45 朗報と凶報3
ウォルフは書類が入ったカバンを手に北棟に続く廊下を小太りの体を揺らしながら小走りで移動していた。もう冬が目の前に迫っているというのに、彼は額に汗を浮かべている。実の所、今日だけでこの廊下を何往復したか分からなくなっていた。
「ウォルフ、殿下の所へ行くのならこれも頼む」
「はい、ただ今」
グラナトの補佐官に呼び止められ、ウォルフは足を止めた。そして補佐官から封書を受け取り、その場でカバンに入れると再び北棟に向かって駆け出す。
エドワルドが完全に休養できたのは2日ほどだった。結局はやる事が多すぎて仕事が回りきらなかったのだ。そこで来客の対応はサントリナ公とブランドル公、書類の決裁といった事務的な仕事をエドワルドとグラナトが行い、軍務に関してはブロワディとアスターに一任することとなった。
エドワルドは体調を考慮して私室で仕事を行うことになったのだが、グラナトやサントリナ公といった国の重鎮達との執務室との書類のやり取りが手間取ってしまった。そこでウォルフが自ら名乗りを上げて、こうして書類のやり取りを手伝う事となったのだ。ちなみに執務室が一番離れているブロワディは、いつも若手の竜騎士に行かせていた。
「殿下、失礼いたします」
エドワルドは机に向かって仕事をしていた。一時は体を起こすのも辛く、寝台に机を用意させ、クッションで体を支えて機械的に署名をしていた事もあった。だが、幾分回復した今は、仕事の間は寝台脇に用意した机に向かえるようになっていた。
「ご苦労」
エドワルドは書類を受け取るとウォルフを労い、特に急ぐ署名済みの書類を彼に手渡した。
「アスターはまだ戻っていないのか?」
「はい」
マルモアへ視察に行っているアスターは、昨日皇都へ帰る予定だったのだがまだ戻って来ていない。新たな問題でも起こったのか、帰還を遅らせる旨の伝言だけが届いていた。それを知らせに来た竜騎士も理由については詳しくは知らされていないらしく、問いただしても芳しい返答が帰ってこなかったのだ。
「……まあ、いい。アイツなら心配ないだろう」
気にはなるが、アスターの手腕を信頼しているエドワルドは、あれこれ推測するのを止めて新たに届いた書類に取り掛かり始めた。ずっとペンを握って強張る手を時折ほぐしながら書かれている文面に目を通し、署名をしていく。
「それでは、失礼いたします」
ウォルフはそんな彼の邪魔をしないように、頭を下げるとエドワルドの私室を後にする。エドワルドの私室を守る兵士に挨拶してまた南棟に戻ろうと一歩踏み出したところへ、向こうからグラナトが走って来るのが見えた。
執務室で寝泊まりしているほど忙しい彼自身がここまで来ることは珍しく、余程大変なことが起こったのだと推測できる。鬼気迫るようなグラナトの表情に気圧され、ウォルフも部屋の扉を守る兵士も慌てて退けた。
「殿下、大変です!」
普段のグラナトからは想像できない程ひどく慌てた様子で彼はエドワルドの私室に駆け込んだ。どうやらウォルフも眼中にない様子である。何が起こったか興味もあったが、ウォルフはどうにか好奇心を抑え込むと再び南棟に向かって駆け出した。
深夜にフォルビアを出立したルークが皇都に着いたのは朝方だった。少しでも早くエドワルドに知らせたいと気が焦り、同行しているラウルに気遣うことなく飛ばした結果、本宮の着場に着いた時には彼は1人だった。
「お疲れ様です、ルーク卿。お一人ですか?」
エアリアルから降りたルークに若い竜騎士が驚いた様に尋ねてくる。
「いや、途中までラウルと一緒だったんだが、置いて来てしまった様だ。じきに着くだろう」
ルークはそこで初めて、ラウルを置いて来た事に気付き、肩を竦める。気が焦っている事もあって飛竜を労い、括り付けていた荷を降ろすと後を係官に任せてすぐに屋内へ足を向ける。
出迎えた若い竜騎士の話では少し前にマルモアからアスターが帰還したらしい。すぐにエドワルドの部屋に向かったと言っていたので、マルモアでもきっと何かあったに違いない。エドワルドに余計な心労を増やすのは本意ではないが、運んできたフォルビアの情報はどうしても伝えておかなければならなかった。
