナは聞いたことがあった。
そして、その美しい金の髪はその話を思い出させるには十分すぎるほどに美しすぎた。
また、目鼻立ちもすっきりとしていて、肌は白磁のごとくきめが細かい。
そんな少女に向かって発した最初の言葉について、自分でも驚いていた。
「あの、あなたは?」
マリナは、初めて見るその少女に異様さを感じていた。
絶えず笑顔を浮かべ、大人たちが声をかければ、百点満点の回答を返している。
いや、少女らしからぬ知識と慧眼に目を丸くする大人の方が多かった。
あまりに見事に溶け込みすぎているのだ。
マリナも最初に何も感じていなかった自身に驚いた。
少女の周りには先ほどから『保護者』というべき大人が誰もいない。
あまりに堂々とした立ち居振る舞いにその「なぜ」すら思いつかなかったのだ。
その少女はマリナのその問いににこりと笑って見せた。
「あなたは?」
少女は、ゴシックなロリータファッションのスカートの裾をひらひらとして見せる。
「私はここでヨルハン様の家庭教師をしているマリナ・ダ・ボトルフィーノと申します。失礼ですが……」
少女のその大きな目が喜びの色が浮かんだ。
「私、旅の一座の者です。昔ボトルフィーノにはいったことあるわ。いい街でしたが、ご不幸があったようですね」
マリナの眉がピクリと動く。
父の死のことか、叔父の事件のことか、もしくは自身の失脚のことだろうか。
そんなマリナの心境に気が付きもしないのか、言葉を続ける。
「私、旅の一座から追い出されてしまいまして。どこかに働き口がないか、と実はここに忍び込んだのです」
屈託なく笑う笑顔にはこの世の悪徳などないのではないかと思わせる力があった。
そして、思い出したように自分の名前を言った。
「私の名前はドーラです」
◆◆◆
「なぜ帰りたくないのですか?」
聞かれていたことにギクリとしたが、できるだけ平静を装う。
「いえ、『腹減りたくない』といったのです。最近、お肉が」
そういって腹回りをつまんで見せる。
あはは、と乾いた笑いを浮かべるマリナに対して、ドーラは少しだけ首をかしげていたが、そうですか、とだけ伝えると歩き出した。
先日の魔術雑誌の論文について質問でもしようかとマリナが考えていると、辺りが騒がしくなりだした。
ヨルハン邸の屋敷入口には人だかりができていた。
「何かしら?」
マリナの言葉に、ドーラは、さあ、とだけ答える。
二人が近づくと、その人込みは官憲であることが分かった。
官憲たちが屋敷の入り口を固めているのだ。
「あの、すいません。何かあったのですか?」
マリナの言葉に、入口に立っていた官憲の一人がぎろりと視線を送ってきた。
職務に忠実、そして、いい意味で無能なタイプの人間であることは、二人を単純に無視をしたことでわかる。
「私達、この屋敷の者なのですが入ってもよろしいですか?」
そこでその無能の男は舌打ちをしてから屋敷横に止まっていた馬車を指さした。
向かえということかと理解した二人は、その馬車に乗り込んだ。
「で、マリナさんとドーラさんね」
馬車の中には一人の男が乗っていた。
神経質そうな男は、役職と名前を告げた後で二人の名前を聞いた。
そして、手に持っていた名簿で何かを確認し始める。
「えぇっと、ドーラさん、とりあえずあなたは屋敷にどうぞ」
鋭い視線でドーラを見送る。ドーラは柔らかい笑顔でそれを受けると、マリナを見やった。
「マリナさん、またあとでね」
マリナは、生返事を返すと男に視線を返す。
「私は……」
「何があったかご存知ですか?」
「何がって、屋敷でですか? いえ、戻ってきたらこれですから」
マリナは嫌な予感がした。叔父が捕まった時にマリナは尋問された。
その時のことを体が思い出す。
「このお屋敷で死人が出ました」
マリナは一瞬理解できなかった。そして、脳内の血流が増える。
「死んだのは、五十三歳男性。お名前はゴードン。ここで働いていた方です。ご存知ですよね」
「は、はい」
人当たりの良い執事だ。口髭をたくわえ、いつも鼻歌を歌ってはヨルハンにうるさいと言われていた男である。
「彼のそばに薬物が落ちていました。おそらく常習者だったのでしょう。オーバードーズで死亡したようです」
ばかな、マリナは思考をめぐらせる。男の視線の意味するものを知っていた。
ここから先の一言一言がすべて勘案され、一挙手一投足のすべてが曲解される。
「なぜ、私がここに残されているのでしょうか?」
「ふむ。あなたの部屋からこれが見つかった」
男はマリナに白の布片を見せた。
わずかに黄色いしみが浮かんだその正方形の布片。
何が問題なのか、否、ここで見せたことが問題なのだ。
「待ってください。それが麻薬なのですか? まず、それは私の物ではありませんし、そんな形状の麻薬なんて初めて知りました。使用経験もありません!」
マリナは必死に感情を抑える。しかし、その抑えそこなった感情が言葉を走らせる。
身体の暴走だけは何とか押しとどめた。
そこへ、馬のいななきが聞こえた。馬車のそばにもう一台馬車が止まったらしい。
「落ち着いてください。いいですか? 私はあなたの弁解を聞くために残したわけではありません。馬車を降りてください。今来た馬車にあなたを引き渡すのが私の仕事です」
馬車を放り出されると、そこにいたのは柔らかい雰囲気をした男であった。
茶色い髪が風に揺れている。
その周囲を官憲たちが取り囲んでいた。
「初めましてマリナさん。私はアランです」
アランと名乗った男は、腕を差し出してきた。
握手を求めているらしい。マリナはその場違いな申し出になぜか応じてしまっていた。
そして、アランに促されるまま馬車に乗り込んだ。
「あの、なぜ騎士のあなたが……」
「騎士の私が官憲から仕事を奪っているのが不思議だと?」
騎士団と官憲はどちらも軍隊的側面を持っているが、その向きが大きく違う。
騎士団とは国土防衛が大きな任務であり、官憲は国内の治安維持が大きな目的だ。
ゆえに二つを管理する組織も違う。
騎士団と官憲が憎みあっているといううわさを聞いたことはないが、仲良く獲物を分け合うとも思えなかった。
「ま、簡単に言えばさ、官憲だと捕まえるのがお仕事でしょ? でも、騎士団には一つ認められている権利があってね、たぶんそれを行使しろってことだと思うんだよ」
騎士団に認められている権利、そう聞いた瞬間マリナの身体が動いた。
右腕が瞬時に腰に伸びる。剣の柄に手が付いた瞬間、目の前の男から圧力が発されたように感じた。
突風にも似たその圧力にマリナの身体が反射的に委縮する。
「落ち着いて。確かに、私達には殺しのライセンスがある。でも使うか使わないか君次第だ」
「くっ」
マリナは恐怖に歯噛みする。その剣をつかんだマリナの手をアランは優しく包んだ。
「このままいけば君は我々が殺さなくちゃいけなくなる。もしくは官憲による死刑だろうね。でも、君は官憲相手に暴れたわけじゃない。本当に麻薬密売人なのかわかってもいない。なのに死刑? ありえない。だから、私はどっちも嫌なんだ」
そういうと、マリナの手を柄から離させる。そして、その手に紙片を握らせた。
「君は知ってるよね、ロクドーの居場所だ。そこに行くんだ」




