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1 何だ、あの物騒な犬コロは?

 川沿いの舗装などされていない道の上を、一台の荷馬車がガタゴトとリズミカルに走っていた。

 新緑の香りを孕んだ風が心地よく吹いている。

 荷馬車は、幌などついていない、木製の箱に車輪をつけただけの貧相なタイプの荷馬車だ。


 その荷馬車の主な積荷は、リンゴや野菜などが詰まった木箱である。

 その荷の隙間を縫うように二人の人物が乗り込んでいた。


 一人はリィネという少女であった。金色の髪で幼い顔つきをしている。

 膝まである長めの赤茶色い皮製のハンターコートを着込んでおり、左手には金地に赤で彩られた手甲を装着していた。

 先ほどまでは猫のように大きな目をさらに見開き過ぎ行く景色を楽しんでいたが、それも飽きたのか今は睡眠の途中だ。


 もう一人は年齢は、十七、八くらいの男であった。

 名前はロクドー。黒い髪を清潔感がぎりぎり感じられる程度に散切りにしている。

 青灰色の狩人然としたコートを着込んでおり、細身に見えるが、わずかにのぞくその腕は粗鋼のようにがっしりしている。

 身長は、高くはないが低くもないと言った感じだ。

 奇抜な色調をした、どう贔屓目に見てもセンスの感じられない長めの首巻きを巻いている。

 それが車外でヒラヒラと翻っているが、それを気にする様子はない。


 そして、ロクドーが荷車の中から白の混じった髭をたくわえた御者に話しかけた。


「急に悪かったっすね」

「大丈夫じゃ。よくあることじゃしな。こっちの方は、荷が増えてありがたいってもんじゃよ」


 そういうと御者は軽く笑って見せる。

 御者は商人であった。そして、荷を運ぶ場所が二人の目的地と同じくネノカタスだったためいくらかの金で送ってくれることになったのである。


「それにしても首都に何の用事なんじゃ?」

「ちょっとバカに呼ばれましてね……」

「バカに……?」


 ロクドーは少し照れたように笑った。


「騎士になる予定なので」

「騎士……?」


 御者はロクドーを見た後で後ろのリィネを見た。そして、あごひげをなでる。

 が、すぐに何かを悟ったように乾いた笑顔を浮かべた。


「そっちの嬢ちゃんは寝心地悪くないんかの?」

「今何か思いませんでした?」

「思っとらんよ。わしも貧乏じゃったからな。でも貧乏人だって夢くらい見ても罰は当たらん」

「え? あれ? 俺たちなんかひどいこと言われてません?」

「気にしなさんな。あの金髪の嬢ちゃんを大事にしてやりなさい」


 御者の視線の先でリィネが眠りこけていた。


「あれは妹ですよ。大事にするほど大層なもんじゃない。あと――」


 そのギリギリ少年ではないと判別できる胸の上には荷のリンゴが二つ転がり落ちている。そして、それを少女は握りしめていた。今にもはち切れんばかりになっている。


「すいやせん。あれはあとで買い取りますんで」


 あれはサービスじゃ、と商人が顔を綻ばせた瞬間、車体ががくんと揺れた。

 馬が大きく嘶き突然止まったのだ。商人が慌てて馬車を操作する。

 おかげで横転はしなかったものの、荷車の中はそうはいかなかった。


「ぐへっ」


 木箱に頭部をはさまれ、ロクドーは奇妙な声を上げた。


「な、何があったつうの?」


 ロクドーは、顔面に降り注いだリンゴを片手に立ち上がる。

 最初に目に留まったのは、荷馬車から放り出されたのか、地面から後頭部に生えているリィネであった。

 意識がはっきりしてくると、甘ったるい芳香が鼻をくすぐる。潰れたリンゴの汁がかかったらしい。

 現状商人の慌てぶりよりも、朝食がまだであったことの方が頭を占めていた。


「あ、あれじゃ……」


 気を取り直して商人が指差す方向を確認する。その先には、小川が流れ込む豊かな森があった。

 そして、この馬車と同じ方向に向かっていた――外装は桁違いに豪華な――馬車が、数十メートルほど先で停まっていた。

