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コトノハ薬局  作者: 九藤 朋
花屋敷編 第四章
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ちっぽけな心

 花屋敷の玄関には、大人の身の丈もある鏡が漆喰の壁に埋め込まれている。

 ごつりとして野趣に富んだマホガニーの彫り細工が、湖のような鏡面の周囲を飾る。


 そこから転がり出た聖の真横の空を切って、隼太の革靴が壁を蹴った。

 どん、と乱暴な音に聖が目を上げる。

 もとより隼太には当てる気も無かったが、聖の風貌には目を軽く見張った。

 ずっと鏡に映る異空間を凝視している際には気付かなかった。


「……お前、鬼兎か?」


 聖は問われたことが理解出来ない顔をした。彼の赤い目に鏡が入り、その時点で隼太の疑問を納得する。


 そこには白髪赤目の、驚いた表情の「青年」がいた。

 髪も肩につくくらい伸びている。

「あっちの滞在の、名残りか。それが」

 回転の速い隼太の頭は、すぐにそれと結論付けたようだ。

 聖もそれに異論は無かった。起き上がり、頭を一振りすると、伸びた白髪がばさばさとして鬱陶しい。

 ことの長い髪の艶を思い出し、隼太にひたりと双眼を据える。

「御当主をどうした」

「別にどうも。茶を飲んでるだろうな」

 聖が奥に上り込もうとすると、再度、革靴が伸びた。

 今度は当てる要領で。聖は難なくかわすが、瞳の厳しさは増した。

 隼太が口角を吊り上げる。

「平和そうにしてるぞ? 邪魔をするのは野暮じゃないか、鬼兎」

「あの男は誰だ。音ノ瀬の血筋だね?」


 音ノ瀬の血筋、という言葉を聴いて、隼太が浮かべた笑みは名状し難いものだった。

 喜びと悲しみと憎しみが、まるで聖がいた異空間のようにマーブル状に混ざり合っているようだ。

 難しいかもしれない、と聖は思う。

 こんな表情を見れば、ことは心を痛ませ、コトノハの処方に躊躇する可能性がある。

 黄昏に、少年の懇願を聞き届けてしまったように。

 それならば、自分が彼を裁断する他ない。

 秀一郎が見当たらないのは、彼が戦闘中か、もしくは戦闘不能の状況にあることを意味する。

 死んではいまい、という大雑把な結論は秀一郎への信頼からくるものだった。


「そうだ。だが、あいつの為にはそうでないほうが良かっただろう」

「それは彼があんな外法を使うに至った顛末のことを言っているのか」

「音ノ瀬隼人の一人息子だ」

「――――?」


 予想外の方角から飛んできたボールを受け止め損ねる。

 聖はそんな感覚だった。


「あいつは(おと)()大海(ひろみ)――――――――俺の父親だ」


 沈黙が降りると、澄ました耳に音楽が聴こえる。


(モーツァルト?)


 聖は意識を音楽から戻した。


「……年齢が合わない。君の父親にしては若過ぎる」

「コトノハで時を止めたからだ。狂ってから」

「――――こと様は、」

「来い。一戦やるにしろ話すにしろ、ここじゃ手狭だ」


 顎をしゃくって隼太が階段を示す。

 返事を聴かず離れる紫陽花色のコートを、聖も追った。

 階段真横の部屋から、モーツァルトが優しく響いている。





 微睡みから目覚めた俊介は傾いでいた身体を立て直した。

 烏を連れた男と、この部屋の主だった女性は、恐らく恋人関係かそれ以上にあったのだろう、とまで推測したところだった。

 しかしそこまでで思考が行き詰まっていた。


「しゅういちくん……?」


 背伸びしてカーテンを開け、窓の外を見ていた楓が呟いた。


「え?」

「薔薇の花のとこに、しゅういちくんが見えた気がした」

「秀一郎さんが?」

「……多分…」


 俊介の胸に光が射した。よろよろ立ち上がり、窓辺に歩み寄る。

 視野に秀一郎は見出せないが、救援が来たのだろうか。

 未だ足手纏いにしかならない不甲斐無い身だが、喜んでしまった。

 秀一郎がいるのなら、こともきっといる。

 楓の為に。

 失えない子の為に。


 そこまで考えて俊介の頭に閃くものがあった。


 