「ルークです。ただ今フォルビアから到着いたしました」
持ってきた荷物を握り直し、気持ちを落ち着けてからエドワルドの私室の扉を叩いた。返答があり、扉を開けてくれたのはオルティスだった。奥の部屋では重鎮達が集まっているらしく、議論する声が聞こえてくる。
「失礼いたします」
オルティスに促されて部屋に入ると、思った通りエドワルドを支える重鎮達が勢ぞろいしていた。一番奥の安楽椅子にエドワルドが座っているが、フォルビアへ発つ直前に見た時よりは幾分か顔色は良くなったように思える。しかし、他の重鎮達もだが皆一様に目の下へくっきりとした隈を作っていた。
「ルーク、新たな情報か?」
「はい」
これだけ重鎮が揃っているという事は、この事も議題にしていたのだろう。ルークは持参した背嚢からヒースからの手紙を出すと、それをエドワルドに手渡した。正直、あまりいい内容では無い。
「……よくもここまで愚弄してくれる」
手紙に目を通したエドワルドは吐き捨てるように呟いた。その手紙を一同は順に目を通し、一様に顔を顰める。
「マリーリアとの婚約不履行の代償にフォルビアをよこせだと? 自分の立場が分かっているのか、あのバカは?」
恋人に関わる内容に、アスターは思わず声を荒げる。
「ご一家への襲撃はワールウェイド公の指示により傭兵達が勝手に行い、自分は知らなかった。マリーリアと婚約が調っていたにもかかわらず、一方的に破談された。マリーリアが皇家に迎えられたのならば、その責任は皇家が償い、自分を改めてフォルビアの当主と認め、自治を約束しろだと?……恥を知れ」
「しかも自分が正当に選ばれた当主で、それを不満に思う竜騎士に武力で排斥されただと? ふざけるな!」
普段穏やかなサントリナ公までもが激昂し、一同のやり場のない怒りがその場に蓄積されていく。その怒りの矛先はそんな条件を飲んだベルクにも向けられる。
この訴えを神殿が正式に受けると約束し、それを引き換えにベルクはラグラスと交渉してロイス神官長を解放させた。そして更に腹立たしいことに、この審理が完了するまではラグラスの身柄は神殿側で預かる事となり、タランテラは手出しが出来なくなる。混乱を避けてどこに滞在するかは公表されないらしい。
「人命が優先とはいえ、こんな戯言を真に受けるとは……」
手紙を握るブランドル公の手は怒りで震え、今にも破り捨てそうな剣幕である。ここにいる重鎮達は皆、ベルクがリネアリス公をそそのかしてエドワルドに縁談を持ちかけた事を知っている。その為に彼に対する不信感が募っていた。
ルークも出立前にヒースから事情を聞かされていたのだが、話を聞いていると改めて腸が煮えくり返る思いが込み上げてくる。
「ロイス神官長にはお会いできたか?」
「ヒース卿もお会いにはなれなかったそうです。体調を崩されておいでなので、解放された場所の近くにある小神殿にて静養中で、ベルク準賢者個人の護衛が警護に当たっているそうです」
「警護は代わらなかったのか?」
「不要と仰られ、逆に妖魔の対策に専念するように言われたようです」
ルークの答えにエドワルドはしばし考え込む。一方でルークの側に座っているアスターは硬い表情のまま別の懸念を口にする
「フォルビアにしてもマルモアにしてもマリーリアに関わる事ばかり責めて来るのは偶然だろうか?」
「マルモアで何かあったのですか?」
顔を顰めるアスターに何も知らないルークが尋ねる。
「マルモアの正神殿がカーマインを返せと言っている。ハルベルト殿下と合意した文書が破棄され、グスタフが新たに返還要求に応じる内容の文書に署名していた。それは無効にするように交渉したのだが、全てが白紙撤回になると言われた」
「そんなバカな……」
「繁殖用の雌竜は神殿で飼育されるのが当然。だが、マリーリアとの相性はいいからこのままこちらで預からせて欲しいと言っても聞く耳を持たれなかった。もう成熟し、いつ発情期を迎えてもおかしくない状態だから、周囲に雄竜がいると混乱を招く恐れがあるそうだ。同行してくれた高神官も尽力してくれて、随分と粘ったがどうにもできなかった」