 しかし、けっしてそれを指さしているのではない。

 その馬車は、何かと対峙して止まったらしい。

 馬の立っている少し先の方に何かがいるのが確認できた。

 奇妙なことにその足元がポッポッと明るく点滅している。

 馬車から、二人ほど降りてきた。青い憲兵のような服装のその二人は、やおら腰に吊るした剣を引き抜くと、それに対して構える。


 一人は、金色短髪であり、もう一人は異常に大きな背丈をしている。

 ロクドーは、その二人越しにじっと目を凝らした。

 二人の男は犬のような何かとにらみ合っている。数は八匹だろうか。

 最初、野犬の群れか何かだと思ったが、それをしっかり認識した時思わず口を開けてしまった。口の端から垂れる唾液が蒸気を上げている。

 そして、唾液が落ちると、そこに生えていた下草が燃え落ちているのだ。


「なんだ、あの物騒な犬コロは」

「と、トロスじゃ…… よだれやら血やらが異常に熱いんじゃ」


 商人は、腰が抜けているらしくヒックリホッコリと不思議な歩法で馬車の後ろに隠れてしまった。

 馬達は、怯えてしまっているのかブルルと息を吐きその場に座り込んでしまっている。

 ロクドーは首を回し大きく伸びをした後で、後頭部から地面に生えていた少女を蹴り倒す。

 少女はムゲェと鳴き声を上げてくずおれたが、打ち据えた尻を押さえながら、何とか立ち上がった。


「いてて、何があったん?」

「あれだ。犬公」


 ロクドーは、顎で先を指した。ちょうど金髪短髪の男が一匹目のトロスの首を刎ねたところであった。

 首から噴き出した血液が辺りに飛び散るが、それを華麗に躱して見せる。

 血液の危険性を充分に理解しているらしい。


 もう一人の大男は、剣を構えたまま、何らかの呪文を唱えているようだ。

 きっちりと役割分担もできている。

 ロクドーが感心していると、隣で同じ風景を見ていたリィネの顔が、パァッと明るくなる。


「あの犬、かわいいやん。兄ちゃん、ウチあれ飼いたい」

「ダメ。あなた絶対散歩とか行かないでしょ? 結局世話するのは、私になるんだからダメよ。見て満足しなさい」

「お母さん?」


 二人は余裕であった。トロスの軍団と、対する男達の力量差がはっきりとしていたからだ。

 どう転んでも、あの二人が負けることはない。二人の予想は当たった。

 金髪短髪の男が跳びかかってきたトロスの鼻っ柱に剣の側面を叩きつける。

 ギャインと犬らしい悲鳴を上げて地面に叩きつけられたところで、ちょうど大男の詠唱が終わった。

 トロスたちの周囲が湯気を上げ始める。


 しかし、それは熱気によるものではなかった。

 ロクドーのいる場所まで冷気が届く。

 そして、ピシィと凍てついた音が聞こえたかと思うと、トロス達の動きが止まった。

 足が地面ごと凍り付いてしまっているのだ。

 何匹かは、それでも無理に動こうとした結果、足が砕け折れ、その場でもがいている。

 辺りには、トロスの体液と、氷りついた地面が触れて立ち込める蒸気で満たされ始めていた。


「運ちゃん、終わったみたいだぜ。馬を落ち着かせてくれよ」


 ロクドーが商人に声をかける。同じタイミングで豪華な馬車から一人の女が下りてきた。

 リィネと同じぐらいの年頃で、明るいオレンジ色の髪を肩より高い位置で切っている少女であった。

 ロクドーの目にも高級であることがわかる艶やかとした布地の服を着ている。


 少女は汚れることも厭わない様子で駆けると、トロスの死骸を触ろうとした。

 男達が慌てて制止している。

 それをしり目にロクドーが荷車に乗り込もうとすると、商人は馬車の陰からひょいと頭だけのぞかせ、恐ろしげに言葉を吐き出した。


「奴ら、普通は人間襲いやせん。襲ってくるときは決まってあいつがおるんじゃ」

「あいつ?」


 ロクドーが、商人に目を向けた時、背後で雄叫びが上がった。人が放つようなものではない。

 肚の底が震えるような叫び声。ロクドーは、再度そちらに目を戻す。森の中に赤い光が二つ見えた。

