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コトノハ薬局  作者: 九藤 朋
花屋敷編 第四章
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影踏みのアルバム

 聖の手は、空を掻いた。

 漠然とそう察してはいたものの、ことに触れられぬ寂寞は、胸に堪えた。


 肩を越すくらいの髪が、さらさら、白桃のような少女の頬に被さる。

 瞳には、年に似合わぬ諦観と、誇りが深沈として在る。

 児童の社会で孤立しようと、彼女を迎える家庭が慈しみに満ちていたならば、あんな眼差しは生まれなかった。

 音ノ瀬の本家はことの力の養育と制御には腐心したが、心を慮ることは少なかった。

 

 縁側に座る少女を見向きもしない大人たちの、輪郭のぼやけた影が、聖の目の前を行ったり来たりする。

 それはそのまま、ことの心象風景であったのかもしれない。


〝その脳髄文化の冷血、残酷さを見よ〟


 あの声は確かに、音ノ瀬家先代当主・ことの父親の声だ。

 聖もよく知る冷たい声音。



〝そんなコトノハを使うんじゃない〟

〝力があるからと言って、驕るな。見苦しい〟

〝まだそんな物で遊んでいるのか〟

〝――――育て方を間違えたな〟


 清らかで穏やかな時間の流れるふるさとでも。

 聖のいる前でも。

 ことは父から容赦ないコトノハを浴びせられていた。

 身を竦めて俯き、耐えていた彼女の小さな握り拳を、クローズアップしたように聖は憶えている。


 固く白く、今にも粉々に砕け散りそうな拳だった。


 聖はことの背中に、手を添えるしか出来なかった。

 副つ家の守り人が、音ノ瀬家当主に反論や口答えをすることは許されない。


 ことの母も、娘を擁護はしなかった。夫の意見に従うことを当然と考えていた。旧家・名門の当主の妻であれば、ありふれた思考の持ち主だ。


 それでも親を慕う子の悲しさ。

 ことは両親をいつも待っていた。

 何度裏切られ、傷ついても、期待を捨てられなかったのだ。


 親を一切〝諦める〟とは、それ程に困難なのだ。



 聖の赤い瞳が、瞬く。

 赤は一瞬、厳寒の如く冴えた。



(だから僕は、いつか自分が謀反人となるのではないかと考えていた)




 力による、強制的な世代交代を。

 鬼兎の呼称は、ゆえに聖自身、甘受するものであった。

 彼は雌伏していたのだから。

 副つ家にあるまじき聖の思惑は、姉の真葛以外に知る者は無い。


 思惑が火種のままに留まったのは、それを実行すれば、ことが嘆くであろうと容易に想像がついたからだ。

 泣いて、両親を排斥した聖を恨むかもしれない。


 彼はことに憎しみの眼差しを向けられる苦痛を恐れ、沈黙を守り続けた。

 自分を真っ直ぐに慕う彼女の目を失うなど耐えられない。


(貴方の純真と好意が、僕の支えでもあった)


 孤独を嘆き自分を拠り所としてくれる少女の笑顔に、昏い悦びを覚えていた。



 ことを愛するようになってから、聖の心はどこまでも清らかに輝くかと思えば、どこまでも鈍い色に淀みくすんだ。



 この異空間は、負に傾いた時の、彼の心境を反映しているのかもしれない。



 映像は変化し、今度はことと、同世代の少年の姿が見えた。


 ランドセルを背負い、並んで歩いている。

 場面がうっすら赤く、二人の影が長いところを見ると、学校からの帰り道だろうか。


『音ノ瀬さんはすごいね。いっつも作文で褒められて』

『そうかな』

『うん。破った犯人、誰だろ。許せないな』

『……うん』


 義憤に唇を尖らせる少年と、顔色を曇らせる少女。


 思い出した聖は、顔をしかめた。


(これは、あの時の……)