討伐期に余計な混乱は避けたいのは確かで、神殿の言い分も尤もだと思うのが、どこか釈然としない。そのもどかしさにアスターは深いため息をついた。
「殿下、大神殿の神官長様がお見えになりました」
そこへオルティスが来客を案内してきた。フォルビアの事だけでなく、マルモアの問題を神殿側からの意見を聞きたくてエドワルドが呼んでいたのだ。
「わざわざありがとうございます」
エドワルドは礼を言うと、神官長に空いている席を勧める。そしてグラナトが今までの経緯をかいつまんで説明した。
「ベルク殿が独断で?」
事情を聞いた神官長も顔を顰める。当事者であるタランテラの意向を無視したベルクの行動に神殿を代表して頭を下げる。
「重ね重ね、同輩が失礼いたしました。事の次第は礎の里に報告させていただき、彼には帰還するように要請いたします」
「……謝罪には及ばない。ベルク殿が審理官長に任命されなければ審理を受けてもいいだろう」
「殿下、本気ですか?」
「何を企んでいるのかまでは分かりませんが、あちらの思うつぼですぞ?」
その発言に一同は驚愕して皆、エドワルドに詰め寄るが、彼は一同を宥めて元の席に戻る様に促す。
「言われるままに審理を受ければ、確かに我々の尊厳を大いに損なうだろう。グスタフの失脚と合わせれば他国からの信用は皆無となり、特に外交においては厳しいものとなる。だが、冬を間近に控え、妖魔の対策が十分できていない現状では、もうこれ以上他の事に手を煩わす余裕も無い。我々は先ず、この国に暮らす民の事を考えねばならん。無駄な矜持は捨ててこの冬を乗り切る為にはどんな手でも使うつもりだ」
エドワルドの言葉に一同は無言で頭を下げた。
「審理をするとなれば調査も行われるだろうから、少なくとも半年の猶予が出来る。その間にこちらも準備を整える事も可能だと思う。そうだろう?」
エドワルドの問いかけに一同は頷くが、ひとりアスターだけが浮かない顔をしている。
「カーマインの事は如何致しますか?」
「飛竜の専門家の診断を仰ごう。竜舎を束ねている爺さんにカーマインの状態を見て貰う。本当に成熟しているのか、飛竜達に悪い影響を与えそうなのか、こちらも理詰めで責めてみよう」
本宮の竜舎には長年勤めている竜舎の係官がいた。長年の経験により、飛竜の状態が一目で分かる彼は国外の係官もその技術を学びにやって来るほどである。彼の診断書なら、マルモアの神殿も納得するだろう。
「彼は今、本宮を留守にしております」
「何処にいる?」
「飛竜達の状態を診ると言って皇都近辺の砦を巡回しています」
「すぐに呼び戻してくれ」
「素直に応じますかどうか……」
例年であれば、本宮で全ての飛竜の状態を確認してから配属の砦に移るのだが、内乱の影響でその時間が取れなかったのだ。そこで自分の仕事に誇りを持つ彼は、自ら各砦を回って飛竜の健康状態を確認して回っているらしい。頑固なので他人から横やりを入れられるのを極端に嫌うのだ。
「どうしても応じない時は、爺さんのところへカーマインを連れて行け」
「分かりました」
エドワルドが竜騎士の見習いになった頃には既に竜舎の主となっていた係官を思い出し、彼は苦笑するしかなかった。
「神官長殿、審理の件はご協力頂いても宜しいでしょうか?」
「勿論です。ベルク殿の独断とならないようにこちらからも働きかけます」
「ありがとうございます」
礎の里も一枚岩ではなく、賢者確定といわれているベルクにも反感を持つ勢力がある。彼等に協力を仰げば、ベルクの独断は防ぐことも可能だろう。
その後、細かい打ち合わせを済ませ、神官長と大量の仕事を抱える重鎮達はエドワルドの私室を後にする。部屋にはアスターとルークが残った。
「カーマインの事をマリーリアに言ったのか?」
さすがに疲れたのか、エドワルドは深いため息をついて背もたれに体を預けた。執務机代わりにしている寝台脇の机には、フォルビアからの報告で後回しになった書類がまだ山のように積まれている。この仕事量を見るだけで、やってもいないうちに疲れが倍増しそうだった。