 炎の煌めきではない。


「あれ? 森の中に何かいるね。こっち見てるよ! 虎かな?」

「鹿だろ?」

「いや絶対虎だよ。猫より大きいもん!」


 その何かはゆっくりと陽の元に現れる。それは、先ほどのトロスであった。しかし、サイズが違う。

 牡牛よりも二回りほどでかいトロスである。

 オレンジ髪の少女は、それを見て悲鳴すら上げることなく尻から座り込んだ。腰が抜けたのだろう。


 男達は、少女の動きと同時に一斉に走り出していた。

 しかしその方向は、でかいトロスの方向ではない。

 少女を無視して散り散りにあさっての方向に走り出していた。


「リィネ! 行くぞ」

「に、兄ちゃん。ウチ、あれはいらんよ。餌代もバカにならんし」


 間の抜けたことをいうリィネの背中をバカンと大きく叩くと、ロクドーは首巻を手に取り走り出す。

 そして、走りながら右手で印を切った。

 それに伴い、ロクドーの右手辺りの空間が歪んだ。

 次の瞬間、首巻の代わりに身の丈よりも幾分長い鉄の棒が握られていた。


 一方の大トロスの方は、自身の部下であった小さいトロス達を見て、ボフンと息を吐いた。

 そして、怒りからか、その赤い目がさらに紅く染まる。

 口からは唾液の他にも、文字通り炎が噴き出している。大きくなると吐息が炎と変じるらしい。

 そして、大トロスは、その炎の零れる大口を開けると、オレンジ髪の少女に向かって走り出した。

 少女はそこでやっと叫び声をあげた。それと同時に金属のぶつかり合う甲高い音が響いた。


「立てるか?」


 大トロスの咬撃は、ロクドーの持つ鉄鞭に噛みつく形で防がれていた。


「は、はひぃ!」


 少女の返事とも取れなくはない返答に、ロクドーは頷く。

 しかし、鉄鞭を咥えていた大トロスはすぐさま次の攻撃に切り替えた。

 前足を振り上げると、それを横に振るったのだ。


 鋭い爪が鈍い銀光を上げ空気を切り裂く。

 それを目の端に捉えていたロクドーは、大トロスの一撃が少女に当たると判断した。

 即断。

 ロクドーは身体を回転させ少女の腹に思いっきり蹴りを打ち込んだ。

 突然の衝撃に少女は鼻水と涙を流し、目を白黒させながら吹き飛ぶ。

 ロクドーはそれを見送ることはしない。

 その蹴りの威力を回転に変えて大トロスの食らいついた鉄鞭に身体を上りあがらせる。

 そして、鉄鞭の上で器用にバランスを取ると、背後にちらと視線を送った。

 リィネが少女を抱きとめようとして威力が殺し切れずに吹き飛んでいる。


 リィネの不平を漏らす声と、少女の嘔吐(えづ)きが聞こえたが、それに応える暇はなかった。

 足元がぐらりと揺れる。大トロスは、鉄鞭を加えたまま首を大きくゆすり始めた。

 ロクドーは、落とされまいと鉄鞭を握る手に力を込めるが、次に訪れたのは無重力であった。

 ふわりとした浮遊感。大トロスは首の力だけで、鉄鞭ごとロクドーを高く空へ投げ飛ばしたのだ。


 ロクドーは、空中で姿勢を建て直し大トロスに向き直る。

 そこで目にとらえたのは大トロスの赤黒い口腔内であった。

 喉の奥が光り、次の瞬間、ゴオと赤い炎が吐き出される。


 ロクドーは、炎に向かってその鉄鞭を振るう。

 しかし、炎の進路が変わるわけはなかった。

 炎が直撃するその直前、ロクドーの左脇腹が爆ぜその衝撃で炎の範囲から外れる。

 そのまま地面を滑るように着地。即座に体勢を立て直すと衝撃のした方向を見た。


「逃げれてよかったね」


 リィネは、涙目になりながら口だけで笑っていた。

 ロクドーに何らかの魔法をぶち当て一応助けたようだ。

 その足元では、オレンジ髪の少女が二人を呆然と見ていた。

 二人とも先ほどの激突の結果か、リィネは、鼻から、少女の方は額から血を流している。


「てめぇ他の方法あったろ!」

「知らんし。つか次来るよ!」


 リィネの声が聞こえ終わる瞬間に、ロクドーは身体を低く屈めた。

 頭部のすぐ上を突風の如く大トロスの前足が通過する。