 小学校の掲示板に張り出されたことの作文が、誰かに破られる事件があった。


 その犯人が、義憤の仮面を被った少年であったと判明したのは後のこと。

 当時の、ことの当惑と悲しみを、聖は我が事のように感じた。


〝ずっと仲良くしてくれて、お友達だと思ってたの〟

〝……はい〟

〝ウサギさん。どうして? 私、何がいけなかったの?どうすれば良かったの?〟

〝こと様。人の心は、他人に扱える代物ではありません。己で処するしか無いのです。こと様には、彼に何もしてあげられなかったでしょう。それは、その子自身にしかどうしようもない、心模様の問題ですから。こと様と仲良くしていた彼の全てが偽りとは限りません。中には、本当のコトノハもきっとあったでしょう。彼も自分の気持ちが解らず、持て余していたのかもしれません〟

 ことは瞬きせず、聖の声に一心に耳を傾けていた。

〝…………ウサギさん。私が羨ましいと思う時、ある?〟

〝僕は無いですね。強いて言うなら、こと様くらいの才能が僕にあれば、もっと貴方をお守りすることが出来るかもしれないとは思います〟

〝……本当に?〟

〝はい〟

〝本当の本当に?〟

〝はい。僕はこれでも長く生きていますから、こと様を羨める程に若くはないんです〟


 そう言って笑うと、切羽詰まった表情で問い詰めていた少女の身体は弛緩した。


 しかし、彼女の人間不信はしばらく続いた。




(僕の精神を、なぶろうという仕掛けか?)


 ことの過去の、影に当たる部分の上映会の意図は。

 悪趣味な嗜好だ。


 このままで行くと、次は―――――――。



 マーブル状に狂った色合いに鎮座する映像が、また変化する。


 黒に近い濃い緑の葉、葉、葉。

 椿の繁みを、掻き分け進むことがいる。

 やがて明るい光。


 ことが、びくりと足を止めた。


 そこには一見して「一般の子供」とは明らかに違う目、違う気配の少年が佇んでいたのだ。

 神経質そうな双眸が、ことを射抜くように見る。


 彼の足元には、蜥蜴(とかげ)蝙蝠(こうもり)、鼠、猫などの死骸が散乱していた。

 (むくろ)の放射線の中央に君臨する少年は、さながら小さな死神のようだった。


 映像を見る聖の鼻腔にまで血の臭いが届きそうだ。


 ことが怯えている。


 少年は、文句があるなら言ってみろ、と言わんばかりの、挑発的な目で彼女を睨む。

 華奢で顎が尖って、全体的にぎすぎすしている。


『……貴方が、したの?』


 か細いコトノハに、少年がぎょろりと目を剥いた。


 茜色の空を舞う烏たちが、獲物を喰らわんと近づいたり遠のいたりしている。

 邪魔な子供たちがいなければ、迷わず急降下していただろう。


『お前、音ノ瀬か』

『うん。貴方も……』

 少年の頬が皮肉に歪む。

『こっちは所詮、はぐれ者だ。――――落ちぶれた、惨めな!』

 己自身に腹を立てるように、彼は激昂して叫んだ。

 ことの表情の僅かな変化から、聖は、彼女に同情心が湧いたと悟った。


『どうして、こんなことしたの』


『……命が何なのかを知りたかったからだ』


 遠くから、ことを呼ぶ声が届き、二人は同時にはっとする。

 少年がおもむろにことを見た。

『誰にも喋らないでくれ』

『……』

『頼む』

『もう、……殺さないでくれる?』

『……ああ』

『……解った』

『――――……助かる』


 去りゆく少年の背中。

 画面が暗い藤色と闇色に沈んでいく。



 聖は、ことと音ノ瀬隼太が初めて邂逅した時を目の当りにした。










 

挿絵(By みてみん)










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― 新着の感想 ―
[良い点] こうして見ると、隼人や隼太を異端扱いしてる音ノ瀬ですが、音ノ瀬やことの父母自体にも何ら問題がなかったとは言い切れない感じが・・・。 名家故の淀みというか歪みというか・・・。 隼人もそう…
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