「まだ伝えておりません。とにかく殿下に報告するのが先だと思いましたので」
「そうか……。私から伝えた方が良いか?」
「……そうして頂けますか?」
少し迷った後、アスターはその役をエドワルドに任せた。自分で伝えてもいいのだが、その場合口論になる可能性は高かった。
「分かった。私から伝えよう」
エドワルドは了承して頷くと、今度は一歩控えた場所で大事そうに荷物を抱えて立っているルークに視線を向ける。
「わざわざお前が来たという事は、他にも用事があるみたいだな。何だ?」
エドワルドに声を掛けられたルークは一歩前に進み出ると、先ずは懐から小さな包みを取りだした。それをエドワルドの前に広げて置く。
「これは……。お前、どこで?」
見覚えのある翡翠のイヤリングにエドワルドだけでなくアスターも言葉に詰まる。エドワルドは震える手でそのイヤリングを手に取った。
「リラ湖の南東の岸にある葦原の中に隠されていた小舟の中に落ちていました」
「小舟?」
「船首にはマーデ村の刻印があり、周辺を探索したところ、野営の痕跡を見つけました」
「では……」
ルークの報告にエドワルドは思わず息を飲む。
「それから、こちらを……」
ルークは背嚢の中からあの包みを取りだした。ルークに促されるままその包みを開けたエドワルドの脳裏には最悪の事態がかすめる。
「船を見つけた場所から南東にある、ペラルゴ村の村長が預かってくれていました。彼女達はその村に立ち寄り、ロベリアに向かったそうです」
「ロベリアへ?」
しかし、彼女達はロベリアに着いていない。しかもラグラスにフォルビアが支配されていた頃は、境界に厳重な検問を設けていたので、手形すら持たない彼女達が通ろうとすれば何かしらのトラブルがおこっていても不思議ではない。ところが、そんな記録は一切なく、フォルビア解放後もそれらしい人物が通った形跡は無かった。
「ペラルゴ村の村長は、彼女達が何者か知った上で手形を発行し、旅の必需品までそろえてくれました。今までこの事を公にしなかったのは、これは私が来たら渡すように約束したのと、手形を無断で発行した事により、罪に問われるのを恐れたためと伺っています。この件に関しては寛大な処置を頂きたいと思います」
ルークは手形の写しを広げ、エドワルドの深々と頭を上げる。そう言う理由ならば、エドワルドに異存はなかった。
「勿論善処しよう。村長殿には心配は無用だと伝えてくれ」
「かしこまりました」
「手形の照会はしたのか?」
広げられた手形の写しに目を通し、黙って聞いていたアスターが口を挟む。
「はい。ロベリアとの境界に近い町で記録が残っていました。ただ、境界の検問では記録がなく、その後はまだ調査中です」
「そうか……」
エドワルドは青いリボンで束ねられたプラチナブロンドと漆黒の髪に触れる。ようやく得た手がかりだったが、未だに行方が分からない事が不安を募らせる。
「こちらはその件に関する報告書です」
ルークは書類を取りだすと、エドワルドの前に置いた。
「わかった。……まだ何かあるのか?」
報告書を受け取っても退出しようとしないルークにエドワルドは眉をひそめる。
「実はこの件で、連絡なしで1日単独行動したので、ロイス神官長解放に関する報告が遅れました。更にはこちらに来る途中で部下を置いて来てしまいました。申し訳ありません」
「……処罰を私から受けろとヒースに言われたか?」
ルークが頷くとエドワルドはため息をつく。
「処罰は無しだ。降格にしたら、お前を喜ばせるだけだろう?」
「ダメ……ですか?」
「当たり前だ。隊長としてしっかり働け」
項垂れるルークにエドワルドはもう下がれと身振りで示す。アスターとルークはエドワルドに頭を下げると、彼の私室を後にした。
「……フロリエ、コリン」
幾度となく湖に沈んでいく彼女達が自分に助けを求める夢を見た。その悪夢にうなされて夜中に跳ね起きる日が続き、最近はバセットが処方する薬を飲まないと朝まで眠れなくなっていた。