 ロクドーはその下を這うようにくぐると大トロスに向かって肉薄した。

 それに対して今度こそきっちり焼き上げようと、大トロスは大口を開ける。

 ぬめぬめと動くその赤黒い舌がのぞいた。


 進退を逡巡。決断。

 ロクドーは重心を前にずらすと、脚に力をためる。その瞬間、青白い何かがその舌に突き刺さった。

 続いて、鈍く光る犬歯にも何かがぶち当たり甲高い音を立ててそれを砕く。

 それは、リィネの放った魔法により生成された氷槍であった。


 大トロスは、衝撃で頭部を大きく上に向ける。

 ロクドーは、低い体制のまま鉄鞭を構えるとそれを横薙ぎで左前脚の関節部分に叩き込んだ。

 ゴシャリと骨の砕ける感覚が腕をしびれさせるが、それを意に介さず、今度はがら空きになった喉元に突きこむ。

 固く引き締まった筋肉が、その進入を阻むが容赦しない。

 筋肉が引きちぎれる音がしたかと思うと、鉄鞭が喉を貫いた。次いで赤い血が噴き出す。


 ロクドーは降り注ぐ返り血を左手で遮った。袖口が燃え上がり、一瞬で黒焦げる。

 炎が皮膚に食らいつく痛みを、食いしばりだけでこらえると、退くどころか今度は大穴の空いた喉に手を突っ込んだ。

 痛みからか、それとも体内に潜り込んだ異物への拒否反応か。大トロスは悲鳴に似た甲高い雄たけびをあげていたが、それがゴボゴボと奇妙な音に変わる。

 ロクドーが突きこんだ左手を勢いよく引き抜いたのだ。

 その手には、大トロスの舌が握られている。鮮血が止まる様子はない。

 雨の如くロクドーに降り注ぐが、それを右手一本のバク転で範囲から逃れると、右手で再度印を組む。

 持っていた鉄鞭の先が槍の穂先へと変化する。


 大トロスは、いまだ健在とばかりに大口を開けた。

 対するロクドーは槍を肩に構えると、それを一直線に放った。それは、喉の奥が光ったのと同時であった。


 銀光一線。

 それは、その光の元に突き刺さった。

 パガンと頭蓋骨が砕ける音が響き、それと同時に大トロスの巨体は動きを止める。

 赤々と燃えるような赤い目が濁っていく。

 大きく風が吹き、それに押し倒されるように、大トロスは地面に崩れ落ちた。


「あ、あの、大丈夫ですか?」


 オレンジ髪の少女が男の元に走り寄ってきた。慌てていたのか、未だに額から血が流れている。


「あんたの方は大丈夫か? あの石頭とぶつかったろ?」


 石頭、と呼ばれた金髪の少女は大トロスの皮膚を剥ぐべく手甲の隙間からナイフを取り出している。


「その左手……」


 いまだにブスブスと煙を上げている左手を、ロクドーは少女の前に突き出す。

 毛や皮膚の燃える嫌な匂いに少女は顔をしかめるが、ロクドーはそれを気にした様子もなく、握ったり開いたりして見せる。


 血液すら燃え尽きたのか、炭化しひび割れた皮膚から一滴も出血がない。

 しかし、歪んでいた少女の顔に驚愕の色が浮かんだ。

 黒焦げた皮膚のひび割れの下を、白い虫の様な何かが這いずり回っているのを見つけたのだ。

 さらに、僅かに傷口に皮膜の様なものがはられている。


「気持ち悪いか? 俺もそう思う。おかげで死ににくいんだがな。あとは小便でもかけとけば治る」

「しょ、しょうべ……」

「下品ですまんな」


 ロクドーは、口の両端を大きくあげてみせる。

 愛嬌のつもりだったが、かなり歪な笑顔だ。少女は、口と目を大きく開けたまま止まったいる。

 それを見ながら大トロスのそばに落ちていた鉄槍を拾い上げる。

 出した時と同様に印を切った。

 それは空間の歪みに溶けていき、あの奇妙な首巻に変わってしまった。


 その首巻を巻きながら、怯えさせてしまったと反省していると、その少女は思いがけない声をあげた。


「すごい! それは魔術ですか?」


 少女は、ロクドーの左手を無遠慮に握ると、大きく振り回した。

 ロクドーは、痛みに情けない声をあげると、もんどりをうって倒れた。

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