禍異者(まがいもの)
黒に近い程艶めいた緑の葉を持つ生け垣に、まだ咲くには早い椿の花が赤く綻んでいた。
時節にそぐわぬ花の狂宴を背景に立つ男は、深い紫陽花色のコートを着ている。
闇の中、街灯に照らされた紫陽花色と椿の色の対比には絵画的な美しさがある。
禍々しいくらいに鮮やかで艶やかな一幅の絵だった。
もう夜風も冷たい。屋内の温もりを恋い、男は自分の唇をついと撫でた。幾分、かさついている。
この場所が、目当ての場所のコトノハを運ぶ風を捉えるのに最も適しているのだから、仕方のない状況ではあるのだが。
震動した携帯をコートのポケットから取り出す。
「はい」
『また怪我人が出ました』
「薬の量を増やせ。反撃は許すが声帯には損傷を与えるな」
『ですが……、食事を摂ろうとしません』
男は軽く舌打ちした。
「点滴で栄養剤を注入しろ。腹立たしければ犯しても良いが、それが発声の妨げになればお前たちを殺すよ」
殺すよというコトノハは軽やかで、いっそ優しげでさえあったが、実際それは軽微な毒だった。
『……了解、しました』
通話を切った携帯を紫陽花色に戻す。
ふう、と吹く風が気配を知らせるのと舗装されていない道がじゃり、と鳴るのは同時だった。
街灯の更なる高みにある月の下。
夜道に浮かぶ白い背広。
「こんばんは。火を貸していただけますか?」
「……音ノ瀬の人間は煙草を吸わない筈だが」
秀一郎がにっこり笑う。
「そう。そして同族を害する者を許しもしない。例えそれが血縁であってもだ、音ノ瀬隼太」
隼太が芝居じみた動作で両腕を広げる。椿の前に紫陽花が開く。
「素晴らしい時代錯誤に敬服するよ、音ノ瀬秀一郎。本家の狗が、吠えるじゃないか」
「ありがとう。私は優秀な狗だから」
「捕」
「散」
「縛」
「散」
「―――――裂」
「壁」
僅か数秒の間に行われたコトノハの攻防が止む。
先程まで隼太のコトノハによって強制的に咲かせられていた椿が、今は見るも無残に落花している。花だけでなく、艶めいた葉も傷つき地面に数枚が臥せている。裂、というコトノハに見舞われた為の被害だ。
同じくコトノハで応戦した秀一郎も完全には防ぎ切れず、顔と背広に数本の傷が走っていた。
「……伊達に狗ではない訳だ」
隼太が剣呑に双眼を細める。
皮肉交じりの賛辞には頓着せず、秀一郎は鼈甲ぶちの眼鏡を外しながら落花の赤と葉の緑を見る。眉をひそめて呟いた。
「気紛れで狂い咲かせた花を、よくも躊躇なく散らせるな」
「散る美学を知らないか? 日本人だろう」
秀一郎を時代錯誤と嗤った口で、隼太が嘯く。
「それならば己の意思で選ぶべきだ。他者による強制が介入してはならない。お前だけが、お前の美学に殉じて散れ。一人で。他を巻き込んで尊しとするのは欺瞞だ」
「これはこれは。立派な政治家先生だ、畏れ入った――――花は葉と共に舞い隠す」
隼太がコトノハを発すると、散り落ちていた椿の花や葉の切れ切れが宙に舞い上がり、隼太の姿を覆い尽くしていく。秀一郎が止める間も無く紫陽花色が埋もれ消える。
「当主に伝えてくれ。あの時は逃がしてくれてありがとう、と」
月下に響く声を視るように、秀一郎は裸眼を険しく見張らせた。
椿の残り香が仄かに鼻腔を掠める。