それは杞憂と判明したが、未だにその行方は分からない。彼女達に一体何があったのか?エドワルドはしばらくの間、2人の髪を手にして泣いていた。
マリーリアは夜食の盆を手にアスターの執務室を訪れた。彼が帰還したと聞いた時には彼女は北棟でアロンの看病を手伝っていて席を外せなかった。一方、帰還した彼はすぐにエドワルドに報告し、その後は執務室に籠ってしまったので、2人は顔を合わせる機会が無かった。互いに仕事や用事があって忙しいので、すれ違いになるのは仕方がない。それでも、今日は無事に帰って来た彼にどうしても会いたかったのだ。
「アスター?」
扉を叩くが返事がない。マリーリアは思い切って扉を開けると、部屋の主はソファに横になっていた。
「アスター?」
盆をテーブルに置き、マリーリアは慌てて側に寄る。実のところ、彼の帰還が遅れた理由の一つは例の頭痛だった。半日、それで寝込んでしまったのだが、それを知っているのは密かに手紙を貰っていたマリーリア以外には同行した竜騎士と神官だけだった。
「アスター」
マリーリアがもう一度声をかけると、ハシバミ色の目が開いて彼女を捕えた。
「……マリーリア?」
「頭痛がするの?」
心配そうな彼女にアスターは首を振って否定すと、少しだるそうに体を起こした。
「目が疲れたんだ。さすがに片目だと……」
アスターが指差す先の机には山と積まれた書類があった。ロベリアにいた頃には難なくこなしていたはずなのだが、片目での作業は思った以上に負担がかかったらしい。
「頭痛じゃないのね?」
「ああ、心配かけた。ゴメン」
アスターはマリーリアを引き寄せると彼女に軽く口づけた。離れていたのはたとえ数日でも、会えないもどかしさに寂しさが募っていた。ソファに座ったまま互いに抱きしめ、そのぬくもりを確かめ合う。だが、恋人の腕にいてもなお、マリーリアは寂しそうに俯くとポツリと呟く。
「カーマインの事、聞いたわ」
「……ゴメン、力不足で」
「ううん。アスターの所為じゃないわ」
マリーリアは首を振る。だが、今にも泣きそうな彼女にアスターは唇を寄せると抱きしめる腕に力を込めた。
「とにかく竜舎の爺さんに診て貰おう。それからもう一度交渉してみよう。お手を煩わせて申し訳ないが、殿下も協力して下さる」
「うん……」
マリーリアは頷くが、顔を上げると不安げな目をアスターに向ける。
「あの子……ここの所元気がないの。食欲も落ちているみたいだし、どこか具合が悪いのかしら……」
「そうなのか? その辺りも爺さんにしっかり診て貰おう」
「うん……」
不安が募り、震えるマリーリアをアスターは抱き上げ、部屋の奥の仮眠室へと移動する。そして恋人の不安を払拭するのも自分の役目だと、そう頭の中で言い訳をして彼は久しぶりにマリーリアと肌を合わせた……。
翌早朝、すっかり冷めきってしまった夜食が朝食となったアスターとマリーリアは、まだ夜が明けきらないうちにカーマインの様子を見に来ていた。だが、こんな早い時間だと言うのに、竜舎の方が何だか騒がしい。
「何事だ?」
「あ、アスター卿!」
竜舎の係官はアスターの姿を見つけると慌てた様子で駆け寄ってくる。他にも数名の係官と若手の竜騎士がいて、上級の室に人が集まっていた。そこは特にグランシアードやフレイムロード、皇家や5大公家に縁のある飛竜専用の室が有る区画である。皇家の養女になったマリーリアのカーマインも当然こちらの室に移り、更にはまだ幾分か余裕が有るので、ファルクレインもこちらに室を賜っていた。
「何かあったのか?」
アスターが問うと、若い係官は室の一角を指さす。そこは確かカーマインの室だったはずだが、その入り口を占拠しているのはファルクレインだった。確かに一般の室と比べて随分と余裕がある作りにはなっているが、2頭一緒はさすがに無理がある。その証拠にファルクレインの体は室からはみ出していて、通路を半分以上塞いでいた。そして近づこうとする係官達に無言の圧力をかけて威嚇しているのだ。
「何をしている、ファルクレイン」
