碇
その晩は店で買って来た鮪丼と、小松菜と厚揚げの煮浸し、人参と糸蒟蒻の金平を作って慎ましやかに聖の歓迎の宴とした。
俊介は夕方には自宅に帰っている。
楓は生い立ちにおいて傷を負ったにしては、人見知りが強くない。
秀一郎にも俊介にも、聖に対しても、控え目であっても関わろうという意思が見られる。
少しずつで良い。
あの子の世界が広がれば良いと思う。
食後は重音嬢が持って来てくれたモンブランに、楓と聖と一緒に舌鼓を打った。
栗の風味が濃厚なモンブランの中には、これまた濃厚な生クリームが絞り込まれていて、時々、栗の欠片が舌に当たる。
さすがは令嬢の選んだ品。
高カロリーだが絶品である。
しかし楓と聖と三人で食卓を囲む日が来るとは。
数日前には予想もしていなかった。
コトノハを処方する術に長けていようが、人生の先までは解らないものだ。
楓は寝室でパジャマに着替えながらうつらうつらと舟を漕いでいた。
一日に重音嬢と聖、二人の大人に初めて逢ったのだ。
彼女なりに気が張って疲れたのだろう。
夕涼みをするには風が冷たくなってきた。
今日はもう寝かせよう。
テディベアを抱っこした(テディベアに抱っこされているようにも見える)楓は目を眠そうに擦り、ふあぁ、と欠伸をした。
楓を寝かしつけてから台所を覗くと聖が皿洗いをしていた。
水が流れる音。
白い頭が流しに向けて俯いている。
ふむ。殊勝な心がけだ。
梅酢もタイムリーだった。
早速、柴漬けにする野菜を明日にでも買って来よう。
楓が柴漬けを喜んで食べてくれると嬉しい。
桔梗柄の浴衣の肩に薄い白銀のショールを掛けて、庭に下りる。
夜気は水を含んだようにひやりと冷たい。
風は止んでいて背に垂らした私の髪を揺らしはしない。
楓はどこに楓の樹を置いたのだろう。
虫の音がただただ清かな中に、私は小さな樹影を探した。
庭に一つだけある古い石灯籠は、現在は光源の役目を果たしていない。
影の降りた庭で、楓の足跡は見分け難い。
紫混じりの黒い闇が私を独りにする。
リーリーとか細く歌う虫。
闇が巡る。巡って――――――――。
「御当主」
少年の声が私を呼び戻した。
振り向けば聖も庭に下りて来ていた。
「迷子になられましたか」
「いいえ」
赤い瞳がゆっくり瞬く。
「迷っておられる」
「いいえ」
「怖いのですか」
「何も?」
聖が柔らかな白雲のように破顔した。
赤が細まり、白い睫が震える。庇に積もった雪みたいだ。
「いつでも御前におります」