 ひょっとするとここは、今はもう、喪われた女性が使っていた部屋なのではないだろうか。





「磨理。紅茶のお代わりは?」

「もう良いわ、大海。ありがとう。ねえ。隼太はまだ戻らないのかしら? あの子の顔が見たいの」

「腕白だからねえ。磨理を待たせるなんて、悪い子だ」


 芝居がかった大海の言葉と、わざと作ったしかめっ面に気持ちが和む。

 大海は昔からとても優しくて。

 お義父様は、それを少しご不満に思ってらしたの。


 私は、貴方が猛々しさからは無縁の人で、良かったと思ってるわ。


 でも大海の心の繊細さが時々、心配でもあるの。


「……なぜかしら」

「何がだい?」

「大海が泣いている気がするの」

「僕は笑ってるよ?」

「ええ。そうね、そうね……」


 なぜかしら。


 隼太を残して逝かなければならない気がして、とても怖いの。


 私、あの子を残しては、まだまだ死ねないのに。



 …………何だかおかしいわね。






 導かれた部屋は書庫のようだった。

 本が日焼けしないよう、北向きに設けられている。

 古今東西の書物が敷き詰められて見る者を威圧するようだが、音ノ瀬にはありがちな光景なので、聖は驚かなかった。

 ふるさとの寺の蔵を思い出した。


「男所帯にしては手入れされてるね」

「大海は狂ってはいるが、まめだ」

「……君の母親は?」

「病死した。もう、かなり前だ」

「彼はそれで精神を病んだのか」

「そうだ。コトノハを処方しても母は治らなかった。大海は母の死が認められず許せず、その時に加齢を停止させた。荒業の連続で、あいつ自身の寿命は縮んでいるだろうが。母の写真と――――遺体は俺が燃やした」


 父親の為にだろう、と聖は思った。


「こと様に、君の母の代わりをさせているのか」

「どうせ一睡の夢だ。……白目の部分が青みがかって瞳の透明度が高い点は似ている。色の白さも。音ノ瀬本家に出やすい特徴が、関わりない母にもあった。大海は隼人のコトノハかぶれを苦手にしていたが、そんな女性を選んだのは皮肉な話だ」

「彼は夢野(ゆめの)久作(きゅうさく)を愛読していたのか?」

「母親が死ぬ前後から、読み耽るようになった」


外道(げどう)祭文(さいもん)キチガイ地獄〟


〝その脳髄文化の冷血、残酷さを見よ〟


 それらは明治生まれの文豪・夢野久作が著した『ドグラ・マグラ』に出てくる言葉だ。

 日本探偵小説三大奇書の一つに数えられる『ドグラ・マグラ』は読めば発狂するとの噂まである。


 聖の赤い目に、泣いた気配はもう皆無だ。


「気の毒な話だが同情はしない。楓さんを攫ってまでして。君はこと様に何をさせる積りだ」


 ふん、と隼太が鼻で笑う。


「お前をそんな可愛いタマとも思わんさ。鬼兎。お前は音ノ瀬ことを、神のように君臨させたくはないか?言わば、縛られぬ、自由な世界の〝守り人〟だ」

「…………」

「あの女には、それだけの力がある」

「…………」


〝ウサギさん。どうして?〟






挿絵(By みてみん)







「あの方は…、小さな、迷子の姫様だ……」

「それはお前だけの見解だろう」

「そうだが、紛れもないこと様の一部だ。こと様は……僕に紅茶を出さなかった」

 

 隼太が怪訝な顔になる。


「五年振りの再会に、僕は緊張していた。こと様には先客があり、紅茶を飲んでいた。ならばそのまま、紅茶を出せば良い。手間も掛からない。けれど、僕にはインクブルーの切子硝子の茶器に入った緑茶が出された」

「……お前が緑茶を好むからか」


 聖がかぶりを振る。

 白い髪がふわりと揺れた。薄暗い書庫の中、淡い蛍の群れが一瞬、舞うようだった。


「違う。僕が、硝子の細工物を好んでいたと、憶えていてくださったんだ。だからわざわざ、お茶を淹れて、出して。僕が逗留する部屋も、硝子のランプがある部屋を使えと指示をして」


「…………」


「幼い頃から変わらない。先んじて相手に優しさを与える。そういう、濃やかな心遣いをする女性が、神のように君臨して幸せになれるだろうか? 僕には、そうは思えない……」


 そう語る聖が、隼太には鬼兎に見えなかった。

 優しさに安らぎ、そう在る女性を尊ぶ物静かな青年を、逆に「異形」を見る目で見た。

 それは隼太には理解不能の、清かな異形だった。


 



 

 




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― 新着の感想 ―
[良い点] ことがどんなに冷然とした当主を演じようと、一族が畏怖で崇めようと、隼太が手前勝手な思惑で神に仕立てようとも、聖は決して彼女の本当の姿を見失いはしない。 聖にとってことはどこまでいっても「…
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