パートナーの声に一瞬ビクリとしたがそれでもそこをどけようとはしない。アスターは飛竜に近づき、眉間を小突いてそこから退けるように強く命じる。
グッグッ……。
どこか不満そうに飛竜は渋々と言った様子で体を起こし、奥の様子を窺うように顔を向ける。すると、奥にいたカーマインがキュルキュルと甘えた声を出してファルクレインの首に自分の首を絡め、カプリと甘噛みをする。
「……まさか、お前……」
それは飛竜の愛情表現だった。しかも番となった飛竜同士のである。その様子を目にし、周囲はどよめく。
「何しとんじゃい、雁首揃えて。仕事をせんかい!」
そこへ聞き覚えのあるしわがれ声が乱入する。集まった係官も若手の竜騎士達も慌てて自分の持ち場に戻って行き、逆に姿を現したのは竜舎の主と呼ばれる係官と、騎竜服姿のルークだった。どうやらわざわざ彼を呼びに行ってくれたらしい。
「ほれ、どかんかい。悪いようにはせん」
直接言葉が通じる訳ではないが、有無を言わせぬその態度にファルクレインも従う。いかにも渋々と言った様子で飛竜は占拠していた入口から退けるが、2頭の尾は絡めあったままだ。ラブラブな様子にルークは苦笑し、マリーリアは絶句してアスターは天を仰いだ。
「なんじゃ、診るまでもないのう」
係官は労う様にポンポンとファルクレインの体を叩くと、室の奥にいるカーマインに近寄る。そして手慣れた様子で飛竜の状態を確認していく。
「お主もいつの間にか別嬪さんに成長したのう。よかったのぉ、いい番を見つけたではないか」
係官に掛けられる言葉に、最初は落ち着かない様子だったカーマインも次第に寛いだ様子を見せている。よしよしと声を掛けながら係官は体を撫でていき、腹まで来るとふと動きが止まる。
「おお、しっかり二世も育っておる。数はまだ分からんが、あと3月で生まれるじゃろう」
「卵ですか?」
「……」
顔を見合わせるアスターとマリーリアに呆れた様子で老人は声をかける。
「なんじゃ、お主達気付いておらなんだのか?」
「はあ……」
気のない返事をするアスターに追い打ちをかけるように係員は言葉を続ける。
「まあ、お主達も夢中で気付かなかったんじゃろう」
「……」
「あの、最近食欲が無いみたいなんですが……」
マリーリアは聞こうと思っていたことを思い出し、室から出てきた係官に尋ねる。
「人と同じじゃ。悪阻と似た症状を飛竜も起こす事がある。じゃが、もう半月もすれば、今度は逆に食欲が旺盛になって来るじゃろう」
「……じゃあ、カーマインはマルモアに移さなくても?」
「もちろんじゃ。番も決めておるし、ましてや腹に卵を抱えておるんじゃ。マルモアに移す方が悪影響じゃの」
係官の押した太鼓判にマリーリアは顔を綻ばせ、傍らに立つ恋人に抱きつく。アスターもほっとして彼女の腰に腕を回し、診断を聞き終えたルークは静かに席を外した。
診断を終えた係官が室から出ると、ファルクレインは再び室の入口に陣取って座り込む。どうやら彼は、腹に卵を抱える番を守ろうとしているらしい。
「ファルクレイン、それはやはり無理があるぞ」
もちろん、室に入りきれる筈も無く、ファルクレインの体は半分以上はみ出している。このままここに陣取られたら、通常の業務にも支障が出るだろう。
「隣の室は空いておるからの。壁を取り払ってしまうかの」
係官の妥協案はその日のうちに実行され、広くなった室で2頭の飛竜は仲睦まじく寄り添っていた。
ちなみに……後でこのことを聞いたエドワルドは、報告に来たアスターが憮然とするほど大笑いしたのだった。
意地を張るパートナーと違い、すんなり番って卵という成果まで上げた飛竜達w
山荘での行方不明事件の真相がこれ。
その後も2頭だけになる機会があったので、着実に愛を深めていったわけです。
ちなみに2頭のラブラブぶりにグランシアードやフレイムロードといった飛竜達もあてられていたらしい。
ちなみに、ルークに置いてきぼりにされたラウル君は、その後無事に本宮に到着。
レベルの違いに衝撃を受け、一層ルークへの信奉を高めていったとか……。




